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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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アメブロの方を見て頂いてる方は御存知でしょうが、最近私は農村をメインに走り回っております。
そこで感じる事のお話です。
離農について、マスコミの連中は必ずと言って良いほどに後継者不足と報じます。
後継者不足・・・
一言で片付けてしまうのは簡単ですが、そこには色んな要因があるものです。
単に農家に男の子が生まれないのか、農家の仕事はツラいのか、農家の仕事は格好悪いのか・・・
そうではございません。
農家に子供が不足しているワケでも、仕事が極端にツラかったり汚いワケでも無いのであります。
要は儲からないワケです。
儲からん・・・、という表現には多少語弊があるかもしれません。
儲からんどころか、食うにも困るような場合があるのです・・・。
作付面積に対しての補助制度などが有りまして、規模の大きな農家はそれなりに儲かっております。
家も立派ですし、機材も新しく、後継者もいる場合が多いのです。
まぁ、パッと見で立派でも内情は借金だらけなんて例もございますが、それは脇に置いておきます・・・。
問題は、中・小規模の農家であります。
助成金の対象にもならず、悲惨な現状にある場合が多いのです。
誰がそんな悲惨な商売を自分の大事な子供らに継がせるでしょうか・・・。
人の親である以上、自分の子供には幸せになって欲しいと願うのが当たり前であります。
仮に子供らが継ぎたいと言っても、親ならば絶対に継がせないでしょう・・・。
考えてもみて下さい。
ん千万の学費をかけてでも、医者は自分の子を医者にしようとします。
最近めくれた大分の事件・・・、教員は卑怯な手を使ってでも自分の子を教員にしようとします。
議員は、利権を手放したくないが為に自分の子を議員にします。
良い商売だと解っていれば、自分の子に継がせたいと考えるものなんです。
それが、親ってものなのです・・・
私が普段、離農したお年寄りと世間話をすると、やれ土の作り方がどうの、天候がどうの、と良い作物の作り方を誇らしげに教えてくれるんです。
その時の表情は、自信に満ち生き生きとしております。
彼らは、自分の仕事を愛し、誇りを持っています。
農家をヤメて何年も経つ人達の家庭菜園・・・、土が信じられないぐらいフッカフカなんです。
「良い土を作れば、良~い野菜ができるんだよ。(笑)」
実に良い笑顔で教えてくれます・・・。
親から知恵と土地を受け継ぎ、そしてその仕事を愛し一生懸命働いて・・・
その愛する仕事を自分の子に譲れないのです・・・
どこの親が食っていけない仕事を子に押し付けますか?
どこの阿呆が食っていけない仕事を選びますか?
食い物作る人間が食っていけねぇんじゃ、話にもナンにもなりません!
決して、後継者が不足しているワケでは無いのです。
単純に、国策が間違っているのです。
これは、1次産業全てに言える事でしょう。
漁業、酪農業、林業・・・etc、全てにおいて共通の問題なのです。
儲かる・・・、とまでは行かなくても、せめて不自由無く食っていけるような方策が必要なのです。
国で大金かけて歌舞伎やら能やらの世襲制を守ってる場合では無いんです・・・
アホらしい・・・( -.-)..。ペッ
食料は、国の礎であります。
食料を他国に依存すると言う事は、命綱をその国に渡すと言う事なのです。
アメ公に、豪州に、チャンコロに・・・、命綱を預けている状態なのです。
本当にこれで良いのでしょうか・・・
人が生きていく為には、食い物が絶対に必要なのです。
農業・酪農業・漁業、これらを疎かにすれば、いずれ国は衰退するでしょう。
今は銭と商才だけで何とか形になっているものの、将来的に国民生活は辛いものになっていく一方だと思います。
完全な独立国家と言っても過言ではない『キューバ』という国。
『国民全員で食料を作る!』という思い切った方針を掲げ、今では世界でもトップクラスの有機農業を実践しております。
そして、食料に溢れた豊かな国になりつつあるのです。
キューバは現在、医療体制も世界一と言われております。
指導者の信念と手腕を褒めるしかありませんね。(- -)(_ _)
福田首相が改造内閣を発表いたしました。
そんなもんを改造する前に、手前ぇの頭を改造しろってんです!
