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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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アメブロの方を見て頂いてる方は御存知でしょうが、最近私は農村をメインに走り回っております。
そこで感じる事のお話です。
離農について、マスコミの連中は必ずと言って良いほどに後継者不足と報じます。
後継者不足・・・
一言で片付けてしまうのは簡単ですが、そこには色んな要因があるものです。
単に農家に男の子が生まれないのか、農家の仕事はツラいのか、農家の仕事は格好悪いのか・・・
そうではございません。
農家に子供が不足しているワケでも、仕事が極端にツラかったり汚いワケでも無いのであります。
要は儲からないワケです。
儲からん・・・、という表現には多少語弊があるかもしれません。
儲からんどころか、食うにも困るような場合があるのです・・・。
作付面積に対しての補助制度などが有りまして、規模の大きな農家はそれなりに儲かっております。
家も立派ですし、機材も新しく、後継者もいる場合が多いのです。
まぁ、パッと見で立派でも内情は借金だらけなんて例もございますが、それは脇に置いておきます・・・。
問題は、中・小規模の農家であります。
助成金の対象にもならず、悲惨な現状にある場合が多いのです。
誰がそんな悲惨な商売を自分の大事な子供らに継がせるでしょうか・・・。
人の親である以上、自分の子供には幸せになって欲しいと願うのが当たり前であります。
仮に子供らが継ぎたいと言っても、親ならば絶対に継がせないでしょう・・・。
考えてもみて下さい。
ん千万の学費をかけてでも、医者は自分の子を医者にしようとします。
最近めくれた大分の事件・・・、教員は卑怯な手を使ってでも自分の子を教員にしようとします。
議員は、利権を手放したくないが為に自分の子を議員にします。
良い商売だと解っていれば、自分の子に継がせたいと考えるものなんです。
それが、親ってものなのです・・・
私が普段、離農したお年寄りと世間話をすると、やれ土の作り方がどうの、天候がどうの、と良い作物の作り方を誇らしげに教えてくれるんです。
その時の表情は、自信に満ち生き生きとしております。
彼らは、自分の仕事を愛し、誇りを持っています。
農家をヤメて何年も経つ人達の家庭菜園・・・、土が信じられないぐらいフッカフカなんです。
「良い土を作れば、良~い野菜ができるんだよ。(笑)」
実に良い笑顔で教えてくれます・・・。
親から知恵と土地を受け継ぎ、そしてその仕事を愛し一生懸命働いて・・・
その愛する仕事を自分の子に譲れないのです・・・
どこの親が食っていけない仕事を子に押し付けますか?
どこの阿呆が食っていけない仕事を選びますか?
食い物作る人間が食っていけねぇんじゃ、話にもナンにもなりません!
決して、後継者が不足しているワケでは無いのです。
単純に、国策が間違っているのです。
これは、1次産業全てに言える事でしょう。
漁業、酪農業、林業・・・etc、全てにおいて共通の問題なのです。
儲かる・・・、とまでは行かなくても、せめて不自由無く食っていけるような方策が必要なのです。
国で大金かけて歌舞伎やら能やらの世襲制を守ってる場合では無いんです・・・
アホらしい・・・( -.-)..。ペッ
食料は、国の礎であります。
食料を他国に依存すると言う事は、命綱をその国に渡すと言う事なのです。
アメ公に、豪州に、チャンコロに・・・、命綱を預けている状態なのです。
本当にこれで良いのでしょうか・・・
人が生きていく為には、食い物が絶対に必要なのです。
農業・酪農業・漁業、これらを疎かにすれば、いずれ国は衰退するでしょう。
今は銭と商才だけで何とか形になっているものの、将来的に国民生活は辛いものになっていく一方だと思います。
完全な独立国家と言っても過言ではない『キューバ』という国。
『国民全員で食料を作る!』という思い切った方針を掲げ、今では世界でもトップクラスの有機農業を実践しております。
そして、食料に溢れた豊かな国になりつつあるのです。
キューバは現在、医療体制も世界一と言われております。
指導者の信念と手腕を褒めるしかありませんね。(- -)(_ _)
福田首相が改造内閣を発表いたしました。
そんなもんを改造する前に、手前ぇの頭を改造しろってんです!
