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雲のように…月のように…

雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…

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死刑

昨日、『たかじんのそこまで言って委員会』を見ていましたら、死刑についてかなり熱い議論が行われておりました。死刑には以前から思うところがありましたので、そのお話をしたいと思います。まだ、前回の続きも書いていないのに・・・(汗)。

結論から言えば、私は死刑制度には賛成です。必要不可欠であると考えています。しかし、その周辺には色々と整備していかなければいけない問題が数多くあるとも思っています。

まずは、処刑方法の事です。日本では、絞首刑が採用されています。死刑執行官という職はございません。執行当日に5人の刑務官が執行官として指名されます。当日の出勤表を見て所長が決めるそうです。明確な基準は無いそうです。執行は5人の刑務官が同時にボタンを押し、誰のボタンが反応したかは当事者達には分からないようになっているそうです。

死刑と殺人は全く性質の異なるものだと思いますが、人一人の命を終らせる事には変わりありません。その行為には、とんでもなく大きな精神的苦痛がともなう筈なのです。誰のボタンが当たりだったか分からないからといって、その苦痛が薄らぐ訳ではありません。5人が同様に苦痛を感じ、その重荷を背負って生きていかなければならないのです。

「俺の押したボタンで人が死んだんだ・・・」
こんな思いが一生続くんです。いくら相手が極悪人だからと言っても、個人的には何の恨みも無い人間を殺す訳ですから・・・。人を殺す経験・・・、世の中のほとんどの人間が一生涯経験する事が無いのです。こんなに辛い事は滅多にありませんよ。

この過酷な役割を刑務官に背負わせて良いものか…、これは思案のしどころです。ボタンを押す事が、社会の正義の為なんだと思ってみても、やはり…ね。頭にこびりついて離れませんよ、実際。夢にもうなされる事でしょう…。いくら仕事だとはいえ、何も悪い事をしていない善良な刑務官に、そんな思いをさせるのは如何なものでしょう…。

刑務官の受ける精神的ダメージに対して「そういう仕事なんだから仕方がないだろう!」とか「じゃあ最初から刑務官になるなよ!」という意見を持っている方もいるでしょう。しかし、就職する時に自分が死刑を執行する可能性があるなんて普通は知らんでしょう。高校生の時に、死刑の執行官は当日ランダムに指名される・・・なんて知っていた人はいますか?

それならば遺族にボタンを押させてやれば良い、という意見もございます。それも正直考えもんであります。そうなると復讐になってしまいます・・・。復讐を法律で認めれば、世の中は大変な事になってしまいます。死刑以外でも復讐ができるように、なんて感情が爆発してしまいます。

ちょっと話がそれて行きそうなので、法律と感情の事はやめときます。

私は、絞首刑には反対なのです。刑務官に精神的苦痛をあまり与えないで済むような処刑方法を採用すべきです。例えば、ガス室です。死刑囚を薬で眠らせてから、確認窓も無い小部屋に入れて、タイマーをセットして、翌日に遺体を回収する…とか。死の瞬間に立ち会わないだけでも、かなり精神的苦痛を受けなくて済むように思います。とにかく執行官の苦痛が少ない方法を考えるべきだと思います。

ガス室の場合、死刑囚に痛みも苦しみも与えない事を不愉快に感じる方もいるでしょう。しかし、死刑が執行されるまでの間に充分罰は受けている・・・と私的には思うのです。それは、精神的な罰です。死刑執行は前もって予定日を知らせる事はありません。死刑囚本人が知るのは、執行当日の朝であります。

死刑執行の前の晩には豪華な夕食が出る・・・なんてインチキ臭い噂がありますが、全くの嘘であります。午前中に突然刑の執行を告知され、そのまま刑場に連行されるのです。死刑囚は毎日、いつ執行されるのか、その恐怖に怯えながら暮らさなくてはなりません。これは、キツいですよ。これ以上の罰は無いと思います。

死刑というものを考えるにあたって、まずは死刑囚の現状や死刑執行に至るまでの過程をきちんと公表しなくてはいけません。どんなものなのか内容を知らずに議論するのは実に馬鹿げております。政府には公表する義務があると思っています。

まず、死刑囚はどんな暮らしをしているのか?
死刑囚は刑務所にいると思っている方が多いのではないでしょうか。死刑囚は、刑務所ではなく拘置所の独居房におります。懲役刑は労働が罰になっております。だから、刑務所で労働をしなければいけません。それに対して死刑囚に与えられた罰は『死』のみなのです。それ以外の罰を与えてはいけませんので、当然労働などに従事する事はありません。

拘置所内でなにをしているのか?
何もしていません。何もできませんから・・・。刑務所ではテレビを観ることができますが、拘置所にはそんな物はありません。火曜と金曜に本を2冊ずつ借りられる事と、決められた時間内にラジオが聞けるだけであります。拘置所の独居はツラいものです。

