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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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またイカレ宗教の所為で、悲しい事件がありましたね。
信仰・・・、これは結構大切なものだと思うんです。何かの宗教を勧めるとか、神様って素晴らしいとか、そんな類の話ではございませんのでご安心を・・・。

信仰とか宗教というのは、人間がより良く生きていくための道具だと思うんです。ん~、道具というか、教科書というか、マニュアル的なものというか、まぁそんな感じですね。人間がより良く生きる・・・、これは周りと上手く調和して共生する事だと思っています。

宗教なんてものは、崇める対象が違うだけで基本的には皆同じような事を言ってるものなんです。仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、神教であれ、木っ端みたいな宗教であれ、どれも似たようなものなんです。

今、自分の置かれている環境に感謝して、周囲の者に感謝して、共に手と手を取り合う事を忘れずに暮らしなさい。大雑把に言えば、だいたい共通してこんな内容です。普通に良い事だと思います。そして、人間そうあるべきだと思います。

なぜ宗教と呼ばれる代物は、神様的な目に見えない大きな第3者を必要とするのでしょう。それは、神様の言葉を代弁するという形をとる事で、大勢の人達に解かりやすく話をできるからなんです。それが自然と現在のような形になってしまっただけの事であります。

神様という存在を創りあげる事で、色々な事を簡単に教える事が可能になります。例えば、ピーマンが大嫌いな子供がいたとします。「栄養学的にピーマンというのは人間に必要な栄養分を多量に含んでいるんだから、効率的に栄養を補給しようとするならば、他の物で補うよりも少量のピーマンを摂取するほうが、割に合うんだよ!」と言うよりも「ピーマンを食べないと神様に怒られるよ。バチが当たるよ!」と言った方がずっと楽なんです。

猿が立ち上がった程度の頃の人間には、学問など無かった訳です。今のように思考能力も発達していないし、屁理屈を中心に生きていた訳ではないんです。その中で頭のいい奴が、皆が仲良く助け合って暮らしていく為に、それを人々にうまく説明する為に考えたのが『神様』なのであります。

なぜ人は人を殺しちゃいけないんでしょうか。なぜ人は人の物を盗んではいけないんでしょうか。上手に理論立てて説明するのは難しいですね。しかし、どちらも人としてやっちゃいけない事には間違いありません。

人殺しもアリ、盗みもアリ、世の中何でもアリだったらどうなるでしょう。油断すれば何をされるか解かったもんじゃありません。誰も信用できないし、ゆっくり眠る事もできません。そして、人類と言う種で考えても、何一つ発展創造する事がありません。

そんな思いをして、ビクビクしながら暮らすのはお互いに嫌であります。私も人は殺さないし、盗みもしない。だから、静かに眠れて、豊かに食えるように協力し合ってやっていこう。そういう思想が芽生えたからこそ、今の人間社会が在るんです。

しかし、腕っ節の強い連中には納得がいきません。何でもアリの状況でも、全然困らない訳ですから。そこで、人間なんぞがいくら束になっても敵わない無敵の存在が必要になるんです。それが、『神様』なんです。

見知らぬ土地に行って、地図も無く道を行くのは怖いものです。それと同じで、知らないものや知らない世界に人間は恐怖感を持っているのです。死後の世界なんてのは、その代表みたいなものであります。

人を殺した人間は、死後『地獄』に行くんです。どんな恐ろしい世界なんだか具体的には解かりませんが、それはそれは恐ろしい所だと…。逆に人を助け、物を分け与えた人間は、死後『天国』に行くんです。花に囲まれ飲み・食い放題、病も悩みも無い、楽しさと幸せだけの世界です。

誰がそんな事を言ったんだ?誰が教えてくれたんだ?となった時に、「隣の村の村長だよ。」って事じゃ説得力がありません。「あんな俺より弱い奴の言う事なんて信じられない。」という人間も出てくる筈です。じゃあ誰が『天国』だの『地獄』だのと言い出したのか・・・。

唯一全ての世界を支配している『神様』が言ったんです。
『神様』を創りあげる事で色んな説明が可能になります。特に、天災や自然現象です。大洪水、大地震、大火災、台風、火山、落雷、全部『神様』の怒りです。作った町が滅びれば、ここに町を作った事を神様が怒ったんだと言えばそれまでです。

『神様』は無敵じゃなければなりません。ちょっと怒れば全てが埋まってしまうような砂嵐を起こします。山も沈むほどの大洪水を起こします。どんな病気も治します。神の子は何度殺したって生き返るんです。もう、言ったもん勝ちです・・・。

人間は知らない物が怖いんです。見えないもんは、知りようがありません。見えないんだから攻撃しようがありません。そりゃあ、無敵ですよ。その無敵の『神様』が言った事を守らなければ、どんな罰を受けるか解かったもんじゃありません・・・。

『神様』がこう言ってるんだから、殺し合うのをやめましょう。盗みをやめましょう。助け合いましょう。じゃなきゃ、『神様』に怒られちゃうよ。秩序ある社会を作るために、自然発生的にできた考え方、これこそが『宗教』なんです。解かりやすく、多くの人々に説明するために・・・。

順番こそ違えど、世界各国で同じようなやり方を考え出した人達がおります。残念ながら『神様』は、誰にでも語ってはくれる訳ではありません。『神様』の教えを聞いた人達は、キリスト、ムハンマド、ブッダ、なんかが有名ですね。まぁ、他にもいっぱいいます。

彼らは実在もしない『神様』を語った嘘つきなのでしょうか。まぁ、ぶっちゃければ嘘つきなんでしょうが、私は『良い嘘』だと思っています。嘘と言うよりも、人が助け合い共存する方向へ進むための、一つの手法だったんだと思うのです。人をコントロールして支配者になろうとしていた訳では無いような気がします。

キリスト教・イスラム教・仏教の三大宗教と呼ばれるものは、どれも内容に共通点が多いんです。同じ神の僕同士、助け合って生きていく事。無益な殺生は良くないという事。人間にはどうする事もできない事があるという事。良い行いをした者は、次の世界で報われるとい事。本当に、似たような事であります。

どの宗教も、平和と共存を訴えているんです。よそ様の宗教をやっつけろ、なんて経典はどこにも無いんです。イスラムもコーランに明言はしていません。じゃあ宗教同士で戦争になっているのは、ありゃ何なんだという話になります。平和もヘッタクレもございません。

宗教が生まれたのは、遠い遠い昔の事であります。今のように長距離の移動を簡単になどできません。その頃は、海の向こうに人が住んでいる事すら互いに知らなかったんです。海の向こうでも同じように、『神様』を創りあげる事によって平和な社会を作ろうとした奴がいるなんて、想像しなかっただけの事です。

いつか異民族と接触する事を想定していたのなら、もうちょっと違う『神様』を創っていたと思うのです。例えば、同等の力を持った『神様』が他にも20人位いるんだ・・・、もし他の神の子達に会ったら仲良くするように・・・って感じでね。最初からそういう風に設定しておけば、異教の者と出会った時にも「あー、お前らの神は20人位いる中の1人だな。ウチの神様から噂は聞いてたよ。よろしくね。」なんて話で終るんです。

それぞれの宗教が、唯一絶対の神を作ってしまった事が失敗の原因なんです。だから、「お前んトコの神は偽物だ。」「偽物のクセに神を語るなんて太ぇ野郎だ。」「嘘つきをやっつけろ!」なんて事になってしまうんです。まぁ、地球にこんなに人がいるなんて知らなかったんだから、仕方が無い事なんですが・・・。

そう考えると、神教ってのは偶然にも上手くできてますね。どんな物の中にも神様がいる、米粒一つの中にでも・・・、って素敵な考え方ですよ。さすが日本人ってトコです。


長々と語ってしまいましたが、要するに『神様』なんて居ないんです。力一杯、言い切れます。しかし、宗教は悪い物ではないんです。矛盾しているようですが宗教の教えには、より良く生きる為の知恵や、心の負担を軽くする為の知恵が、たくさん詰まっております。まぁ、神の存在云々は別としての話ですが・・・。