食料・・・、大切だと思います。
それを作る人たちには、それなりの報酬を与えるべきだと思います。
近年、問題になっている社会格差やワーキング・プアに絡むお話です。
以前、軽く触れた事もございますが、私は高校生の頃から歳をごまかして繁華街で働いておりました。16歳の現役高校生が正社員として働いていたのです。何ともいい加減な時代だったのであります。
その当時の給料は基本給が15万円、何の手当ても無い上にクリーニング代の6千円を引かれ、手取りは14万4千円でした。あまりにも簡単な計算なので、未だにハッキリと覚えております・・・。
夕方の4時に店に入り、終るのは朝5時近く、一日13時間の労働です。ナイトクラブのウェイターは、建築作業員よりもキツい重労働なのです。トレンチ(銀のお盆)の上に、ガラス瓶のミネラルウォーターを16本乗せて、ずっと走り回っているようなものなのです。
世間を知らないガキだから勤まったようなもので、私よりもずっと年上の新入りは皆1週間ももたずにヤメて行きました。中には休憩時間にタバコを買いに行ったまま行方をくらませる者までおりました・・・。今思えば、とんでもない職場であります・・・(汗)。
出勤は地下鉄、帰りはタクシー、交通費だけでも3万以上かかってしまいます。実質、10万程度で働いていた事になります。高校生に10万は大きい額ですが、大人が一人で暮らしていこうと思えば冗談では済まされない収入であります。新人が次々ヤメて行くのも納得ができるというものです。
30代後半のマネージャーが19万、40半ばの店長が25万の手取りだったそうです。時はバブルの真最中、今になって考えると本当にとんでもない会社であります・・・。しかし、水商売の男なんて当時はどこもそんなもんだったのです。私共にも大きな違和感はございませんでした。
社会情勢の所為なのか、無謀と言えるほどに若かった所為なのか、それとも単に馬鹿だった所為なのか・・・。いつも漠然と大きな希望を持っておりました。矢沢永吉の『成り上がり』なんて本も中学の時に読んでいましたし、少なからず影響は受けていたのかもしれません。
表現しづらいのですが「今に見てろよ!一発当ててやるぜ!」というような事ばかり考えて暮らしておりました。やはり、世間知らずの阿呆だったのかもしれません・・・(笑)。しかしながら、格好の良い言い方をすれば、夢も希望もあった訳であります。
現在、問題になっている『ワーキング・プア』。
何か英語で誤魔化されている気がして仕方がないのですが、要するに貧困層という事であります。私らがまだガキの頃の低所得者層とは、少し意味合いが違うと考えております。何が違うのかと申しますと、今のワーキング・プアと呼ばれる人達は、夢や希望すら持てない状況だからであります。
私は、両親の努力のお陰で何不自由の無い家庭で育ちました。しかし育った地域は、格安な市営団地を抱えたいわゆる低所得者層が多い所でした。片親や生活保護の家庭が普通に存在し、私らもそれらの事を意識した事はありませんでした。私らの地域では、当たり前の事だったのです。
愛する地元を悪くは言いたくありませんが、極端な言い方をすると小規模なスラムであります。そんなガラの悪い地域でしたが、今時のような疲弊感というものを感じた覚えは一切無いのです。それどころか近所仲が良く、笑顔が溢れていた気がします。
誰もが懸命に働く事に疑問を持っておりませんでした。いつかは金持ちになってやろうとか、きらびやかな暮らしに対しての羨望とかが希薄だったという事なのでしょう。精神論になってしまいますが、現在セレブとか呼ばれている成金が美徳とされていなかったんですね。
銭に対して極端な欲を持っていないワケですから、現在の自分達の暮らしを悲観する理由も無いワケです。物が無い時代に育った人達は、当時でも便利で快適に感じていたのでしょうね。貧乏だと言っても、住む所もあれば、風呂もあり、TVも冷蔵庫も洗濯機もビデオも揃ってるんですから。
問題は、我々の世代にあるのかもしれません。物に恵まれ育った私ら世代は、銭の有る無しで良し悪しを決めてしまいがちです。儲かる仕事は良い仕事、稼げない仕事は悪い仕事。汚れる仕事は格好悪い、スーツを着てシュッとしてるのが格好良い仕事。こんな感じです。
拝金主義という表現をお借りしますが、この拝金主義こそが全てを歪めてしまった根源であると考えております。そして、分配の仕方が大きく間違っているのです。どこの何様が何と言おうとも、物を作り出す現場の人間に一番多く分配するのが正しい事なのです。
以前にも触れた事があると思いますが、私は現場至上主義であります。家を実際に建てた大工よりも、家を売った営業マンの方が多く配当を貰えるという事に我慢がなりません。作った人に一番配当を与えるのが正しい事だと信じております。
これは、全ての事に当て嵌まる事だと思うのです。作る人がいて、現場の人間がいて、はじめて売る事ができるんです。海外に製造を全て依存して、日本国民は全員でそれを売るというのなら話は別ですが・・・。そんな事ぁ、あるワケがありません。