食料・・・、大切だと思います。
それを作る人たちには、それなりの報酬を与えるべきだと思います。
昨年秋の終わりに、大好きなアノ人と逢った時のお話です。
「全然、連絡無いけど生きてるの?」というメールが来たんです・・・(汗)。
言い辛くて、夏にパクられてた事を報告してなかったんです・・・。それどころか、帰ってきてから一度もメールしてなかったんです・・・。
誰かから聞いたのかもしれないなぁ・・・と思いつつ、そこそこ元気でやってます・・・と言った内容で返信いたしました。すると意外なことに「週末にみんなで集まって呑まない?」という返事が…。この場合の『みんな』は、店の常連さんとか従業員とかを意味しております。
店を閉めた頃は、もう誰とも連絡を取りたくない・・・と言っていた彼女が・・・。きっと昼間の暮らしにも慣れ、やっと精神的にも落ち着いたのでしょう。一昨年の夏祭りの時よりも、彼女の回復を感じました。この事だけでも目頭が熱くなる思いであります。
常連の中でも幹事が得意な奴に連絡をして、大至急週末に飲み会をセッティングしました。彼女の店は、常連同士が仲良くなってしまう不思議な店でした。彼女の人柄のお陰です。閉店した店の常連が集まるなんて事は、そうそうあるものではございません。
急な召集だったために人数こそ少なかったものの、仲の良かったメンバーが集まりました。私は所用があり30分ほど遅刻したのですが、幹事以外の全員(主役の彼女も含めて)が遅刻だったそうです・・・。
大人の集まりなのに・・・。
何なんだ・・・(-_-;)。
周りのメンバーに挨拶もしない内に、彼女を見て「元気だったか?また綺麗になったね。」って言ったんです・・・、私。
遅刻した分際で・・・。
野郎共・・・、一斉に大ブーイングでございます(笑)。好きな人はひたすら褒める、私の一貫したスタイルであります。外野の声なんぞ聞こえません(笑)。
どうやら彼女、私が来るまで皆から「老けた!老けた!」と責められていたようなのです。好きな人ってぇのは、初めて会ったその時から会う度ごとに綺麗になっていくものなんです。これは、いつまでも続くものなんです。歳をとればとるほど綺麗になるんです。
自分の嫁や彼女が歳をとっただの、ババアになっただのと言う連中はただの馬鹿なんです。愛も知恵も足りない野郎共であります。本当に好きな人というのは、例え一緒に暮らしていたとしても、毎日々々一眠りして起きて顔を合わせる度に綺麗になっていくのを感じるものなんです。小ジワもクスミも関係無し、全てが美しく愛おしい存在なんです。
先方が会う度に綺麗になるわけですから、男は昨日よりも更に深い愛情をもって接するべきであります。そういうもんだと本気で思っております。たまに、自分にはイタリア人の血が混ざっていないか不安になります・・・(-_-;)
嘘つき・・・だの、外道・・・だの、極悪人・・・だの、秘密ばらすぞ・・・だのと、そしられながら席に着きました。秘密ばらすぞって・・・、何の事だかは知りませんが大人なんだからそういうのはヤってません・・・(汗)
遠い・・・・・・(T_T)
遅刻したせいで、彼女の席から遠かったんです・・・○| ̄|_
皆、久しぶりの再会で昔話に花が咲き、和気藹々と盛り上がっておりました。ほとんどが私よりも年上なのですが、こういう集まりも良いものであります。
会話の節々に「いいなぁ、隣・・・(-_-メ)」と囁き続けていたら、2次会も3次会も彼女が隣に座ってくれました(笑)。囁き作戦、成功であります。
