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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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私共の暮らしの場『繁華街』では毎日金と仕事にまつわる話が飛び交っております。よくある話としては「貸した金を返してくれない」「ホステスが店からの給料を貰えない・遅れている」「客がツケを払わない」「仕事を辞めたいのに雇い主側の都合で辞めさせてもらえない」「仕事を紹介して欲しい」こんな感じでしょうか。

例えばホステスが店から給料を貰えないといったケースでは、まず労働基準局に行き相談をする事から始まります。そして相談員に内容証明(この場合は給料を支払えという公式な請求書のような物)の書き方を教えてもらいそれを送付します。店側が素直に応じてくれなければ次は基準局から指導が入ります。指導と言っても責任者を呼び出し「ちゃんと払わないと、法律の何条・何項に引っかかりますよ。」程度のソフトな指導です。それでも店側が応じなければ弁護士を介して民事裁判となりますが、大抵の場合その前に泣き寝入りしてしまいます。

公的機関というのは所詮こんなものであります。決して基準局の職員や裁判所を馬鹿にしている訳ではございません。基準局の職員がどんなに親身になって行動してくれたとしても決められた手続き以上の事を彼らもできないのです。それ以上の事をやってしまえば今度は彼らが違法になってしまう訳ですから。真面目で人の良い職員は自分達の無力さに日々ストレスを溜めている事でしょう。まぁ普通の職員は気に留めた事も無いでしょう(笑)。

ホステスの話に戻りますが、給料をくれと言うのは誰が考えても正当な言い分です。この場合特別な理由が無い限り悪いのは店側でしょう。法律で解決するとなると前述のような結果になる、しかし泣き寝入りだけは絶対にしたくない。

そうなるといよいよ私共の出番であります。私共に取り立てを依頼する場合は通常『取り半』と言って取り立てた金額の半分が私達の手数料になります。基本は『取り半』ですが、ケースバイケースで最悪は只仕事の時もあります(苦笑)。それが高いか安いかは皆様の判断におまかせいたしますが、私の元には日々そういった相談が舞い込んでまいります。そして私共は日々それを両者納得のいく形で解決しております。先の話で店側が納得して支払わない場合、私はどんな事をしてでも首を縦に振らせるでしょう。多くは語りませんがどんな事をしてでもです。

当然これらの事は重大な違法行為であります。ですが私は反省する気も、改める気も更々ございません。ちゃんと働いた者が泣き寝入りをするなんざ、有って良い事ではありません。たとえ非合法な行為であっても「間違ってるもんは間違ってる!」それで懲役を喰らってもいたしかたございません。

しつこくなりますが私共の行為を正当化している訳ではございません、違法行為は何を言っても所詮違法行為でございます。決して人助けの為だけにやっている訳でもございません、いただく物はいただいております。ただこういう業界が存在し、それを必要とする人々も確実に存在するのです。

関係機関にちゃんとした権限を与えて茶々と問題を解決できるようにすれば私共の業界に助けを求める人はいなくなる筈なのですが…。
私はそうなる事を強く希んでおります。

まだまだ色々なケースがたくさんございます。
これからも一つずつお話したいと思っております。

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私共は非合法集団と呼ばれておりますが、さほど悪い事だとは思っておりません。決してすべての法律をシカトしているわけではございません(笑)。確かに法律の大半は必要かつ重要なものであると認識はしておりますが、所々に若干の苛立ちと、烈火の如き怒りを感じております。このテーマは重大でこの先何度も語らせていただこうと考えております。今回はその一部をお話ししたいと思います。

皆様は法律によって御自分の生活が守られているとお考えでしょうか?答えはyes。法律が持つ絶大な効力で私達は日々守られているのであります。法律が無かったらたったの一日で世の中無茶苦茶でございます。
『警察と裁判所』は合法・非合法の判定にたずさわる大切な仕事であります。法律の名の下に社会を守っている彼ら、非常にありがたい存在の筈であります。ところがどっこい、走っているパトカーや歩いている警官を見て「今日もありがとう!」と思う人は殆どおりません(笑)。
なぜなんでしょう(笑)?
警察という組織が間違っているのか、はたまた法律自体がまちがっているのか…。

