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雲のように…月のように…

雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…

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学校①

『学校』、皆様はどんな場所をイメージするのでしょう。
私には懐かしい場所であります。人によっては嫌な思い出しかなかったり、ただ居るだけでも苦痛を感じるだけの場所であったかもしれません。逆に楽しい思い出ばかりで、また戻りたいという方も多い事でしょう。
『学校』についてはこれからも少しずつお話していこうと思っております。

前述の通り人それぞれあまりにもイメージの違う場所ですので、私の体験を中心にお話しようと思います。

私の通った中学校は市内でも歴史が長く、そして有名な不良校でした。当時は先輩方が頻繁に校内暴力を起こし、何度もニュースで取り上げられるような学校だったのです。私が入学した時は校舎の中をバイクが走っていて驚いたものです。暴走族とヤンキーの全盛期でございます。

近隣の小学校4校からの持ち上がりで構成されておりました。H小学校が4割、S小学校3割、O小学校2.5割、K小学校0.5割・・・こんな感じの構成であります。H小とS小が大きな市営団地を有しており、先輩・後輩のつながりも多く学校の大半を占めておりました。O小は少し遠い郊外からの通学組、当時まだ中学校が足りない時代だったのであります。
私は不運にも0.5割の少数派K小学校の出身でした。

『横浜銀蠅』や『ブラックキャッツ』が流行しており、男はリーゼント派かパンチパーマ派に分かれ、長めの学ランにダボダボのボンタン(ズボン)。女は脱色パーマかポニーテール、引きずるような長いスカートかミニスカ。これが当時の不良スタイルでございます。もちろん半分以上は真面目な普通のスタイルであります。

他の学校がどうだったのかはっきりとは存じませんが、我が校では毎日『先輩vs教員』のバトルが繰り広げられておりました。男子トイレのドアは全て壊れ、シンナーの匂いと煙草の吸殻だらけ、超B級ムービーに登場するようなちょっとファンキーな学校だったのであります。

入学から約2ヵ月程でしょうか、少数派の私もやっとクラスに馴染んできた頃の事でございます。同じクラスに仲の良い友達が3人でき、放課後もいつも彼らと4人で遊んでおりました。彼らはH小とS小の出身で他にもたくさんの仲間がおりました。私達はクラスの中ではチョイ悪グループみたいな存在だったのであります。

ある日普通に登校すると、クラスの連中が誰も目を合わせないし、挨拶をしても返答が無いのです。感じが悪いなと思いつつ仲の良い3人の所に行き「こいつら何かおかしいぞ」と言うと、なんと驚いた事に
『無視』でございます。
昨日まで放課後も一緒に遊んでた『友達』がです。

正直何が起きているのか全く把握できませんでした。「お前ら変な冗談やめろよ」と言っても無視・・・「俺何かしたのか?」と聞いても無視
・・・無視、無視、無視クラス中で全シカトでございます。休み時間もとりあえず外に出て、他のクラスの奴と何事も無かったような振りをして雑談をしておりました。相談できるような友達は皆隣の中学校に通っていましたから・・・。昼飯は仲の良い者同士で席をくっつけて食べるスタイルなのですが、その日はポツンと一人で食べました。
結局その日は何も理解できずに帰る事になりました。

周囲の目があれほど辛く、時間を長く感じた日はございません。家に帰っても一人であれこれ悩んでみたのですが、何がなにやらサッパリで頭がパンクしかけておりました。今日だけなのかなぁ・・・4~5日続くのかなぁ・・・ずっとこうなのかなぁ・・・どんどん下がって行く感じがしました。

次の日も、その次の日も、全く同じでございます。最初の内は「何かしたんなら謝るし、言いたい事が有るなら言ってくれればいいのに・・・」的な事を話しかけていたのですが、とことん無視。
空気ですよ空気、誰の目にも見えてませんから私。
こんな陰湿な行為は無いなぁ・・・と思いました。

落ち込むよりも段々腹が立ってまいりました。
今考えるとよく3日間も我慢したものです。

次の日は朝早く登校し、窓側の一番後ろの席を勝手に占拠しました。机の中身をそこら辺にブン投げて、勝手に引っ越してやりました。私は椅子にそっくり返って座り机の上にドカっと足を乗せマンガを読んでおりました。
クラスの連中がパラリパラリと登校して来る訳ですが、皆集まってコソコソと会議をしておりました。席を奪われた奴もオロオロしておりましたが、こっちはとっくに『戦闘モード』でございます。文句があるならかかって来いと言う明確な意思表示なのですから。手の届く所に金属バットも用意してありましたし・・・(笑)。授業中もずっとその体勢でマンガを読んでおりました。何度か教員にも注意を受けましたが「何だコラ、お前もやっちまうぞ」と、もう視界に入るものは全て敵であります。

無視はこの後2日続きました。
その間も私はずっと『戦闘モ-ド』でございます(笑)。

一番最初に話しかけてきたのは1週間ぶりに登校してきた不良娘でした。自分が居ない間に変な空気が流れていたので驚いた様子でした。「なんか、あったの?」別になんて事の無い質問だったのですが、嬉しかったですね。その時の様子は未だにはっきりと覚えております。「何か知らんけど突然無視されてんだよ。俺は解らんからそいつらに聞いてくれ」と答えました。
その子はその後も普通に明るくたくさん話しかけてくれました。
同じ日、次に話しかけてきたのは遠くから通っているO小出身の2人でした。「ゴメンな一緒に飯食おう」って、これも嬉しかったですね、本当に。

そして一人、また一人と声をかけてくるようになりました。「おはよう」とかそんな程度ですが。一緒に弁当を食べてくれるO小の2人と話をしていて、段々と事の全容が判ってまいりました。首謀者は一番仲良くしていたつもりの3人だったのであります。「あいつはK小出身で仲間も居ないくせに生意気だ。みんな無視しろ。」という内容のメモが皆に回ったそうであります。皆、自分も巻き込まれるのが嫌でそれに従ったとの事。それなら仲良くする振りなんか必要無いじゃありませんか。くだらないなぁと思いました。『友達』だと思っていた自分も情けないなぁ・・・と。

3人組の内の1人とはしばらくして和解し、残りの2人(こいつらが犯人)は3年間『パシリ』をやらせておりました。

この出来事は良くも悪くも私の中の何かを変えました。とても大切な経験となった事は間違いありません。人のうわべではなく、腹に在る『中身』を見極めようとするようになりました。

つい最近のクラス会的な飲み会で、中学・高校と一緒だった同級生が酔って「こいつは凄い奴だ、何が凄いって派閥に属した事が一回も無いんだ」と私の事を語っておりました。言われてみれば自分の味方を増やそうとか、多数派に入って有利なポジションを築こうなどとは考えた事がございません。暴走族にも参加した事がありません。
今も組織には属していますが、派閥などとは関係なく好き勝手やっております。
「あいつは、いいんだ」的な感じで扱われていますから・・・(汗)。
かと言って一人孤独にやってきた訳でも無く、少数ながら本物の『友達』『応援してくれる方々』もおります。
なんか妙なスタイルでございます(笑)。


この一件以来3年間、クラスが変わっても窓側の一番後ろの席は私の指定席になりました。私が記憶している教室の映像は、全てその角度から見たものでございます。


『窓側の一番後ろ』 少し切ない私の誇りでございます。

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