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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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先日、ライブドア事件に絡めて証券取引を博打と表現いたしました。今回は、ついでにギャンブル・賭け事の『博打』のお話をしたいと思います。
あまりピタッと当て嵌まらないと思うのですが、私共の業界は大きく2つに分類されております。『神農』系と『博徒』系、要するにテキヤとバクチ打ちで分類されております。戦後間もない頃には、この分類で良かったのだと思うのですが、今の時代にこの分け方はとても曖昧なものとなっております。
北海道は、昭和の50年代までテキヤ王国なんて呼ばれておりました。私が子供の頃にはまだまだテキヤ系の組織が頑張っており、街を闊歩していたのを覚えております。今ではこまごまと存在していた独立組織も時代の流れで、関東・関西双方の博徒系大手全国チェーンに吸収合併されております。
博徒系の伝統ある組織には『縄張り』がしっかりと線引きされております。先日、会長が自殺された国粋会は、関東の博徒組織の連合体であります。彼らは、代々受け継がれてきた『縄張り』を非常に大切に考えております。ですから、『縄張り』を守る為ならば命をも厭いません。それが、博徒なのです。
北海道組織の大半がテキヤ系の源流を持ちながら、今現在は博徒系の代紋を掲げているという何とも曖昧な状況であります。その所為か、はっきりとした『縄張り』などは存在しておりません。私達は、ガキの頃からここで育っておりますので大した違和感を感じておりませんが、本州組織の先輩方は皆一様に「めちゃくちゃだな・・・。」と感想を漏らします(笑)。
さて、この『縄張り』、そもそもは博打の賭場(盆)を開く権利だったと言われております。全く関係の無い者がやって来てある日突然賭場を開く・・・、なんて事は昔は不可能だった訳であります。そして、賭場でのトラブルも御法度、当然その縄張りを仕切る一家が対処する事になります。私としては、これも立派な秩序だと思うのです。
博打に関しては様々な説がございます。その中で私が信じているのは、農村での生き残り対策という説です。大凶作の年、皆が食うや食わずでそのままでは村が全滅してしまいます。そこで残り少ない食べ物を持ち寄って、くじ引きで生き残る者を決めたそうです。これが、くじ引きからサイコロなどに変化し、遊興としての博打に発展していったという説であります。農耕民族の日本人らしい説ではないかと思うのです。
残念ながら日本の博打という物は、男のものとして発展してまいりました。私が子供の頃でも、競馬場やパチンコ店を女性だけで歩くなんて事は感心されるものではありませんでした。古くから博打で勝った金は、パァーっと皆に酒を振舞うか女を買うかといったところでしょう。勝ち負けを帳簿に付けたり、買った金を貯金したりなんてのは粋じゃありませんよね(笑)。
いくら博打が運分天分だからと言いましても、皆様に愛されて気軽に遊びに来てもらえる場でなくてはいけません。運営者にも配慮があり、身上(しんしょう)を潰すような遊び方はさせません。あまりにも負けがこんでる客には、小遣いを渡して帰す事もあったそうです。
「今日はツいていないようだから、もうおヤメなさい。これで家族にお土産でも買って帰りなさい。次は頑張って勝って下さいよ!」こんな感じでしょうか。
客同士の間にも粋な計らいがありました。大勝ちして帰る際には、ツキをお裾分けするという意味で、幾ばくかのお金を負けている客に渡して帰るのです。これを『目付け(めつけ)』と言います。『目付け』は今でもその風習が残っております。ただの勝ち逃げは粋じゃありませんからね。
来る客、来る客、全員から尻の毛を抜くほど巻き上げていたら、賭場なんて一瞬で誰も来なくなってしまいます。勝っても負けても、そこそこ楽しんで貰わなくてはいけません。賭場から生まれた言葉で『盆に明るい』『盆に暗い(ボンクラ)』というのがありますが、これは盆全体をコントロールしてお客様を楽しませるという意味合いの言葉です。
最近ブログを始められたCloudさんの記事にも掲載されていますので、是非そちらもお読み下さい。
Cloudのきまぐれ日記
基本的に賭場は堅気の旦那衆の遊び場なのですが、博打だけで飯を食っている者もおりました。博打を主催する者も『博徒』ですが、打つ専門の人間もまた『博徒』であります。賭場から賭場を渡り歩く、彼らもまた粋な存在として扱われていたのです。
流れ者の『博徒』にも、粋な博打の打ち方というものがございます。のらりくらりと様子を見ながら小さく張り続け、ここだという場面でドンッと大きく勝負します。一発当たれば目付けを配って退散し、負ければ潔くスッカラカンで退散します。その潔さを良しと感じた親分衆は、旅を続けられるように餞別を持たせたり、何日か客分として宿と飯の面倒をみてやったりしたそうです。
客分として扱われた者は、一宿一飯の恩義を一生忘れない・・・これが当然のルールであります。主催する側も腹が太い、遊ぶ側も潔い、博打は『粋』で打つものでございます。日本に根付いてきた博打は、本来は『粋』なものだったのです。
私共の土地では、盆が開かれるような事は殆どございません。本州では、未だにあちらこちらで定期的に開催されているそうです。丁半、カブ、手本引き、サイ本引き・・・etc、楽しそうです(笑)。以前、義理事で集まった時に関係者だけの『花盆』に参加した事がございます。なんせ全員が業界人ですから恥ずかしい博打は打てません(汗)。多少勝たせて貰ったのですが、目付けを配ってチャラでした。
楽しかったなぁ・・・(笑)。
昨今の博打はどうでしょう。
競馬、パチンコ、ポーカーゲーム機、ネットカジノ、闇カジノ・・・etc、血の気の通わない無機質な感じがいたします。そこには、華も人情も無いような・・・。大人の粋な遊びとは言えないような気がいたします。
博打で負けて文句を言うなど言語道断、その辺だけは腹を括って打たなければいけません。勝っても負けても潔く、これが大原則でございます。
しつこいようですが、博打は『粋』で打つものでございます。
これだけは、絶対にお忘れなく!
春の甲子園が始まります。
神聖な高校野球に賭けをしております・・・。
ゴメンなさい・・・(_ _,)
頑張れ帝京、頑張れ仙台育英♪(-o-)/