資本主義の原則には反するかもしれませんが、労働者ってものをもっともっと大切にするべきなんです。真面目にこつこつ働いていれば、40~50代には小さくても家が持てる位が理想的ですね。そうじゃなければいけません・・・。
最近は・・・、いや最近ではないのかもしれませんが、実体の定かで無い物事に銭の流れが集中していると思うのです。言い出しゃキリがないのですが、人材派遣だの、株屋だの・・・。人材派遣については、私らも似たような事をしておりますが、現場の人間を第一に考えております。
人材派遣は、所詮ピンハネ業であります。現場の労働ありきの話なんですから、会社が潤うほどハネちゃあいけないのです。派遣会社の社員が、社会保険やらボーナスを保証されていて、派遣される子らがワーキング・プアになるのでは、意味が解からんでしょう。
腐れ銀行共だって、派遣会社の社員にはローンを通しますが、現場の子らには通しません。これじゃあ、鵜飼いと鵜の関係ですよ。とてもじゃないが、まともじゃありません・・・。これが、まかり通っているのだから恐ろしい世の中です。
コムスンを代表とした介護業界もそうであります。現場で働くヘルパーが、大変な思いをして働いた銭をガッツリとハネるのですから。それで会社を上場して、株を回して更に銭を作るんです。虚の部分に銭が集中して、実の部分である現場には還元される事が無いんです。
これは、コムスンだけの問題ではありません。介護業界の大半は似たような事になっております。人材派遣だって同じ事、グッドウィルが叩かれておりますが、大手の派遣会社は皆似たようなものなんです。働く人間を、魚を取って来るだけの鵜だと思っているのです。
株屋の連中なんて、その存在自体が虚みたいなものでしょう。銭をあっちこっちに動かすだけで、何も生み出してはいないのです。この人なら良い物を生産できる、この人なら良い会社を運営できる、だから資本を融通しましょう。ってぇのが、本来の投資って物なのです。昨日買った株を今日売って、なんてぇのは本来の目的から全然外れているんです。
投資家だの、マネートレーダーだのって気取った呼び方をされていますが、何を生み出す事も無い、世の中には必要の無い連中なんです。ヤツらがいなくても誰も困りませんが、労働者がいなくなったら社会は機能しないんです。どちらに重きを置くかなんて、考えるまでもございません。
社会に対する暴言と思われるかもしれませんが、TVのCMに流れている会社の大半が怪しいものなんです。保険会社、自動車会社、金融会社、IT関連・・・etc。CMをやめたからって極端に売り上げが下がる事が無い会社が多いんです。
TVのCMで見たからって言って、アイフルに金を借りに行くヤツがいますか? 同じくCMを見たからって、トラックを買う運送屋がいますか? CMなんて見なくても銭に困ったヤツは金貸しの所に行くんです。運送屋はあれこれと性能の情報を調べてトラックを買うんです。CMなんて関係無いんです。ただ宣伝費として余剰利益を削りたいだけでしょう。余剰利益なんて出す位なら、社員に還元すりゃ良いんです。
有名タレントに高いギャラ払って、何億ものCM料を払って、また何も生み出さない側に銭が流れていくワケです。TVを筆頭にメディアというものは、正しく使えばもの凄く社会の役に立ちますが、現状ではマイナスの部分の方が多く感じます。労働者に払うべき金が、また虚の部分に流れ込むのです。
農家より農協の方が、漁師より漁協の方が、酪農家より乳製品業者の方が、職人よりも営業の方が、町工場より木っ端役人の方が・・・etc。多くの場合において、人のふんどしで相撲をとっている連中の方が銭を稼いでいるワケです。
全ての歯車がおかしくなっております・・・
私は、ワーキング・プアについて、最近まで大きな勘違いをしておりました。銭にならない仕事にしがみついていないで、とっとと転職すりゃいいだろう・・・と思っていたのです。銭にならん仕事を捨てて、サクッと転職しないのが悪い。転職できないのは能力が足りないからだ。そんな風に思っていました。
これは、私の昔の経験を踏まえた上での考えです。私は、根が不真面目だった為に、銭になる方に流されて生きてきましたから・・・。真面目に一つの仕事に打ち込んでる人の気持ちが見えていなかったのです。
転職しようにも条件の良い仕事は年齢でハネられ、就職活動をしようにも寝る間も無く働いて、今の仕事をヤメるにしても蓄えなんて無いので明日からの生活にすら困る。抜け出すのも生易しい事ではありません。
それでも何とかして、今現在ワーキング・プアと呼ばれている方々が、転職して今の生活を抜け出せたとしても、またその抜けたポジションに誰かが入る事になるワケです。延々とそのポジションに誰かがハマり、このままでは永遠に解決する事なんてできないのです。
そんな現状を余儀無くされて、TVで成金共の浮かれた生活を見たら、やってられませんよ。将来に希望を持つどころか、絶望しか見えなくなります。これじゃあ、イカんのです・・・。浮かれたバカの将来が暗いのならともかく、真面目な人達がこんな目に遭うようじゃ、健全な社会とは言えません。