今回私も1ヶ月半入ってましたが、かなりキツかったです。恥ずかしながら相当参ってしまいました・・・(汗)。のうのうと読書をして、ラジオを聞いて、3度の飯を食って、一体何がツラいんだ・・・と思うかもしれませんが、これがなかなかどうして・・・。情無い話ですが私なんて毎日、ここから出られるならもう刑務所に落ちてもいいや・・・と思ってました。

正直、刑務所で働いている方がよっぽどマシであります。同じ独居でもムショだと、封筒折りなんかの作業があるのです。作業をしていたら1日なんて、あっという間に終ります。拘置所の独居は1日がとにかく長いのです。拘置所の独居ほど最悪の場所はありません。あそこに長く居れば確実に人間は壊れます。

私は今回の拘禁生活で死刑囚を見ております。昔から死刑囚がここに入っているという噂は聞いておりましたが、実際に見たという話は聞いた事がありませんでした。まさか自分の目で確かめる事になるとは思っていませんでした。

私が見た死刑囚は、もうすっかりお爺ちゃんで歩くのもやっとという感じでした。パッと見では80前後だと思います。風呂の時間と診療日に廊下を歩いているのを何度か見かけました。一応は自力で歩いているのですが、人としての生気は全く感じられず、生ける屍という印象を受けました。

朝晩の点検時に呼称番号を言わなければならないのですが、声も満足に出ない様子でした。看守や掃夫の問いかけにも、本人は「はい」と言っているつもりなのでしょうが、小さく口が開く程度で声は聞こえませんでした。感情は全く消え去り、ただ生きている・・・それだけであります。あれが、『廃人』というものなんだなと思いました。

彼の場合は、刑の執行を待たずしてその命を終える事になるでしょう。彼が何をしたのか、何人の人を殺めたのかは知りません。しかし、刑罰としては考え得る限り一番重い刑罰を受けたのだと考えております。実際に首を吊られるよりも何十倍も重い刑罰だと思います。仮にこの先、彼に刑が執行されたとしても、もう何も感じない人間になっております。

現在、刑の確定から執行に至るまでの平均期間は約7~8年と言われています。裁判で死刑を求刑されている者は、刑が確定するまでの間も拘置所で独居暮らしです。刑が執行されるまでの期間も合わせると、軽く10年を越えます。人間を壊すには充分な時間であります。

それなら死刑なんて要らないんじゃないのか・・・と言う方がいるかもしれません。違うんです・・・、死刑があるからこそ執行までの期間がとてつもなく重い刑罰になるのです。鳩山法務大臣が、半年で自動的に刑が執行されるようにしたらどうか・・・なんて事を言っておりますが、それでは刑の重さが半減してしまいます。

最も重い刑罰として、現在『死刑』が存在しているのです。その存在理由は『抑止力』であると思っています。人を殺せばあんな目に遭うんだ・・・、と考えさせるのが抑止力であります。たったの半年で全てをチャラにしてやっては抑止力には成り得ないと思うのです。残酷であろうが何であろうが、重刑は必要なのです。

付属池田小事件の宅間のように、早期の執行を望む者もおります。本人が希望したからと言って早く執行したんじゃ何の意味もありません。早々に開放してやった・・・、という事と同じではないでしょうか。

死刑が執行されるまで重労働を課してこき使えば良い、と言う方もいるでしょう。しかし、私の経験上、何かやるべき事を与えられている方が精神的には楽なのです。人間はできる事を奪われていく方が何倍もツラいんです・・・。経費を考えるならば働かせた方が良いのかもしれませんが、重い罰を与えるという目的ならば現在のスタイルが良いでしょう。

死刑反対論者は代替案として『終身刑』を主張しております。終身刑を新たに制定する事には賛成ですが、死刑の代わりとするのには反対です。死刑と終身刑とでは、比較するのも馬鹿らしいほどの違いであります。

反対論者はすぐに人道的という言葉を使いますが、そもそも死刑を求刑される人達はどんな人達ですかって話です。彼らの命を救う事は人道的な行為なのではなく、彼らを厳しく処罰する事によって娑婆にいる殺人者予備軍を抑制する事、そして悲しい事件を未然に防ごうとする事の方がよっぽど人道的であります。

『見せしめ』という言葉はあまり好きではありませんが、実際必要なものだと思います。死刑を筆頭にありとあらゆる刑罰は、抑止を第一の目的に考えるべきだと思っております。更生・矯正はその次にあるべきものでしょう。


10年前と比べると、暮らしのスタイルも犯罪傾向も随分と変わっております。20年前と比べれば、もっともっと大きく変わっております。世の中は凄いスピードで変化しているのです。

刑罰や刑務所のあり方、法律のあり方、裁判のあり方、全てが本来の役割を果たせず、機能が衰えている気がいたします。世の中に合わせて調整していかなければなりません。そろそろ本気で考えなければならない時期が来ているのだと思います。

メディアは弁護士の話ばかりではなく、刑務所・拘置所の現状、現場の刑務官や囚人・服役経験者の談話などを広く公開するべきです。するべきと言うよりも、公表しなければならない義務がある。


実際の中身を知らなきゃ、議論のしようがありませんもんね・・・(-_-A

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