戦後の宗教という物を考えてみて下さい。創価学会、霊派の光、真光教、生長の家、オウム、幸福の科学、統一教会、法の華・・・etc、あぁ~キリが無いっ。今回の紀元会もそうです。全部インチキ宗教です。宗教と呼ぶのすら考えもんです・・・。詐欺集団です。

これらの如何わしい団体には、必ず『教祖』がいるんです。『教祖』がパワーを持っていて、それを崇めるなんてぇのは宗教でも何でもありません。キリストは一財産稼いで城に住みましたか?ブッダなんて教えを広めるためにドサ廻りをしていて、ナマズ料理にアタって死んだんですよ。

金を集めろ!なんて言った創始者はいないんですよ。
三大宗教も後から受け継いだ者達が、銭を集めるようになったんです。そこから何かに気付いた者達が『宗教』を語り、銭儲けをしているんです。ただの営利集団なんです。騙されちゃあイカンのですよ・・・。

だいたいにして『教祖』ってぇのは、どんな奴ですか。手前ぇの事を神だと思ってる人間ですよ。いますか?普通・・・。私の小学校や中学校には「僕、実は神なんですよ。」なんて馬鹿は1人もおりませんでした。生まれた時から神じゃ無いのなら、いつどこで神になるんでしょう。大人になってから、ふと気付くんでしょうか。馬鹿言っちゃいけない・・・。

自分の事を『神』だなんて言う奴はキチガイなんです。献金やら、何かを買えなんて言われるのは、宗教じゃなくて詐欺なんです。何ちゃらパワーで奇跡を起こすなんてのは、ただの子供騙しなんです。宗教の教えは、自宅で本を読めばちゃんと理解できるんです。集会なんぞに参加する必要はないんです。

絶対に引っ掛からないで下さい。


宗教の教えというのは、先人達の知恵なのです。
助け合い、より良く生きる為の知恵なのですよ・・・。

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あっ・・・
このブログではドライフルーツの話をしていませんでしたね。

最近、縁あってアメブロに登録したので、そっちでもブログを書いてるんです。
日々のしょうもない話なんですけどね・・・

「ドライメロンって何ですか?」というメールをいただいて気がつきましたが、携帯からはリンクの欄が見れないんですよね。

こっそりリンクに追加してたんですけど・・・、まぁ忍者ツールがアレなんだという事で・・・。

携帯の人用にリンクを改めて載せておきます。

60億ブンノ私
私がブログを始めるきっかけになった人です。彼女の優しい文章が大好きです。

雨天の日本に虹を架けよ!
管理人の二代目弥右衛門という方は、とても尊敬できる人です。

姐さんのつぶやき日記
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おんぷ草 ♪on-pu-so
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雲・・・月・・・【BBS】
うちの掲示板です。常連さん少ないですが、良い人ばかりです。使ってみて下さい。もちろん私もお答えします。

神谷さんの隠れ家
自分に『さん』を付けるなよっ! 
ま、まぁ、いいじゃないですか・・・
ここに載せたら『隠れ家』じゃ無ぇじゃねぇか!
ま、まぁ、いいじゃないですか・・・
内容はくだらないんですけどね。
ま、まぁ、いいじゃないですか・・・
あ、遊びに来て下さい。m(_ _)m

今日は久々にスカッとした天気でした。

ここ数年、よほど忙しくない限り一日に一度は実家に顔を出すようにしております。時間はバラバラですけどね…。寝たきりになってしまった祖母の顔を見る為と、その介護をしている母の話し相手をする為です。

祖母はもう私を認識できません。祖母の記憶の中の私は、まだ小学校に上がりたての可愛らしい時点で止まっているようです。私の事をどっかの親戚のオッサンだと思ってます・・・。たまに名前を呼んでくれたりするんで、まぁ良いんですけどね(苦笑)。

祖母を風呂に入れる時だけ業者さんが来てくれます。それ以外は全て母が独りで看ております。なかなかできる事じゃありません、立派な人です。長い時間家を離れる事ができませんので、ご近所さんとサラッと世間話をしたり、妹と軽い長電話をする程度しか会話がありません。

だから、私が話し相手をしにに行くわけです。「今日は、おばあちゃんが大声で騒いで大変だった。」「今日は、おばあちゃんの体温が低くて心配だ。」なんて話を、ただ「うん、うん」と聞くだけなんですけどね。人間には、愚痴を言う相手や、捌け口みたいな物が必要です。それが、無けりゃパンクしてしまいます。

今日は午前中に1件用事を済ませ、昼頃実家に行きました。実家の近所にはアホみたいに大きな公園があり、そこの木々が色づいてきたので写真を撮ってきて欲しいと言われました。普段から花の写真を大量に撮らされております。撮ってくるのは一向に構わないのですが、何分公園が広いもので「どこら辺よ?」という話になります。

いまいち場所の説明がよく解かりません。祖母も眠っているようなので、「ちょっと一緒に行くべ。」という事に・・・。普段一緒に買い物には行くのですが、散歩というのは妙に久しぶりであります。なんか変な感じです。

マンションができたり、新しい家々が建ち、住人も随分変わっております。歩いてみると、気がつく事がたくさんあるものですね。近所のコンビニに行くにも車を使う私には、ちょっと新鮮な感覚です。

昔からのご近所さんは、相変わらず庭いじりの手を止めて声をかけてくれます。
「あれぇ、来てたのかい。親孝行だねぇ(笑)」近所のバァちゃん
「おー、生きてたかい(笑)。」私
「すいませんねぇm(__)m。口が悪くて…」母
「いいの、いいの(笑)。大根持ってくかい?」近バァ
「ん~、大根はいらんなぁ。何か他に良いもんないのか?」私
「すいません・・・m(__)m」私の腕を叩く母
「じゃあジャガイモ持ってくかい?掘ったげるから。」近バァ
「おー、ジャガイモ好き♪今公園行ってくるから後で頂戴♪」私
「本当にすいません・・・m(__)m」母真っ赤

この後も何人か近所のご老体に会ったんですが、私はずっとこんな感じです。私と歩くと、いつも謝ってばかりの母・・・。中学からずっとです(汗)。「不思議だねぇ。あんたは昔から年寄りに人気があるよねぇ。ホントに不思議だねぇ・・・」と言って笑います。

公園でチャチャっと写真を撮って帰る途中、散歩中の犬に鬼のように吠えられました。
「犬は悪い人がわかるんだねぇ。捕まるような・・・」
「・・・・・・・」聞こえないフリ(汗)。
そこで、パンパンパーンと爆竹の音。
「うるせぇっ!くそガキぃ!」と怒鳴る私。
母は笑っておりました。

帰り道にさっきのバァちゃんにジャガイモをたんまり貰いました。
「こんなに貰って良いのかよ?」私
「いいの、いいの、うちは誰も食べないのよ。」近バァ
「じゃあ違うもん作ればいいだろ。(笑)」私
「す、すいません・・・m(__)m」母


な~んか、久しぶりに良い時間を過ごした気がいたします。たまに散歩も良いもんです。こんなタチの悪い息子と一緒に歩いてくれる母にも感謝しております。やはり、どんな息子でも息子は息子なんでしょうかねぇ・・・。


親は偉大であります。


明日、イモをくれたバァちゃんには『ドライメロン』をあげようと思います。干したメロンだと教えたらビックリする筈です。(笑)

最近かなり頻繁に、色々な相談のメールをいただきます。
恋愛、学校での事、仕事、旦那の浮気、人間関係、私共の業界の人間とのトラブル、色んな悩みです。私は元々相談をされるタイプですし、苦ではありません。なるべく私なりに真剣に考え返信するようにしていますが、実際どうなんでしょう…。お役に立てているのでしょうか…。

