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雲のように…月のように…

雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…

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自殺

このところ2週間、『いじめ』を苦にして自殺した少年少女のニュースで、もちきりでございます。このブログの始めの方でもお話しましたが、報道の仕方を間違えれば同様の事件が多発してしまう・・・また同じ事が起きています。現場の教員は当然悪い訳ですが、マスコミの責任も非常に大きく、ほぼ共犯と言っても過言ではない気がいたします。

私は正直、見た事も会った事も無い人が、何人亡くなっても痛くも痒くも無いのです。ですが最近「死にたいです」という内容のメールをよく頂きます。そうなってくると話は別でございます。できれば自殺なんかやめて、近い将来『喜び』や『幸せ』を感じて頂きたい、と心底思っております。

テレビをつければそんなニュースばかりの世の中にはウンザリしてしまいます。子供達や若い方達が、夢や希望に小躍りするような明るい世の中で暮らして行きたいと願っております。未来ある若者が自らの命を絶つ様は、いくら関係の無い私でも哀しい気持になってしまいます。


マスコミは阿呆の集まりでございます。「教員が悪い、教育委員会が悪い、システムが悪い、だから詳細を調べてすぐに改善しろ!」と朝から晩まで同じ事を吠えまくる。確かに大切なのは判るけれども、教育システムを改善する頃には、今現在いじめに耐えている子供達はもう大人になっているでしょう。彼らは、今すぐに助けを必要としているのです。

大至急やらなければいけない事は、今現在いじめられている子供にメッセージを発信する事だと思うのです。親にも言えず、腐れ教員にも言えず、相談する友達もおらず、一人きりで悩んでいる筈です。なぜ人に言えないのでしょう・・・。それは、いじめられる事が恥ずかしい事だとか、自分が人よりも劣っているダメ人間なのだと、思い込んでしまっているからなのです。

「お父さん、お母さん、こんなダメな子でごめんなさい」多くの遺書に書かれている言葉です。
「ああ、こんな子を産んで失敗したよ」と落胆する親の姿を想像して、期待に添えなかった事を謝っているのです。死んでいく自分の事よりも、親に気を使う優しい子供達です。
現場で見た訳ではないので判りませんが、いじめられている子供は本当にダメな子なのでしょうか。もしダメな子だとしたら、どこからどこまでがダメな子として扱われるのでしょう。

いじめられる事は決して恥ずかしい事では無い、アンタ達は決してダメな人間ではないのだという事を、教えてあげなければならないと思うのです。そのメッセージを発信するのがマスコミの最大の仕事でございます。自分がいじめられている事、学校という場所が合わないという事を、すぐに家族に言える環境を作ってやるのが急務であります。いじめの事実さえ判れば、後はそんな腐れた学校なんぞに行かせなければ良いのです。

そもそも、学校をあまりにも重要視し過ぎなのではないでしょうか。自ら命を絶つというのは、もの凄い事であります。辛くて苦しくて、希望の欠片すら見当たらなく、その苦しみから逃れる為に死を選ぶのです。そこまで堪えて頑張ってでも通わなければならない程、大切な場所ではないと思うのです。誰にでも合う場所、合わない場所がございます。学校に馴染めない事は、別に犯罪では無いのですから、堂々と胸を張って「もう行ってやらねぇ」と言えば良いのです。

とりあえず、今すぐに助けを必要としている子供達を、いじめの現場から離してやる事が何よりも先決なのです。後の事は、心有る大人達がゆっくり考えていけば良いのであります。教育委員会や学校に頼らず、心有る大人たちだけで・・・。

校長が謝ったとか、次の日意見を撤回したとか、そんな事はどうでもいいのであります。先生様というのは殆どがそんな人間だという事は、皆昔から判っている事なのです。何よりも急ぐべきは、子供達へのメッセージでございます。どうして、知恵遅れのマスコミ連中はそんな事にも気付かないのでしょう。本当に情けない話であります・・・。


死んでしまいたいと思うほどの我慢をしてまで、通わなきゃならない場所なんてこの世に在りません。学校でも仕事でも同じ事です。価値の無い若者なんておりません、若者には無限の可能性が有るのです。
耐え難い場所になんて行くのをやめて、外の世界を歩き回ってみましょう。美しい物や人に溢れている筈なのです。どうかその事に気付いて頂きたいのであります。


視点を変えて見ると、結構良い世の中なのですよ。

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