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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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卒業後は繁華街に住み着き、ウェイターなどをやりながらも好き勝手な生活をしておりました。好き勝手と言いましても所詮はガキ、酒・女・喧嘩、こればっかりです(笑)。まだ兄貴分と会う前の話であります。

父は、何度か私の働いている店に呑みに来てくれました。真面目に、がむしゃらに働き続け、この頃には借金は大体片付いていたようです。昔父が良く行っていたというスナックにも、何軒か連れて行かれました。そこのママさんと話をする父を見て、こんな顔をして笑うんだなぁと思ったものです。

酔ってこんなに笑っている父を見た事がありませんでした。いや、見た事が無かった訳ではありません。私がチビの頃、写真の中の父はいつも良い笑顔だった筈です。私が、迷惑ばかりかけていた所為であります。私が、父から笑顔を奪っていたのです。気付いたところで、時間を戻せる訳でもありません・・・。

その後も、親不孝を重ねる事を承知の上で、今の業界に身を投じる事になります。家族に具体的な内容や、どこの組に所属しているかなんて話はした事がありませんが・・・。父からも聞かれた事はありません。ちゃんと元気にやっていて、飯もちゃんと食えているようだから、これ以上は私の人生だと、思ってくれての事でしょう。

この頃から、たまに二人で呑みに出るようになりました。息子と酒を呑むという行為は、父親にとってはとても嬉しいものらしく、随分と喜んでくれたようです。兄は全くの下戸なので、尚の事だったのでしょう。私の記憶の中では、数少ない親孝行です(笑)。

息子達は家を出て、両親もやっと自分の事ができるようになりました。父は、園芸を始めます。庭も、家の中も花だらけになりました。実家に顔を出す度に、父は庭でゴソゴソと何かをしておりました。以前から庭いじりが好きなのは知っていましたが、ここまで没頭するとは思っていませんでした。昔から好きだった読書にも精力的でした。

父は、私に直接言った事はございませんが、私が嫁をもらって孫を見せる事をとても楽しみにしていたそうです。実の兄は昔っから女っ気が無く、私に期待していたようなのです。ところが、肝心の私の方はと言うと、昔っから女っ気が多すぎてしかもだらしがない。うまくは行かないもんであります(汗)。

本当に自分が不甲斐無い、どんだけ親不孝なのでしょう。
こんな馬鹿息子を、父は見捨てる事無くずっと心配してくれました。私と酒を呑む事と、囲碁をやる事を楽しみだと言ってくれました。親と言うのは偉大なものです。どんなに感謝しても足りる事などありません。

父が63歳を迎えた頃、喘息のように呼吸がかすれ、咳をする事が多くなってまいりました。いつの間にか自発的にタバコをやめておりました。彼の病名は『肺せんい症』。原因のよく分からない、肺が硬くなっていく病気であります。余命は発病から5年、ただしいつ頃発病したかについては分からないとの事でした。

小心者の彼の事、きっとショックは大きいものだったと想像しております。不思議な事に、父の仲が良かった友人や諸先輩方は、65歳で亡くなる方が多かったのです。「やっぱり俺も65までなんだなぁ・・・」とボソッと呟いておりました。この1年後に、酸素のタンクとチューブを常に着用する事を余儀無くされます。

父は庭いじりを続け、私をやっつける為の囲碁の勉強をし、リース作りという新しい趣味を始めます。そして、いつ死んでも良いようにと家の中を片付け始めました。大量の書籍をまとめたり、アルバムに入れてなかった写真を整理したり・・・。私と母は、本人の気が済むようにと見守るだけであります。

祖父が逝き、その半年後に父は入院いたしました。
最後の入院であります。『肺せんい症』の他に小さいながらも『肺癌』ができておりました。合併症のようなもので、手術なども出来ないとの事でした。後は、痛みを少なくしてやる事しか選択肢が無かったようです。父の意志に従い、医師から本人に説明していただきました。

父に投与されるモルヒネの量が、日に日に少しずつ増えていきました。父は、モルヒネで思考が麻痺していくのが嫌だったらしく、メモ用紙に漢字を書いては「おかしい、おかしい・・・」と愚痴をこぼしておりました。メモ用紙を見ると、何だか得体の知れない漢字らしい文字が書いてあります。何かと何かが組み合わさった様な字が・・・。

「思っている字が書けないんだ。これからもっと頭がおかしくなっていくんだろうな。嫌だなぁ・・・。」
「痛ぇよりはマシだろ。」
「あと何日あるんだろうなぁ・・・。」
そんな会話を何度も繰り返しておりました。

母が病院に泊まり込み、私は毎日実家に行き痴呆症の祖母に食事を作ったり、家事全般を引き受けました。母にコンビニ弁当は可哀相だと思い、毎日弁当を作って持って行きました。父はそれを見て喜んでくれました。
そして「すまないなぁ・・・」と。

何が「すまないなぁ・・・」ですか。
貴方達が自分にしてくれた事を考えれば、髪の毛の先ほども恩返しなどできてはいないのです。どんなに何をしようとも、私がした親不孝が消える訳でもなく、何の贖罪にもなりません。
「おう、なんもだぁ。」と言いながら涙が溢れてしまいました。

入院から数日が経ち、医者から別室で説明を受けました。
「今のモルヒネの量では痛みが取れないので、かなりの増量をします。意識が混濁すると思います。お別れになると思いますので、お父様とお話があるのであれば今の内に・・・。」との事でした。先生の口から同様の説明を父にしていただきました。

「そうですか・・・。」と言って、うっすら笑みを浮かべて会釈をしました。先ずは母と、と思い私は退室し外で待っておりました。何を話したかは知りませんが、部屋に入ると母は涙を流し、父は笑顔で頷いていました。

次は、私の番です。
「迷惑ばかりかけてすいませんでした。数々の親不孝をすいませんでした。嫁も孫も見せられずにすいませんでした。自分は父さんの子で最高に幸せでした。心から感謝しています。普通の、人並みの、親としての喜びを味あわせてやれなくてすいませんでした。」

泣きながら話す私を見ながら「うん、うん。」と頷き、
「何を言ってるんだ。何もしてやれなくてすまなかったな。母さんの事、頼むな。」と言いました。
父の目からは涙が流れておりましたが、その顔は笑顔でした。

最後の投薬が開始されました。
薄れいく意識の中で父が「先生にお世話になりましたって伝えてくれ。」と言ったのです。すると母が泣きながら声を絞り出すように「先生にって・・・。私達には何か言う事無いの・・・。」言いました。
「お前たちには何も言う事無いよ。最高だ・・・(笑)。」

これが、父の最期の言葉になりました。
この後、少し苦しそうにうなされ父は眠りに就きました。

最後の言葉を言った時、父は少し息苦しそうでしたが、やはり笑顔でした。あれほど迷惑をかけたのに、髪も真っ白にしてしまったのに、父は笑って許してくれました。それどころか「何もしてやれなくてすまなかったな。」と言われてしまいました。ただただ、涙が止まりませんでした。