マネーゲームの虚の世界、実である現場の世界・・・
どうやれば正常になるかに悩んでいます。政治が悪いというのは簡単なのですが、どこをどう治せば良いのやら・・・。
先ずは自分の周りの小さな範囲で、自分に関わる者を潤わせていくのが正解なのかもしれません・・・。
しかしねぇ・・・、それじゃあイカんのですよねぇ・・・
とうとう負けてしまいました…
さ、さ、寒さに…
毎年、暖房を点けるとスゴ~く負けた気分になります…
そんなこんなで暖房を点けてしまいました。
北海道弁では「ストーブを炊く!」と言います。薪(まき)じゃねぇんだから炊いちゃダメだろ…と思うかもしれませんが、我々道産子としてはストーブは炊くものなんですよ。ファンヒーターであろうが、ハロゲンヒーターであろうが、『ストーブ』と呼びます。さすがにコタツはストーブとは呼びませんが…
今年の夏は檻にブチ込まれて、ただ暑い思いをしただけで、あっと言う間に終ってしまいました。社会に戻ってバタバタとしている間に、もう冬であります…。
何でこんなに温度ちがうのよ…(-_-;)
津軽海峡を渡っただけでナゼここまで気温に差がでるんだろう…。毎年この時期、天気予報で全国の気温を見ては同じ事を思います。「朝晩寒くなってきたのでご注意下さい。」という女子アナの言葉に、「お前ら、まだ夏みたいなもんだろがっ!」とテレビに独り言をカマすのも、毎年の決まり事です。(笑)
道産子はストーブ以外にも炊く物がございます。『ご飯』じゃありませんよ。それじゃ普通すぎますから。答えは、な、な、なんと『エアコン』であります。北海道民の多くは「エアコンを炊く!」という表現を使います。
「あ~ぁ、暑いな…、ちょっとエアコン炊けや!」
こんな感じで使います…(;^_^A
「えぇ?今、何て?」
本州の人が聞くと、大抵固まってしまいます(笑)。ストーブは炊くわ、エアコンは炊くわ、ご飯は炊くわ、もう北海道民は大変であります。ご飯は普通です・・・。年寄りになると風呂も炊くし、中には車のエンジンまで『炊く』と言う人がおります。
「寒いから先にエンジン炊いとくわ。」ってな事を平気で言います。(汗)
他に有名なのは「手袋をはく。」、漢字で書けば『履く』。
本州の方々は必ず「靴下じゃないんだから♪」と笑いますが、私ら子供の頃から手袋は履くもんだと思っております。パンツをはく、ズボンをはく、靴下をはく、靴をはく、手袋もはく・・・。良いんですっ!履くんですっ!放っといてくれっ!
ゴミを投げるっ!
9回の裏ツーアウト満塁、キャッチャー緊張の面持ちで構える、ピッチャー振りかぶって第1球『投げたぁぁぁっ!』・・・の『投げる』ではありません。ゴミを捨てる、という意味で使います。『ゴミ捨て』は、北海道では『ゴミ投げ』です。これは日頃から相当な頻度で使います。
19歳の時、東京で仕事をするまで、ゴミは投げるもんだと思っておりました・・・(汗)。「そこのゴミ投げといてね。」と言ったら、埼玉人に爆笑されました・・・。あんな地下鉄も無い県民に・・・。ウシガエルだかってデカい蛙が道路に飛び出してくるような所から通勤している人間に・・・。ちっ・・・。
埼玉の田んぼ星人には笑われてしまいましたが、私はこれからもストーブを炊き、エアコンを炊き、手袋をはき、ゴミを投げ続けて生きて行きます。
負けるな、北海道弁っ!(^o^)/ォー
気にしたら負けだべ!(^o^)/ォー
とりあえず今日、寒さに負けてストーブを炊きました・・・(-_-;)
今回は、中で書き溜めた物ではなく、出てきてから数日のテレビに対しての小言であります。80日ぶりのテレビ・・・。
まぁ、特に何も期待はしていないのですが、ここ数日何となくテレビっ子になっております(汗)。
檻の中にいる時は、新聞だけが唯一の情報源であります。しかし新聞では、この夏の流行りであるとか、新人女優の可愛い顔などが全くわかりません。紙上で見る大相撲や、世界陸上では、一切面白くありません(汗)。「そんなの関係無ぇっ、そんなの関係無ぇっ。」ってお笑いタレントもまだ見た事がありません。呑みに行くと男も女も必ずその物真似をするのですが、何の事やらサッパリです・・・。
やはり映像は大切です。
そんな事もあり、暇な時はテレビを観るようにしているのですが、やはり以前と変わり映えする事無く、その質たるやヒドいものであります。朝・昼・晩と、「朝青龍、朝青龍、朝青龍・・・」。何なんだ一体・・・(怒)。どういう基準で優先順位をつけたら、朝青龍のニュースが一番になるのでしょう。
相撲ファンの一人として、毎日怒りに震えております(怒)。まるで日本の敵のような扱いです。いくら何でも酷すぎるだろう・・・、と思うのです。何年もの間、たった一人の横綱として相撲界を支えてきた功績は評価されないのでしょうか。若くて一見好青年風な横綱が誕生したとたんに、お払い箱という意味なのでしょうか。
私は、朝青龍の大ファンであります!
