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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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私は、誰もが認める筋金入りの大酒呑みでございました。
若い頃は気取ってバーボンなんぞを嗜んでおりましたが、その後は焼酎を阿呆ほど呑んでおりました。一日に鏡月を4~5本は呑んでおりましたので、720×4~5=約3リットルの焼酎を呑んでいた事になります(汗)。十数年もそんな暮らしを続けていたのです。
どの辺からお話して良いのやら・・・。
私には23の時から9年間、一緒に暮らした女がおりました。その人は勝手気ままな私を、本当に自由に好き勝手させてくれる女性でした。毎日記憶が無くなる程呑んだくれて帰って来る私に、小言一つ言った事の無い凄い女性でした。当時の私は、女にもだらしがなく・・・、まぁこの話はまたいつかしたいと思っております。
彼女と別れる1年前位に知り合ったN美という女性がいました。私より3歳年下で、自分でスナックを営んでおりました。年齢に関係なく、とても可愛いらしい人でした。頻繁にではないのですが、日曜日に飯を食いに行ったり、たま~に店に顔を出したりといった関係でした。自分をしっかりと持っている人で、女にだらしがない私が「この人を軽い気持で口説くのは失礼だ」と真剣に思えるような人でした。
N美が原因で長年一緒にいた女と別れた訳ではありませんが、別れた後は当たり前のようにN美を好きになりました。とにかく尊敬できるところの多い、人として素晴らしい女性でした。ところが大問題・・・、N美はヤクザが死ぬほど大嫌いでした、行方不明になった父親がそっちの人だったからと聞いております。当時、私は複数の会社を持っていたのですが、その中の一つ中古車販売店の社長を名乗っておりました。彼女が私の稼業に気付いていたか、いないかは未だに訊いておりません。たぶん頭の良い人なので早々に気付いていたとは思います・・・。
もしかしたら色々な物事や道理を背中で教えてくれた兄貴分よりも、この人の方が私に影響を与えた人かもしれません。彼女は、粗暴な私を本当に心配してくれました。そしていつも優しく、人の心情や、本当の優しさや、本当の愛情というものを丁寧に丁寧に教えてくれました。繁華街で私に真上から説教できる、唯一の女性でございます(笑)。
生まれて初めて『好き』では無く、『愛』という感情が存在する事を知りました。この人の笑顔を守る為ならば、自分の事などどうでも良いと本気で思っておりました。寝ても醒めてもとは、当時のアノ状態の事を言うのでしょう。5分と間隔を空けずに彼女の顔が、頭の中を走り回るのです。携帯の待受画面は当然N美であります。仕事中でも、どんな時でも、手が空けば必ず待受画面を見ながら、彼女を想っておりました。とても30過ぎの男のとる行動ではありません(汗)。
私は『女を幸せにする』という事に自信がこれっぽっちもございません。自分の性分に自信が無いのであります。愛する彼女に対しては、世界一優しくできる自信はあるのです。彼女にはどんな事でもという気持ちには、一片の嘘もございません。ただその気持ちが彼女一人にしか向かない事を知っているのです。いくら彼女を大切にできても、他の気に入らない人間を平気で殴るような人間が、彼女を幸せにできる訳なんて無いのです。こんな人間では、例え堅気になったとしても何の意味もありません。
週に3~4日は彼女の店で呑み、彼女の休みの日曜には一緒にゴルフの練習や食事を・・・、そんな感じの生活が何ヶ月も続きました。彼女の部屋も繁華街の近くで、よく手を繋いで歩いて送ったものです。徒歩でも車でも送った後は、私が見えなくなるまでずっと手を振ってくれている人でした・・・。
彼女には自分で決めたルールがありました。
