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自分は何のために生まれてきたのか?

常日頃、この難問に向き合っている方も多いと存じております。
そうではない方々でも、凹んでブルーになった時、大切な誰かを亡くした時、心から好きな人ができた時、子供が生まれた時、大きな喜び・悲しみの節目節目に誰もが一度は考えた経験があるものと思っております。

最初から申し上げておきますが、これはあくまで私個人の見解であります。かなりの極論でございます。軽くキチガイじみておりますがご了承ください。

いきなりで申し訳ないのですが結論から言えば『生きる意味という明確な物は無い!』というのが私の持論でございます。
『生きる意味』何千年も昔から哲学者や宗教家、その他にも様々な分野のスペシャリスト達が躍起になって考えているテーマでございます。だが誰一人として万人をスカッと納得させられるような結論には至っていないのです。これだけ昔から大勢の人々が明確な答えを出せない訳ですから、多分答えなど無いのでしょう。

決して投げやりな気持ちで言っている訳ではございません。生きる事を粗末に考えている訳でもございません。ただ自分自身を含め、人間というものは何かにつけて理由を欲しがる生き物だなぁと・・・。

私が生まれてきた理由は「私が生まれたかったから」であります。これは強く断言できます。当然色々な偶然が絡んで・・・んー、全てが偶然かもしれません。父と母の「子供を作ろう」という意志と、3億の精子の中から「生まれたい」という一心で勝ち残った私の意志がナイスなタイミングで一致した結果だと思っております。3億の中から勝ち抜くというのは凄い事であります。記憶は当然ありませんが「生き残りたい、生まれたい」強烈な意志を持っていたからこそ今の私がある訳でございます。

「生まれたくて生まれた訳じゃない!」などと言う輩がおりますが、全く馬鹿げております。親の意志がどうであろうが、愛情がなかろうが、生まれてきた事自体は自分の意志が大きく働いているのです。他のライバル達を蹴落としてまで生まれたかったのです。

ではそれ程までして何故生まれたかったのでしょう?
おそらく新しい世界にチャレンジしたかったのでしょう・・・分子レベルで(汗)。地球上の草木も生き物も皆所詮『炭素(C)』でできています。例えば私が60歳まで生きるとしたら、その60年が今回縁があって集まった『炭素』達の共同作業の期間であります。今回のプロジェクトは灰になって解散です。そして土になり、気の合う者同士で草になったり、怠け者が集まって化石になったりと・・・。
キチガイじみていますがそれが自然のサイクルだと思っております。

これだけ日々たくさんの人間が生まれてくる訳ですから、炭素業界でも『人間』は人気の職業なのでしょう。


『生きる意味』今回の本題であります。
例えば、『イチロー選手』を見て「彼は野球をするために生まれてきた」なんて事を言う人がいます。
果たしてそうでしょうか?もし彼が陸上をやっていたらカール・ルイスより早かったかもしれません、サッカーをやっていたら中田英寿よりも大選手になっていたかもしれないのです。だってそんな感じのする人ですよね。『エジソン』は発明の父なんて呼ばれておりますが、もし彼がいなかったとしても2006年の今、夜は明るくライトアップされている事には変わりないと思うのです。いずれ誰かが同じ発明をしたでしょう。彼は発明をするために生まれてきた訳ではないと思うのです。

彼らが『野球』『発明』周囲の人が天職というものに巡り会ったのは偶然です、たまたまです、たまたま。彼らは野球や発明に出会わなくてもきっと歴史に名を残す事になったでしょう。

人は何かを残して初めて意味を持つのでしょうか?
子供・言葉・偉業・事業・様々な物品・・・etc。

自分の生きた跡を残さなければ意味を持たないというのは、まともに物事を考えられる人間殆どに当てはまる『囚われ』ではないのでしょうか。またもや極論ですが、何かを成さねばならないのであれば、生まれてすぐに目を開けることもなく死んでいった赤ちゃんには意味が無い事になります。食肉用に繁殖された豚や牛は、人間の餌になるという意味を持ちながら今を生きているのでしょうか。少なくともうちの可愛い猫たちは、私を喜ばせるために生きている訳ではない筈です。

人は自分を『満足』させる為に生きているのだと、私は強く信じています。『生きる意味』を求めるのも自分を満足させるための一つの糧であると思っています。人は必ず何かしらの『理由』で行動をし、そしてその『結果』を得られないと生きていけない生き物なのです。それが『満足』であれ『不満』であれ。腹が減ったという理由で飯を食べ、美味ければ『満足』、不味かったり量が少なければ『不満』。「子供がほしい」「気持ちいい」という理由でセックスをする、子供もできないし快楽も無ければ誰もセックスなどしないでしょう。腹が減らなければ食うこともせず、皆死に絶えてしまうでしょう。

せっかく激しい競争を戦い抜いて、この世に生を受けた訳であります。だとしたら自分を『満足』させる為に精一杯の時間を使って生きるのが筋でございます・・・なるべく他と共存しながら。そして『満足』するためには「これをやる為に・・・」的な『理由』を探さなければなりません。これがまた大変な事なのですが・・・(ー_ー)。

『生きる意味』などという物は無い!
言い方が悪いですね「世の中には無い」、もし在るとするならば『自分の中』にだけでございます。自分が死ぬ時に納得できればそれだけで最高の人生だと思っております。他人様に生きてきた意味を持たせてもらう筋合いもありません。

私は生まれたくて生まれたくて、この世に生まれてまいりました。

人間の目でこの世界を見てみたいと熱望してきた筈なのです(炭素の頃に)。

人間社会を人間らしく力一杯体験する事が私の『生きる意味』だと思っております。

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贅沢
生きている意味はないんでしょうね。
それなのに生きる。きっと人類の当初は20歳くらいで死んでいたのではないかと思います。
生きる意味どころじゃなく、本能のまま遺伝子を伝えることに必死で、生きる意味なんて悩んだりしなかったのかなぁと。
というか、知恵がついたから長生きしてるのでしょうけど・・・。
生きる意味を求められること自体、非常に贅沢なことなのかと思います。
雪原 URL 2006/09/30(Sat)22:59:20 編集
Re:贅沢
こんばんは、雪原さん。
確かに必死で生きていれば考える暇も無かったのでしょうね。今の時代は美味しい物もたくさん有るし、こうして会った事もない方達と意見を交換できるようになった訳ですから。私はこの時代に生まれて本当に良かったなぁと・・・。
【2006/09/30 23:31】
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神谷 仁
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