父は遺言として、葬式は身内だけで小さくやってくれ、と言っておりました。しかし、東京から父の姉弟達がやってまいります。若かりし頃、『日本の未来』に関わる仕事をしたいと大志を抱いて北海道に渡ってきた父であります。身内だけの小さな葬儀では、東京の親戚連中に彼の人生を軽く見られる気がいたしました。

「あんなに意気込んで家を出て、こんな北の地で死んで、こんなに寂しい葬式か・・・。」こんな事を思われたら、父の人生が台無しになってしまう気がしたのです。馬鹿な事と思われるかもしれませんが、そんな気がしたのです。私の独断で大きな斎場をとりました。

母は、父の意志に反するからと最後まで反対しました。そんな事をしても父は喜ばないと・・・。私は、断固として譲りませんでした。最後の親不孝だから俺の思うとおりやらせろ・・・と。結局、母が折れる形になり盛大な葬儀を行いました。

当時、私は色々と手広く商売をやっていた絡みもあり、会場に入りきらないほどの花が届きました。弔問客も予想より多く、普段は使わない二階席にまで及びました。斎場のスタッフが驚いたほどです。ありがたいものであります。東京から来た親戚は、皆口々に「こんな立派なお葬式は見た事が無い。」とビックリしておりました。

やり方が正しかったか間違っていたかは、正直なところ判りません。しかし、父が北海道に渡ってきた事をとやかく言う者はいないと思います。結果として最後の最後まで、父の言いつけに背いてしまいました(汗)。母も怒っておりました・・・。


私の両親は、全てを犠牲にして子育てをしてくれました。自分達のやりたい事などもあったでしょう。着飾る事もせず、銭のかかる趣味を持つ訳でもなく・・・。子供達、家族のために黙々と働き、家を建て、学校に行かせ・・・。父の最期の表情を見る限り、犠牲という言葉は微妙に当て嵌まらないかもしれませんが・・・。

口下手で、明るくなく、地味な父でありました。私とは、全くと言って良いほどに性格が違います。私は、父の子で最高に幸せでした。感謝しても、感謝して全然足りません。こういう気持ちになれる育て方をされた事に、また更に感謝であります。

生きている内に、もっともっと恩返しをしたかった。
今更、何を言っても不可能であります。
『孝行をしたい時分に親はなし』
『子養わんと欲すれども親待たず』
『墓に布団は着せられぬ』
皆、同じ意味の言葉であります。


是非是非、親が健在の方は私のような後悔をなさらぬよう、親孝行に努めて下さい。


きっと喜んでくれる筈です。


この時期、父の残した庭では綺麗な花が咲き始めます。
父ほど手入れが出来ないので多少荒れてはおりますが・・・(汗)。

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私の育った家庭は、極々普通の中流家庭でございます。
中流と言う表現はあまり好きではありません。何不自由なく、そして愛情をたくさん注がれ育てていただきました。そういう意味では、私にとっては上流・・・、いや特上家庭であったと思っております。

私の父は、昭和11年生まれ東京出身であります。勉学に励んだ人で東京の立派な大学を出ております。当時は東京教育大学、今の筑波(つくば)大学の前身だそうです。父が就職をした時代には、一流の大学として扱われておりました。何の職に就くにしてもエリートコースを約束されたようなもんであります。学士様という奴ですね。

父方の祖父は戦時中、軍需工場を経営していたそうで、東京空襲が始まるまではかなり金回りも良く、成金状態でブイブイ言わしていたようであります。しかし、戦後は没落してしまい随分と貧乏をしたそうです。戦後は祖母が、小さな焼鳥屋を営み大変な苦労をしながら家計を支えました。

父は、当時かなりの難関であった奨学金の試験をパスし、自力で大学に進学いたしました。大学進学後2年間勉強し、そして1年間休学します。休学中の1年間は、弟の高校進学の金を作るために働いたのだそうです。その後、残りの2年間また勉強をし、見事に卒業いたしました。なかなかの苦労人、立派な人であります。

父が、大学を卒業したのは昭和30年代前半、日本が敗戦から立ち上がろうとしていたエネルギッシュな時代であります。大きな志を抱いた学士様は、未来に大きく関わる仕事をしようと考えました。焼け野原は建築ラッシュ、当時は木造建築が主流でした。しかし、木造の技術もまだまだ未熟、製材や合板の技術も全くと言って良いほど無かったそうです。

彼は、木材という分野を選択いたしました。今で言う、フローリングや集成材、化粧ベニヤや木目調化粧板などの技術開発や製造をする仕事です。当時は日本のあちこちで、この分野の会社が急成長をしておりました。近年のIT産業のようなもので、大きな可能性のある業界。時代の波に乗った訳であります。

広大な原木の宝庫『ブラジル』、父は当初本気でブラジルに行こうとしていたそうなのです。「お願いだから、せめて日本国内で就職してくれ。」と祖母に泣きつかれ、父はブラジル行きを諦め、国内の原木の産地『北海道』に渡ってまいりました。彼がブラジル行きを強行していたならば、私は生まれておりませんでした。父の選択に感謝しております(笑)。

私は、東京の祖父母には幼少の頃に一度しか会った事が無く、残念ながら記憶が全くございません。これらの話は父本人や母、今も健在の父の姉弟達から聞いた話でございます。敗戦後の混沌とした時代とは言え、立派な人だと素直に尊敬しております。

そうこうして父は、北海道の大きな木材会社に『会社の将来を背負って立つ人間』として華々しく迎えられました。異常なまでの歓迎を受け、全てが特別な待遇だったようであります。世にはまだ大学出なんて少ない時代、努力して勉強した甲斐があったというものです。努力が報われるというのは良い時代の証拠であります。

父に限らず、この時代に大学を出た方々の多くは、志というものを持っていた気がいたします。そこら辺を勘違いして、「良い大学を出れば将来安泰」なんて中途半端な眼差しで見ていた連中が、昨今の間違った学歴社会を生んだのだと考えております。人としての志が低ければ、どんなに良い大学を出た者でもクズであります。このくだらない勘違いが、現代の殺伐とした社会の元凶だと思うのです。

話が横道に反れてしまいました・・・(汗)。
父の就職した会社は、今考えるととんでもない規模の大きさでした。私が生まれる前の会社の運動会の写真を見て、とても驚きました。なんと千人以上の社員とその家族が参加する『大運動会』であります。立派な大会社、良い所に勤めていたようです。当時は娯楽が少なかった所為か、はたまた人と人の結びつきが強かった所為か、運動会の写真は誰もがとても楽しそうに見えます。どの家族も心からの笑顔であります。本当に全員が楽しそう・・・。

良き時代のワンシーン、そんな写真でした。サッチモの『ワンダフル・ワールド』のメロディーが耳の奥に流れてきそうです。昔はある程度の規模の会社では、必ず運動会や色々とレクリエーション的なイベントがあったようです。今でもこんな、社員や家族同士の絆を深めるイベントを催す会社は存在するのでしょうか。もし在るのであれば、立派な会社だと思います。過去に置き忘れてきた人間同士の本当の笑顔を、父の写真は教えてくれたような気がしました。

今になって考えると、その頃が木材業界の黄金期だったのであります。コンクリート建築の技術向上、高度経済成長、オイルショックを経て、木材業界は急激に衰退していく事になります。私が幼稚園児の頃には、大運動会も既にありませんでした。

私は、父が35歳の時に生まれた子供。小学校に上がる頃には、父は40を過ぎておりました。父はかなりのポジションにいたそうですが、一大決心の後に転身を図ります。自ら家具販売の会社を興したのであります。木材関連で多少のコネを持っていたようです。

口下手な男でしたので、随分と思い切った行動に出たものであります(汗)。それでも、市の中心部に在る当時では大きなデパートの『長崎屋』に商品を納入していたと言うのですから、大したもんだと思います。なんとか上手くやっていた様なのですが、それも長くは続きませんでした。

父の会社は、順調でした。朝早くにバスで出勤し、夜も遅くまで働いておりました。でも、おそらくやり甲斐があったのでしょう。表情はいつも明るかったのを覚えております。ですが、私が小学校4年生の時に、父の会社は倒産します。以前いた木材会社の部下の連帯保証人になっていたのです。その額、ざっと1500万!

