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雲のように…月のように…

雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…

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葬儀

身内に不幸がありました。
亡くなったのは、祖父の弟であります。正しい続柄の名称は知りませんが、私は幼少の頃から『オジちゃん』と呼んでおりました。

以前にも書いた事がありますが、私は母方の祖父母に育てられたようなものであります。私の祖父は、兄・姉・祖父・弟・弟・弟の5男1女の次男坊であります。今回は最後の一人であった4男が亡くなりました。

オジちゃんには、1男1女の子供がおります。息子は18から東京に出ており、男・女・女と子供が3人。娘は地元におりますが、×イチで女の子が一人。合計4人の孫がいるのです。しかし、初孫が現在27歳、私と10も離れております。

孫が欲しくて欲しくて仕方がなかったオジちゃんは、孫が生まれるのを待ちきれずに、代わりに私を孫のように可愛がりました。2ヶ月に1回は、私を迎えに来て拉致していきました・・・(笑)。色んな所にドライブに連れて行ってくれて、いつもオモチャを買ってくれました。

オジちゃん宅にお泊りに行く事も多く、オジちゃんとオバちゃんと川の字になって寝たもんであります。まぁ、ていの良いレンタル孫みたいなものですね(笑)。本当に可愛がって頂きました。楽しい想い出ばかりであります。

年の頃がちょうど良かったのでしょうか、親族でこのように可愛がられたのは私だけであります。東京に初孫が誕生しても、距離があった所為か私の方が可愛がられていたようです。東京の孫たちには、何だか申し訳ない気がいたします・・・。

私が小6の頃、地元に待望の女孫が誕生いたしました。私には、ハトコ(またいとこ)にあたります。その時のオジちゃんの溺愛振りといったら、もうもうそれはそれは大変でございました。レンタル孫の私ですらあんなに可愛がった人ですから、もうその可愛がりっぷりは異常であります(笑)。周りが絶句する位に・・・。

私の祖父同様、とても愛情に溢れた人でした。やはり兄弟なのか、厳しい部分もよく似ていたらしく、私と孫達以外は誰もが口を揃えて「怖かった・・・」と言っていたのには驚きました。まぁ、怖いと言いましても、厳格で威厳があったと言う事であります。その血筋が私にも幾ばくか流れていると思うと、少し嬉しくなってしまいます。


今回の葬儀は、オジちゃんが亡くなって悲しい事もさることながら、他にいくつも悲しい事がございました。

私は、今回の葬儀で東京の息子一家と初めて対面いたしました。18から親元を離れ、ほとんど行き来もせずに暮らしていた所為なのか、実の父の葬儀だというのにちっとも悲しそうな素振りが見受けられないのです。男の子だという事で、鬼のように厳しく育てられたらしいのですが・・・。

いくら厳しく育てられたと言っても、あのオジちゃんの性格ですから、その裏には強い愛情があった筈なのです。姪っ子である私の母も、オジちゃんが大好きだったと言っております。そして、愛情に溢れた人であったと・・・。それが、実の息子には伝わらなかったのでしょうか・・・。

通夜の席でもくだらん話を喋りまくり、悲しいどころかはしゃいでいるように見えるのです。しょうもない冗談を言っては大声で笑い、酒も好きなだけ呑んでとっとと寝てしまいました。他の親族も唖然としておりました。線香の火を絶やさないようにと、夜を通したのは地元のハトコと私だけでした・・・。

昨年の、11月位からオジちゃんの体調が悪く、再三再四息子に会いに来て欲しいと懇願したらしいのです。野郎は、仕事が忙しくて行けないと断り続けたそうです。いくら近親とは言え、人様の家庭の内情ですから、オジちゃんと息子がそんな関係になっている事を私は知りませんでした。

地元のハトコとは、兄妹のような付き合いをしております。こいつがまた可愛くて可愛くて・・・。私が妹を欲しいと思うようになったのも、コイツが生まれてからです。オジちゃんが、コイツを見せびらかす為にしょっちゅうウチに連れてきて、私がずっと遊んでやってたんです。いつも帰り際になると「帰りたくな~い~!」って、私の名前を呼んで泣きやがりましてね・・・。

