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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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『いじめ』、前回私の体験を少しお話させていただきました。
あれが『いじめ』だったのかどうなのか私には判断する事ができません。私が反抗せず黙って耐えていたなら、どんどんエスカレートしていったのかもしれません。
私のブログを2Chで紹介していただいているらしく、その掲示板を見た方からメールを頂きました。
「学校のトイレで弁当を食べている」という内容のメールでございます。
理由は一緒に食べる友人がいなくて、一人で食べている姿を人に見られたくないからだそうでございます。返信用のアドレスを頂いていないので、この場で私の意見をお話したいと思います。
確かに学校での一人飯は辛いものであります。
私の場合はたったの5日間でしたが、今でもはっきりと記憶しているのですから相当なダメージであります。とにかく周囲の視線が辛かったのを覚えております(その為に窓側の一番後ろの席に引っ越した訳です)。
その辛さ悲しさを重々判った上で申し上げますが、一人で飯を食うのは悪い事なのでしょうか。それが世間一般の方の迷惑になるのであれば考えなくてはなりませんが、少なくとも誰にも迷惑をかけてはいないと思うのです。だとしたら一人ぽっちでも堂々と食えばいいのではないでしょうか。
友達が居ないというのは決して恥ずかしい事ではないと思っております。この先もずっと一人でいたいのなら話は別ですが、そうではないのなら今は真の友達に巡り会うまでの道程なのですから。たいした付き合いも無いのに会った事のある奴を皆友達としてカウントしている馬鹿共よりもずっとマシでございます。
どうか御自分を卑下なさらずに堂々と暮らしてみて下さい。飯も人間の楽しみの一つであります。せっかくの弁当をトイレで食べては美味しくなくなってしまいます。「弁当の端っこの小さな漬物が妙に美味かった」こんな事でも小さいながらも『喜び』でございます。『喜び』というのは生きていくための糧であります。小さな『喜び』も取りこぼす事なく暮らそうとする姿勢が大切です。若い貴方たちにはもっと沢山の大きな『喜び』が待ち構えている筈です。
社会のルールから外れ、落ちこぼれだの、社会のダニだのと呼ばれている私共でも、未だに幸せを諦めてはいないのです。世に恥じることの無い立派な学生さんが、そんな事でコソコソしていてはいけません。
死を選ぶのは実に簡単な事であります。今現在の苦しみからは即座に解放される事でしょう。でもその先に確実に有ったであろう『喜び』『幸せ』を体感する事は二度とできません。この世に生を受けその権利を放棄するのは如何ようにももったいない事であります。超有名なケーキ屋さんの行列に並び、あと少しで自分の番という時に帰ってしまうようなものです。
あと数年待ってみて、社会に出てみて、できるだけの事をあがいてみて、それでもダメだったとしたら、その時に死を選んでも良いのではないでしょうか。
『負』があれば必ず『正』があります。
『悲しみ・辛さ』の向こうには必ず『喜び・幸せ』が有るものなのです。
絶対にでございます。
私もヤクザです、男に二言はございません。
ただ面倒な事に『喜び』も『幸せ』も外の世界に在るものなのです。
どうか御自分の殻に籠もる事無く、外の世界を歩き続けてください。
縁があってメールを頂いた、私からのお願いであります。