法律とはもともと支配者が下に無理やり押し付けたルールであると考えています。ここの住人は年貢をいくら収めろだとか、払わない者には厳罰をだとか、要はさして理由も無く『金を払え!払わないならやっつけるぞ!』と言っているのと同じであります。その理不尽さに反乱が起きて、その度に『庶民派』の看板を掲げた偉い奴が登場して新たな法律を作る。この作業の繰り返しで発展してきた筈なのですが、重大な問題点があるのです。先に登場した『庶民派』の偉いおっさんは、あくまでも『庶民派』であって本当の『庶民』ではないのです。普通に考えても一般の庶民が法律を作る現場に居合わせてる方が不自然というものです。本当に庶民の側に立った法律など今だかつて作られた事などある訳がないと思っております。

だからと言って私共の悪事をあれこれと言い訳しているつもりはございません。法律がどうであれ違法は違法でございます。もし何かありましたらいつでも罰を受ける所存でおります。

弱肉強食の自然界のルールを敢えて無視し、人が人として弱者をも守りつつ繁栄していくための『法律』。

物資や食料の確保、心や精神の充足、争いや飢えの無い平穏な社会を円滑に作り上げる為の『法律』。

哲学者達が夢見たそんな『法律』は未だ夢のまた夢であります…。

私の住む都市は北日本最大の『繁華街』を有しております。
(以降⇒街)
まぁ私共もそこを根城としている訳でありますが、子供の頃は街を歩くのがとても怖かったと記憶しております。小学生の時は一人で歩けば必ず有り金をすべてカツアゲされる場所だと信じ込んでおりました(笑)。中学生位から怖いもの見たさ半分、度胸試しも兼ねて数人で意味も無く街を徘徊してみたものです。

当時は今とは少し違いガキを相手にした商売等は何も無く中学生だけで入れるのは喫茶店ぐらいのもんでした。どこを歩いても*地廻りのおっさん達に「こんなとこウロウロしてないで、早く帰れよ~♪」とグルングルンの巻き舌で優しさ交じりに声をかけられたものです。
今から20数年前…思い起こすとあの頃には大人に余裕があったなぁと思います。

   (*地廻り…大手全国チェーンではない地元のヤクザ。)

街は変わってしまいました…
SEGAだのKONAMIだのとゲームセンターが何件も建ち並び、顔なじみの酒屋は姿を消し代わりにコンビニが乱立しております。その両方にガキ共がたむろし、やがてそいつらを相手に商売しようという大人も群がって…。
ガキ共相手に銭を稼ごう、巻き上げようとする大人達の『卑しい性根』『余裕の無さ』が街を変えてしまったのでしょう。ひと昔前は子供相手の商売なんて格好悪いと誰もが思っていたはずなんですが…。

偉そうな事を語ってはおりますが、街が『このような事態』に陥っているのは、恥ずかしながら私共の業界に多大な責任があるのです。
冒頭でもお話しましたが私共が子供の頃には『余裕のある大人』が優しく叱ってくれました。いかつい地廻り達が畏怖を与え「こんな所に来るにはまだ早い!」 「ウロチョロしてると酷いめに会うぞ!」という事を暗に伝えてくれていた訳です。
『ガキはとっとと家に帰れっ!自分で稼げる大人になったらパーッと遊びに来いっ!』
これが 『粋』 じゃあありませんか。先輩たちは『粋』と『洒落っ気』そして良い意味での『怖さ』を持っていたように思います。それに比べ今の私共は…。

少女売春・シャブ・ドラッグetc…
最近よく考えてしまうんです、どんなやり方で作った銭でもやっぱり『銭』は『銭』なんでしょうかねぇ…。そんな『銭』でどんな高い物を飲み食いしても美味いとは思えないんですがねぇ…