私のような者が人様の役に立てるのであれば、それは嬉しい事であります。しかしながら、私の職業も忘れないでいただきたいのです。私は正義の味方ではありません。法も破れば、人を泣かせる事もございます。そんな者の意見で良ければ、喜んで返答させていただきます。

先日メールをいただいた方に「答えは自分の中にある筈です。」と答えさせていただきました。当たり前と言われれば当たり前の事なのでしょうが、とても大切な事だと思っています。


『己こそ己の寄るべ…』
全ては自分の中にある…、以前に記事にした事もありますが、昔中学校の先生に教えていただいた事なのです。私の中で、とても大切な『恩師からの教え』であります。
http://kumotuki.blog.shinobi.jp/Date/20061021/1/

例えば従業員がたくさんいる会社で、10人を一列に並べてまとめて怒るとしましょう。上司の説教が終った後、10人はそれぞれどんな状態になるでしょう。奮起して頑張ろう…と意欲を持つ者、全く気にせず笑っている者、ただ面倒臭そうな者、思い切りテンションの下がる者、自分は能無しなんだとひどく凹む者、人それぞれの反応をする筈です。

まぁ、十人十色といったところですが、大きく分けると2つに分かれます。悩む者と、悩まない者…。全員まとめて説教した筈なのに、なぜ差がでてしまうのでしょう。繊細な者と無神経な者、まぁ一概にそれだけではありませんよね。ただ単に無神経な人っていうのは生きていく上で少し楽かもしれませんね(笑)。

なぜ同じ状況下で、悩む・悩まないの差がでるのでしょう。私が見てきた方々(当然私も含めて)の事を考えますと、『ゆとり』が足りない時に人は悩むのではないか…そう考えております。この『ゆとり』という言葉がまたマルチ過ぎて少々厄介なのですが・・・。

時間のゆとり・金のゆとり・気持ちのゆとり、ここら辺が代表的なものでしょう。それぞれ、ゆとりが足りないとイラッとしたり、ドヨ~んとしたりするものです。それじゃあ、ゆとりを持って暮らそうか・・・と思っても、そう簡単な事ではございません。

時間にゆとりを持とうと思っても、仕事をしていれば自由な時間は限られてしまいます。銭のゆとりに至っては、自分の思い通りになりゃ誰も苦労しないって話です。時間も難しい、銭も難しい、じゃあ気持ちならどうだ・・・という事になります。

『己こそ己の寄るべ・・・』、内なる自分こそが一番頼りになる存在なんだ、と言えるところまで自己の心身を鍛える事が大切だという教えであります。誰かを頼った生き方をすれば、失敗した時、うまくいかなかった時に、ついつい他人や環境の所為にしてしまうものです。あの時、あの人が助けてくれれば全て上手くいったのに・・・。これは、良くありません。

理解はできるんですが、鍛えるという事は実際大変な事であります。鍛えるには時間もかかります。ただでさえ時間にゆとりが無いのに、これじゃ本末転倒です。貧乏から脱却するには資本金1千万が必要だよ・・・、と言われているような話です。1千万用意できるなら貧乏じゃないし・・・。

自己を鍛えもせずに気持ちのゆとりを作る・・・、難しそうですね(汗)。ところが、実はそうでもないんです。気持ちにゆとりが無いのに、そこで踏ん張ろうとするから尚の事ツラいんです。要は一回、行き着くところまで行きゃあ良いんです。ググッと、どん底まで・・・(笑)。

ちょっと禅問答のようになります。
悩む・・・、たくさん悩む・・・、たくさん悩みがあれば悲しい・・・、すんごく悲しい、ああぁ・・・。悩みが増えれば悲しくなるし、どんどんそこから抜け出せなくなってしまいます。深い悲しみを想像して下さい。例えば、身内の死・・・、最愛の人の死・・・。

大きな悲しみに遭遇した時、人は何をするのか。そう・・・、泣くんです。ほとんどの場合、どんなに大切な人が亡くなっても、5日も泣けば徐々に泣く間隔も広くなり、飯も少しずつ食えるようになり、いずれ立ち上がる事ができるのです。そういうものなんです。私にも経験があります。

悲しみは必ず薄らぐものであります。もし薄らぐ事無くずっと蓄積されていけば、人間はそれに耐え切れず生きていく事などできないでしょう。子供の頃の悩みや悲しみを、今になって思い出してみて下さい。何であんな事で悩んでいたんだろう・・・、と思う事はありませんか。もしそう思うなら、悩み・悲しみが薄らいだ証拠であります。

行き着くところまで行けば良いと申しましたが、じゃあどうすれば良いのか。泣きゃあ良いんです。どうせ悩んで悲しくて最後にゃ泣く訳ですから、先にパパッと泣いてしまいましょう。どんな方法でも良いのです。唐辛子を目に入れるとか、コショウを吸い込むとか、物理的なものは無しですよ。

感情的に思いきり泣ければ、方法は何でも構いません。悲しいDVDを観たり、泣けるマンガを読んだり・・・。その際、中途半端な物ではなく、必ず思いきり泣ける物を選んでください。私はちょっと前まで『シザーハンズ』と『ジョーイ』なんかを観ていました。最近はドラマの『1リットルの涙』を観ています・・・(汗)。

なぜそんな行動をするかというと、それは人間の持っている機能というか、仕組みの話になるのですが・・・。例えば、イタリアのとんでもなく美味しそうなスウィーツをテレビで観たとします。そのスウィーツを食いたくて食いたくて仕方がない。しかし、それはイタリアに行かなければ、食べることができません・・・。

即飛行機で飛んで行けりゃ良いのですが、なかなかそうもいきません。じゃあ、どうする?・・・代わりに近所で似たような物を食う訳です。そうすると、イタリアのスウィーツを食いたい衝動がピークだった時よりもグッと下がっている筈なのです。完璧にその衝動が無くなる訳じゃないんですけどね。

人間には、似たような代わりの行動をする事で、錯覚を起こし上手く誤魔化してしまう機能が備わっているのです。食欲だけの話ではありません。現実世界で恋愛が上手くいかなくても、アイドルや俳優を追いかけることによって、人を好きになる気持ちをスリ替えたりもできるのです。

コスプレやら格闘ゲームなども、ヒーローやヒロインになりたい願望の代替行為のようなものでしょう。服装でも、コピーブランドを身に着ける事によって、多少の満足に替えることもできるでしょう。しかし、所詮は『代わりの行為』ですから、それだけでは本当の満足は得られません。

『代わりの行為』は、上手に使えば良い精神衛生になりますが、使い方や方向性を間違えると、オタクやら精神病やらになってしまうのでご注意下さい。なるべくであれば、現実社会で恋愛を成就させ、身体を鍛えて強いヒーローになり、ブランド物が欲しければ仕事を一生懸命する、という方向を目指すようにしてください(笑)。

さて、『泣く』という行動に話を戻したいと思います。先にお話した通り、悲しみがある到達点に達した時に人間は『泣く』訳です。じゃあ泣いた後には、どうなるのでしょう。一回底まで行ってきたのと同じことであります。一回底まで行けば、後は上がるだけですよ(笑)。

また、馬鹿なヤクザ者が訳の解からん事を言い出した・・・とお思いでしょうが、最近では脳の研究をしている学者が同じような事を言っております。彼らは『泣く』という行為は、リセットと同様の機能を持っている・・・と言います。定期的に泣く事で、強烈にストレスを解消できるらしいのです。

学者と意見が合うのは少し癪にさわりますが、彼らに同意いたします。思い切り泣いた後には、少しだけ気持ちにゆとりができているものです。ほんの少し気持ちにゆとりができた後、もう一度悩み事と向き合ってみたらいかがでしょう。


悩み事のある方々、一度騙されたと思ってリセットボタンを連打してみて下さい。泣いて泣いて、そりゃもう徹底的に泣いてみて下さい!


