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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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どんな物事にでも『理由』というものがある筈です。
理由無くしての結果はこの世にございません。人間も、動物も、自然であっても同じだと思うのです。こちらがいくら理不尽に感じていても、先方には先方なりの理由が、自然には自然なりの道理が、必ず存在するものだと思っております。
人はそれぞれ、似ているようで異なった感受性を持っております。受け止め方が違うのですから、大なり小なり意見に食い違いが出るのも当然の事であります。当然の事だと知りつつも人というのは、同じ場面で笑い、同じ場面で怒り、同様に悲しむ人間を、仲間として求めるものでございます。
感受性の違う人間に遭遇した時、人は必ずと言って良いほど『理由』を求めます。そして、相手の持つ理由に対して大きな誤差を認識すると、否定という形で対処しがちになるように思うのです。私の場合ですと「そりゃあ違うだろ」とか「そうじゃねぇだろ」という言葉になって現れます。
先日、24歳の若いホステスから「店を辞めたいのだが、今は人手不足だから言い出せないで困っている。」との相談を受けました。私に店と話をしてくれという頼み事なのかなぁと思って聞いていたのですが、そういう訳でも無いようです。いくつかのパターンを説明して、こういう風に話をしてみたらどうだ、と提案しても「言えないですぅ~」なんて答えばかりが返って来ます。人の助言を全部却下しやがって・・・、じゃあ一体どうしたいんだ、という話に当然なります。
「判らないんですぅ~♪」・・・(-_-メ)
あれもできない、これもできない、段々イライラしてきた私は、相談に来た理由を問い質しました。
本人的にはまだ何の方針も決っておらず、参考にするしないは別にして、とりあえず私と話をしてみよう、と思ったらしいのです。
理由を聞いてみれば何の事はない、それもまぁアリだなと思ってしまいました。
ただ自分の行動パターンには有り得ないなぁ、とも思いました。私に置き換えて考えると、いくつかの選択肢を自分なりに考えた上で、どの方法が一番大人の選択だろうといった事を相談に行くと思うのです。どちらが正解といった話ではございません。人それぞれに違う感覚と理由があるものだなぁ、という事であります。
まぁこれは軽~い一例でございます。
連日報道されております、イジメや自殺、公務員のネコババにはどんな理由が存在するのでしょう。誰かをイジメなければならない理由、死してまで逃げなければならない理由、皆で出し合った大切な金を盗まなければならない理由・・・、きっとそれぞれの理由があるのでしょう。弱い者をイジメるとスカッとする、盗んだ金で遊ぶのは気分が良い、こんな事でも当事者側からすれば立派に理由となるのです。
意見の食い違いを修正するためには、まず先方の行動とその理由を理解しなければなりません。理解できないまでも、理解しようとする努力は必要です。根本から違うのであればいつまで経っても平行線、どちらかが少しでも寄り付こうとしなければ解決は望めません。決裂する事は簡単ですが、和解する事はなかなか小難しい作業なのであります。
罰則を厳しくしたからといっても物事の根本的な解決にはなりません。現に駐車違反も飲酒運転も減ってはおりません。違反する側の理由を一切理解しようとしていないからでは、ないのでしょうか。駐車違反常習者に言わせれば、無料か格安の駐車場が充分に確保されていれば路駐などしないと言うでしょう。飲酒運転常習者も同様に、どんなに遠くても往復で千円のタクシーがあれば、酔って運転などしないと言うでしょう。
違反者側の極論を全て聞き入れろと言うつもりはありませんが、少し位は参考になるのではないでしょうか。駐車違反が多い所には、国で格安の駐車場を作ってやったらどうでしょう。理由を理解し歩み寄る事で、少しは解決に向かうような気がいたします。
イジメもそうではないでしょうか。
なぜ誰かを標的にして、イジメなる行為をしなければいけないのか。誰かを自分よりも下に位置付けして、自分は底辺の人間ではないぞ、むしろ強い側の人間なんだぞ、という事を誇示したいのだと思うのです。彼らも自分自身の位置付けに自信が無く、不安でいっぱいなのでしょう。その不安を取り去ってやるよう考えるのは、大人の仕事以外の何物でもありません。
そんな事をしなくても貴方達はそれぞれ一個の素晴らしい人格なのですよ、上も下も無く独立した一人の人間なんですよ、という事を教えて不安を取り去ってやる事が解決につながる道のような気がいたします。簡単な事ではありません。教員の人格も必要になるし、親の人格もまた必要になってきます。ですが双方の理由を考える事で、初めて歩み寄りというものが可能になってくるのではないでしょうか。そして、様々な物事が少しだけでも解決に向かうのではないでしょうか。
巧くいかない事がある・・・。
巧くいかない理由は何か・・・。
じゃあ巧くいってる奴の理由は何か・・・。
必ず理由がある筈なのです。間違いなく絶対にあるのです。
人様の『理由』は見つけられなかったり、理解できなかったりと難関が多いものです。ですが前向きに理解しようとしなければ、一生欠片も理解することができません。
仲間や伴侶に対しても全く同じ事でございます。
『理由』 これが無ければ人間は動きません。