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雲のように…月のように…

雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…

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宗教

またイカレ宗教の所為で、悲しい事件がありましたね。
信仰・・・、これは結構大切なものだと思うんです。何かの宗教を勧めるとか、神様って素晴らしいとか、そんな類の話ではございませんのでご安心を・・・。

信仰とか宗教というのは、人間がより良く生きていくための道具だと思うんです。ん~、道具というか、教科書というか、マニュアル的なものというか、まぁそんな感じですね。人間がより良く生きる・・・、これは周りと上手く調和して共生する事だと思っています。

宗教なんてものは、崇める対象が違うだけで基本的には皆同じような事を言ってるものなんです。仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、神教であれ、木っ端みたいな宗教であれ、どれも似たようなものなんです。

今、自分の置かれている環境に感謝して、周囲の者に感謝して、共に手と手を取り合う事を忘れずに暮らしなさい。大雑把に言えば、だいたい共通してこんな内容です。普通に良い事だと思います。そして、人間そうあるべきだと思います。

なぜ宗教と呼ばれる代物は、神様的な目に見えない大きな第3者を必要とするのでしょう。それは、神様の言葉を代弁するという形をとる事で、大勢の人達に解かりやすく話をできるからなんです。それが自然と現在のような形になってしまっただけの事であります。

神様という存在を創りあげる事で、色々な事を簡単に教える事が可能になります。例えば、ピーマンが大嫌いな子供がいたとします。「栄養学的にピーマンというのは人間に必要な栄養分を多量に含んでいるんだから、効率的に栄養を補給しようとするならば、他の物で補うよりも少量のピーマンを摂取するほうが、割に合うんだよ!」と言うよりも「ピーマンを食べないと神様に怒られるよ。バチが当たるよ!」と言った方がずっと楽なんです。

猿が立ち上がった程度の頃の人間には、学問など無かった訳です。今のように思考能力も発達していないし、屁理屈を中心に生きていた訳ではないんです。その中で頭のいい奴が、皆が仲良く助け合って暮らしていく為に、それを人々にうまく説明する為に考えたのが『神様』なのであります。

なぜ人は人を殺しちゃいけないんでしょうか。なぜ人は人の物を盗んではいけないんでしょうか。上手に理論立てて説明するのは難しいですね。しかし、どちらも人としてやっちゃいけない事には間違いありません。

人殺しもアリ、盗みもアリ、世の中何でもアリだったらどうなるでしょう。油断すれば何をされるか解かったもんじゃありません。誰も信用できないし、ゆっくり眠る事もできません。そして、人類と言う種で考えても、何一つ発展創造する事がありません。

そんな思いをして、ビクビクしながら暮らすのはお互いに嫌であります。私も人は殺さないし、盗みもしない。だから、静かに眠れて、豊かに食えるように協力し合ってやっていこう。そういう思想が芽生えたからこそ、今の人間社会が在るんです。

しかし、腕っ節の強い連中には納得がいきません。何でもアリの状況でも、全然困らない訳ですから。そこで、人間なんぞがいくら束になっても敵わない無敵の存在が必要になるんです。それが、『神様』なんです。

見知らぬ土地に行って、地図も無く道を行くのは怖いものです。それと同じで、知らないものや知らない世界に人間は恐怖感を持っているのです。死後の世界なんてのは、その代表みたいなものであります。

人を殺した人間は、死後『地獄』に行くんです。どんな恐ろしい世界なんだか具体的には解かりませんが、それはそれは恐ろしい所だと…。逆に人を助け、物を分け与えた人間は、死後『天国』に行くんです。花に囲まれ飲み・食い放題、病も悩みも無い、楽しさと幸せだけの世界です。

誰がそんな事を言ったんだ?誰が教えてくれたんだ?となった時に、「隣の村の村長だよ。」って事じゃ説得力がありません。「あんな俺より弱い奴の言う事なんて信じられない。」という人間も出てくる筈です。じゃあ誰が『天国』だの『地獄』だのと言い出したのか・・・。

唯一全ての世界を支配している『神様』が言ったんです。
『神様』を創りあげる事で色んな説明が可能になります。特に、天災や自然現象です。大洪水、大地震、大火災、台風、火山、落雷、全部『神様』の怒りです。作った町が滅びれば、ここに町を作った事を神様が怒ったんだと言えばそれまでです。

『神様』は無敵じゃなければなりません。ちょっと怒れば全てが埋まってしまうような砂嵐を起こします。山も沈むほどの大洪水を起こします。どんな病気も治します。神の子は何度殺したって生き返るんです。もう、言ったもん勝ちです・・・。

人間は知らない物が怖いんです。見えないもんは、知りようがありません。見えないんだから攻撃しようがありません。そりゃあ、無敵ですよ。その無敵の『神様』が言った事を守らなければ、どんな罰を受けるか解かったもんじゃありません・・・。

『神様』がこう言ってるんだから、殺し合うのをやめましょう。盗みをやめましょう。助け合いましょう。じゃなきゃ、『神様』に怒られちゃうよ。秩序ある社会を作るために、自然発生的にできた考え方、これこそが『宗教』なんです。解かりやすく、多くの人々に説明するために・・・。