残念ながら私ごときの力では昔の『粋な繁華街』の姿を取り戻す事はできないのです。

私は明日もこの『街』のどこかにいます…。

最近TVの『ニュース』番組に異様な違和感・不快感を感じます。随分前から感じてはいたのですが最近のは特にひどい…(--〆)。私共に批判されるのは彼らTV関係者も心外かもしれませんがひどい物はひどい訳であります。

例を出しますと先日まで毎日朝から晩まで放送されていた『徳山高専殺人事件』二十歳の可愛い女学生が学校内で殺されてしまった悲しい事件です。非常に痛ましい事件でした。連日の放送では事件当日の被害者のタイムテーブルや、生前のピアノの発表会の映像、数々のイベントでの画像、友人・知人たちのコメント…etc。見出しの文字やBGM…まるでサスペンスドラマのように各局が競っての報道でした。本当に発表しなければいけない事でしょうか?犯人探しは警察の仕事であって、視聴者全員で推理・推測をする必要はないでしょう。前途ある若者が一人殺されているんです、その凄惨な事実を淡々と放送する事が『報道』であると考えます。
まるで視聴者の興味をあおるかの様なドラマチックな数々の演出は被害者に対する冒涜以外の何ものでもないと感じるのです。無理矢理に神妙な顔をしてこういった事件を報道し、5分後には『次は明るいニュースです!』と満面の笑顔で『迷子アザラシ』かなんかのニュースを読む。製作者サイドの指示ではあるのでしょうが、「お前らの人間性はどうなんだ?」正直そう感じてしまうのです。

皆様はこういった事を感じた事はありませんでしょうか?

TVという物は本来もの凄い『力』をも持っているのです。TVで紹介された職人を見て思い切って転職をした人達、献身的活動に感動し生涯ボランティアに身を投じた人達、様々な人々の人生に影響を与える『力』を持っているのです。『力』を持った者はそれを正しく使わなければなりません、これは絶対なのです。何故かというと『力』には必ず同じだけの『負の部分』があるのです。TVが間違ったものを放送してしまえば『大量の負のエネルギー』が流出してしまうのです。バラエティ番組で熱いオデンを他人の口にねじ込めば、子供たちもコンビニでオデンを買って同じ事をするんです。ドラッグをやっている若者を格好良く放送すれば、ジャンキーが増える訳です。子が親を殺した事件の報道の仕方を間違えれば、日本中で同様の事件が多発してしまうのです。
TVについての思いはこれかも折に触れ語っていこうと思います。


正直私共が世を憂うのもいかがなものかとは思うのですが、どうしてもこの『現状』を憂うしだいであります。私も今現在若干の『力』を得た訳ですが、逆に『自由』がなくなったという事を痛感いたします。私も非合法な世界に身を置きながらも若い者達に『非道・外道』は絶対に許さないといったメッセージを伝え続けなければなりません。これは『力』を持った者の一番大切な義務であります。


『力』を得ればひょうひょうと自由になれる、そんな私の考えはスタートから間違っていたのですね…。

いったい何が私のバックボーンになっているのか?
それは五年前に他界した祖父の存在であると考えております。私の祖父は二度の出兵から無事に帰還したツワモノでございます。同じ部隊で生き残ったのは祖父を含めてたったの3人だったそうです…(汗)。共働きの両親に代わり祖父母が私と兄の面倒を見てくれました。

私が小学生の頃、ケンカで顔に傷を作って家に帰ると『勝ったのか負けたのか?』と必ず聞かれるのです。正直に『負けた…』と答えるとゴツンと一発ゲンコツを張り『どんな事をしても良いから勝って来い!』と・・・。
ゲンコツが嫌で嘘をつき『勝った』と答えると『勝った奴がそんな面になるかっ嘘をつくな!』と又ゲンコツ(笑)。
ケンカに負けてその上ゲンコツかよ…この話だけをすると只の鬼のように思いますが驚くほど愛情に溢れる優しい人でした。

