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雲のように…月のように…

雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…

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その光景を見るだけで・・・
その言葉を聞くだけで・・・
その曲が流れるだけで・・・
その場所を通るだけで・・・
その場所に立つだけで・・・
だたそれだけで、思わず涙が溢れ出す・・・。

そんな、ピンポイントのツボのような、スイッチのような部分が誰にでもいくつかはある筈です。生々しい強烈な記憶であったり、切ない思い出であったり、空想で美化された虚空の世界であったり、そのスイッチは人それぞれ、様々なものであると思います。

この曲を聴くと自然に涙が出る・・・、なんてのは良くある話でございます。音楽がスイッチになっている場合は、恋愛が絡んでいる事が多いようにお見受けします。それでもって、ちょっとB級な曲・・・。あまりに大ヒットした曲だと、街中でしょっちゅう耳にしては泣く事になってしまいます。カラオケなんかでも頻繁に歌われて、その都度泣いていたんじゃ、美しい想い出もクソもあったもんじゃありません。だから、B級な曲。

私の場合、どうもスイッチの数が多いようで困っております。感情の起伏が激しいタイプなので、精神的に不安定な部分があるのでしょう(汗)。誰にも止められないほど怒り狂う事もあれば、川をのぼる鮭を見てポロッと独り涙する事もございます。たまに、その鮭を捕まえて食べてしまう辺りがまた始末に悪い・・・。困ったもんです。

センチメンタルな、秋の到来であります。
ただでさえ短い北海道の夏、そのうえパクられていた私には見事に夏はありませんでした。夏を惜しんで感傷的になるというよりは、夏を満喫できなかった事に対する落胆の気持ちの方が強いようです(汗)。めっきり朝晩涼しくなりました。寒い位です・・・。

先日、NHKで黄河の映像を見て、つい涙を流してしまいました。祖父が亡くなってからというもの、黄河の映像がスイッチになってしまったのです。本当は別に季節なんか関係無いのですが、なんとなく秋っぽく話題に入ってみようかなぁなんて思っていたら、前振りがこんなに長くなってしまいました・・・。

私が子供の頃から、祖父は事あるごとに「お前が大きくなったら、中国に一緒に黄河を見に行こう!」と言っておりました。祖父の一度目の出征先が、中国だったのです。若き日に見た黄河、その壮大さと感動は少しも色褪せる事無く、終生祖父の記憶の中に描かれていたようです。

本当に流れている水が黄色い事。川だと言うが海のように広く、対岸がまるっきり見えない事。皆で記念に水を汲んだが、汲んでみると以外に普通の水だった事。その支流で敵襲を受け、多くの戦友が亡くなった事・・・。私は、実際に黄河を見た事はありません。しかし、祖父の話を暗記するほど聞かされていたお陰で、私の頭の中には想像の黄河があるのです。それはそれは大きくて、見渡す限り黄色い海のような・・・。

結局、祖父と中国に行く事は叶いませんでした。
安易に黄河と申しましても、とんでもなく長い河であります。北海道の先っぽから、沖縄の果てまでよりも、まだ長いのです。祖父が黄河のどの辺を見たのかは、残念ながら全くわかりません。それでも、いつかこの目で黄河を見たいと思っております。祖父が私に伝えたかった感動を、私も体験してみたい・・・。

見た事も無い想像の河『黄河』、その映像を見て涙する・・・。
手前の事ながら、変な感じがいたします。人間とは、何とも不思議なメカニズムで動いているものです。嬉しくても出る、悔しくても出る、悲しくても出る、何かを思い出しても出る・・・、涙は不思議なもんです。この歳になると、余計に涙腺がゆるくなった気がします。

『黄河』という響きがまた良いですね、少し哀愁があって・・・。アマゾン川やナイル川じゃ、あまりにワイルド過ぎますし、ミシシッピ川なんて言い辛くて仕方がありません(笑)。アマゾン川、ナイル川、ミシシッピ川に深い想い出をお持ちの方がいたらゴメンナサイ。ただの軽口です・・・。


もう1箇所、勝手に涙が出る場所のお話をします。
我が市の誇る観光スポット『サッポロファクトリー』、サッポロビールの工場跡地に建てられた、大型ショッピングモールであります。メインのアトリウム(高さ39メートルの吹き抜けのガラスドーム)に行くと、必ずポロッときてしまうのです。観光スポットなどと言いつつも、実は地元の人間の遊び場でもあるのです。