努力と苦労はしていたものの、これまで人に騙された事が無く、人を疑う事など知らない人でした。母にも相談無く、安易に保証人を引き受けてしまったようであります。突然、実家に事務所用の机やロッカーなどがワンサカ運ばれてきました。きっと、事務所を撤退した時の荷物だったのでしょう。私は、大人用の大きな事務椅子に乗ってはしゃいでおりました。

小学生の私は、この頃の父の仕事やここら辺の事情をよく知りませんでした。話の全容を知ったのは私が大人になってからの事です。4歳上の兄は把握していたかも知れませんが・・・。この時期、ちょいちょい夫婦喧嘩がありました。私達兄弟の前ではやりませんでしたが、子供ながらにこっそり様子をうかがっていると、泣いている母に父が何かを怒鳴っている・・・そんな感じだったと思います。

そんな苦境の中でも両親は、私達に不自由をさせませんでした。母方の祖父母の多大な協力も当然あったように思います。この頃から、両親共働きになりました。二人とも実に良く働きました。父は以前の会社の重役さんの計らいで、請け負いで内装工事の仕事を始めました。請け負いですから、やればやった分だけ稼ぐ事ができます。母はパートで近所の表具屋さんで働きました。私達兄弟の面倒は祖父母が看てくれました。

大人になって知った事とは言え、あの苦しい時に「アディダスのジャージを買ってくれ!」だの「サッカー少年団に入りたい!」だのと馬鹿なわがままばかり言ってしまいました。本当に馬鹿なクソガキだった自分を今でも恨めしく思います。そんな糞馬鹿のわがままを、両親は叶えてくれました・・・。

そんな家計の状況や暖かい親心も解からずに、中学校に進学した私は不良の道に進んで行きます。連日の学校や警察からの呼び出し・・・、入学からたったの1年で父の髪は真っ白になってしまいました。人に騙され大きな借金を背負わされ、自分のやりたい事など何一つせずに家族のために黙々と働き、それなのに息子は訳もわからずにグレていく・・・。

あの頃の父はどんな気持ちだったのでしょう・・・。どれほど悲しかったのでしょう・・・。それを想うと、己の馬鹿さ加減に涙が止まらなくなります。

中学時代に、一度だけ本気でブン殴られた事がございます。家出してフラフラと煙草を吸って歩いているところを警察に捕まった時です。警察署まで引取りに来てくれて、家に帰ってから思い切りヤラれました(汗)。人なんて殴った事が無い人だったので、手加減ちゅうもんを知らず、エラい目に遭いました。

私がいくらケンカ坊主だと言っても、なんせ小学校から上がったばかりのチビですからね。敵う訳がありません(汗)。あの時も、父は涙を流しながら私を殴っておりました・・・。この頃、父は涙もろくなっていて、よく風呂で一人すすり泣いていたそうです。これも大人になってから、母に聞いた話であります。

折りしもTVでは『積み木くずし』などの不良もののドラマが流行していた時期です。きっと悲しい気持ちで観ていた事でしょう。

この後も、中学時代には些細なトラブルが続きました。酒・タバコ・シンナー、街での喧嘩やカツアゲ、何度も補導こそされましたが大事にもならず、鑑別所や少年院に入る事はございませんでした。両親や祖父母には気の休まる暇など無かったと思います。まぁ、祖父だけはちょっと違う感覚だったのですが、それはまた別な機会に・・・。

ロクでもない事を繰り返してはおりましたが、何とか高校には進学する事ができました。これは父の希望でもあったので、進学して良かったと思っております。ただ、入学当初はかなりキツかったですね。そこそこ真面目な学校に受かってしまったので、悪い奴が居ないのです。一人だけ毛色が違うようで、いつも浮いておりました。

中学の頃に通り一遍やる事はやってしまった所為なのか、この頃の私は何故か落ち着いておりました。タバコを吸いながら歩いている同級生を見ると、「もう中学生じゃないんだから格好悪いぞ。」なんて変に大人びた発言をしておりました。まぁ、ガキの勘違いって奴ですね(照)。

自転車やバイクを盗んでは金に換えたり、街に出てカツアゲなども一切しなくなりました。それらの行為が、急に格好悪く思えてしまったのです。そんな事はガキのする事だよ・・・的な感覚でした(笑)。悪い事は早い内に一通りやってしまった方が良いのかもしれませんね。

そんな訳で高校に入ってからは、バイトをするようになりました。タバコもやめ、警察沙汰も殆どなくなりました。違う区にある空手の道場にも通うようになり、外で喧嘩をする事もありません。態度の悪さと、ガラの悪さは変わりませんでしたが・・・。父にとっては平穏な良い時期だった事でしょう。

高校半ばに繁華街でバイトをするようになりました。夕方から朝方まで仕事をして、学校では殆ど寝ておりました。父は呆れておりましたが、面倒事を起こさなくなった私に何かを言う事はありませんでした。高校卒業と同時に家を出るまで、この平穏な日々は続いたのであります。

私には全く生活感が無いそうであります(汗)。
これは20代前半からずっと言われ続けております。言われ慣れてはおりますが、やはり多少気にはなってしうものです。今回の連休でも、友人たちに毎回言われておりました。

良い事だと仰る方もたくさんおりますが、実際のところどうなのでしょう。一応、ある意味で褒め言葉かなぁと受け止めております。私自身としては、さほど浮世離れしたつもりも無いのですが・・・。

私だって掃除もすれば洗濯もします。燃えるゴミと燃えないゴミもちゃんと分別しております。週に2~3回は母を連れてスーパーに買い物に行ったりもします。スーパーで商品の値段の高い安いを判断できる数少ない男衆なんです。なのに生活感が無い・・・、何故なんでしょう。

充分過ぎる程に、普通の生活をしている筈なんです。服装の所為かなぁ、なんて思った時期もありましたが、若い頃と違いブランド物にも興味が無くなり結構普通の格好をしております。人相が悪いのかなぁ、とも考えましたが、世の中には人相の悪い者がなんぼでもおりますし、彼らに生活感が無いかと言えばあながちそうでもありません。まぁ、開き直ってしまえば、きっと私には何かが大きく足りないのでしょう・・・(汗)。

