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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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ここ連日の出来事でついつい命というものを考えてしまいます。
命は何よりも重い物と考えてきましたが、実はそうではないのではないかと思うのです。騒動続きで頭がおかしくなっている訳ではございません。自暴自棄になっている訳でもございません。
私は、大切な人達も含め多くの方々の死を、年齢の割には見届けている方だと思っております。自身で死を覚悟した事も、一度や二度ではありません。とは言え、決して自らの命を粗末に考えた事もございません。だからこそ命や死に対して、正面から向き合ってきたと言う自負があるのです。
先日の友人の事故を見て思ったのです。何であんな所に、何でそんな仕事に・・・、そんな事を考えてもどうにもならない事は判っております。それでも頭から離れないのです。そして、そんな簡単に死ぬなんて嘘だろ・・・とも思うのです。
ですが人間なんて簡単に死んでしまうものなのです。
私は今まで大きな勘違いをしていたのかもしれません。
もしかしたら命というのは、物凄く軽いものなのでは・・・と感じているのです。粗末という意味ではございません。その軽い命が吹き飛ばされればそこで終り・・・、人間とは実に儚いものであります・・・。吹けば飛んでしまうような軽いものだからこそ、大事に大事に守っていかなければならないのではないかと思うのです。
突風が吹いただけ、大雨が降っただけ、地面が揺れただけ、歩く場所が1メートルずれただけでも人間は命を失ってしまうのです。えっ、そんな事で?と思う事でも人は日々死んで逝くのです。それは、いつ誰の身に降りかかるともわかりません、当然私にも・・・。人間とは、とても繊細で頼りない生き物であります。だから集団でコミュニティを作り暮らしているのでしょう。
そっと触れただけでも壊れてしまいそうな命を抱えて、私共は生きていかなければなりません。様々な危険を想定し、様々なものと闘いながら生きているのです。時に外敵、時に環境、時に病、時に精神と闘いながら一日一日を生きているのです。神の意志で、自然の摂理で、生かされている訳ではございません。確実に自分の意志で生きているのであります。
儚いものは美しい・・・。
夜空に一瞬で消えていく花火、一斉に咲き誇り散っていく桜、命を力の限り守ろうとする人間、皆一様に儚いが故に美しいと思うのです。命の軽さを踏まえた上で、尚且つ精一杯生きようとするその姿勢こそが美しいと感じてしまうのです。
先日の友人の通夜に続き、今夜も別な通夜がございました。以前記事にした私の祖父の葬儀の時に、お世話になった坊さんがお亡くなりになったのです。彼は祖父の幼馴染で、祖父の葬儀の際、浄土の世界を説きながらも現世の別れに涙してくれた優しい方です。91歳の大往生でございます。今年は寺を継ぐ予定の孫の結婚式も見たし思い残すことはもう無い、と生前言っておりました。
志半ばで逝った若者の葬儀、思い残すことなく旅立った老僧の葬儀、残されたご遺族はどちらも同じように泣いておりました。事故であろうと、大往生であろうと、残された者の悲しみを比べる事はできません。そして若かろうが年老いていようが、命の重さを比べる事もできないのであります。
命は儚く軽いもの、そして何よりも最も大切なものでございます。喜びや幸せも命無しには味わえないのであります。せっかく手に入れた命をどうか大切にして頂きたい、当然私も大切にしております。
職業や人柄、全ての事象に関わらず、世に生きる全ての人々に当て嵌まる事ですが、軽い命に対して突風がいつ吹くかは判りません。善人だろうが、悪人だろうが、世に必要で有ろうが無かろうが、命には何ら差なんてある訳がございません。その命を簡単に捨てるなんて事は、儚くも美しくも無い最低の行為であります。
何を訴えたいかは自分でも判りません。ここ数日、同じ事を繰り返し繰り返し考えておりました。
脆く、儚く、頼りなく、そして軽い命を、大切に守り続けながら、日々生きていこうと思っております。具体的にどうするかといった事も判りかねてはおりますが、漠然とそう思うのです。
命とは、そして生きるという事は素晴らしい事だと思うのです。