きっと、悩み・悲しみが薄らいでいる筈です・・・。

とうとう負けてしまいました…
さ、さ、寒さに…
毎年、暖房を点けるとスゴ~く負けた気分になります…
そんなこんなで暖房を点けてしまいました。

北海道弁では「ストーブを炊く!」と言います。薪(まき)じゃねぇんだから炊いちゃダメだろ…と思うかもしれませんが、我々道産子としてはストーブは炊くものなんですよ。ファンヒーターであろうが、ハロゲンヒーターであろうが、『ストーブ』と呼びます。さすがにコタツはストーブとは呼びませんが…

今年の夏は檻にブチ込まれて、ただ暑い思いをしただけで、あっと言う間に終ってしまいました。社会に戻ってバタバタとしている間に、もう冬であります…。

何でこんなに温度ちがうのよ…(-_-;)
津軽海峡を渡っただけでナゼここまで気温に差がでるんだろう…。毎年この時期、天気予報で全国の気温を見ては同じ事を思います。「朝晩寒くなってきたのでご注意下さい。」という女子アナの言葉に、「お前ら、まだ夏みたいなもんだろがっ!」とテレビに独り言をカマすのも、毎年の決まり事です。(笑)

道産子はストーブ以外にも炊く物がございます。『ご飯』じゃありませんよ。それじゃ普通すぎますから。答えは、な、な、なんと『エアコン』であります。北海道民の多くは「エアコンを炊く!」という表現を使います。

「あ~ぁ、暑いな…、ちょっとエアコン炊けや!」
こんな感じで使います…(;^_^A

「えぇ?今、何て?」
本州の人が聞くと、大抵固まってしまいます(笑)。ストーブは炊くわ、エアコンは炊くわ、ご飯は炊くわ、もう北海道民は大変であります。ご飯は普通です・・・。年寄りになると風呂も炊くし、中には車のエンジンまで『炊く』と言う人がおります。
「寒いから先にエンジン炊いとくわ。」ってな事を平気で言います。(汗)

他に有名なのは「手袋をはく。」、漢字で書けば『履く』。
本州の方々は必ず「靴下じゃないんだから♪」と笑いますが、私ら子供の頃から手袋は履くもんだと思っております。パンツをはく、ズボンをはく、靴下をはく、靴をはく、手袋もはく・・・。良いんですっ!履くんですっ!放っといてくれっ!

ゴミを投げるっ!
9回の裏ツーアウト満塁、キャッチャー緊張の面持ちで構える、ピッチャー振りかぶって第1球『投げたぁぁぁっ!』・・・の『投げる』ではありません。ゴミを捨てる、という意味で使います。『ゴミ捨て』は、北海道では『ゴミ投げ』です。これは日頃から相当な頻度で使います。

19歳の時、東京で仕事をするまで、ゴミは投げるもんだと思っておりました・・・(汗)。「そこのゴミ投げといてね。」と言ったら、埼玉人に爆笑されました・・・。あんな地下鉄も無い県民に・・・。ウシガエルだかってデカい蛙が道路に飛び出してくるような所から通勤している人間に・・・。ちっ・・・。

埼玉の田んぼ星人には笑われてしまいましたが、私はこれからもストーブを炊き、エアコンを炊き、手袋をはき、ゴミを投げ続けて生きて行きます。


負けるな、北海道弁っ!(^o^)/ォー

気にしたら負けだべ!(^o^)/ォー


とりあえず今日、寒さに負けてストーブを炊きました・・・(-_-;)

昨日、『たかじんのそこまで言って委員会』を見ていましたら、死刑についてかなり熱い議論が行われておりました。死刑には以前から思うところがありましたので、そのお話をしたいと思います。まだ、前回の続きも書いていないのに・・・(汗)。

結論から言えば、私は死刑制度には賛成です。必要不可欠であると考えています。しかし、その周辺には色々と整備していかなければいけない問題が数多くあるとも思っています。

まずは、処刑方法の事です。日本では、絞首刑が採用されています。死刑執行官という職はございません。執行当日に5人の刑務官が執行官として指名されます。当日の出勤表を見て所長が決めるそうです。明確な基準は無いそうです。執行は5人の刑務官が同時にボタンを押し、誰のボタンが反応したかは当事者達には分からないようになっているそうです。

死刑と殺人は全く性質の異なるものだと思いますが、人一人の命を終らせる事には変わりありません。その行為には、とんでもなく大きな精神的苦痛がともなう筈なのです。誰のボタンが当たりだったか分からないからといって、その苦痛が薄らぐ訳ではありません。5人が同様に苦痛を感じ、その重荷を背負って生きていかなければならないのです。

「俺の押したボタンで人が死んだんだ・・・」
こんな思いが一生続くんです。いくら相手が極悪人だからと言っても、個人的には何の恨みも無い人間を殺す訳ですから・・・。人を殺す経験・・・、世の中のほとんどの人間が一生涯経験する事が無いのです。こんなに辛い事は滅多にありませんよ。

この過酷な役割を刑務官に背負わせて良いものか…、これは思案のしどころです。ボタンを押す事が、社会の正義の為なんだと思ってみても、やはり…ね。頭にこびりついて離れませんよ、実際。夢にもうなされる事でしょう…。いくら仕事だとはいえ、何も悪い事をしていない善良な刑務官に、そんな思いをさせるのは如何なものでしょう…。

刑務官の受ける精神的ダメージに対して「そういう仕事なんだから仕方がないだろう!」とか「じゃあ最初から刑務官になるなよ!」という意見を持っている方もいるでしょう。しかし、就職する時に自分が死刑を執行する可能性があるなんて普通は知らんでしょう。高校生の時に、死刑の執行官は当日ランダムに指名される・・・なんて知っていた人はいますか?

それならば遺族にボタンを押させてやれば良い、という意見もございます。それも正直考えもんであります。そうなると復讐になってしまいます・・・。復讐を法律で認めれば、世の中は大変な事になってしまいます。死刑以外でも復讐ができるように、なんて感情が爆発してしまいます。

ちょっと話がそれて行きそうなので、法律と感情の事はやめときます。

私は、絞首刑には反対なのです。刑務官に精神的苦痛をあまり与えないで済むような処刑方法を採用すべきです。例えば、ガス室です。死刑囚を薬で眠らせてから、確認窓も無い小部屋に入れて、タイマーをセットして、翌日に遺体を回収する…とか。死の瞬間に立ち会わないだけでも、かなり精神的苦痛を受けなくて済むように思います。とにかく執行官の苦痛が少ない方法を考えるべきだと思います。

ガス室の場合、死刑囚に痛みも苦しみも与えない事を不愉快に感じる方もいるでしょう。しかし、死刑が執行されるまでの間に充分罰は受けている・・・と私的には思うのです。それは、精神的な罰です。死刑執行は前もって予定日を知らせる事はありません。死刑囚本人が知るのは、執行当日の朝であります。

死刑執行の前の晩には豪華な夕食が出る・・・なんてインチキ臭い噂がありますが、全くの嘘であります。午前中に突然刑の執行を告知され、そのまま刑場に連行されるのです。死刑囚は毎日、いつ執行されるのか、その恐怖に怯えながら暮らさなくてはなりません。これは、キツいですよ。これ以上の罰は無いと思います。

死刑というものを考えるにあたって、まずは死刑囚の現状や死刑執行に至るまでの過程をきちんと公表しなくてはいけません。どんなものなのか内容を知らずに議論するのは実に馬鹿げております。政府には公表する義務があると思っています。

まず、死刑囚はどんな暮らしをしているのか?
死刑囚は刑務所にいると思っている方が多いのではないでしょうか。死刑囚は、刑務所ではなく拘置所の独居房におります。懲役刑は労働が罰になっております。だから、刑務所で労働をしなければいけません。それに対して死刑囚に与えられた罰は『死』のみなのです。それ以外の罰を与えてはいけませんので、当然労働などに従事する事はありません。