北の湖が横綱の頃から相撲を見始め、私の中で最強の力士は『千代の富士』でございます。北海道出身であります。千代の富士の親方は『北の富士』、彼も同じく横綱で北海道出身。ちなみに、私共が暮らしている繁華街には、『北の富士』という名前の有名なちゃんこ屋がございます。北の富士親方の弟さんがやっているとの事です。
店内に土俵があります。
本当に良い店です。
たまに千代の富士も来ます。
超おすすめです・・・。
ちょっと話がそれてしまいました・・・(汗)。
朝青龍は、私の中の大横綱『千代の富士』をも越える可能性を持つ、唯一の力士であります。千代の富士が横綱になったのは26歳、今の朝青龍と同じ歳です。優勝回数は31回、朝青龍は現在26歳で既に21回も優勝しております。どれほど凄い事かおわかりでしょう。理事長の『北の湖』は24回、今回の件が無ければ来年には朝青龍に抜かれていた筈です。
若くしてこれほど成功すれば、誰だって多少天狗にはなるでしょう。当たり前の事です。態度が悪かろうが、行儀が悪かろうが、それを差し引いてもお釣りが来るってものであります。横綱というポジションにつく事も、それを維持する事も並大抵の努力ではありません。相撲をなめているのなら、決してできない事なのです。誰よりも努力し、そして稽古し、真剣に相撲に取り組んでいる事はいちいち説明するまでもありません。
なのに、この仕打ち・・・。ついこの間まで、キャーキャーと持て囃してきた癖に、このマスコミの手の返し様は何なんでしょう。信じられません(怒)。ケガもしていないのに悪意があって巡業を休み、母国で毎日サッカーに明け暮れていた訳ではありません。チャリティーのサッカー試合に顔を出してくれと頼まれ、ほんの少しお愛想で参加してあげただけの事です。国の英雄としては、当然の事でしょう。
日本の文化として巡業が本場所よりも大切だ・・・、なんて初めて聞きました。30年の相撲ファンとして初めてです。何年も前から、採算が取れない地方の巡業はやめているんです。それが本場所よりも大切な行事だと言うんだから、驚きであります。巡業の成績で番付が変わる事はありません。絶対に本場所の方が大切なのは言うまでもありません。
大昔ではありますが、『北の富士』親方は本場所を休場してハワイでサーフィンをやっていたのをスクープされた事があります(笑)。その時でさえ、ここまでのバッシングは受けなかったようです。何の差で、ここまでされなければいけないのでしょう。
小錦も本来なら横綱になれる成績を出していたにもかかわらず、横綱審議委員会による外人バッシングの所為で、結局横綱になる事ができませんでした。曙、武蔵丸・・・、確かに横綱まで行きましたが、朝青龍ほど強くはありませんでした。これほど極端に強い外人力士は、相撲界にとっても初めてであります。外人の横綱が気に入らないのなら、はなから外人なんか入れなければ良かったのです。
朝青龍が日本人だったとしたら、こんな騒ぎには絶対にならなかった筈です。下品なマスコミ連中は、そんな事を考えもせずに騒ぎ立てます。恥ずかしい連中です。
朝青龍の話に終始してしまいました・・・(汗)。
大の相撲好きなのでつい・・・。
私が本当に言いたかった事は、こんな事よりももっと報道するべき大切な事があるのではないのか・・・と言う事なのです。例えば、年金の事なんかがそうです。年金の横領が発覚したようです。管理ミスで年金が消えた、なんて生ぬるい話ではございません。泥棒です、泥棒。ただ目の前の現金を盗んだだけの話ですから・・・(怒)。この事の方が、朝から晩まで放送しなければいけない事なのではないでしょうか。
消えた年金も含め、徹底的に継続して放送し続けなければならない事だと思います。5千万人分がどうとかって話も最近ではサッパリです。せっかく初めてまともな厚生大臣が誕生したのだから、どんどん援護射撃してやるべきなのです。この大切な時に、朝青龍、朝青龍・・・って、どうかしているとしか思えません。
ここ数日、マスコミの馬鹿さ加減に呆れながらもテレビを観続けております。もっと考えて欲しいものです。
まだイチローのランニングホームランを観ていません。
そんなの関係無ぇ・・・、って奴もまだ観ていません・・・(汗)。
最後に一つ、絶対に忘れて欲しくない事がございます。
朝青龍は、明るい好青年です!