普段母と買い物をする時は、実家の近所のスーパーに行くのです。友人達がたまに私を見かける事があるらしいのですが、声を掛けられた事があまりありません。その理由は、何か見ちゃいけない物を見てしまったようで声を掛け辛いそうです・・・。何の気遣いだっちゅう話です(汗)。

旧友の反応もさることながら、繁華街の人々の反応も今イチ納得がいっておりません。特にホステス・・・。
「洗濯するからそろそろ帰るわ。」
「嘘だっ!」
「朝から仕事入ってるから帰るわ。」
「嘘だっ!」
意味が解りません・・・(汗)。洗濯もするし仕事もするサ、猫の便所も毎日片付けるっちゅうの・・・。そんな、しょうもない嘘はつきません。

正味のところ、どんな人間だと思われているんでしょう。生活感が無いのを通り越して、ダメ人間に見られている気がいたします。「生活感なんて無い方が格好良い。」と彼女らは口々に言います。ですが、ただの遊び人のように見られても微妙な気分であります。

生活感があまり出てない、とか言われている内が華のような気がします。生活感が全く無い、に表現が変わると極悪人か遊び人になってしまいます。困ったもんです・・・。

しかし、生活感ってのはどうやって出せば良いのでしょう。服に食べこぼしのご飯粒か醤油の染みでも付ければ良いのでしょうか。それじゃあ、ただのだらしのないオッサンになってしまいます。ポケットからお金を出そうとした時に、お金と一緒にレシートがいっぱい出てくる、なんてどうでしょう。・・・・・・。

一体、何に悩んでいるのだろう・・・。
少し阿呆らしくなってきました・・・。


もう少ししっかりした人間に見られるように努力しないといけませんね・・・(-_-;)

ようやく私共の土地にも桜が咲きました。
桜以外にも色とりどりの花達が、鬱憤を晴らすかのように一斉に咲き乱れております。この時期が一年で一番良い時期かもしれません。

以前にもお話した事がございますが、年末年始やGWには地元を離れた者達が数多く帰省してまいります。私はいつも出掛ける事も無く、大抵は帰ってきた友を迎える立場でございます。今回のGWも例年通り、日々宴会三昧であります(汗)。

GW前半は、タチの悪い風邪で倒れておりました。咳が止まらず、高熱にうなされながら、3日間も寝込んでおりました。GW後半も本調子では無かったのですが、たまにしか帰って来ない連中が多いので寝ている訳にもいきません。軽くフラつきながらも、毎晩出動しておりました。

体調不良で微妙なテンションながらも、旧友に会うのは実に楽しいものであります。ほんの一時なのですが、昔話をしている間だけ本当に昔に戻っているような錯覚すら感じてしまいます。皆、見た目にも随分と歳をとっている筈なのですが、不思議なものです。

しっかりと家庭を持っている者、結婚したが子宝に恵まれず悩んでいる者、結婚したいが出来ない者、一度では足りずに二度も離婚している者・・・etc、皆様々であります。私のように一人で好き勝手にフラフラしている者も、この歳になると流石に少ないようであります・・・(汗)。

結婚やら家庭やらもそうですが、仕事に関しても様々であります。公務員になった者、そこそこ堅い職に就いた者、未だにミュージシャンを目指している者・・・(汗)、フリーターみたいな者、リストラにあった者・・・etc。

『隣の芝は青く見える』とは良く言ったものであります。
人の近況を聞いては皆口々に「へ~、良いなぁ。」とか「羨ましいなぁ・・・」なんて呟くのです。私から見れば皆しっかりとやっているように見えるのですが、やはり自分の置かれている現状に少なからず不満があるのものなのでしょう。

既婚者からは独身者が自由に見えて、独身者は家庭という物を羨む。勤め人は自営業者を羨み、自営業者は逆に安定を羨む。皆、自分に無い物を羨むようにできているようです。難しいものですね・・・(汗)。

人様の話を聞けばついつい羨ましく思うのが人間という物ではありますが、今更昔に戻ってやり直せる訳ではありません。一度手を付けてしまった自分の人生、自分の選んだ道を力一杯歩き続けるのみであります。・・・と格好の良い事を言っても、やはり周りは気になるモノですよね。私は日陰の道を選んでしまったので、友人達の選んだ道がいつも眩しく思えます(笑)。

とにもかくにも、この歳になった今でも楽しく昔話をできる私達は充分にラッキーです。健康で、元気に集まれる事が大切です。古い面子が集まるとどうしてもそんな事を感じてしまいます。歳なんでしょうか・・・(苦笑)。


私達が男だけで宴会をしている最中に、女の同級生からメールが入りました。どうやら女性陣も4~5人で集まっていたようです。なんと、その中に私が未だに理想だと言い続けている彼女もいたのです。今年、旦那の転勤で地元に帰って来たのは知っていたのですが、子供もまだ小さくて呑みに出るなど珍しい事なのです。

かれこれ十年近く逢っていないので、無性に逢いたくなりました。こっちの集まりと合流しないか?と本人にメールしてみました。何と、思い切り断られました・・・。
「今日は女の子だけの集まりだからダメ!」だそうです。
何度かメールで食い下がってみたのですが「オールバックでガラの悪い人は来ないで!」だとか「指の足りない人が来たらみんなが怖がるからダメ!」だとか・・・。

オールバックでガラが悪いのは昔のまんまだし、指なんて詰めた事はありませんし、どんだけ間違った情報が彼女に入っているのでしょう・・・(汗)。逢えない事にガッカリするよりも、軽く凹んでしまいました。テンションもダダ下がりのまま、その日の宴会は終了しました。

一緒に呑んでいた私の友達が、次の日に気を使って彼女に連絡したそうです。「何であんなに逢いたがってるのに逢ってやんないのよ?かなり落ち込んでたぞ!」と言うような内容の話をしたそうです。彼女の答えは至って簡単、昔よりも10キロ太ったんだそうです(笑)。どうしても見られたくなかったようです(笑)。

私としては10キロだろうが20キロだろうが関係無かったんですけどね。太っていようが、老けていようが、不細工になっていようが、理想の女性には変わりありません。自分のイメージを守りたかったのか、私をガッカリさせたくなかったのかは判りません。ただ女心は難しいものだなぁ、と思いました(笑)。

彼女は、夜中の通販でやっている『ビリーズ・ブート・キャンプ』という強烈なダイエットのDVDを買ったそうです。
7月にやる予定の同期会には出席するとの事です。

10キロ痩せて・・・(笑)。

もちろん、私も出席します♪

昨日までの、うららかな日々が嘘のように冷え込み&風雨であります。寒い・・・。特に大事な用事も無く、天気の所為でテンションも下がりかけたので、一旦家に引き上げてまいりました。

昼過ぎに家でゆっくりという事も最近は殆どありません。
とりあえずニュースでもやってないかな、と思いテレビをつけて何局かパパッと流し見してみました。今日は何一つニュースが無いようであります・・・。そんな訳無いだろう・・・(怒)。