拘置所内でなにをしているのか?
何もしていません。何もできませんから・・・。刑務所ではテレビを観ることができますが、拘置所にはそんな物はありません。火曜と金曜に本を2冊ずつ借りられる事と、決められた時間内にラジオが聞けるだけであります。拘置所の独居はツラいものです。

今回私も1ヶ月半入ってましたが、かなりキツかったです。恥ずかしながら相当参ってしまいました・・・(汗)。のうのうと読書をして、ラジオを聞いて、3度の飯を食って、一体何がツラいんだ・・・と思うかもしれませんが、これがなかなかどうして・・・。情無い話ですが私なんて毎日、ここから出られるならもう刑務所に落ちてもいいや・・・と思ってました。

正直、刑務所で働いている方がよっぽどマシであります。同じ独居でもムショだと、封筒折りなんかの作業があるのです。作業をしていたら1日なんて、あっという間に終ります。拘置所の独居は1日がとにかく長いのです。拘置所の独居ほど最悪の場所はありません。あそこに長く居れば確実に人間は壊れます。

私は今回の拘禁生活で死刑囚を見ております。昔から死刑囚がここに入っているという噂は聞いておりましたが、実際に見たという話は聞いた事がありませんでした。まさか自分の目で確かめる事になるとは思っていませんでした。

私が見た死刑囚は、もうすっかりお爺ちゃんで歩くのもやっとという感じでした。パッと見では80前後だと思います。風呂の時間と診療日に廊下を歩いているのを何度か見かけました。一応は自力で歩いているのですが、人としての生気は全く感じられず、生ける屍という印象を受けました。

朝晩の点検時に呼称番号を言わなければならないのですが、声も満足に出ない様子でした。看守や掃夫の問いかけにも、本人は「はい」と言っているつもりなのでしょうが、小さく口が開く程度で声は聞こえませんでした。感情は全く消え去り、ただ生きている・・・それだけであります。あれが、『廃人』というものなんだなと思いました。

彼の場合は、刑の執行を待たずしてその命を終える事になるでしょう。彼が何をしたのか、何人の人を殺めたのかは知りません。しかし、刑罰としては考え得る限り一番重い刑罰を受けたのだと考えております。実際に首を吊られるよりも何十倍も重い刑罰だと思います。仮にこの先、彼に刑が執行されたとしても、もう何も感じない人間になっております。

現在、刑の確定から執行に至るまでの平均期間は約7~8年と言われています。裁判で死刑を求刑されている者は、刑が確定するまでの間も拘置所で独居暮らしです。刑が執行されるまでの期間も合わせると、軽く10年を越えます。人間を壊すには充分な時間であります。

それなら死刑なんて要らないんじゃないのか・・・と言う方がいるかもしれません。違うんです・・・、死刑があるからこそ執行までの期間がとてつもなく重い刑罰になるのです。鳩山法務大臣が、半年で自動的に刑が執行されるようにしたらどうか・・・なんて事を言っておりますが、それでは刑の重さが半減してしまいます。

最も重い刑罰として、現在『死刑』が存在しているのです。その存在理由は『抑止力』であると思っています。人を殺せばあんな目に遭うんだ・・・、と考えさせるのが抑止力であります。たったの半年で全てをチャラにしてやっては抑止力には成り得ないと思うのです。残酷であろうが何であろうが、重刑は必要なのです。

付属池田小事件の宅間のように、早期の執行を望む者もおります。本人が希望したからと言って早く執行したんじゃ何の意味もありません。早々に開放してやった・・・、という事と同じではないでしょうか。

死刑が執行されるまで重労働を課してこき使えば良い、と言う方もいるでしょう。しかし、私の経験上、何かやるべき事を与えられている方が精神的には楽なのです。人間はできる事を奪われていく方が何倍もツラいんです・・・。経費を考えるならば働かせた方が良いのかもしれませんが、重い罰を与えるという目的ならば現在のスタイルが良いでしょう。

死刑反対論者は代替案として『終身刑』を主張しております。終身刑を新たに制定する事には賛成ですが、死刑の代わりとするのには反対です。死刑と終身刑とでは、比較するのも馬鹿らしいほどの違いであります。

反対論者はすぐに人道的という言葉を使いますが、そもそも死刑を求刑される人達はどんな人達ですかって話です。彼らの命を救う事は人道的な行為なのではなく、彼らを厳しく処罰する事によって娑婆にいる殺人者予備軍を抑制する事、そして悲しい事件を未然に防ごうとする事の方がよっぽど人道的であります。

『見せしめ』という言葉はあまり好きではありませんが、実際必要なものだと思います。死刑を筆頭にありとあらゆる刑罰は、抑止を第一の目的に考えるべきだと思っております。更生・矯正はその次にあるべきものでしょう。


10年前と比べると、暮らしのスタイルも犯罪傾向も随分と変わっております。20年前と比べれば、もっともっと大きく変わっております。世の中は凄いスピードで変化しているのです。

刑罰や刑務所のあり方、法律のあり方、裁判のあり方、全てが本来の役割を果たせず、機能が衰えている気がいたします。世の中に合わせて調整していかなければなりません。そろそろ本気で考えなければならない時期が来ているのだと思います。

メディアは弁護士の話ばかりではなく、刑務所・拘置所の現状、現場の刑務官や囚人・服役経験者の談話などを広く公開するべきです。するべきと言うよりも、公表しなければならない義務がある。


実際の中身を知らなきゃ、議論のしようがありませんもんね・・・(-_-A

留置場では、各房に1日1回新聞が回ってきて、1人10分間だけ読む事ができます。拘置所では、新聞の回覧は無く、各個人で新聞契約をしなければなりません。そのかわり時間制限はありません。普段、新聞など読まない人もついつい読むようになってしまいます(笑)。

私が入った当初、一番世間を騒がせていたのは『ミートポーク』でございます。連日一面を飾る大活躍でしたね。確かに悪質なんですが、元来食い物屋にはアノ手の商法が多いんじゃないでしょうか。

誰も見てないと思えば、落とした物も笑顔で客に出すんです。昔からそういうものだと思えば、それほど腹も立たんでしょう。内情が明るみに出るまでは皆、美味い、美味いと食っていたのですから(汗)。騒がれていないだけで、アノ手の業者はまだまだ存在するはずです。

面倒でも出来合いの物に頼らずに自分で料理をしなさいよ・・・、という暗示のようにも思えます。材料からゴマかされる時代ですから、疑えばキリがないんですけどね。
真面目にやってる業者さんには、ゴメンなさい。m(_ _)m
あくまで、私個人のイメージで物を言っております。

次に新潟県中越沖地震・・・。
新聞の一面を見て、とても驚いたのを覚えております。昨年、友人を災害で亡くしてから、災害関連のニュースには心が痛みます。仮設住宅にお住まいの方々は、大変な不自由をされていると存じます。これから寒い季節がやってまいります。募金程度の事しかできませんが、一日も早い復興を心よりお祈りしております。

その後は参院選ですね。自民党が負けると予想していたものの、まさかあそこまで派手にやられるとは思っていませんでした。田中角栄の時代には、62議席しか取れなかったと言って責任を追及されたんですよ。37議席って、ねぇ・・・(汗)。

安倍さんから福田さんに交代しましたが、社保庁のイジり方を間違えれば次の選挙でもまた負ける事になるでしょう。逆に言えば、社保庁を徹底的にブッ叩けば選挙には勝てると思うんですがねぇ・・・。自分達にもマズい事が出てくるんでしょうね、きっと・・・。


私がいつも気になっていたのは、朝鮮総連本部の不動産売買でインチキをやった緒方重威だかというジジイの事です。このジジイ、元広島高等検察庁検事長でその後公安調査庁長官も務めた人間です。実は私、警察以上に検事という人種が大嫌いです・・・。事件の内容よりも、元検事が檻に入っているという事に興味があるのです。