※サッポロファクトリー
http://www.sapporo-factory.co.jp/guide/index.html

ここも、やはり祖父が絡んでおります(笑)。
オープン当時、連日客が殺到し、常に大混雑の状態が続いておりました。駐車場は長蛇の列、ファクトリーの周囲一体がいつも大渋滞・・・。祖父は何年も前から、そこら一帯を散歩コースにしておりました。車で行けば大変ですが、徒歩だとサクッと入れたのだそうです。

大正生まれの祖父にとって、その建物はこの世の物とは思えない位の衝撃だったようです。ひどく興奮しながら、その近代建築の素晴らしさを語っておりました。私も初めて中を見た時には、思わず溜め息が出たほどですので、祖父の驚きようにも充分理解ができます。

「すごい物ができたもんだ!」
「すごい時代になったもんだ!」
「何とも素晴らしい建物だ!」
「日本はすごい国になったもんだ!」
袖の下でも渡されたんじゃないかと思うほどに、賞賛の言葉を連呼しておりました(笑)。

「今度、あそこで一緒にサッポロビール呑むべ!」
巨大な吹き抜けのガラスドームには、オープンテラスを配した飲食店がいくつもございます。そのテラス席で、私とビールを呑むのが祖父の希望でした。まぁ、所詮は近所ですから、そんなもんお安い御用であります。

その後、何度も私の方から誘ってみたのですが、「今日は、ちょっと大儀だなぁ。」とか「今日は、なんか気分じゃねぇなぁ。」などと断られ、中々タイミングが合う事がありませんでした。なんせ場所が近いので、祖父が行きたいと言えば、いつだって行けるだろうとタカをくくっておりました。

祖父は、若い頃から糖尿病を患っておりました。ただし、病気との付き合い方が上手だったらしく、大きく体調を崩すような事はありませんでした。亡くなるまでの2週間が、最初で最後の入院となりました。

入院中もかなり元気で「退院したら、今度こそビール工場んトコに行こうな。俺はジュース飲むから、お前ビール呑め!俺はもう酒はいいや(笑)。」なんてニコニコしながら言っておりました。数日後、トイレに行こうとベッドから立ち上がり、そこで意識を失い倒れてしまったそうです。そのまま、帰らぬ人となりました。

母からの電話で慌てて病院に行きました。祖父はチューブにつながれ、強制的に呼吸を維持している状態で、意識はもう戻る事が無いと聞かされました。医者は母と私に順番に視線を送り、「どうなさいますか?」と言いました。チューブを外しますか、それとも生命だけを維持しますか、という意味であります。

母が私の顔をじっと見て、黙ってうなずきました。
「外してあげて下さい・・・」
こんな短い言葉なのに、私はちゃんと喋れず言葉になっておりませんでした。数秒だったのか、数分だったのか、ほんの少しの間ですが、チューブを外してからもかすかに自力で呼吸しておりました。静かに呼吸が弱くなり、そのまま眠りに就きました。わずかな時間ですが、別れの時間を作るため頑張って呼吸をしてくれたのだと思います。

「病気が原因ではありません。これは老衰と言って良いでしょう。天寿を全うされたのだと思います。」医者はそう言っておりました。毎日見舞いに行っていたのに、なぜ私が居ない時に倒れたのか・・・。悔しくて仕方がありませんでした。

昨日まで元気だったのに・・・、意外なほどあっさり祖父は逝ってしまいました。今になって考えると、つくづくあの人らしいなぁと思います。頑固で、厳格で、人に世話をかけるのが大嫌いな人でした。らしいなぁ・・・、本当にそう思います。

結局、一緒にビールを呑む約束は果たせずじまいのままであります。祖父は最後まで『サッポロファクトリー』という名称を覚えませんでした。だから、話す時はいつも『ビール工場んトコ』(笑)。楽しそうに、ビール工場んトコにできた新しい建物の素晴らしさを説明する祖父の顔を思い出します。

今でもサッポロファクトリーには、よく買い物や食事に行くのですが、テラス席での食事は避けております。意味も無くこんなガラの悪いオッサンが、ポロッと涙を流したら、一緒にいる人間も、周囲の人もドン引きすること間違いなしですからね・・・(笑)。


ついつい涙が出てしまう事・・・、それも大切な事だなぁと最近感じております。

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