このハトコ、中学生の時に両親の離婚を機にグレまして・・・。親族で唯一悪かった私の言う事だけは素直に聞くんです。一人っ子の彼女にとっては、私は頼り甲斐のあるお兄ちゃんなんだそうです・・・(照)。

私が、オジちゃんの長男坊の態度にうんざりして外にタバコを吸いに出ると、このハトコもついて来て何度も私に謝っておりました。私の表情を読み取ったんでしょうね。一応、表情には出さないようにしていたつもりだったのですが・・・。

「あんな人なんだよね、ホントごめんね。ここでお兄ちゃんが怒っちゃうと死んだオジイちゃんが悲しむから、なんとか我慢してあげて。許してあげてね・・・。」
勿論、そんな事を言われなくても重々承知しております。私だって大人の端くれですから、可愛がってくれたオジちゃんの葬儀でブチ切れる訳がございません。

あのチビっ子が私にこんな事を言うほど大人になったんだなぁと思うと、感慨もひとしおであります。この20代半ばの娘でも解かっている事を、60近い長男が全く解かっていない事が残念で仕方がありませんでした。親の愛情がきちんと子に伝わっていない事が、私にとっては何とも悲しい事でした・・・。

告別式が終わり、焼き場に貸切バスで向かいました。私が一番嫌いな場所であります。人の死を一番実感するツラい場所ですから・・・。

その日は朝から大荒れで、地元の人間ですらたじろぐ程の大雪でした。涙雨ならぬ涙雪でございます。涙にしても限度ってものがあるんですけどね、とにかく大雪でした。東京から来た長男一家には、雪自体が珍しいらしくバスの中で驚嘆を洩らしておりました。

交通渋滞を予想して早く出発したのが幸いして、ちょうど予約時間に現場に着きました。とうとう、最後のお別れであります。静かに眠っているオジちゃんの身体は、2時間で灰になってしまいます。皆が涙ぐむ中、長男だけはまるで他人事のようにカラッとしておりました・・・。

約2時間の待ち時間、たいていはこの間に親族控え室で仕出し弁当を食べるのです。その席でも、まるで観光旅行にでも来たような長男と同席するのが嫌で、私は一人で喫煙室に向かいました。

もくもくと煙のこもる喫煙室でタバコをふかしておりますと、やはりハトコがやってまいりました。
「どした?」と訊くと
「あの部屋にいたくない・・・」と。
「あの野郎、何かおもしろくねぇ事ぬかしやがったのか?」
「別に・・・。でも見てたらやっぱ腹立つ・・・」
「だろうなぁ・・・」(-.-)y-゜゜゜

さんざんタバコを吸ってから、喫茶室に移動しました。そこで、色々とオジちゃんの昔話をしたんです。ハトコが生まれる前の話、ハトコが生まれてからのオジちゃんの溺愛っぷりの話、私の祖父とオジちゃんの昔話、私の母がオジちゃんに貰った結婚祝いの話、ハトコが知らない色んなオジちゃんの話を・・・。

このハトコは、他の誰よりもオジちゃんに可愛がられた孫であります。そして、他の誰よりもオジちゃんの死を悲しく思っている人間であります。私の話を涙ながらに聞きながら、私が知らないオジちゃんの話も聞かせてくれました。故人の事を深く思い出す、こういう事こそが供養だと考えております。

親族控え室に戻るのは気が重かったのですが、ハトコが昨晩から何も食っていないのを知っていたので、控え室で無理矢理に飯を食わせました。私も自分の祖父が亡くなった時、何日も飯を食えなかった経験があり、気持ちはよく解かるのですが、無理矢理食わせました。

骨上げの時間がきました・・・。私は、職業抜きに葬儀というものを非常に重要と考えております。今まで、親族や友人の骨をどれほど拾ってきた事でしょう・・・。何度やってもこのツラさには馴染めません。オジちゃんの孫達は、今回が初めての骨上げだったそうです。