一般の皆様は、刑事や検事というものをどのくらい正しく認識されているのでしょうか。ドラマや映画とはまるっきり違います。例えば、刑事の仕事の大半は書類の作成です。もちろん聞き込みやらなんやらの捜査活動はしておりますが、それ以上に書類書きの方が圧倒的に多いのです。

皆、捜査員に憧れて刑事を目指すのですが、そこにドラマで見たような仕事はございません。自分がやりたい捜査なんて一切できませんしね。まぁ、本人達が一番悩んでいるようですね。多くの者が、こんな仕事だと知っていたら刑事になんてならなかった・・・と言っております。だから、奴らは酒を呑んでも愚痴しか言いません(笑)。

実際私の時なんて、取調べ中にも自分達の愚痴ばかりであります。刑事がヤクザに愚痴をこぼして「ひどいと思わない?」なんて言ってるようじゃ・・・ね(笑)。コントですよ、コレじゃ・・・。

検事となると、これまた特殊な職業で、一般の方々の目に触れる事がほとんどありません。まぁ、人数も極端に少ないし、外に出る職ではないですからね。・・・とは言っても、大変重要な職業ですからもう少し何をしている人なのかという事を世に公開する義務があると思うのです。

検事の仕事は、事件のつじつま合わせであります。捜査員から上がってきた書類を元に、一つの事件として一連の経緯(背景、動機、手法、結果)を整理して、公判で使う書類を作成するといったものです。捜査員が用意した情報を組み立てて、被疑者を有罪に導くのが検事の仕事で、やはり書類作成がメインとなります。

映画やドラマのように、検事が現場の検証をするなんて事は殆どございません。検察庁内の自分の部屋に被疑者を呼び、被疑者の確認をとりながら供述調書の作成をします。特殊な事件で無い限り、1人の面談に要する時間は1回1時間程度、起訴に至るまで3~4回が普通です。検事にはそれぞれ助手がついており、検事が文章を考えて口述すると助手が即座にPCに打ち込み印刷するのです。要するに書類作成と言っても、その実務の殆どは助手がやっている事になります。検事はほぼ純粋な頭脳労働ですね。

皆様がイメージしている検事像は、現場や事件背景をくまなく調べあげ、法廷で弁護士と論争を繰り広げている姿ではありませんか。1人の検事が事件の最初から捜査に参加し、なおかつ法廷にまで立つなんて事はまず有り得ません。被疑者や捜査員に直接会い調書を作成した検事は、その件で法廷に立つ事は無いのです。

法廷に立つのは、俗に言う『公判検事』であります。調べの段階には、一切タッチをしておりません。ですから被告人や証人とは、法廷で初めて対面する事になります。公判検事は書類でしか事件の内容を知らないものなのです。

公判での検事の仕事は、自分の所に流れてきた書類だけを元に被告を有罪に持ち込む事です。なんとかして有罪に持っていこうという姿勢には全く異論がございません。検事がそれを目標にしなければ、裁判制度自体が崩壊してしまいます。しかし、調べと公判を分業にしてしまう事には大いに反対であります。

供述調書という物は、取調べ内容が100%反映されている物ではございません。例えば、Aさんという人が5人で詐欺をやらかしたとしましょう。皆それぞれバラバラに逮捕されたとします。Aさんは主犯ではありませんでしたが、他の4人の共犯の不利になるような証言を控えようと、徹底して黙秘をしました。4人の共犯はさっさと、それぞれ人の所為だという内容の供述をして先に起訴されました。

Aさんは他の4人が起訴された事を知り、自分の責任部分についてのみ供述を始めました。1つの事件に対して1人の検事が担当するのが原則ですので、担当検事は5人全員とそれぞれ面談して取調べを行います。調べの担当検事は何度か直接面談する機会があるわけですから、だんだんAさんの人柄を知る事になります。Aさんの自供が遅れた理由は他の共犯を慮った為である事。自己の罪や責任は認めて反省している事。おそらくAさんの自供は真実であり、Aさんが主犯では無い事。

取調べを通じて担当検事はこれらの事をキッチリ把握していたとしても、これらが書類に記述される事はないのであります。調べ担当の検事の頭の中にあるだけの事なのです。その肝心の部分が記載されていない書類を元に、公判検事が法廷に立ちます。あくまで書類が流れていくだけなので、調べの検事が肌で感じ取ったものが公判検事に伝達される事はまずありません。

しつこいようですが、公判検事は被告人を有罪にするよう努力するのが仕事であります。このケースだと、公判検事の論点を予想するとこうなります。
Aの供述が遅れた理由は、他の4人の共犯の供述を見極め自分にとって有利な供述を後からしようという身勝手で狡猾かつ卑怯な思惑があった為。自己の罪を最後まで認めず、他の4人が起訴された事を受け、自分の逃げ道が無くなった事を知り、しかたなく供述したAの証言は信用ができない。これらのAの行動を見ても、反省が全く感じられず、彼が主犯である事は明々白々の事実である。

公判検事はこう主張するでしょう。書類だけを見て、想像しうる限りの悪質さをアピールしようと思えば当然こんな形になります。これに意義を唱えれば、今度はこの期に及んでまだ罪を認めず自分だけ助かろうとしている・・・、などと反撃を食らってしまいます。印象としては最悪なものになってしまいます。

当たり前といえば当たり前のやり取りなのでしょうが、裁かれる側とすればちょっと恐ろしい感じがしませんか。言葉に多少の語弊はあるかもしれませんが、必要以上に悪者にされている感がございます。だって、主犯でも無けりゃ、罪を認めていない訳でもないんですから・・・。とても正当に裁かれているとは思えません。

私個人の意見としては、1人の担当検事が1つの事案を取り調べの段から公判に至るまで終始受け持つ事が望ましいと思っております。それには大幅な増員が必要になるでしょう。そして、現在の裁判制度にも大きな整備が必要となります。だから、この先もここら辺の諸問題は改善される事が無いだろう・・・、と思っております。

極少数ではありますが、検事や裁判官にも同意見の方がいるようです。自分達が行っている司法システムに問題点がある事を解かっているのです。しかし、所詮は少数意見、黙殺されているのが現状であります。

裁判官・検事・弁護士、司法試験に合格した者だけが就ける職であります。裁判官は最終的な量刑を決定する。検事は被告人の違法性に関して事実を報告する。弁護士はあくまでも依頼人の利益を優先に弁護をする。これがそれぞれの本来の仕事であります。

検事の仕事は、あくまで事実の報告です。ところが、実際はどうでしょう・・・。事実に大きく脚色を加え、オーバーにオーバーにアピールを繰り返します。しょうもない事件を傍聴していても、検事の主張だけを聞いていると被告人がとんでもない大犯罪者に思えてきます。大袈裟にものを言うにも限度というものがございます。

事実にない事や、予測を加えての主張には問題があると思うのです。淡々と事実を並べ、それに対して粛々と処罰を与えるのが正しい裁判だと思うのです。今の検事達の手法のままで、裁判員制度が導入されたら大変な事になってしまいます。

大半の検事たちは、事実を大きく膨らませたり、脚色したりして、少しでも重い量刑を課す事が優秀な検事なんだと思っております。実績第一、そこには正義も糞もありません。それは大きな勘違いなんです。検事の仕事は、事実を白日の下に晒す事なのです。事実のみを・・・。

だから私は、検事が大嫌いであります。私は自身のものを含め、数多くの裁判を見てきました。法廷が開かれる度に毎回毎回一番嘘をついているのはお前らだろう・・・、といつも思っております。


私のような前科をいくつも持っているような人間が言えば、ただの恨み言に聞こえてしまうかもしれません。しかし、逆恨みで物申している訳ではないのです。いつだって、誰だって、どんなに善良に暮らしていたって、突然裁かれる側にまわる可能性があるのです。