日テレ系では、寺島何ちゃらだかの結婚式を延々と。TBSも寺島何ちゃらの結婚式の後、イッコーだか何だという気色悪いオカマの化粧屋の特集。他の局は素知らぬ顔でドラマ、天下のNHKは田舎の紹介番組。どこもかしこもニュース的な情報は一切無し。どうなんでしょう・・・、完全にイカレております。

今日は、あちらこちらで地震が起こった筈です。北九州では発砲事件、熊本市役所には包丁男、昨日からの北朝鮮関連の報道にしても全然時間が足りない気がいたします。テレビ局は、日本を物事知らずの馬鹿者列島にしたいのでしょうか(怒)。何かそういう計画でもあるんですかねぇ。

インターネットが普及したとは言え、放送をおろそかにする理由にはなりません。テレビを通して世に伝わる情報が一番多いと言う事実には変わりが無いのであります。テレビの持つ影響力は絶大、『あるある大辞典騒動』でも証明されています。そこら辺をもうちょっと真剣に考えて欲しいものです。

寺島何ちゃらの結婚式よりも、伝えなければならない事がたくさんある筈なのです。これだけ頻繁に地震が起こっているのなら、地震災害に対しての準備を促すような番組が必要でしょう。この先神戸クラスの地震があっても、被害を最小限に食い止めるような準備だけはしておいた方が良いと思うのです。備えあれば憂いなし、大地震が来なければそれはそれで構いません。

先日の不二家事件にしてもそうです。あれほどしつこく不二家を叩いた癖に、電力会社に関してはサラッと報道しただけであります。原発の不具合の隠蔽ですよ。圧倒的に悪質なのは誰が考えても判る事でしょう。その判断もつかない人間には、最早放送を司る権利などありません。ただの白痴であります。

世にある情報を全て量りにかけて、その重きを優先して放送するのがテレビの仕事だと思います。本日の最優先事項は、女優の結婚式とオカマのメイク講座でした。実に恥ずかしい話であります。その癖、テレビは人様のモラルに対しては口うるさく追求をします。先ずは自分達のしている事を冷静に考えて欲しいものです。


幼稚な大人が増えてしまったのも、キチガイが増えてしまったのも、全部テレビの所為だと個人的に考えております。そろそろ修正しなければ、取り返しがつかない世の中になると思っています。


テレビ関係者にこそ、本当のモラルを持っていただきたいものであります。


そんな事を感じた午後でした。

やっと日中の気温が10℃を越えるようになってまいりました。
とうとう春が来たんだなぁ・・・、と感じております。と言いつつも、朝方にはしっかり霜が降りていたりするのですが(笑)。

気温もさる事ながら、いろいろな部分で春を感じております。街を歩く人々の服装、早朝の小鳥のさえずり、夜明けの早さ・・・etc。中でも一つだけ気分が悪いのが、暴走族の出現であります。やかましいんです・・・。

私共の土地では、冬季雪が多いため暴走族も活動できず、ちょうど今頃ぽつらぽつらと走り出すのであります。あの音を聞くと否が応でも「ああ、もうこんな季節なんだなぁ。」と感じてしまいます。せっかく気分の良い春なのに・・・(怒)。

私達の業界では、やはりと言っては何ですが大半の人間が若い頃に暴走族をかじっております(汗)。私のように一切暴走族経験が無いのは極稀なのです。全国的にも、40代前半までの業界人には当て嵌まる事だと思います。自分がやってなかった所為もあり、過敏にうるさく感じてしまうのかもしれませんね。


私には、ほぼ毎日のように顔を合わせる仲間が数人おります。皆それぞれが他団体の若い者です。組織は違えどやけに気が合い、いつの間にやら大の仲良しグループになってしまいました。歳は私が一番下で、あとは1コ上2コ上の者ばかりです。毎日のように会っている癖によく話す事があるものだと、皆で呆れております(笑)。彼らも皆、見事に暴走族出身者なのです(汗)。

先日、その仲間共と晩の10時位に街外れの居酒屋で飯を食っておりましたら、表通りを10台程の暴走族がタラタラと通り過ぎていきました。「うるせぇなぁ。」と舌打ちする者、目をキラつかせて「おぉっ!」と喜んでいる者、「おいおい捕まっちゃうぞ。」と軽く心配する者。それぞれがそれぞれの反応をしておりました・・・(汗)。

・・・って、「お前ら全員元族だろう。何だそのバラけた反応は・・・。」思わずツッコんでしまいました(笑)。
「いやぁ、自分で乗ってなきゃうるせぇし・・・」
「いやぁ、久々に乗りたいなぁなんて・・・」
「いやぁ、あんなにトロトロ走ったら捕まるだろ・・・」
そして、最後には皆口を揃えて「いやぁ、若いって良いなぁ~♪」

馬鹿ばっかりです(笑)。
この集まり、不思議な事に現在の組も違えば、過去の暴走族チームもバラバラであります。話の流れ的に「お前のチームとあの時モメた。」とか「お前のチームはショボかった。」だのと言った昔話に突入します。もう何十回も聞き飽きた話ばかりです・・・(汗)。

「よくまぁ、毎度毎度同じ話をできるもんだなぁ。楽しいのか?」と私が呆れ顔で言うと「お前はやってないからそんな事言うんだよぉ~♪」とニコニコしながら答えやがります。その度、イラッとします。奴らに言わせると、部活動のような青春の1ページなんだそうです。迷惑な青春であります(汗)。

今のクソガキ共も、青春の1ページとしてちゃんと楽しんでいるのでしょうか。ちょっと・・・、いやかなり人様に迷惑をかけているとは思いますが、その辺が気がかりです。私らがこんな事を心配するのは変だとは思いますが、ヤクザの小間使いのような事をやらされたり、薬の類を売らされていたりでは、せっかくの青春時代が台無しであります。どうなんでしょう・・・。

皆とつるんで喧嘩をしたり、馬鹿をやったり、確かにこの歳になると少し羨ましく思ったりもいたします。例え暴走族が始まりだとしても、その中で一生の友達をたくさん作って欲しいと思います。私の仲間は、いまだに良い友人をたくさん持っております。これはとても大切な事です。

悪ガキ共が、IT業界に参入する事はないでしょう。一流商社に就職する事もないでしょう。公務員になる者も、一般事務職に就く事も稀でしょう。バイクを降りる歳になれば、色々な現実が彼らを待ち受けている事でしょう。エリートと呼ばれる道に後ろ足で砂をかけた以上、若干厳しい道を歩んで行かなくてはいけません。

勉強に時間を取られても真面目にやってきた子達に比べれば、自由気ままに濃密な時間を過ごしてきた訳です。近い将来、必ずそのツケは回ってくるものです。だからこそ、今の時期に大切な友達を作るべきなんです。将来に渡って付き合える大事な友達が数多くいれば、過去にやった馬鹿な事も全て大切な思い出になるのです。馬鹿にも限度はございますが・・・。

ガキ共に今こんな話をしても、将来その時が来るまでピンとこないかもしれません。私共もこの歳になるまで、こんな事を考えたりしませんでした(汗)。数年前なら暴走族を見かける度に追いかけてブン殴ってやろうかな、ぐらいの事を考えていたのに、今ではこんな心配までしてしまいます。歳を取るのは不思議な事ですね。

暴走族は迷惑な事です。しかし、悪ガキ共には悪ガキなりの青春があります。人様から嫌われるだけではなく、沿道から応援してもらえるような暴走族になって欲しいものであります。昔はただのゴロツキ集団ではない『硬派』な暴走族ってのもありましたからね(笑)。そういうのを目指して欲しいものです。


随分と寛大な事を書いてしまいましたが、私の前を走っていたらやっつけます!