3次会は、生バンドの演奏とダンスフロアーがある小洒落た感じの店でした。モータウン系の音楽が中心で、昔のディスコを懐かしむ世代のために作られた店って感じがいたしました。ちょっと間違やひと昔前のナイトクラブといったトコですが、上品な内装が良い雰囲気を出しておりました。
生バンドの時間にはダンスフロアーに人が溢れます。実に懐かしい雰囲気です。ウチのチームからも何人か踊りに出まして、彼女も引っ張られて行ったんです。曲に合わせて踊る彼女を見て、へぇーこういうトコで踊っちゃったりするんだぁ・・・と、私の知らない彼女の一面を見て驚いておりました。ライブやらコンサートやらが好きな事は知っていたんですけどね。妙に感心してしまいました。
私も十代の頃はディスコで踊ったりしていたのですが、それ以降はディスコやクラブなどには行ったとしても踊るような事はありませんでした。なにぶん人前でハシャグような職業ではございませんでしたので・・・、踊りとかはちょっと・・・(照)。彼女も「一緒に行こ♪」と一応声をかけてきたのですが、「ごめん、無理・・・(汗)」と言うと、ニコッと笑ってそれ以上は無理強いしませんでした。
「だよねぇ~(笑)」って顔をしてました・・・(;^_^A
しばらくするとバンドがスローな曲を演奏し始めました。
少し照明も暗くなり・・・
どうやら、チークタイムなようです・・・
さすが大人を対象にした店・・・、今時チークって・・・
と思っていたら、ウチのチームの連中が無理矢理に私をダンスフロアーに引っ張って行こうとするんです。
「バカヤロー、こっ恥ずかしいからヤダよ!ヤメろよ、んのやろー!」とかって抵抗しておりました。助けを求めるようにフロアーの方を見ると、彼女が満面の笑みで『来い来い♪』というジェスチャーをしてやがります・・・。
くっ・・・
助けるどころか、君もグルですか・・・_| ̄|○
連中からすればプレゼントのようなつもりなんでしょうが、私こういうのが大の苦手であります・・・(汗)。
こういうトコだけ、やけに日本男児です・・・。
彼女が『来い』と言っている以上、抵抗する理由も失い、観念してフロアーに連行されました。当の彼女は、立てないクララを迎えるハイジのように両手を広げて私を待っています・・・。
あのイタズラっ子のような、彼女のズル~い笑顔が忘れられません・・・
チークなんて初めてです・・・
今まで人様がやってるのは散々見てきましたが、強烈に冷ややかな目で見ておりました。
まさか、自分がヤラされるとは・・・(汗)
「ど、どこに手を持ってけば良いの?」・・・(ーー;)
最初から、こんな感じです・・・
なんとか彼女の指示通りに手を回しまして・・・
「なんとなくユラユラしてなさい!」と言われ、ユラユラと・・・
「すごく緊張するんですけど・・・」(ーー;)
「アハハ、そんな顔ひさびさに見たぁ♪」とかって、喜んでる始末であります。
この時私、どんな曲が流れてたんだか一切覚えておりません・・・(汗)
ちゃんこいなぁ・・・ (小さいなぁ)
私の身長も170センチと大した背丈ではございませんが、彼女は155センチ。小さくて明るくて可愛い人なんです。
彼女が店を閉めた時、本当にもう逢えないと覚悟していました。自分の腕の中に彼女がいる事自体が、私にとっては奇跡的な出来事でした。
彼女が強く抱きついてきて、私の胸にギューっと顔をうずめてきました。まわりに人がいっぱいいるのに・・・、久しぶりの酒で酔っていたのでしょう。彼女の声が聞こえるように少し頭を下げると
「今日は本当にありがとう・・・」と。
「ん?何が?」と惚けて聞くと・・・
「また、こうやってみんなで集まって呑めると思わなかったから・・・」
「ん、そうか。そうだよなぁ・・・」