祖父はやると決めたらとことんやって来いと言い切る実に男くさい人だったのです。

祖父は若い頃、電気工事を生業とし田舎に大きな鉄塔を立てて歩いていたそうです。戦争帰りの恐いもの知らず、祖母も随分苦労したらしくよく泣きながら祖父の武勇伝を語っておりました。昔の電気工事事業には極道が普通に絡んでいたらしく親交はかなり深かったようです。今でも祖父の麻雀仲間の名前を数人覚えていますが、最近マンガになって発売されるほどの親分達の名前もあったぐらいです。
たぶん祖父は早くから幼い私の中にそういう要素を見い出していたのでしょう。

70歳を過ぎソファーでまどろみながら私の名前を呼び『不良にだけはなるなよ』と何度も何度も繰り返しておりました…毎日…毎日…。孫は全部で4人いたのですが昼寝の際には常に私の名前だけをうわ言のように繰り返しておりました…。やはりデキの悪い子は可愛いのでしょうか。

私に『無償の愛』を与え続けてくれた祖父のたった一つの願い『不良にだけはなるな』この事を守れなかった自分を責めずにいた日は一日としてありません。ですが、『やると決めたらとことんやって来いっ!』と言う声も同時に聞こえる気がするのです…


今でも毎月墓前で謝っております…。


『じいちゃん本当にゴメンなさい…』

はじめまして

私は北国の繁華街を住処にし気合のみで走り続けて今日に至った乱暴者です。子供の頃からの性分か唯漠然と『人に負けたくない』との一心でやって参りました。『力』に憧れ『力』を求め、さして志もないままに、ふと気づくと30半ば… 今ここにきて自分が欲した物はコレなのか?自分がなりたかった姿はコウなのか?そういった疑問に駆られている至大です。


当ブログでは自分の思想・信念を少しずつ記していきたいと考えております。かなり捻じ曲がっていたり、極端すぎだろうという意見が多いかとぞんじますが恥ずかしながら自分の踏み歩んできた生き様でごさいます。『馬鹿な野郎もいるもんだ』と一笑にふしていただければ幸いと思います。


まず私がブログを書こうと思ったきっかけは、雪原さんという方の『60億ブンノ私』というブログに出会ったからです。とても優しさの伝わる暖かい文章でした。特定少数の人間にしか優しさを持たずに暮らしてきた私とは正反対の物を感じました。私自身『人間の生き様とは』なんて事を最近考えるようになり、その矢先に偶然『雪原さん』のブログを見て自分に足りないものを具間見てしまったのでしょう。
リンクしておいたので是非『60億ブンノ私』を訪問してみて下さい
m(__)m


『ふわふわとした雲』 風の吹くまま気の向くまま、子供の頃からの憧れでした。ひょうひょうと自由に生きたい、そんな気持ちで見上げてまいりました。無敵の『力』を持って誰の干渉も受けないようになれば自由は手に入ると思っていました。
ところがどうでしょう?
太陽の光を遮り影を作ってしまう雲…
暗闇に少しだけ光を照らし、夜の世界でのみ感謝される月…
なんか今の私達に似ているなぁ…と。(美化しすぎですね)
いつかは自由に飄々と、そして夜道を歩く人々のために優しく照らす…そういった者に変われればいいなぁ。
そういった気持ちでタイトルを付けました。


私共の業界からは安部譲二という優れた作家が輩出されています。残念ながら努力をしてこなかった私には彼のような文才がありません。読みづらいとは思いますが興味を持っていただいた方はたまに覗いてやって下さい。細かい立場までは語れませんが自己紹介とさせていただきますm(__)m

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プロフィール
HN:
神谷 仁
性別:
男性
自己紹介:
生息地:北国の繁華街
趣 味:釣り・料理
好 物:寿司・そば
口 癖:生き様が悪りぃ
 敵 :嘘つき・警察
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