先週、今年初の墓参りに行ってきました。
我が家の墓には、祖父と父が眠っております。
墓参りと言うと少し大袈裟に聞こえますが、市内から30分程度の近場であります。冬は霊園自体が雪に覆われてしまう為サボっておりますが、毎年4月からは月に一度は酒を供えに行っております。雪が融けだすこのシーズン、丁度良い事に4月11日は亡き父の誕生日なのです。

珍しく天気の良いうららかな昼下がりでした。冬前にしまっておいた墓参りセットを引っ張り出し、颯爽とドライブ気分で家を出ました。ちょっと不謹慎ですね(汗)。5ヶ月ぶりに来た霊園、またデカくなっておりました・・・。しかも、入り口の所にまた大きな本堂らしき建物が建っております。超ゴージャス・・・。

年々と言うか、毎月のように立派になっていきます。あんまりこの手の話はしたくないのですが、どうなんでしょう墓場ビジネス・・・。確かに墓場は必要ですし、環境が良いにこした事はありません。吹きっさらしのゴミだらけの墓場だと、先人達に申し訳ない気持ちになってしまいます。しかし、行く度にきらびやかになっていくのも考えものです。

しょっちゅう行っている私がこんな印象を受けるのですから、何年かぶりに行った人はとても驚く事でしょう。敷地もどんどんと広がって、自分の家の墓もわかり辛くなっております。近い内にきっと地図が必要になります。間違って違う墓場に来たんじゃないか・・・と思う方もいるはずです(汗)。

この霊園、市内から近いためにちょっとお高いのであります。だからと言って、派手でゴージャスにするのは、正直いかがなもんかなぁと思うのです。先人達が静かに眠る場所、閑静で厳かな場所である筈なのです。真っ赤でド派手なお堂を建てて・・・、竜宮城じゃねぇんだから・・・(汗)。

人は、必ず死ぬものであります。亡くなった者を埋葬し、墓を大切にする気持ちは、日本人の良いところだと思っております。世界には墓など無い国もたくさんあるのです。墓を大切に思うが故にきらびやかになっていく、そんな敬意の表れならば文句は無いのです。残念な事に、あの霊園からは銭の匂いしか感じられないのです。

避けては通れない人の死を、ただの商売としか見ていない気がしてしまうのです。これは昨今のクソ坊主共や葬儀屋連中にも感じる事です。人様の死で銭儲けをしようだなんてあり得ません。情けない事です。

実は、こんな事を思うのも最近の話では無いのです。
4年ほど前の出来事です。
祖父と父の墓には、2箇所小さな植木用のスペースがございます。そこに何か植えてやろうと思い、昔から仲の良い造園屋に相談いたしました。造園屋の棟梁の勧めで『エゾツツジ』という小さな木を植えることになりました。花を付け、葉も赤くなる可愛い植物です。

当時、仕事が忙しく現場に立ち会えなかった私は、細かく墓の所在を地図に書き、棟梁に植え込みをお任せしたのです。約束の日に、現場に着いた棟梁から電話が入りました。霊園の管理者が、植え込み作業にストップをかけたと言うのです。管理者に電話を代わってもらい事情を聞くと、霊園が契約している指定業者以外は木を植えてはいけないとの事でした。

私は、激怒しました。
私の愛する祖父と父の墓であります。この人に植えて欲しいなぁ、と思い棟梁にお願いしたのであります。棟梁も私の事を思い、考えて植木を選んでくれました。
指定業者だぁ?

大至急、霊園に向かいました。あまりにも頭に来過ぎて、どんな運転をしたか覚えていません。30分かかる距離なのに、10分もかかりませんでした。まず管理者を怒鳴りつけ、霊園の社長に電話を繋ぐように命令しました。規則がどうの、それはできないだのと御託を並べるので、私にしては珍しく思い切り名乗ってやりました。

「社長連れて来ねぇなら徹底的に構えるぞコラ!」
堅気を相手にあそこまで本気で怒った事はそうありません。管理者は大至急社長に連絡を取り、社長も大慌てで現地にやってきました。その霊園では、墓石も指定業者、造園も指定業者、何から何まで指定業者で固まっていたのです。こうなると一つの利権であります。

社長は来るなりひたすら謝っておりました。クソ野郎です。私の言い分は全て通り、無事棟梁に木を植えていただきました。後ほど改めてお詫びに伺うと言う社長の申し出を断って、霊園を後にしました。些細な事と言われるかもしれませんが、私にとっては大切な事なのです。

もし、自分で木を植えようとしていたらどうでしょう。
「こらこら、勝手に木を植えちゃいかんよ。どうしても植えたかったら金を払って、ウチの業者を使いなさい。それなら植えさせてやっても良いよ。」と言われているのと一緒なのです。自分の愛する家族の墓に、しかも購入した土地にです。イカれてるにも程があるってもんです。

墓や葬式、人の死で銭儲けをしようだなんて、絶対に間違っています。そんな分別もつかない人間が増えている事を、とても悲しく思います。ゴージャスに変化していく霊園を見て、そんな事を考えてしまいました。

墓を売っている人間が、一番墓に対して敬意が足りない・・・そう思います。


墓を洗って、花をそなえ、父の分と祖父の分、ビールを2本墓のまわりに撒きました。手を合わせて「ちんどん屋みたいな墓場になってきたけどゴメンなぁ・・・」と、心の中で謝ってまいりました。

長い事さぼってしまいました・・・(汗)。
回線が不調になったり、仕事が急に立て込んできたりと色々あった訳ですが、一番煩わしかったのが選挙であります。
やっとクソ選挙も終わり、とりあえず一段落ついた感じです。

とは言いますものの、今回の選挙には今までのように力を入れた支援はいたしませんでした。私が応援している議員さんはとても良い人なのですが、良い人と良きリーダーは別物だなぁと感じてしまったからであります。所詮私は法からハミ出した者、見るべき方向が議員さんと違うのは当たり前の事なのですが・・・。

選挙というイベントは、正直嫌いではありません。地元の人達でわいわいと、小さなお祭りのようなものであります。普段付き合いの無い種類の人達もたくさん集まり、なかなか楽しいものなのです。しかしながら、やはり選挙は選挙。地域の代表を決める大切なものですから、遊び半分楽しいだけではできません。

「この人に投票して下さい。」と人様に薦める訳ですから、薦められるだけの根拠が無くてはいけません。今回は、そこら辺の自信が無かったのであります。ですから、誰に投票してくれなどというお願いはどこにも一切しませんでした。選挙事務所や広報車に関わる人員の手配ぐらいにしか手を貸さなかったのです。

