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雲のように…月のように…

雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…

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悲話

私の一番大好きなスポーツ『NBA』。
アメリカのプロ・バスケットボールリーグの事です。
華やかでエキサイティング、最高のスポーツであります。
そんなNBAで、90年代初めに悲しい物語があったのです。

80年代末に初めてヨーロッパからNBAプレーヤーが誕生しました。彼の名は、ドラゼン・ペトロヴィッチ。ニュージャージー・ネッツというチームに所属し、1シーズン目から驚異的な活躍を見せ、あっという間にスーパースターの地位に駆け上がりました。異常なまでの確率で3ポイント・シュートを連続して決める彼の姿を、私は今でも忘れられません。

次いで2人目のプレーヤーとなったのは、ブラディー・ディバッツ。派手さはありませんでしたが、実直でハートの強い素晴らしい選手でした。彼は、マジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズに入団いたしました。マジックが引退した後も、傾きかけたレイカーズを支えようと一人頑張る彼には多くの感動を頂きました。

少し遅れてトニー・クーコッチが渡米してまいります。マイケル・ジョーダンの突然の引退による大きな穴を埋めるため、シカゴ・ブルズが彼を獲得いたしました。さすがに『バスケの神様』と呼ばれたジョーダンにはやや劣りましたが、メディアの予想を覆す大活躍をしたのです。ジョーダン復帰後も彼は活躍を続け、3度の優勝に大きく貢献しました。

この3人の素晴らしいヨーロッパ・プレーヤー達は、『ユーゴスラビア』という国の代表チームで共にプレイしたチームメイトなのです。オリンピックや世界選手権でも、常に優勝争いに絡む堂々たる世界のトップチームであります。共に汗を流し、厳しい練習に耐え、切磋琢磨し合い、堅い友情で結ばれた3人だったのです。

彼らが、相次いでアメリカにやって来て、それぞれが脚光を浴び、自由の国で成功を掴んだ矢先の出来事でした。彼らの祖国で史上最悪とも言われる『内戦』が起きたのです。突如として勃発した民族紛争、ほんの数時間前まで友人だった人達が民族が違うというだけで殺し合いを始めたのです。未だに現地の人々は「どうして、こんな事になったのか解らない・・・」と口々に言っております。熱病にかかるように狂気に襲われた・・・、そう言う証言が多いのだそうです。

かくして、世界でも有数の美しい国と称された『ユーゴスラビア』は、泥沼状態に陥りながら分裂してしまいます。スロベニア、クロアチア、セルビア・モンテネグロ(後に2つに分裂)、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、民族ごとに国を分けてしまいました。旧ユーゴスラビアでは、クロアチア人とセルビア人が多数を占めておりました。

ペトロビッチとクーコッチはクロアチア人、ディバッツはセルビア人だったのです。自分達が祖国を離れている間に突如起こった紛争・・・。彼らは、複雑な想いに襲われたことでしょう。ディバッツは、しばらく考えた後にペトロビッチに電話をします。「国で起きた悲しい出来事は自分たちとは関係無い。これからも仲良くしよう。」と伝えたくて・・・。しかし、ペトロビッチは全てを拒否。悪いのはセルビア人だと思い込み、話す事すらしようとしませんでした。

心を痛めたディバッツは、クーコッチに1枚のメモを託しました。自宅と携帯の電話番号が書いてあったそうです。クーコッチは彼の気持ちを理解しましたが「僕もペトロビッチと同じクロアチア人。一応メモは渡すし、君の気持ちは伝えるけれども、強く味方はできないよ・・・。」と言ったそうです。

ディバッツは、大好きなチームメイトからの電話を待ち続けました。来る日も、来る日も・・・。そして、オフ・シーズンを迎え、とうとう電話が鳴りました。不慮の交通事故によるペトロビッチの訃報でした。ディバッツとペトロビッチの友情の復活は、夢と潰えてしまいました。
ディバッツは、その場に泣き崩れたそうです。

喧嘩などした事も無く、共にチームの勝利のために頑張ってきた仲間。あまりにも惨い話です。どれほど悲しかった事でしょう。想像しただけでも、胸が強く締め付けられます。しかし、ペトロビッチの死をきっかけに、ディバッツとクーコッチは今まで以上に強い絆で結ばれる事になります。友情の大切さに、あらためて気付いたのでしょう。

2m16cmの心優しい大男ブラディー・ディバッツは、故国の分裂によって孤独や貧困に苦 しむ子供たちや国を追い出された子供たちを支援するため、Group Seven Children's  Foundationと呼ばれる組織を作りました。今では、旧ユーゴ出身のスポーツ選手が多数在籍し、様々なボランティア活動を展開しております。


もし自分達がこんな事に巻き込まれたら、どうなるのでしょう・・・。
悲し過ぎますね・・・。


亡き祖父から、戦争の話をしこたま聞かされて育ちました。
あの鬼のように強い祖父が、いつも涙を浮かべながら話をしておりました。


最近、テレビで戦争に対しての議論をよく目にいたします。

時には殺し合う事もある馬鹿な私共には正解など判りませんが、先の悲話と祖父の顔を思い出してしまいました。


やはり、平和が一番だと思います。

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