頻繁に『親殺し』『子殺し』の事件が起きております。
異常な事であります。
これじゃあキチガイの世界です・・・。
前回、長々と書いてしまいましたが、私は親を尊敬し愛しております。これもひとえに、両親や祖父母の育て方によるものだと思っております。この上なく、感謝しています。
我が家の環境はさておき、何故『親殺し』『子殺し』が多発しているのだろう・・・、とボーっと考えておりました。いつの頃から、親子の関係が希薄になってしまったのでしょうか。ただのキチガイと言ってしまえば終わりなのでしょうが、最近あまりにも数が多い事に驚いてしまいます。
昔は無かったような凄惨な事件が頻繁に起こる・・・、やはり世の中の歯車が少しおかしくなっているのでしょう。馬鹿なガキ共が増えるのは大して気にならないのですが、キチガイが増えるのは正直嫌であります。はっきり言って気分が悪い。
昔と比べて今時の親御さんは、子供にかけるウェイトが軽くなっているような気がするのです。家庭を持っていない私が言うのもアレなんですが・・・(汗)。
私の地元には大きな市営団地がたくさんございます。悪い言い方をすると低所得者層の団地であります。生活保護や片親が多く、昔からスラム街的な雰囲気を出していました。私の通った小・中学校は大半がその団地の子供であります。
鍵っ子も多かったし、家庭環境が複雑な家も随分とありました。しかし、皆生活に追われながらも懸命に子育てをしていたと思うのです。確かに、一部にはシャブ中やらアル中やらのダメ親もおりましたが・・・。それでも大半の親御さんが、人の道を黙って背中で示していたように思います。
我々の世代には、子供のために自分が我慢するという意識が薄いのでしょう。嫁も子供もいる癖に、パチンコはしたい、呑みにも行きたい、服も欲しい、車も欲しい。中には借金をしてまでも、自分のしたい事をする。こんな人が増えているような気がします。
毎年、炎天下のパチンコ屋の駐車場で子供が死ぬ事件があります。車に乗せたまま放置して、自分達はパチンコに呆けて、戻ってきたら子供は死んでいたというパターンです。わざとやった訳じゃないにしても、酷い話であります。幼い自分の子供のために、自分の遊びくらい控える事はできないのでしょうか。
カラオケやゲームセンターで、夜中まで幼児を連れ歩いている親を見かけます。子供を遊ばせると言うよりは自分達が遊びたいように見えるのです。そんなくだらない遊びに銭を使うのであれば、子供のために貯金でもしろよと思います。所詮は人様の家庭の事なのですが・・・。私共の親の世代なら大半はそうする筈です。
子供は、無垢なものであります。
我慢をしない親に育てられれば、我慢の出来ない人間に育つのが当たり前なのです。子供のカラーは親が染めるものなのです。まぁ、反面教師の役割を果たす場合も多々あるのでしょうが・・・。どちらにしても、親が子供に与える影響が大きい事には間違いありません。
ただ、いたずらに昔の時代を肯定し、今の時代を否定したい訳ではありません。単純に考えても、昔は誘惑が少なかったからであります。私共の親の世代には娯楽的なものが極端に少なかった、それも大きな原因だと思うのです。
なんせ、自動車を所有する家庭も少なく、ビデオデッキや電子レンジがあるとちょっと良い家として扱われていた時代です。コンビニもファミレスも無く、外食自体がちょっと贅沢な感じでしたからね(汗)。今とでは、全てが比較になりません。
スーパーに行けば、ありとあらゆる食材が並び、冷蔵庫と電子レンジがあれば料理なんてできなくても食うに困りません。洗濯機は全自動、オムツは使い捨て、携帯電話さえあれば情報にだって事欠きません。色々な方々の努力と研究が在って、暮らしは激的に便利になりました。
そして、暮らしが満たされ今度は娯楽を求めます。テレビは成金共をもてはやし、グルメだ、旅行だ、ブランドだ、それが人生の豊かさだと言わんばかりに・・・。いつの間にか、日本人の価値観は大きく歪んでしまったのかもしれません。
この20~30年の間に、文明は驚くほどの進化を遂げました。日本人にとっては、未知の世界を歩き続けてきたようなもんであります。物に恵まれた暮らしや、娯楽に溢れた暮らしが、人間に与える影響なんて誰にも判らなかった事なのです。
文明を捨てろだとか、娯楽がいかん等とは思っておりません。楽しい事は大好きですし、便利な物はあった方が良いに決っています。ですが、知らない間に失ってしまった、人の感情や大切な価値観について再度考えなければいけない時期が来ている様な気がしています。
『親殺し』『子殺し』だけではなく、猟奇的な事件が多発しています。リストカットや集団自殺、これも相変わらず多い。あと、異常な性癖の変態共も・・・。これは、先進国だけがかかる病気なのです。そろそろ手を打たなければ、キチガイだらけになってしまいます・・・(汗)。
治安の悪い地域で育っておりますので、多少の事は気になりません。しかし、キチガイだらけの中で暮らすのは嫌であります・・・(汗)。嫌だと言っても、確実にその数は日々増えているのです・・・。