順番こそ違えど、世界各国で同じようなやり方を考え出した人達がおります。残念ながら『神様』は、誰にでも語ってはくれる訳ではありません。『神様』の教えを聞いた人達は、キリスト、ムハンマド、ブッダ、なんかが有名ですね。まぁ、他にもいっぱいいます。

彼らは実在もしない『神様』を語った嘘つきなのでしょうか。まぁ、ぶっちゃければ嘘つきなんでしょうが、私は『良い嘘』だと思っています。嘘と言うよりも、人が助け合い共存する方向へ進むための、一つの手法だったんだと思うのです。人をコントロールして支配者になろうとしていた訳では無いような気がします。

キリスト教・イスラム教・仏教の三大宗教と呼ばれるものは、どれも内容に共通点が多いんです。同じ神の僕同士、助け合って生きていく事。無益な殺生は良くないという事。人間にはどうする事もできない事があるという事。良い行いをした者は、次の世界で報われるとい事。本当に、似たような事であります。

どの宗教も、平和と共存を訴えているんです。よそ様の宗教をやっつけろ、なんて経典はどこにも無いんです。イスラムもコーランに明言はしていません。じゃあ宗教同士で戦争になっているのは、ありゃ何なんだという話になります。平和もヘッタクレもございません。

宗教が生まれたのは、遠い遠い昔の事であります。今のように長距離の移動を簡単になどできません。その頃は、海の向こうに人が住んでいる事すら互いに知らなかったんです。海の向こうでも同じように、『神様』を創りあげる事によって平和な社会を作ろうとした奴がいるなんて、想像しなかっただけの事です。

いつか異民族と接触する事を想定していたのなら、もうちょっと違う『神様』を創っていたと思うのです。例えば、同等の力を持った『神様』が他にも20人位いるんだ・・・、もし他の神の子達に会ったら仲良くするように・・・って感じでね。最初からそういう風に設定しておけば、異教の者と出会った時にも「あー、お前らの神は20人位いる中の1人だな。ウチの神様から噂は聞いてたよ。よろしくね。」なんて話で終るんです。

それぞれの宗教が、唯一絶対の神を作ってしまった事が失敗の原因なんです。だから、「お前んトコの神は偽物だ。」「偽物のクセに神を語るなんて太ぇ野郎だ。」「嘘つきをやっつけろ!」なんて事になってしまうんです。まぁ、地球にこんなに人がいるなんて知らなかったんだから、仕方が無い事なんですが・・・。

そう考えると、神教ってのは偶然にも上手くできてますね。どんな物の中にも神様がいる、米粒一つの中にでも・・・、って素敵な考え方ですよ。さすが日本人ってトコです。


長々と語ってしまいましたが、要するに『神様』なんて居ないんです。力一杯、言い切れます。しかし、宗教は悪い物ではないんです。矛盾しているようですが宗教の教えには、より良く生きる為の知恵や、心の負担を軽くする為の知恵が、たくさん詰まっております。まぁ、神の存在云々は別としての話ですが・・・。

戦後の宗教という物を考えてみて下さい。創価学会、霊派の光、真光教、生長の家、オウム、幸福の科学、統一教会、法の華・・・etc、あぁ~キリが無いっ。今回の紀元会もそうです。全部インチキ宗教です。宗教と呼ぶのすら考えもんです・・・。詐欺集団です。

これらの如何わしい団体には、必ず『教祖』がいるんです。『教祖』がパワーを持っていて、それを崇めるなんてぇのは宗教でも何でもありません。キリストは一財産稼いで城に住みましたか?ブッダなんて教えを広めるためにドサ廻りをしていて、ナマズ料理にアタって死んだんですよ。

金を集めろ!なんて言った創始者はいないんですよ。
三大宗教も後から受け継いだ者達が、銭を集めるようになったんです。そこから何かに気付いた者達が『宗教』を語り、銭儲けをしているんです。ただの営利集団なんです。騙されちゃあイカンのですよ・・・。

だいたいにして『教祖』ってぇのは、どんな奴ですか。手前ぇの事を神だと思ってる人間ですよ。いますか?普通・・・。私の小学校や中学校には「僕、実は神なんですよ。」なんて馬鹿は1人もおりませんでした。生まれた時から神じゃ無いのなら、いつどこで神になるんでしょう。大人になってから、ふと気付くんでしょうか。馬鹿言っちゃいけない・・・。

自分の事を『神』だなんて言う奴はキチガイなんです。献金やら、何かを買えなんて言われるのは、宗教じゃなくて詐欺なんです。何ちゃらパワーで奇跡を起こすなんてのは、ただの子供騙しなんです。宗教の教えは、自宅で本を読めばちゃんと理解できるんです。集会なんぞに参加する必要はないんです。

絶対に引っ掛からないで下さい。


宗教の教えというのは、先人達の知恵なのです。
助け合い、より良く生きる為の知恵なのですよ・・・。

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