さてその先生、人柄としては全く問題ありません。本当に善い人だと思います。議員以外に収入源も無く、いつも貧乏をしております(笑)。今の時代には珍しいタイプの議員です。じゃあ何が不満で心から応援できないのかと申しますと、本人がこの4年間扱ってきた問題が、私的には少しマト外れだと感じてしまったからなのです。

その先生が今期まで取り組んできた問題は大きく3つ、一部の障害者の性別に絡む人権問題、新エネルギーの開発・運用、新幹線の誘致であります。どれも立派な事ではあるのでしょうが、さほど地元には関係が無いような気がするのです。普段間近に接する人達をあまり視界に入れていないような・・・。

選挙運動は当然ですが、任期中に行われる様々なイベント、講演活動、唯一の資金源であるセミナー、全て地元後援会の善意で行われているのです。「地元の事はどうなのよ?」それが正直な感想であります。普段の態度を見ても、決して地元をないがしろにしているとは思いませんが、どうしてもモヤモヤとしたものが残ってしまいます。

応援している者は皆、基本的に大きな事は望んでいませんが、少しは地元の事に貢献してもらいたいと思っている筈なのです。選挙カーから「任期中はこんな問題に取り組んできました~!」なんて叫んでも、「だから何なのよ。」と言われてお終いであります(苦笑)。当の本人には成果かもしれませんが、地元には関係無い事ですから。

私に言わせりゃ、新幹線なんて論外であります。一般人の殆どがそんな物を望んでおりません。地元の業者が元受で工事を受注できるのなら大賛成いたしますが、東京主導で大手のゼネコンが仕切るのに決っています。美味しい所を大手に持っていかれて、地元が割の悪い下請けをやらされる位なら最初からやらない方がマシであります。新幹線自体、黒字になる訳なんてないんですから・・・。

法から外れた私ですが、政(まつりごと)には多少の持論がございます。障害者を助けるのは良い事です。大切な事であります。一部の極々少数の障害者の権利を守る為に行動する事は、とても立派な事です。否定する気はさらさらありません。しかし政治家は、「一部の弱者を守る為、暗い部分に光を当てる事こそが政治家の仕事だ。」なんて事を平気でぬかします。

障害を持っていても尊重するべき一人格、尊重する人格なのだから粗末に扱う訳がありません。社会全体が尊重するべき人格を大切にし合い、思いやり、助け合い、障害が有っても無くても暮らしやすい世の中を作っていこう!誰もが自然にそう思えるような環境を作るのが、政治家の本当の仕事であります。

一部の障害者を守る為に、一部の法整備をする。これは、政治家の仕事のほんの一部分であって、「これこそが仕事だ!」と言うほど大きな部分ではないと思っています。偉そうに言えば、もっともっと大きい所を目指せ・・・と言う話です。何万もの票を集めて仕事をさせてもらうのだから、とことん大きな志と、命を懸けてでもやり通すんだという覚悟を持てと言いたいのです。

誤解を与えると困るのですが、少数の立場の弱い人間を助けるなとか、絶対数の多い方を優先しろという意味ではありません。大の大人が自分の口から「皆様のために!」なんて事を言うのであれば、「困っている奴全員、俺が絶対に何とかしてやる!」ぐらいの気概を持って欲しいと思うのです。自分のために、何千人、何万人の人達が「よし、やれ!」と後押ししてくれた事を忘れて欲しくないのです。

所詮は綺麗事だろう・・・と笑われるのかもしれませんが、人が目指す所はいつだって綺麗事でなくてはいけません。憎む事も、争う事も無い世の中、それを夢見る事は恥ずかしい事ではないと思うのです。今の世の中は、物や情報が溢れすぎて、欲がおかしな方向に向いてしまったのではないでしょうか。私みたいな者が、こんな事を言い出す資格があるかどうか判りませんが・・・。

何だか、今回の選挙は随分としらけてしまいました。元より議員に何かを求めている訳ではありませんが、見るべき部分や、恩に感じる部分がズレているなぁ・・・そんな気がいたしました。

合格を祝う万歳三唱が終った後、役員を辞める旨を伝えてまいりました。引き止められたり、しつこく理由を聞かれたりしましたが、面倒臭くて多くを語らず帰ってまいりました。同じ日本語を話す者同士でも、伝わらんもんは伝わらんでしょう。これからの活動を応援してもらえますか?という問いには「気が向いたら。」と答えておきました。


全然違う話ですが、家に帰ってから以前テレビで観た『ブータン』という国を思い出しました。チベットの近くの小さな仏教国であります。ネパールとの国境付近で少々ゴタゴタがあるものの、とても平和な国なのです。電気や水道もまばらで、日本と比べると貧しくて不便に思います。物資や娯楽も少なく、人々は夜明けから暗くなるまでよく働きます。

しかし、その小さな国では常に笑顔が溢れ、とんでもなく優れた精神文化を持っているのです。助け合う事は当たり前、そして感謝の気持ちも忘れません。国民はチベット仏教を信仰しているので『生まれ変わり』を信じております。そして皆「生まれ変わっても、この家族、この友人達とまた同じように暮らしたい。」と口を揃えて言うのです。

当然、この国には私共のような職業はございません。立派な事です。この国から学ぶべき事がたくさん有ると思っています。世界の中には、こんな国がまだまだ在るのでしょう。生活が便利になったとしても、目指す精神は同じではないのでしょうか。


自ら手を挙げて『政』をしたいのなら、せめてそんな気持ちを少しだけでも持って欲しいものです。


いつの日か、気合の入った本物の『政』をできる人間を世に送り出したいなぁ、なんて思っております。

私の一番大好きなスポーツ『NBA』。
アメリカのプロ・バスケットボールリーグの事です。
華やかでエキサイティング、最高のスポーツであります。
そんなNBAで、90年代初めに悲しい物語があったのです。

80年代末に初めてヨーロッパからNBAプレーヤーが誕生しました。彼の名は、ドラゼン・ペトロヴィッチ。ニュージャージー・ネッツというチームに所属し、1シーズン目から驚異的な活躍を見せ、あっという間にスーパースターの地位に駆け上がりました。異常なまでの確率で3ポイント・シュートを連続して決める彼の姿を、私は今でも忘れられません。

次いで2人目のプレーヤーとなったのは、ブラディー・ディバッツ。派手さはありませんでしたが、実直でハートの強い素晴らしい選手でした。彼は、マジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズに入団いたしました。マジックが引退した後も、傾きかけたレイカーズを支えようと一人頑張る彼には多くの感動を頂きました。

少し遅れてトニー・クーコッチが渡米してまいります。マイケル・ジョーダンの突然の引退による大きな穴を埋めるため、シカゴ・ブルズが彼を獲得いたしました。さすがに『バスケの神様』と呼ばれたジョーダンにはやや劣りましたが、メディアの予想を覆す大活躍をしたのです。ジョーダン復帰後も彼は活躍を続け、3度の優勝に大きく貢献しました。