皆が集まってくれたのは、ひとえに彼女の人柄によるものであります。彼女の築いた店が、皆にとって居心地の良い場所であった証拠であります。
「店を閉める時ね、色んな噂をたてられたじゃない。あの頃、皆が陰で私の事を悪く言ってるような気がして、怖くて人の顔が見れなかったの・・・。今日も、本当は皆に会うのが少しだけ怖かったの。でも皆優しくしてくれて、誰も噂の事なんて話題にしないで・・・。何だかわかんないけど嬉しくて・・・。」
妊娠しただの、結婚するだの、金持ちの妾になったから店を閉めるだの、確かに非道い噂が流れておりました。私の耳にも色々と聞こえてきたのを覚えております。その噂がどんなに彼女を傷つけたか・・・、思い出しただけでも腹が立ちます。やはり、悲しい出来事というものには時間が一番の薬なのかもしれません。
「そっか、良かったね。皆にもちゃんと『ありがとう』って伝えなさいよ。」
「うん♪」
他にも彼女は色々と話してくれました。これまでの経緯を思うと、私も涙が溢れそうになりました。それに加えて緊張と照れで、彼女の話に「うん、うん」と相槌を打つのが精一杯でした。
「ちゃんと聞いてくれてる?」
「うん・・・」
「ホント?今、違う事考えてたしょ?」
「うん・・・、いやいや何も考えて無ぇよ・・・」
「ウソだぁ、ワカるんだよ!」 ・・・ワカるんだそうです(-_-メ)
「うぅ・・・。いやぁ、昔もこんな事あったなぁって思い出してた・・・」
もう、5年位前の事でしょうか・・・
それは、年末のとある日曜日。街で商売をしている連中が集まって、クリスマス兼忘年会を毎年やっていたんです。全部、私が仲良くしている連中です。そこに、初めて彼女を連れて行った帰りの話です。
忘年会の店から歩いて5分位の所が彼女のマンションだったので、歩いて送ることになりました。真冬の凍える空気の中、手をつないで歩いておりました。道々「あんまり知らない人達の中に入ると疲れちゃうね。なんかアウェーって感じだった(笑)」なんて話をしながら帰ったんです。
年末だし、夜中だし、静かだし、人影なんてまるで無いし、二人共ちょっと酔ってたし・・・
マンションの下についた時、キスをしたくてつい抱き寄せてしまったんです。ちょうど、チークダンスのような体勢です。彼女も強く抱きついてきて、私の顔をじっと見つめていました。当然、キスしようとしたワケですが・・・
「やっぱりダメ・・・」私の胸にギュっと顔をうずめました。
「うん・・・」
「もう少しこのままでいて・・・」
「うん・・・」
抱き合ったまま、どのくらいの間そうしていたのでしょう・・・
気がつけば、雪が降り出し、吹雪になっていました・・・
店をやっている間は誰とも付き合わない、それに関して私も文句を言わない、それが二人の約束事でしたから・・・
吹雪の中、互いに離れられなかったあの夜の事を思い出しておりました。
「こんな事って、あの吹雪の時?」
「うん・・・」
「懐かしいね・・・。寒かったね♪(笑)」
「うん・・・」
随分と長くフロアーにいたような気がします。
何分ほどの時間だったのか、何の曲が流れていたのか、全く記憶に有りません・・・。せめて曲ぐらい覚えていれば、きっと想い出の曲になった事でしょうに。まぁ、いっぱいいっぱいだったので仕方がありません・・・(汗)。
何の曲だったかさっぱりワカらないので、私の頭の中では勝手に田村直美の『キセキ』というスローバラードが流れております♪
お久しぶりです。
堅気になりました。
手続きと言いますか、儀礼的な段取りと言いますか・・・
さして大きな問題も無く、ほぼ円満に身を引く事ができました。
そんなに簡単に辞められるの?