【お客さんとは恋愛をしない】厳しいルールでございます(汗)。知り合った当時は私は客では無かったのですが、そのルールを知っていた私は頑なに自分を押し殺しておりました。冗談めいた会話の中で「そろそろ付き合うか?」とか「一緒になるか?」等と軽く言う事はできても、本気で言う事はできませんでした。
彼女も彼女で「店やめたらね♪」なんて笑っておりました。
2004年の初夏、いつも通り彼女の店で和んでいると、彼女の兄から店に電話が入りました。実家の母が倒れたとの事でした。店を若い娘達に任せ、大至急彼女を病院に送り届けました。検査の結果、胃に影があり癌ではないがしばらく治療が必要となりました。殆ど女手一つで育てられた彼女は、最愛の母が心配で頭が一杯になってしまいました。その時から彼女の様子が、少しずつ変化していったのです。
明るく気丈だった彼女が、イライラしたり、感情の起伏が激しくなっていくのが判りました。吐いたり、熱を出したり、顔に湿疹が出たりと体調にまで影響が出始めたのです。心配になった私は、嫌がる彼女を説得しやっとの事で病院に連れて行きました。【自律神経失調症】と診断されました。ホステスに多い嫌な病名です。
医者は当然、酒をやめろと言いました。
それでも彼女無しに店はやっていけませんので、呑む量こそ減らしたものの毎日酒を呑み続けたのです。私が、酒を控えるよういくら頼んでも聞き入れてもらえませんでした。母親の事での心労もあり、日に日に悪化していくのが見て取れました。再度病院に行った時には【うつ病】の一歩手前と診断され、絶対に酒をやめないと回復は望めないと言われたのです。
2日に1日は店に出ないようになり、彼女の人気でもっていた店は少しずつ傾き始めました。母親の事もあり、自分が倒れる訳にはいかないと考えた彼女は、年内に店を閉める事を選んだのです。私も色々と提案したのですが、私の助けなど一切受け入れてくれませんでした。若くして独立した彼女の意地だったのでしょう・・・。
閉店のひと月位前に、たまたま店で二人きりになった日がありました。店を閉めることも決った訳ですし、彼女は私の本気の言葉を待っておりました。私も重々承知はしておりましたが、自信が無い事には変わりがありませんでした。
「俺は、お前の事が大好きです。愛しています。だけど俺はこんな人間だから、お前を幸せにする自信が無いんだよ。俺を選んでくれたら最高に嬉しいけど、違う誰かを選んでも仕方ない事だと思ってる。他の誰かを選んでも、俺はお前の幸せの為になら何でもするつもりでいるよ。」
私はそう言いました。
腹の底からの本心であります。
彼女は、泣きながら怒りました・・・。
決してヒステリックにならずに、静かに泣きながら怒りました・・・。
どうして嘘でも自分の手で幸せにしてやると言わないのか・・・
どうして他の人とでも良いなんて言うのか・・・
静かに私を責めました・・・
先の自信が無い理由を丁寧に話しました。
好きになればなる程、愛すれば愛する程、彼女の幸せを願えば願う程、私ではいけない気がするのです。私的には彼女さえいれば他に何も要らないし、それだけで最高に幸せなのは間違いありません。しかし、彼女的には余計な気苦労が必要になるし、泣くような事が必ず有ると思ってしまうのです。最愛の人を泣かせる位なら、私の幸せなんかどうでもいいと考えたのであります。
「そんなに自分に自信を持てなくて、たとえ私の為でも自分の幸せを簡単に捨ててしまうような人は好きになれないよ・・・。私の幸せを考えてくれて、自分の幸せもちゃんと求めて、二人で幸せになろうって、本当に思ってる人じゃなきゃ一緒になんかなれないよ・・・。」
彼女は泣き顔を見せないように下を向きながら、静かにそう言いました。
私はただ「ごめん。」としか言えませんでした・・・。
彼女には「大嫌い・・・」と言われてしまいました・・・。