若い頃、柔道で鳴らしたオジちゃんのゴツい身体は、すっかり白い骨と灰だけになってしまいました。係員が磁石で棺の釘などを取り除きました。ボソボソと「どうすれば良いの?」と小声が聞こえてきます。自分が喪主や施主をやらないと要領を覚えていないものなんですね。

骨上げは先ず足元の骨を三つ、三度の箸渡しで骨壷に納めるところから始まります。オバちゃん(喪主)・長男(施主)・長女の順番で箸渡しして納めるように言いました。そして、足元から順番に納めていって、最後に頭の骨でフタをするように納めるのです。ノド仏は、別の小さなつぼに納めます。

骨壷というのは、とても小さな物であります。これに人間一人が納まってしまうと考えただけでも涙が出てしまうものです。人一人分の骨を納めるためには、途中で大きな骨を砕かねばなりません。太ももや骨盤などは比較的原形が残りやすいのです。砕かなければ納まりきらんのです。

故人を良く知っていればいるほど、骨を砕くのはとてもツラい作業であります。係員もやってくれるのですが、普通は近親者(息子がいれば息子)がやるものです。係員が「このままでは納まりきりませんので、施主様にお願いします。」と言いました。

「あぁ、こんな感じで良いですか?」って、軽~いノリで面倒臭そうに骨を砕き始めました。ふと、ハトコに目をやると涙と怒りで震えておりました。悲しくて、腹が立って、無言で前に出て私が代わりました。オジちゃんの骨を潰すのがツラくて、長男の態度に頭にきて、涙が止まらなくて・・・。

骨上げが終っての帰り道、オジちゃんの長女とハトコに小声で「ありがとう。」と言われました。ありがとうだなんてもったいない・・・、私がオジちゃんの骨を拾わなきゃ『人でなし』になってしまいます。可愛がって頂いた御恩は一生忘れません・・・。

斎場に戻り、初七日と四十九日の繰上げ法要をいたしました。親族に挨拶を済ませて帰ろうとしていると、長男がやってきて「やぁ、どうも、どうも、ありがとうございました。東京に来たら是非連絡を下さい。ゆっくり呑みましょう。オフクロや妹がこれからも世話になると思いますけど、よろしくお願いします。」って・・・

「手前ぇに頼まれる筋ぁ無ぇよっ!」と、喉まで出かかりましたが、グッと堪えて無言でお辞儀をして帰りました。
ハトコは吹雪の中、私の車が見えなくなるまで見送ってくれました。


とにかく阿呆みたいな大雪で、実家に向かうと膝の近くまで雪が積もっておりました。オジちゃんよ、涙雪でもやり過ぎですよ・・・。実家で母に葬儀の様子を報告いたしました。母は祖母の介護がありますので、通夜にしか出られなかったのです。

母も長男坊の情の薄さに呆れておりました。母もオジちゃんが大好きで、結婚祝いに貰った鏡台を未だに大切に使っております。二人で昔のアルバムを捲り、オジちゃんが映っている写真を見ては昔話をしました。写真の元気そうなオジちゃんを見ていると、先程の葬儀がまだ信じられません・・・。

祖父の兄弟、一昨年5男が亡くなってオジちゃんが最後の一人でした。私の実の兄も、イトコ共も、あまり親族の葬儀の場に姿を現しません。なので、奴らは遠い親戚の顔を知りません。道内の葬儀には、ほとんど私が行っております。今回も母から言われた言葉が強く印象に残っております。

「お爺ちゃんは親族を本当に大事にしたんだよ。あんたは一番可愛がられたんだから、あんたが皆の骨を拾いなさい。きっとお爺ちゃんは、そういう役目をあんたに与えたの。」


どうやら、そういう役回りのようです・・・。


夜に例のハトコからメールが届いておりました。
「お兄ちゃんが来てくれて、本気で泣いてくれて、おじいちゃん本当に喜んでると思う。ありがとね。」


オジちゃんに可愛がってもらった恩は、こいつに返してやろうと思っています。

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