…と思う方もいらっしゃるでしょう。
ですが、私自身はさほど難しい事だと考えておりませんでした。私の場合、特にヘタを打ったワケではございません。前々から独自のスタンスで組織に属しておりましたので、理解している人間は理解しているだろう…、程度にしか考えておりませんでした。
事実、最初に話した兄貴分は「そうか、とうとうそう言う時がきたか。寂しくなるな。」
それしか言いませんでした。
で、その後「誰にも文句は言わせんから心配すんな。」とも言ってくれました。まぁ嬉しいお言葉ですが、別段誰に文句を言われても関係無いと思っておりました。文句があるヤツとは開き直って勝負するだけですから…(笑)
「もし、指だの銭だのという話になったら、手前ぇで取りに来いと伝えて下さい。」と兄貴にお願いしておきました。
結局、執行部も全員納得の上で、晴れて脱退いたしました。
というワケで…
これから何を目指して行くのか…、それが問題でございます。
今まで人生の半分を極道として過ごしてきた者ですから、ある日突然堅気になったからといって、中身まで急に変わるモノでもありません。それができる程器用であれば、ハナからウマく世を渡っている筈であります。(笑)
とりあえずは、今手がけている仕事を続けながら、広く世間を見て周ろうと思っております。北海道は、深く見ようと思えば中々広い土地であります。いくら時間が有っても足りないような気にさえなってしまいます。だからこそ、楽しいのかもしれませんが…。
最近、地方を回っていていると、常に新しい発見が多々ございます。
この土地のメインの産業は何か。
この土地では、この野菜・果物がとれる。
この土地では、どんな魚が揚がっているのか。
この土地では、余所者を歓迎する。
逆に、この土地では余所者を受け入れない。
などなど…
結構世間を知っているつもりだった私ですが、知らない事だらけであります。
仕事がウマく行く行かない以前に、ただ単純に『知る』という事が大きな楽しみになっております。『知る』事に楽しさを覚えた人間を過去に何人も見てきましたが、これはある意味で麻薬中毒患者みたいなものでございます(笑)。知りたい知りたいという気持ちが先行して、ぜっかく得た知識を使うという事を忘れてしまう人間が多いのです。学者に多いですね。だから『学者バカ』なんて言葉もございます。そうならないように気をつけたいと思っております…
いろいろな土地を知り、内情を知り、いつか生産者と深く関わる仕事をしたいと思っております。
今の世の中は、銭が正義。全ては、商人の都合で成り立っております。作っている者よりも、それを売らせてもらってる者の方が儲かっているんじゃ話しになりません。なので、生産者を第一に考えた商売をいつか実践してみたいと考えているのです。
具体的な事は、まだ何も思いついておりませんが…(汗)
たくさん御心配頂いておりますが、表でも、裏でも、どんな業界でも、人間が生きるスタンスにそれほど大差はございません。
どの業界に身を置こうとも、根っこの部分は一緒でございます。
これからも、図太く同じ姿勢で生きていこうと思っております(笑)
ある意味落ち着きましたので、最低でも週イチ位のペースで更新したいと思っています。
思っているだけですが…(;^_^A
御心配、並びに応援、ありがとうございました。m(_ _)m
久しぶりの更新です。
数多く、安否を気遣うメールをいただきました。
ありがとうございました。m(_ _)m
恥ずかしながら、またパクられておりました。
今回ばかりは、私自身、刑務所行きを覚悟しておりました。
何せ昨年、長~い執行猶予を打たれたばかりですので・・・
この度、起訴されずに社会に戻れた事は、まさに奇跡的な事であると痛感しているしだいであります。
ここ数年、自分の中で色々と思う所がございました。
それは、私の進退の事であります。
いつの区切りをもって、この業界から身を引くべきか・・・
常に、考えておりました。
本日付をもちまして、堅気になる決意を固めました。
今のところ、兄貴分にだけその意を伝えました。
極道が嫌になったワケではございません・・・
刑務所に臆したワケでもございません・・・