この3人の素晴らしいヨーロッパ・プレーヤー達は、『ユーゴスラビア』という国の代表チームで共にプレイしたチームメイトなのです。オリンピックや世界選手権でも、常に優勝争いに絡む堂々たる世界のトップチームであります。共に汗を流し、厳しい練習に耐え、切磋琢磨し合い、堅い友情で結ばれた3人だったのです。

彼らが、相次いでアメリカにやって来て、それぞれが脚光を浴び、自由の国で成功を掴んだ矢先の出来事でした。彼らの祖国で史上最悪とも言われる『内戦』が起きたのです。突如として勃発した民族紛争、ほんの数時間前まで友人だった人達が民族が違うというだけで殺し合いを始めたのです。未だに現地の人々は「どうして、こんな事になったのか解らない・・・」と口々に言っております。熱病にかかるように狂気に襲われた・・・、そう言う証言が多いのだそうです。

かくして、世界でも有数の美しい国と称された『ユーゴスラビア』は、泥沼状態に陥りながら分裂してしまいます。スロベニア、クロアチア、セルビア・モンテネグロ(後に2つに分裂)、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、民族ごとに国を分けてしまいました。旧ユーゴスラビアでは、クロアチア人とセルビア人が多数を占めておりました。

ペトロビッチとクーコッチはクロアチア人、ディバッツはセルビア人だったのです。自分達が祖国を離れている間に突如起こった紛争・・・。彼らは、複雑な想いに襲われたことでしょう。ディバッツは、しばらく考えた後にペトロビッチに電話をします。「国で起きた悲しい出来事は自分たちとは関係無い。これからも仲良くしよう。」と伝えたくて・・・。しかし、ペトロビッチは全てを拒否。悪いのはセルビア人だと思い込み、話す事すらしようとしませんでした。

心を痛めたディバッツは、クーコッチに1枚のメモを託しました。自宅と携帯の電話番号が書いてあったそうです。クーコッチは彼の気持ちを理解しましたが「僕もペトロビッチと同じクロアチア人。一応メモは渡すし、君の気持ちは伝えるけれども、強く味方はできないよ・・・。」と言ったそうです。

ディバッツは、大好きなチームメイトからの電話を待ち続けました。来る日も、来る日も・・・。そして、オフ・シーズンを迎え、とうとう電話が鳴りました。不慮の交通事故によるペトロビッチの訃報でした。ディバッツとペトロビッチの友情の復活は、夢と潰えてしまいました。
ディバッツは、その場に泣き崩れたそうです。

喧嘩などした事も無く、共にチームの勝利のために頑張ってきた仲間。あまりにも惨い話です。どれほど悲しかった事でしょう。想像しただけでも、胸が強く締め付けられます。しかし、ペトロビッチの死をきっかけに、ディバッツとクーコッチは今まで以上に強い絆で結ばれる事になります。友情の大切さに、あらためて気付いたのでしょう。

2m16cmの心優しい大男ブラディー・ディバッツは、故国の分裂によって孤独や貧困に苦 しむ子供たちや国を追い出された子供たちを支援するため、Group Seven Children's  Foundationと呼ばれる組織を作りました。今では、旧ユーゴ出身のスポーツ選手が多数在籍し、様々なボランティア活動を展開しております。


もし自分達がこんな事に巻き込まれたら、どうなるのでしょう・・・。
悲し過ぎますね・・・。


亡き祖父から、戦争の話をしこたま聞かされて育ちました。
あの鬼のように強い祖父が、いつも涙を浮かべながら話をしておりました。


最近、テレビで戦争に対しての議論をよく目にいたします。

時には殺し合う事もある馬鹿な私共には正解など判りませんが、先の悲話と祖父の顔を思い出してしまいました。


やはり、平和が一番だと思います。

私には、いくつかの口癖がございます。
何種類かあるのですが、周りの者は出てくる言葉によって私の機嫌や、興味があるか無いかの判断をしている様です。よく人から指摘されるので、自分でも気づいております。まぁ、周囲から判りやすい方が良いだろう・・・、という事で全く直す気はありません(笑)。

その口癖の中でも、一番酷いのが『大丈夫だ!』であります。
「おー、大丈夫だ。大丈夫。なんも心配すんなぁ!」
妙に明るく軽~い感じでこの言葉が出たら、まず間違いなく興味0(ゼロ)なのです(笑)。相談事や、助けてコールの際にこの台詞が出た時、私は100%動きません。周りに私の事を良く知る者が居たのなら、皆『あ~ぁ、可哀相に・・・』と思うそうです。

以前、麻雀をやっている最中に私の携帯が鳴りました。
薄っぺらい付き合いの土建屋の社長からです。いつも悪い事ばかりしては「助けて下さい!」と虫のいい頼み事をしてくる面倒臭いオッサンであります。話の内容は「明日までに100万を用意しないと不渡りを出してしまう。」との事でした。どうせインチキな手形をクルクル回している内に、どっかで引っ掛かってしまったのでしょう。自業自得です・・・。

「あ~、大丈夫、大丈夫。俺は今持ってないけど、金貸しの社長に言っといてあげるから待ってなよ!」
そのまま何事も無かったように麻雀を続けておりました。小1時間も経った頃、また携帯が鳴りました。
「どうでした?準備できそうですか?」
「ん~、電話かけたんだけど出ないんだよな。その内、折り返してくると思うから。心配しないで待ってなさいよ。」

全然、電話なんかしてません(笑)。かけてないんだから、折り返し電話が来る事もありません。その後、30分置き位に電話が鳴っていたのですが、面倒臭いのでシカトしておりました。あまりにもうるさいので、何度目かの着信で仕方なく電話に出ました。

「さっきから何回も電話してるのに、何で出てくれないんですか?どうなってるんですか?」
「んん~、何だぁ?俺に急げって言ってんのか?」
「えっ?そういうつもりじゃ・・・。あの・・・、電話にも出てくれないし・・・。あの・・・。」
「手前ぇの都合で頼み事してきやがって、急げってのはどういう了見よコラ。尻叩いて、動けコラって言ってんのか?お~?」
「す、すいませんでした。あの、どうすればいいですか?」
「あぁ~、黙って待ってろや!」
「はい・・・。」

麻雀のお茶汲みをしていた若い者が真剣に心配しておりました。
「本当に放っといて良いんですか?」
「ん?いいの、いいの。どうでも良いの♪」
それ以来、その社長から電話がきておりません。3年位経つのですが、まだ黙って待っているんでしょうか。それとも、不渡りでも出してどこかに逃げたのでしょうか。なんせ、興味がゼロですから知った事じゃありませんが・・・(笑)。

麻雀のメンバーに兄貴分もいたのですが、私の「あ~、大丈夫」を聞いた瞬間にニヤッと笑っておりました。
そして一言「あ~、カワイソ。」と呟いておりました(笑)。

胡散臭い連中と付き合っていると、こんな事がしょっちゅうあるものなのです。まともに相手をしていたらキリがありません。気に入らない者まで助けて、良い人の振りをしたくもありません。


大切な人は、とことん大切にいたします。
どうでもいい人は、とことん適当に扱います。


私の軽~い『大丈夫!』は、そんなサインであります。(^_-)-☆

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