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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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私が育った地元は、市の中心部から約4キロ離れた住宅地であります。今でこそ隙間無く住宅やマンションが建っておりますが、私が子供の頃はまだ空き地や畑がとても多かったと記憶しています。今になり考えると25~30年前、ちょうど良い具合に田舎と都会が入り混じり、子供達にとってはパラダイスだったような気がいたします。
私が子供の頃は、まだテレビゲームが一般家庭には普及しておりませんでした。任天堂のゲームウォッチが発売されたのが小学6年生だったと思います。子供達の遊びの大部分が『外』であります。人生ゲームや野球盤も有るには有ったのですが、可能な限り屋外で遊んでおりました。
いろんな遊びが有りました。各種鬼ごっこ、ハンドベース、めんこ、仇(かたき・・・ドッヂボールの個人戦みたいなもの)、陣取り・・・etc、女の子たちはゴム飛びなんかをよくやっておりました。野球やサッカーは大人数が必要になるので、あまりやらなかったと思います。私は虫取りが特に好きで、毎年キリギリスを鬼のように捕って飼育していました。
男子たる者、当然のようにヤンチャな遊びも一通りこなしておりました。爆竹や癇癪玉のような火薬系、パチンコ等の狙撃系、庭や畑に生っている果物等を盗むルパン系、秘密基地の建設を主とするサティアン系・・・etc、大体は褒められたもんじゃありません(笑)。
今よりも車通りが圧倒的に少なく、道路で遊ぶ事も普通でした。学校からチョークを盗んできては道路に落書きをしておりました。私達が遊ぶ道路は、至る所にバドミントンやドッヂボールのラインが書いてあったり、様々な遊び目的の線が引いてあったものです。
今は殆ど見かけませんね。
公園、道路、空き地が主な戦場なのですが、どこで遊んでいても必ず大人の目が光っておりました。人様の迷惑になるような遊びをしていると、必ずどこかの爺さんが大至急飛んできたものであります。
遠くの方から「コラぁぁぁ~っ!」と叫びながら・・・(笑)。
今と比べれば人口もかなり少ない筈なのに、悪い事をしていると必ず見つかって追いかけられていた気がします(汗)。
畑の農作物には全く興味が無いのですが、人様の庭に有る木の実系のものには随分と興味をそそられました。くるみ、栗、柿、梨、緑のプラムみたいな奴、桑の実・・・etc。私共の地元の柿や梨は、食べられるような物は育ちません。柿なんて食ったら大変な事になります。何も知らない私達は、盗んだ柿を口にして1週間位味が分らなくなった事がございます・・・(汗)。食えない事が判っても盗み続けるのが子供というものであります(笑)。
小学校の近所で、庭に大きな栗の木を持つ家がありました。夏休み中の或る暑い日に、悪ガキ3人でその栗を盗みに行ったのです。長い木の棒を持って行き、先ずはイガ栗を落とす訳ですが、ほんの数個を落とした時点でその家の爺さんに見つかってしまいました。
「コラぁぁぁ~!」\(`o'")
(゜ロ゜)ゲッ!
大至急逃げました。しかし、必ずドジな奴がいて一人位は捕まってしまうものです。一度は逃げ切った私ともう一人は、仕方なく渋々と爺さんの元に自首いたしました。戻ると最初に捕まった阿呆は、既に一発ゲンコツを頂いておりました。私達も同様に一発ずつ貰い、その後お決まりのありがたい説教を聞かされました。
ゲンコツをくらった後に「ここでちょっと待ってろ!」と爺さんは家の中に入りました。
戻ってきた爺さんの手には小さなナイフが・・・(汗)。
\(-_☆)キラーン
(--;)ォィォィ・・・
「お前らは馬鹿か!こんな青いイガ栗を盗んでどうするつもりだ?いいか、ちょっと見てろ!」と言って、持っていた小さなナイフでイガ栗を器用に割って見せました。中の栗は、まだ白っぽくてペラペラな感じで全くもって未成熟でした。
「いいか!イガが茶色くなって勝手に落ちてきたら、食べられる栗が入ってるんだぞ!あと1ヶ月も先だ、馬鹿者が。そうなったら家のピンポン押して、堂々と拾いに来い。わかったか!」
「ハイっ!」
それ以来、私達はその爺さんに会うと必ず挨拶をするようになりました。
そして、約束どおり1ヵ月後・・・。
私達がピンポンを押すと笑顔で庭に迎え入れてくれ、皆で拾った栗を剥いてすぐに茹でてくれました。北海道の栗は、小さくて食べるところも少なく正直美味いものではありません。
その爺さんも初めて食べたと笑っておりました・・・(汗)。
しかしその栗・・・、味はイマイチでしたが実に美味く感じました。
本当に美味かった・・・。
家でも学校でも感動を伝えるべく、その話をしきりにしておりました。堪(たま)りかねた同級生達が、何組かその家を訪ねる事になりました。爺さんは、その都度ガキ共を温かく迎え入れ栗を振舞ってくれたそうです。実は子供好きの優しい爺さんだったのです。
今は爺さんの家も無くなり、そこには大きなマンションが建っております。
昔は良かった・・・。
誰でも年を重ねると、そんな懐古の念が沸いてくるのかもしれません。今の子供達も大人になって、きっと私と同じ台詞を吐く事でしょう(笑)。しかし、私が子供の頃にはこんな爺さんがまだ彼方此方(あちこち)にいらっしゃったのであります。子供達に愛情があるからこそ、叱ったり怒鳴ったりしながら躾(しつけ)をしてくれたのだと思うのです。
今は、どうなのでしょう。
他人の子だから・・・、と無関心な世の中になってしまった気がいたします。頑固親父が近所にたくさん居て、子供達の行動に目を光らせていたからこそ変質者だのイジメだのという問題が起こりづらかったのではないでしょうか。それが全てでは無いと思いますが、要因の一つではあると思うのです。
他人の子であっても『悪いものは悪い!』ゲンコツの一つもくれてやりましょう!それがガキ共のためにもなる訳であります。
そして、自分のためにもなる筈であります。
頑固親父・・・、すっかり見なくなってしまいました。
ギリギリ良い時代を過ごせた事に感謝しております。(^^ゞ