続きは次回に・・・ m(_ _)m


拘置支所への移送が決定しました。移送は突然に決るものなのです。大抵は前日の夕方に連絡を受けます。留置場では、手紙を1日1通しか出せませんから、1人にしか連絡が出来ないという事になります。半ば嫌がらせのようなものであります。

留置場で購入した甘シャリは、拘置所には持ち込めません。タバコとライターも、入所時に捨てられてしまいます(怒)。タバコとはしばらくの間、完璧にお別れであります・・・。

すっかり慣れ親しんだ、オヤジ達ともお別れであります。皆、私の房の前で足を止め、色々と声をかけてくれました。「頑張って!」「娑婆で会おう。」なんてぇのが多かったですね。中には「又、おいでよ(笑)」なんて馬鹿な事を言う奴もおりました。笑えねぇ・・・(怒)。

比較的ほがらかな人間の多い留置係の中では、少~しトゲのあるSさんという人がいました。歳は私よりも少し上だと思います。誰にでも愛想が良いというタイプではない彼が、勤務交代の最後に私の所にやって来ました。

「環境が変わっただけで風邪をひいたり、体調が悪くなったりする事があるから、とにかく身体には気をつけて・・・。勤務交代だから最後まで見送れないけど、未決(拘置所)でも頑張って・・・。弁当(執行猶予)で済むように祈ってるから、娑婆に戻ったら正面の入口から遊びにおいでよ。本当に頑張ってな!」

正面の入口は一般客(差し入れや面会に来る人)用で、裏口は護送車を付けられる様になっている被疑者用になっているのです。正面の入口から・・・というのは、ちょっと粋な言い回しですね。

裁判がうまく行くように祈ってる・・・という言葉に、涙が出そうになりました。ひと昔前の私なら、彼らと仲良くなる事も無かったかもしれません。たったの50日程度の勾留で、サツ嫌いな私が彼らに情を感じてしまうことに、自分自身驚いてしまいました。不思議なものです。歳と共に情に脆くなっているのかなぁ・・・なんて思いましたが、それも素直に受け入れる事にいたしました(笑)。

シフトの関係で、何人かのオヤジに挨拶をする事が出来ませんでした。裁判が決着したら必ず行こうと思っております。最後も何人かのオヤジが、わざわざ外まで出てきて護送車を見送ってくれました。その中に何故か偉い役職の人も混ざって、手を振っておりました(笑)。

どうやら私、結構人気があったようです・・・(?_?)


護送には『集中』と『単便』とがございます。『集中』は、バスで複数の人間をドサッと護送する事で、1日2回各署と検察庁・拘置所のコースを巡回します。『単便』は1人だけを護送する事、いわゆる申し送りという奴です。

私には『単便』が組まれました。
拘置所に着くまでの間、オヤジが隠し持たせてくれたタバコを吸う事が出来ます(笑)。最後の温情ですね。実に良い一服でした。


5本も吸い終わる頃、拘置所に到着いたしました。

その光景を見るだけで・・・
その言葉を聞くだけで・・・
その曲が流れるだけで・・・
その場所を通るだけで・・・
その場所に立つだけで・・・
だたそれだけで、思わず涙が溢れ出す・・・。

そんな、ピンポイントのツボのような、スイッチのような部分が誰にでもいくつかはある筈です。生々しい強烈な記憶であったり、切ない思い出であったり、空想で美化された虚空の世界であったり、そのスイッチは人それぞれ、様々なものであると思います。

この曲を聴くと自然に涙が出る・・・、なんてのは良くある話でございます。音楽がスイッチになっている場合は、恋愛が絡んでいる事が多いようにお見受けします。それでもって、ちょっとB級な曲・・・。あまりに大ヒットした曲だと、街中でしょっちゅう耳にしては泣く事になってしまいます。カラオケなんかでも頻繁に歌われて、その都度泣いていたんじゃ、美しい想い出もクソもあったもんじゃありません。だから、B級な曲。

私の場合、どうもスイッチの数が多いようで困っております。感情の起伏が激しいタイプなので、精神的に不安定な部分があるのでしょう(汗)。誰にも止められないほど怒り狂う事もあれば、川をのぼる鮭を見てポロッと独り涙する事もございます。たまに、その鮭を捕まえて食べてしまう辺りがまた始末に悪い・・・。困ったもんです。

センチメンタルな、秋の到来であります。
ただでさえ短い北海道の夏、そのうえパクられていた私には見事に夏はありませんでした。夏を惜しんで感傷的になるというよりは、夏を満喫できなかった事に対する落胆の気持ちの方が強いようです(汗)。めっきり朝晩涼しくなりました。寒い位です・・・。

先日、NHKで黄河の映像を見て、つい涙を流してしまいました。祖父が亡くなってからというもの、黄河の映像がスイッチになってしまったのです。本当は別に季節なんか関係無いのですが、なんとなく秋っぽく話題に入ってみようかなぁなんて思っていたら、前振りがこんなに長くなってしまいました・・・。

私が子供の頃から、祖父は事あるごとに「お前が大きくなったら、中国に一緒に黄河を見に行こう!」と言っておりました。祖父の一度目の出征先が、中国だったのです。若き日に見た黄河、その壮大さと感動は少しも色褪せる事無く、終生祖父の記憶の中に描かれていたようです。

本当に流れている水が黄色い事。川だと言うが海のように広く、対岸がまるっきり見えない事。皆で記念に水を汲んだが、汲んでみると以外に普通の水だった事。その支流で敵襲を受け、多くの戦友が亡くなった事・・・。私は、実際に黄河を見た事はありません。しかし、祖父の話を暗記するほど聞かされていたお陰で、私の頭の中には想像の黄河があるのです。それはそれは大きくて、見渡す限り黄色い海のような・・・。

結局、祖父と中国に行く事は叶いませんでした。
安易に黄河と申しましても、とんでもなく長い河であります。北海道の先っぽから、沖縄の果てまでよりも、まだ長いのです。祖父が黄河のどの辺を見たのかは、残念ながら全くわかりません。それでも、いつかこの目で黄河を見たいと思っております。祖父が私に伝えたかった感動を、私も体験してみたい・・・。

見た事も無い想像の河『黄河』、その映像を見て涙する・・・。
手前の事ながら、変な感じがいたします。人間とは、何とも不思議なメカニズムで動いているものです。嬉しくても出る、悔しくても出る、悲しくても出る、何かを思い出しても出る・・・、涙は不思議なもんです。この歳になると、余計に涙腺がゆるくなった気がします。

『黄河』という響きがまた良いですね、少し哀愁があって・・・。アマゾン川やナイル川じゃ、あまりにワイルド過ぎますし、ミシシッピ川なんて言い辛くて仕方がありません(笑)。アマゾン川、ナイル川、ミシシッピ川に深い想い出をお持ちの方がいたらゴメンナサイ。ただの軽口です・・・。


もう1箇所、勝手に涙が出る場所のお話をします。
我が市の誇る観光スポット『サッポロファクトリー』、サッポロビールの工場跡地に建てられた、大型ショッピングモールであります。メインのアトリウム(高さ39メートルの吹き抜けのガラスドーム)に行くと、必ずポロッときてしまうのです。観光スポットなどと言いつつも、実は地元の人間の遊び場でもあるのです。

※サッポロファクトリー
http://www.sapporo-factory.co.jp/guide/index.html

ここも、やはり祖父が絡んでおります(笑)。
オープン当時、連日客が殺到し、常に大混雑の状態が続いておりました。駐車場は長蛇の列、ファクトリーの周囲一体がいつも大渋滞・・・。祖父は何年も前から、そこら一帯を散歩コースにしておりました。車で行けば大変ですが、徒歩だとサクッと入れたのだそうです。

