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雲のように…月のように…

雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…

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喜び(小)

『喜び』、生き続けるための糧でございます。
正常な思考を持っているのであれば『喜び』無しには生きていく事はできないと思うのであります。

今回は日常ふとした瞬間に感じる小さな『喜び』のお話です。
『小さな喜び』これはそこかしこに幾らでも転がっているものでございます。一歩外に踏み出せば、それはもう次から次へと・・・鬱陶しい位に小さな喜びで溢れております。そよそよと気持ちの良い風が吹いてきた、空の色がやたらと青かった、可愛い猫の親子を見た、レジの娘が上戸彩に少し似ていた・・・etc、小さな喜びだらけでございます。

最近この小さな喜び達を皆様シカトしてはいないでしょうか。
これらは流石に小さいだけあって、こちらの精神状態一つで軽く吹っ飛んでしまいます。イラッとして歩いている時に、可愛い猫を見かけてもただの汚い野良猫にしか見えないし、空の青さにも気がつかない事でしょう。小さいとは言え、いかようにももったいない事でございます。

道に点々と1円玉が落ちております。家までの道すがらボチボチとそれを拾って帰ります。家に着いて数えてみると合計100円有りました。要は100回も拾うという作業をこなした事になります。
「100枚集めたって所詮100円だろ!そんな事をしてまでたかが100円なんか要らねぇよ!」とおっしゃる方が必ずいると思います。100回拾う事を単純に作業として考えれば、手元に残るのが100円・・・恐ろしく作業効率の悪い愚かな行為であります。ですが100回もお金を拾う楽しさを味わったと考えるならばどうでしょう。「ここにも有った♪おっあそこにも♪」なんていうのが100回です。それはそれは楽しい時間だと思うのであります。たとえ得た物が100円ぽっちであっても全く問題ございません。

『小さな喜び』そんなもんで人が生きていける訳がないだろう、そんな吹けば飛ぶ様なものは要らねぇよ、そう言う方も多く居るかもしれません。もちろんそれだけで生きる原動力になるとは思っておりません。小さな物ばかりに目を奪われて真剣に追いかけていても困ります。1円拾いに夢中になってトラックにでも轢かれたら、それこそただの阿呆でございます・・・(笑)。

誰の道にも『小さな喜び』は幾らでも落ちています。
たいした物ではないかも知れませんが、わざわざ踏みつけて歩くような代物でもない筈であります。せっかく沢山落ちているのですから、道草にならない程度に楽しく拾いながら歩いてはいかがでしょう。


私は完璧に道草の途中であります・・・。 オッ! ( ..)_。

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