いくつもの偶然が重なって、『今日が、その日なんだ』
ただ、そう思えたのです。
今日は、自らの宣言として、文字でこの気持ちを残したく更新いたしました。
後日改めまして、また気持ちを語りたいと思います。
メールをいただいた方々、掲示板に書き込みをしていただいた方々、アメブロにコメントやメッセージをくれた方々、返信が遅くなり申し訳ありません。
順次返信させていただきたいと思っておりますので、ご容赦下さい。
m(_ _)m
もの凄く、お久しぶりです。m(_ _)m
ここ2ヶ月、ずっと頭から離れない事があるんです。
悩みと言いますか、心配事と言いますか…
個人的には、大小を別にして日々喜びも多々ございます。
前回記事にした誕生日なども、その中の一つです。
小さな喜びを日々貪欲に見つけよう、という姿勢には変わりございません。
しかし、一つの大きな心配事がある所為で、テンションが上がり切らないと言いますか、手放しで心から笑えない日が続いているのであります。
家が近所で、小学校からの友人がおりまして…
彼が、大きな事件を起こしてしまったのです。
夫婦喧嘩で手を上げてしまったのですが、当たり所が悪く嫁さんが亡くなってしまったのです。
どんな理由があろうと、人を殺めるという事はとんでもない事であります。
私らみたいな者が、口にするのも変な話ですが…
小学校からの友人と言っても、親友と呼び合うほどの親しい関係ではございません。
しかし、事あるごとに顔を合わせる機会も多くありましたし、仲の良い友達であることには間違いありません。
そして何よりも、ガキの頃からの友人というのは、まるで『戦友』のような特別な友情で結ばれているものであります。
彼は、私なんかとは違い真面目なスポーツマンでした。
彼は放課後には部活、私はタバコとシンナーの匂いがする薄暗いゲームセンター…
学校が終ってから遊ぶ事なんて、ほとんどありませんでした。
それでも、家が近かったので朝はよく一緒に登校したものです。
別々の高校に上がってからも、ちょくちょく偶然に顔を合わせておりました。
年に数回、共通の友人の家で麻雀をやったり、酒を呑んだこともありました。
小・中よりも高校に行ってからの方が、一緒に遊んでいたかもしれません。
お互い社会人になってからは、もっと疎遠になりました。
友人の結婚式で会ったり、実家の近所のスーパーで偶然会ったり、まぁそんな程度です。
最近では、昨年行われた中学校の同窓会的な集まりで会ったのが最後です。
彼は、ガキの頃から変わらない笑顔で、陽気に酔っておりました。
実に良い人柄で、人に嫌われるなんて事はまず無いような男です。
友達思いで、家族思い、子煩悩な良い父でもありました。
私と同じ床屋に通っておりまして、こんな道を選んだ私の事を随分と心配してくれていた事を、床屋のオヤジから聞かされておりました。
休みの日には、子供の小学校で子供達みんなにサッカーを教えたり、PTAの活動などにも積極的に参加しておりました。
仕事にも勤勉で、高卒以来ずっと一つの会社で、とにかく真面目にやっておりました。
地元ではちょっと知られた会社でして、努力の甲斐あって高卒のクセにもうすぐ取締役という話まで出ていたのです。
若い頃には、驚くほどの安月給で苦労していましたが、今では仕事も家庭も順風満帆だったのです…
事件は深夜に起きて、その日の昼のニュースで大々的に報道されました。
事件の一報を、昼のニュ-スで見た同級生から聞きました。
考えもしなかった事でしたので、愕然といたしました。
その後も、次々と私の所に同級生からの電話が殺到いたしました…
出先で一報を受けた私は、とりあえず地元の警察署に電話しました。
しかし、彼の身内でも無い私に電話で詳細を教えてくれるワケがありません。
その日は、何も情報が入りませんでした。
私事を片付け夜中に帰宅した際、ネットで地元のニュースを確認いたしました。
彼の家が画面に映った時に、間違いない事を確信しました…
次の日に警察署に出向き、窓口で詳細を教えてくれという事を伝えましたが、やはり身内ではないので何も教えてくれませんでした。
そのまま、上の階の1課に行きました。
傷害に絡む事件の担当は刑事1課なのです。