人と人の繋がりの重要性、心の重要性、価値観の重要性、そろそろ本気で考えていかないといけませんね。不良がこんな事を言い出すんですから、かなりヤバい状況です。
結構、ギリギリの所まで来ていると思っています。
本当に・・・(汗)。
私には全く生活感が無いそうであります(汗)。
これは20代前半からずっと言われ続けております。言われ慣れてはおりますが、やはり多少気にはなってしうものです。今回の連休でも、友人たちに毎回言われておりました。
良い事だと仰る方もたくさんおりますが、実際のところどうなのでしょう。一応、ある意味で褒め言葉かなぁと受け止めております。私自身としては、さほど浮世離れしたつもりも無いのですが・・・。
私だって掃除もすれば洗濯もします。燃えるゴミと燃えないゴミもちゃんと分別しております。週に2~3回は母を連れてスーパーに買い物に行ったりもします。スーパーで商品の値段の高い安いを判断できる数少ない男衆なんです。なのに生活感が無い・・・、何故なんでしょう。
充分過ぎる程に、普通の生活をしている筈なんです。服装の所為かなぁ、なんて思った時期もありましたが、若い頃と違いブランド物にも興味が無くなり結構普通の格好をしております。人相が悪いのかなぁ、とも考えましたが、世の中には人相の悪い者がなんぼでもおりますし、彼らに生活感が無いかと言えばあながちそうでもありません。まぁ、開き直ってしまえば、きっと私には何かが大きく足りないのでしょう・・・(汗)。
普段母と買い物をする時は、実家の近所のスーパーに行くのです。友人達がたまに私を見かける事があるらしいのですが、声を掛けられた事があまりありません。その理由は、何か見ちゃいけない物を見てしまったようで声を掛け辛いそうです・・・。何の気遣いだっちゅう話です(汗)。
旧友の反応もさることながら、繁華街の人々の反応も今イチ納得がいっておりません。特にホステス・・・。
「洗濯するからそろそろ帰るわ。」
「嘘だっ!」
「朝から仕事入ってるから帰るわ。」
「嘘だっ!」
意味が解りません・・・(汗)。洗濯もするし仕事もするサ、猫の便所も毎日片付けるっちゅうの・・・。そんな、しょうもない嘘はつきません。
正味のところ、どんな人間だと思われているんでしょう。生活感が無いのを通り越して、ダメ人間に見られている気がいたします。「生活感なんて無い方が格好良い。」と彼女らは口々に言います。ですが、ただの遊び人のように見られても微妙な気分であります。
生活感があまり出てない、とか言われている内が華のような気がします。生活感が全く無い、に表現が変わると極悪人か遊び人になってしまいます。困ったもんです・・・。
しかし、生活感ってのはどうやって出せば良いのでしょう。服に食べこぼしのご飯粒か醤油の染みでも付ければ良いのでしょうか。それじゃあ、ただのだらしのないオッサンになってしまいます。ポケットからお金を出そうとした時に、お金と一緒にレシートがいっぱい出てくる、なんてどうでしょう。・・・・・・。
一体、何に悩んでいるのだろう・・・。
少し阿呆らしくなってきました・・・。
もう少ししっかりした人間に見られるように努力しないといけませんね・・・(-_-;)
昨日までの、うららかな日々が嘘のように冷え込み&風雨であります。寒い・・・。特に大事な用事も無く、天気の所為でテンションも下がりかけたので、一旦家に引き上げてまいりました。
昼過ぎに家でゆっくりという事も最近は殆どありません。
とりあえずニュースでもやってないかな、と思いテレビをつけて何局かパパッと流し見してみました。今日は何一つニュースが無いようであります・・・。そんな訳無いだろう・・・(怒)。
日テレ系では、寺島何ちゃらだかの結婚式を延々と。TBSも寺島何ちゃらの結婚式の後、イッコーだか何だという気色悪いオカマの化粧屋の特集。他の局は素知らぬ顔でドラマ、天下のNHKは田舎の紹介番組。どこもかしこもニュース的な情報は一切無し。どうなんでしょう・・・、完全にイカレております。
今日は、あちらこちらで地震が起こった筈です。北九州では発砲事件、熊本市役所には包丁男、昨日からの北朝鮮関連の報道にしても全然時間が足りない気がいたします。テレビ局は、日本を物事知らずの馬鹿者列島にしたいのでしょうか(怒)。何かそういう計画でもあるんですかねぇ。
インターネットが普及したとは言え、放送をおろそかにする理由にはなりません。テレビを通して世に伝わる情報が一番多いと言う事実には変わりが無いのであります。テレビの持つ影響力は絶大、『あるある大辞典騒動』でも証明されています。そこら辺をもうちょっと真剣に考えて欲しいものです。
寺島何ちゃらの結婚式よりも、伝えなければならない事がたくさんある筈なのです。これだけ頻繁に地震が起こっているのなら、地震災害に対しての準備を促すような番組が必要でしょう。この先神戸クラスの地震があっても、被害を最小限に食い止めるような準備だけはしておいた方が良いと思うのです。備えあれば憂いなし、大地震が来なければそれはそれで構いません。