大正生まれの祖父にとって、その建物はこの世の物とは思えない位の衝撃だったようです。ひどく興奮しながら、その近代建築の素晴らしさを語っておりました。私も初めて中を見た時には、思わず溜め息が出たほどですので、祖父の驚きようにも充分理解ができます。

「すごい物ができたもんだ!」
「すごい時代になったもんだ!」
「何とも素晴らしい建物だ!」
「日本はすごい国になったもんだ!」
袖の下でも渡されたんじゃないかと思うほどに、賞賛の言葉を連呼しておりました(笑)。

「今度、あそこで一緒にサッポロビール呑むべ!」
巨大な吹き抜けのガラスドームには、オープンテラスを配した飲食店がいくつもございます。そのテラス席で、私とビールを呑むのが祖父の希望でした。まぁ、所詮は近所ですから、そんなもんお安い御用であります。

その後、何度も私の方から誘ってみたのですが、「今日は、ちょっと大儀だなぁ。」とか「今日は、なんか気分じゃねぇなぁ。」などと断られ、中々タイミングが合う事がありませんでした。なんせ場所が近いので、祖父が行きたいと言えば、いつだって行けるだろうとタカをくくっておりました。

祖父は、若い頃から糖尿病を患っておりました。ただし、病気との付き合い方が上手だったらしく、大きく体調を崩すような事はありませんでした。亡くなるまでの2週間が、最初で最後の入院となりました。

入院中もかなり元気で「退院したら、今度こそビール工場んトコに行こうな。俺はジュース飲むから、お前ビール呑め!俺はもう酒はいいや(笑)。」なんてニコニコしながら言っておりました。数日後、トイレに行こうとベッドから立ち上がり、そこで意識を失い倒れてしまったそうです。そのまま、帰らぬ人となりました。

母からの電話で慌てて病院に行きました。祖父はチューブにつながれ、強制的に呼吸を維持している状態で、意識はもう戻る事が無いと聞かされました。医者は母と私に順番に視線を送り、「どうなさいますか?」と言いました。チューブを外しますか、それとも生命だけを維持しますか、という意味であります。

母が私の顔をじっと見て、黙ってうなずきました。
「外してあげて下さい・・・」
こんな短い言葉なのに、私はちゃんと喋れず言葉になっておりませんでした。数秒だったのか、数分だったのか、ほんの少しの間ですが、チューブを外してからもかすかに自力で呼吸しておりました。静かに呼吸が弱くなり、そのまま眠りに就きました。わずかな時間ですが、別れの時間を作るため頑張って呼吸をしてくれたのだと思います。

「病気が原因ではありません。これは老衰と言って良いでしょう。天寿を全うされたのだと思います。」医者はそう言っておりました。毎日見舞いに行っていたのに、なぜ私が居ない時に倒れたのか・・・。悔しくて仕方がありませんでした。

昨日まで元気だったのに・・・、意外なほどあっさり祖父は逝ってしまいました。今になって考えると、つくづくあの人らしいなぁと思います。頑固で、厳格で、人に世話をかけるのが大嫌いな人でした。らしいなぁ・・・、本当にそう思います。

結局、一緒にビールを呑む約束は果たせずじまいのままであります。祖父は最後まで『サッポロファクトリー』という名称を覚えませんでした。だから、話す時はいつも『ビール工場んトコ』(笑)。楽しそうに、ビール工場んトコにできた新しい建物の素晴らしさを説明する祖父の顔を思い出します。

今でもサッポロファクトリーには、よく買い物や食事に行くのですが、テラス席での食事は避けております。意味も無くこんなガラの悪いオッサンが、ポロッと涙を流したら、一緒にいる人間も、周囲の人もドン引きすること間違いなしですからね・・・(笑)。


ついつい涙が出てしまう事・・・、それも大切な事だなぁと最近感じております。

img002.jpg








22日間の勾留期間が終わり、無事(?)に起訴となりました。
もしかしたら嫌がらせで、別件の再逮捕があるかな・・・と予想していたので、ひとまず安心いたしました。起訴と同時に、やっと接見禁止が外れました。

接見禁止とは、証拠の隠滅などを防止する為に外部との接触(面会や手紙)を一切禁止するという処置です。(弁護士とだけは面会できます。)接見禁止は、検事の独自の判断で簡単に決定できるのです。私の場合、証拠書類など全て押収されていますので、証拠の隠滅なんてある訳がございません。接見禁止だった意味が解かりません。あのクソ検事め・・・。

何はともあれ、面会はできるし、手紙も出せるようになりました。
面会は1日1回たったの10分だけ、手紙も1日1通しか出せません。1日1回は少ないですよねぇ・・・。しかしたったそれだけでも、外と連絡が取れるのは、何とも嬉しいものなのです。

雑居房に入っていれば、こんなに変な奴がいたとか、面白い出会いがあった・・・なんて土産話が出来たかもしれません。しかしながら、独居で引き篭もり状態・・・、同じ時期にどんな人間が入っていたのかもロクロク知りません。残念です・・・。

そのかわりと言っては何ですが、オヤジ共(看守)とは随分仲良くなりました。留置場は警察の管轄、当然この施設で働く人間は全て警察官であります。私は商売柄、基本的に警察は敵だと思っております(笑)。しかし、どこの署でもそうなのですが、留置係には親切で良い人間が多いのです。

彼らは捜査員じゃないので、こちらも変に警戒せず普通に付き合えるのでしょう。そして彼らも、所詮は自分でパクッってきた犯人ではないので、こちらを敵対視はしていないのでしょう。こんな所(留置場)で感じの悪い態度をとって、犯罪者達に恨みを買うのもアホらしいですからね。本当に親切なもんです。

私が居た留置も、例外ではありませんでした。皆、親切でフレンドリー、言い争いになど一度もなりませんでした。言い争いどころか、最後の方にはお互いの愚痴を「うん、うん・・・」と聞き合い、「お互い大変だけど頑張ろうな!」なんて励まし合うほどに仲良くなっておりました。ある意味、ムショ仲間的な共感の仕方ですよね(笑)。

留置係も様々で、下は21歳から、上は50代半ばまで、ここに配属になるまでの経歴もバラバラであります。交通一筋だった者、1課で殺人ばかり担当していた者、市内の2課、マル暴あがり、地方を転々としていた者・・・etc、何を基準に人事をしているのか全く理解ができません(汗)。当の本人たちが、一番強く疑問に思っている様です(笑)。

まだ20代前半で、実に面白い奴がおりました。トークが面白い訳ではなく、私生活のだらしなさ加減がウケるのです。車やら、バイクやら、薄型テレビやら、時計やら、何やらカンやらと全てローンで買いまくり、給料日当日に殆どが支払いで無くなってしまうそうです。若い公務員は薄給だというのに・・・、調子コキ過ぎです(笑)。

「普段何食ってんのよ?」と聞くと「焼きそば。」と答えます。
スーパーで良く目にする、3玉入りの粉ソースが付いたポピュラーな焼きそばだそうです。具無しで食ってるそうです(笑)。
「1日3食その焼きそばか?」と軽い気持ちで冷やかしてみると、1日に3回も飯を食う事は無く、1日何も食べない日もあるとの事・・・。

「俺の銭、宅下げ(※)してやるから、何か好きな物食って来い!」と思わず言ってしまいました。
「気持ちだけで良いです・・・。」と笑っておりました。娑婆に戻ったら、何か美味い物でもご馳走してやろうと思いました。だって、檻の中にいる者の方が、よっぽど良い物を食っているのですから・・・(汗)。

※宅下げ(たくさげ):勾留中の人間の物を、外部の人間に持っていって貰う手続きの事です。


約50日間、留置場におりました。
気が狂うほど外に出たいと思っているのに、そこで働く連中にはスッカリ情が移ってしまいました。何人かとは「娑婆で一杯やろう・・・」と約束いたしました。

この約束は、まだ果たされておりませんが、とても楽しみにしております(笑)。

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