知った顔の係長がいたので事件の事を訊いたのですが、歯切れの悪い答えしか返ってきませんでした。
だんだんイライラした私は「小学校からのダチなんだ。状況ぐれぇ教えろや!」と怒鳴ってしまいました。
幼馴染と知った途端、係長の表情が変わり「あそこのファミレスで待っててくれ。もうちょっとしたら抜けていくから。」と。
そして、大まかな事件の概要を聞かされました。
それからも、友人たちから色々な情報が集まってきました。
恐らく夫婦喧嘩の原因は妻の浮気である事。
その事で、彼が昨年から悩み続けていた事。
彼が、何度も離婚を提案していた事。
事件当日も、帰りの遅い妻を心配していたんだそうです。
「仕事が大変だったら、いつ辞めたって良いんだからね。」と、何一つ疑わずに…
そしたら、妻がとんでもない事を言い、携帯を見るととんでもないメールが…
昔から、彼が人を殴ったなんて話を一度も聞いた事がありませんでした。
彼の人柄を知っている者には、いきなり信じられる話では無かったのであります…
現在、彼は5月に開かれる初公判を待って、拘置所で過ごしております。
真面目な人生を送ってきた彼は、たかだか留置場すらも経験した事がございません。
私は今までパクられた人間をそれほど心配した事がありませんでしたが、今回に限っては心配で仕方が無いのです。
悪い奴と同じ房になってないかなぁとか、読む本あるかなぁとか、思いつめてないかなぁとか、初めての牢屋で日々眠れているのかなぁとか…
毎日考えてしまいます。
私に直接言う者はおりませんが、人を殺したんだから辛い目に遭って当然だろう…と言う人間がたくさんいる事も知っております。
まぁ、当然の意見であると思います。
しかし、私にとっては、ただの気の良い友達なのです…
少人数で中学の仲間を集めて、事件の内容と、現在の状況とを報告いたしました。
彼をどうやってサポートするか、という話し合いも兼ねております。
私らは、それぞれに色々な事実を集めました。
浮気の相手や仕事先、彼の当日の足取りや事件に至った経緯まで…
それぞれに、色々な意見も出ました。
「彼が妻を殴った気持ちも解かる。しかし、やり過ぎた事は良くない。」
「自分が同じ立場だったら、やっぱり殴ったかもしれない…」
「どんな事情があっても、殺したのは良くない!」
「妻が浮気する原因が、彼にもあったかもしれない。」
「夫婦喧嘩はお互い様だ。殴ったのは絶対に悪い。」
延々と7時間も皆で話し合いました。
色んな意見が出ながらも、結局全員で嘆願書の署名を集め、連絡を取り合いながら時間がある者は面会に行く事や、現在のサポート体制、出所後のサポートなどを約束しました。
ナンだカンだと言っても、皆友達です。
こんな時の気持ちは同じなのです。
私は子供の頃、まさか自分がこの道を選ぶとは思っておりませんでした。
そして、こんな事を言っていたのです。
「誰かが年少に行こうと、将来ヤクザになろうと、銀行強盗になって人を殺したとしても、友達は友達だ。あまりにもヒドい事をして許せないと思っても、バッタバタぶん殴る事はあっても、やっぱり友達はやめないと思う。」
同級生が皆この事を覚えていてくれて、そして同じ気持ちでいてくれた事を嬉しく思いました。
やはり、ガキの頃の友達は、いくら離れていても特殊な絆があるのだと思います。
彼の面会に行った時「最初は毎日、死にたい、死にたい、ってそればかり考えていた。だけど皆が来てくれて、今は行きたいと思ってる。一生かけて罪を償いたいです。ありがとう、ありがとう…」って、泣いておりました。
彼からもらった手紙には、妻を誰よりも愛していた事、今でも妻とやり直したいと思っている事、子供を愛している事、などが切々と書かれておりました。
切ないほどに純粋で真面目なヤツなんです…
彼の手紙は、こう結ばれていました。
「社会に戻りましたら、子供達を立派に育てたいと思っています。そして、友達の大切さを教えたいです。」
社会に戻っても、彼が親に戻れるのかはまだわかりません。
彼の両親や妻の親族も、彼を許してはおりませんから…
少なくとも彼に判決が下りるまで、私らのモヤモヤが消える事は無いでしょう。
私はただ一友達として、彼が一日も早く戻ってくる事を願っています…