閉店までの残りの1ヶ月間、私は今まで通りの顔をして、彼女の店に毎日足を運びました。彼女もいつも通りに迎えてくれました。そして12月下旬に最後の営業、次の日彼女と従業員と私で店の片付けと大掃除をして本当の閉店を迎えたのです。彼女は繁華街の部屋も引き払い、実家で母と同居する事になりました。
最後にこれから先どうする予定なのかを訊ねると、1ヶ月程静養した後に昼間の仕事を探すと言っておりました。精神的にも肉体的にも辛い状況だったのでしょう、店の客とも繁華街の人達とも、もう連絡を取らないようにしようと思っていると打ち明けました。当然私もその中に含まれている筈です。私はその時、一生の別れになると感じ、兄弟分の店に行き大酒を呑み、人目もはばからず大泣きいたしました。
私も彼女も、とても酒を愛した人間でした。
酒を売り物にしている街に育ち、酒を愛し、酒を自らの生業とし、酒と共に十数年暮らしてまいりました。しかし、その『酒』が結果的に最愛の人の身体を壊し、『酒』に全てを裏切られたような気がしました。
『酒』が仇に思えて、世界中の酒を全て流してやりたい気分でした。
そして私は、年が明けたら酒をやめると周囲に宣言をしたのです。
早いもので、来年の正月に禁酒もちょうど2年になります。酒をやめたお陰で、体調も良く、頭の回転も以前より良くなったような気がいたします。物事を冷静に判断し、言葉を選んで喋れるようにもなりました。良い事ずくめでございます。
『禁酒』は、N美がくれた大きな贈り物だと思っております。
現在、彼女は小さな会社の事務員として頑張っております。母上様もすっかり元気になって、最近はパートに出ていると聞きました。もう連絡は取らないと言っていたのですが、今では月に1~2度メールのやり取りをしています。
まぁ、お互いにただの近況報告なのですが・・・。
少しだけ後日談がございます・・・。
我らが繁華街には年に一回、大規模な夏祭りがございます。
ずっと街に出たがらなかった彼女から、今年は遊びに行きたいと連絡がありました。もしかしたらもう一生逢えないのでは、と思っていたので嬉しくて嬉しくて・・・。祭り会場の人ごみの中、待ち合わせ場所で彼女を発見した時の、あの嬉しさを生涯忘れる事は無いでしょう。1年8ヶ月ぶりの再会でした。以前より少し痩せていましたが、とても元気そうでした。
出店の屋台に二人で腰掛け、私はウーロン茶を注文すると、なんと彼女はビールを注文したのです。
「おいっ!酒呑めんのかよ?」
「えっ?店やめて半年後位から呑んでるよ。一日に缶ビール1本だけ、仕事終わって家に帰ってきたら必ず呑んでるよ♪」
おい、おい、おい・・・オイッ! \(--;)ォィ
「はぁ~?俺の涙ながらの禁酒は何だったのよ?」
「だって本当にやってると思わなかったもん♪」
全く困った人であります・・・(笑)。
「おいっ!俺にもビールくれ!5杯位持ってきて並べとけ!」
二人で顔を見合わせて、会話も無く大爆笑。
私もこの日だけは『禁酒』を解いてガンガン呑んでやりました。思い出話に花が咲き、彼女を泣かせてしまったあの日の話になりました。
「今だから聞くけど、あの時何て言えば100点だったんだ?」
「お前がいれば、俺は幸せになれるから、俺と一緒にいてくれ!ってのが正解。言われてたら満点あげてたよ(笑)。もう遅いからね♪」
彼女の顔を見ながら久しぶりに呑む酒は、露店のビールとは思えないほど最高の味がいたしました。
未だに禁酒は続けておりますが、盆暮れ正月と祝い事くらいは酒を呑もうと思っております。
彼女とはこの先も何の発展も無いでしょう・・・、私の自信の無さは変わっていませんから。頭の良いあの人は、ちゃんとそこら辺を判っております。
いつかきっちりと堅気になって、ちゃんと自分に自信を持てるようになったら、5年後・・・10年後・・・、もしかしたら20年後・・・、その時彼女がまだ独りだったら、教えてもらった正解の台詞を言いに行こうと思っております。誰が見てもとんでもなく素敵な人なので、独りでいる可能性は殆どありませんが・・・(汗)。
『禁酒』の思い出話であります・・・。