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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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一昨日テレビで面白いニュースを見ました。
札幌高等裁判所で、審理を担当する資格がない地方裁判所の裁判官に21件の裁判を担当させていたそうです。6件の裁判をやり直し、12件を再審理、判決を言い渡した3件の裁判に対しては関係者に平謝りで上告の手続きをとって欲しいとお願い中だそうです。
なんじゃ、そりゃ・・・(爆)。
直接関わった人にとっては笑い事では済みませんが、事務所でニュースを見ながら爆笑してしまいました。もともと裁判所の連中は『テスト勉強の才能がある馬鹿の集まり』程度に思っていましたが、ここまでの大馬鹿だとは思っておりませんでした(笑)。裁判所という所は、手続き大好きの閉塞された役場であります。大好きな筈の手続き中には全く気付かず、散々ぱら裁判をやった後に最高裁からの指摘で気付いた模様です。
バス会社が、普通免許しか持たぬ社員に、ある日突然『大型バスの運転手』を命じるのと同じであります。普通であれば命じられた社員の方も「大型の資格を持っていません!」と断って終りの話です。ところが今回は「えっ、それって出世ですよね。やらせて頂きます!」と言って受けてしまったのです。自分の持っている免許の種類ぐらい普通はわかりますよね(笑)。命じる方も馬鹿なら、受ける方もトンチンカンであります。
私共の業界は、司法と争う場面が多くあり、ある意味で敵対視した部分がございます。しかしながら、一般の皆様においては『法の番人』秩序を守る最後の砦であります。司法に携わる者は『正しい人』である事を常に求められ、それに応えて常に『正しい判断を下す者』であらねばなりません。
それなのに、このザマであります・・・。
今に始まった事では無いのですが、最近は司法の世界も少しイカれた部分が目立ってまいりました。大阪で起きた殺人事件ではとんでもない判決が出されております。ハゲリーマンさんが詳しく書いておられますので、是非お読み下さい。
3月1日の記事で『司法は誰のものか?』。
弁護士もおかしくなっております。
オームの麻原の主任弁護士だった安田好弘、こいつは光市の母子殺害事件の最高裁法廷を遅延目的でドタキャンしたクズであります。塾講師小6女児殺害事件を起こした萩野裕、その弁護士の中田政義も似た様なものです。精神異常だろうがアスペルガー症候群だろうが、人殺しは人殺しなのです。100人が見て100人が悪いと言う者を、なりふり構わず汚い手を使ってまで刑を安くしようとする。
そして、自分の手腕だと勝ち誇る・・・。
この手の弁護士が最近はたくさんいるのです。
間抜けな裁判官、面子の為にでっち上げの事件を強引に進める検事、正義など忘れ売名と銭儲けに夢中な弁護士・・・。テスト勉強が得意で、司法試験をクリアーしたからという理由でこんな奴らに職権を与えて良いものなのでしょうか。もちろん立派な人達もいるのでしょうが、多くの馬鹿が足を引っ張りすぎております。
彼らの職業には、試験で得られる資格よりも『良心』というものが最も重要なものではないのでしょうか。六法全書を暗記する力も大切ですが、もっともっと人として大切なものが在ると思うのです。司法に絡む者達に本当に必要なものは、『心の質』であるという気がしてなりません。
『法』は、決して完璧なものではありません。
人類史上、誰もが納得する完璧な法律など作られた事はただの一度もございません。だからこそ、時には枠をはみ出して、心で量った『大岡裁き』なんてものが語り継がれるのだと思うのです。今の時代においても皆、それを期待して止まないのであります。
『良いもんは良い、悪いもんは悪い!』そこが一本通っていなければ、まともな世の中なんざ夢のまた夢であります。
こんな話をしていると、生前の祖父と一緒に観ていた【ザ・ハングマン】というテレビドラマを思い出してしまいます・・・。