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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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私は仏と来世を信じない敬虔(けいけん)な仏教徒でございます。またトンチンカンな事を、仏と来世を取ったら仏教じゃないじゃないか…。仰るとおりなのですがそれで良いのです。大昔、情報も何も無い時代に無知な農民たちに教えを広めるためには、目に見えない大きな存在を感じさせる必要があったのです。今のように地球の裏側をリアルタイムで見る事ができ、旅行で宇宙に飛び出せるような時代には神や仏が絡むと余計にややこしくなるのです。
より良く生きるためのせっかくの教えが、ただの胡散臭い『宗教』といわれて相手にされなくなってしまう訳ですから。哲学だと思えば仏教はとても素晴らしいものです。だからこそ仏も来世も必要無いと思うのです。
突き詰めるとどの宗教も似たような事を教えてはいるのでしょうが、日本人には仏教の感覚がしっくりくるような気がいたします。
私のお気に入りで『刹に生きる』という教えがあります。刹とは刹那、その瞬間という意味です。『刹に生きる』とは、その瞬間その瞬間を全力で生きろという事であります。歩く時は力一杯歩き、飯を喰う時は一生懸命喰え(たくさん食べろという意味じゃないですよ)、人を愛する時には全てを投げ出して愛せといった具合でございます。この教えをもし守れたとしたら、振り返った時には常に全力で前に前に進んできた自分を見る事ができるでしょう。瀬戸内寂聴さんの本に良く出ている教えなのですが、私なりに解釈するとこうなってしまいました。
間違っていたらゴメンなさいm(__)m。
仏教にはこういった生きる上での理想のようなものがたくさん詰まっているので好きな訳であります。
私の祖父は5年前85歳でこの世を去りました。祖父の故郷は30kmほど離れた海のある近郊の町です。葬式を執り行う際に坊主をどうしようかと思案していると、幼馴染の悪友に寺の息子がいるという話を生前よくしていた事を思い出したのであります。かといって先方も同級生な訳ですから当然同じ歳でございます。まぁダメで元々だなとは思いながらも電話帳で調べて電話をかけてみると、大奥様らしい方が電話口で「もう15年も前に隠居して今は息子が継いでいる」との事でした。まぁこれも縁だなと思い当代の息子さんにお願いするという事で電話を置きました。すると10分もしない内に電話が鳴り、なんと先代住職が「是非私に勤めさせてください」とのお申し出をいただきました。生まれて初めて坊主にありがたいと思った瞬間でありました。
「15年振りなのでうまく勤められるかわかりませんが」という挨拶で通夜が始まりました。所々で声がかすれながらもお経を読み終え、そして最後の説教へ…。「私はかれこれ50数年数えきれない程の葬儀を勤めさせていただきました。そして皆様に人が亡くなるのは悲しい事では無い、皆が泣けばこの世に未練が残り成仏できない、仏様の世界に旅立つ喜ばしい誕生日なんだとお話しをさせていただいてまいりました。ですが今日だけはお許しください。」と言い終ると声を殺して泣き出したのです。本当に仲の良い友達だったそうです。
良い葬儀をあげていただき心から感謝いたしました。私も涙が止まりませんでした…。
来世には苦しみも無く幸せなんだと説きながら、涙をながし現世の別れを惜しむ老僧。
何千年も昔、仏陀のヤローもきっと泣きながら友達を送ったのでしょう…。