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雲のように…月のように…

雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…

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教え

私は小・中・高と学校に通いましたが、沢山の教員の中で今会ってみたいなぁと思うのはたったの4人でございます。この4人だけを私は『先生』と呼んでまいりました。先生達もお歳を召され、4人の内2人は他界なさっております。後の御二人もとうに定年を過ぎているとは思いますが、いかがお過ごしなのでしょう。

私が中学3年の時の担任の先生(ご健在です)に教えていただいたお話です。この先生はバイオレンスに満ちた我が中学校で、真剣に生徒と向き合ってきた優しい人であります。「生徒にビビッて物を言えないようでは大切な物事を教えられない」と一念発起して少林寺拳法に入門し、3年間で2段を取得した『熱い男』でございます。


【己れこそ、己れの寄るべ、己れを措きて誰に寄るべぞ、良く整えし己れこそ、まこと得がたき寄るべなり】

少林寺拳法の『聖句』といわれる文章の中の一節です。
「自分自身こそ自分のよりどころである。自分以外に一体誰に頼れるものがあろうか。良く調整され訓練された自分自身こそが、本当に得がたいよりどころなのである。」という意味だそうです。

テストの結果が悪ければ、問題が悪い、教員の教え方が悪い、非行に対して注意されると、親が悪い、学校が悪い、社会が悪い・・・というように、いたずらに他を責める風潮が多く見られます。これは、己を頼る事を忘れ、他を頼ってばかりいるので、他が自身の思うようになってくれないと、すぐ不満に感じるからです。一番肝心な事は、一人一人が自分自身をじっくりと見つめ、積極的に自己を鍛え、どんな困難に対しても真正面からぶつかっていけるように、自己を変えて行く事なのです。もちろん私(先生)も、生涯己を訓練し続けていきます。


幾らか省略はしておりますが、こういう内容の文章を卒業の時に頂きました。二十歳位になって、偶然にも再度この文章を読み返す機会がございました。その時はまだ「へー、良い事言うなぁ、さすが先生だなぁ。」程度に思っておりました。

クラス会的な飲み会があり、ふと懐かしく思い最近また読んでみたのです。先生が私に伝えたかった事が、この歳になってようやく解ってまいりました。その言葉の重さ・大事さに、今頃になって感謝をしております。しかし先生も、ヤンキー中学生に随分と難しい事を教えようとしたものであります(笑)。

私が問題を起こした時、職員室で説教されると他の教員や生徒の目が嫌だろうと、いつも小さな個室を用意してくれました。まぁ放課後2時間位、延々と説教されたりする訳ですが・・・。よく殴られもしましたが、理不尽なことで叱られた事はただの一度もございません。

私の友達が、他の教員に理不尽なことでネチネチと嫌がらせを受けた事がございます。その場に居合わせた私は、途中で我慢できなくなり学校の椅子でその教員を殴打したのであります。
当然、大問題になりました。
いつものように個室に連れて行かれ、最初はものすごい剣幕で怒られました。ですが状況と理由を話すと「いきなり怒鳴って、すまなかった。」と頭を下げ、部屋を出て行ったと思ったらジュースを2本持ってすぐに戻ってまいりました。そしてニコニコしながら「もう一回最初から話せ!」と。もう一度話をし終えると「そうかそうか、気持ちはわかった。だけど椅子で殴ったのは悪いぞ、それだけは本人に謝れ。」結局、椅子で殴った事だけを謝ってその件は終わりでございます。
先生曰く、素手で殴ってたなら謝る必要は無かったそうです(笑)。

放課後の貴重な時間を割いて頂いたり、夜に家まで何度も来て頂いたり、私の代わりに下げなくても良い頭を何度も下げて頂いたり、とにかく迷惑ばかりをかけてしまいました。


今はまだ無理ですが、いつか堅気になった時には必ずお礼を言いに伺いたいと思っております。
それまで健康で長生きして頂きたいと思っております。

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