先日の不二家事件にしてもそうです。あれほどしつこく不二家を叩いた癖に、電力会社に関してはサラッと報道しただけであります。原発の不具合の隠蔽ですよ。圧倒的に悪質なのは誰が考えても判る事でしょう。その判断もつかない人間には、最早放送を司る権利などありません。ただの白痴であります。
世にある情報を全て量りにかけて、その重きを優先して放送するのがテレビの仕事だと思います。本日の最優先事項は、女優の結婚式とオカマのメイク講座でした。実に恥ずかしい話であります。その癖、テレビは人様のモラルに対しては口うるさく追求をします。先ずは自分達のしている事を冷静に考えて欲しいものです。
幼稚な大人が増えてしまったのも、キチガイが増えてしまったのも、全部テレビの所為だと個人的に考えております。そろそろ修正しなければ、取り返しがつかない世の中になると思っています。
テレビ関係者にこそ、本当のモラルを持っていただきたいものであります。
そんな事を感じた午後でした。
長い事さぼってしまいました・・・(汗)。
回線が不調になったり、仕事が急に立て込んできたりと色々あった訳ですが、一番煩わしかったのが選挙であります。
やっとクソ選挙も終わり、とりあえず一段落ついた感じです。
とは言いますものの、今回の選挙には今までのように力を入れた支援はいたしませんでした。私が応援している議員さんはとても良い人なのですが、良い人と良きリーダーは別物だなぁと感じてしまったからであります。所詮私は法からハミ出した者、見るべき方向が議員さんと違うのは当たり前の事なのですが・・・。
選挙というイベントは、正直嫌いではありません。地元の人達でわいわいと、小さなお祭りのようなものであります。普段付き合いの無い種類の人達もたくさん集まり、なかなか楽しいものなのです。しかしながら、やはり選挙は選挙。地域の代表を決める大切なものですから、遊び半分楽しいだけではできません。
「この人に投票して下さい。」と人様に薦める訳ですから、薦められるだけの根拠が無くてはいけません。今回は、そこら辺の自信が無かったのであります。ですから、誰に投票してくれなどというお願いはどこにも一切しませんでした。選挙事務所や広報車に関わる人員の手配ぐらいにしか手を貸さなかったのです。
さてその先生、人柄としては全く問題ありません。本当に善い人だと思います。議員以外に収入源も無く、いつも貧乏をしております(笑)。今の時代には珍しいタイプの議員です。じゃあ何が不満で心から応援できないのかと申しますと、本人がこの4年間扱ってきた問題が、私的には少しマト外れだと感じてしまったからなのです。
その先生が今期まで取り組んできた問題は大きく3つ、一部の障害者の性別に絡む人権問題、新エネルギーの開発・運用、新幹線の誘致であります。どれも立派な事ではあるのでしょうが、さほど地元には関係が無いような気がするのです。普段間近に接する人達をあまり視界に入れていないような・・・。
選挙運動は当然ですが、任期中に行われる様々なイベント、講演活動、唯一の資金源であるセミナー、全て地元後援会の善意で行われているのです。「地元の事はどうなのよ?」それが正直な感想であります。普段の態度を見ても、決して地元をないがしろにしているとは思いませんが、どうしてもモヤモヤとしたものが残ってしまいます。
応援している者は皆、基本的に大きな事は望んでいませんが、少しは地元の事に貢献してもらいたいと思っている筈なのです。選挙カーから「任期中はこんな問題に取り組んできました~!」なんて叫んでも、「だから何なのよ。」と言われてお終いであります(苦笑)。当の本人には成果かもしれませんが、地元には関係無い事ですから。
私に言わせりゃ、新幹線なんて論外であります。一般人の殆どがそんな物を望んでおりません。地元の業者が元受で工事を受注できるのなら大賛成いたしますが、東京主導で大手のゼネコンが仕切るのに決っています。美味しい所を大手に持っていかれて、地元が割の悪い下請けをやらされる位なら最初からやらない方がマシであります。新幹線自体、黒字になる訳なんてないんですから・・・。
法から外れた私ですが、政(まつりごと)には多少の持論がございます。障害者を助けるのは良い事です。大切な事であります。一部の極々少数の障害者の権利を守る為に行動する事は、とても立派な事です。否定する気はさらさらありません。しかし政治家は、「一部の弱者を守る為、暗い部分に光を当てる事こそが政治家の仕事だ。」なんて事を平気でぬかします。
障害を持っていても尊重するべき一人格、尊重する人格なのだから粗末に扱う訳がありません。社会全体が尊重するべき人格を大切にし合い、思いやり、助け合い、障害が有っても無くても暮らしやすい世の中を作っていこう!誰もが自然にそう思えるような環境を作るのが、政治家の本当の仕事であります。
一部の障害者を守る為に、一部の法整備をする。これは、政治家の仕事のほんの一部分であって、「これこそが仕事だ!」と言うほど大きな部分ではないと思っています。偉そうに言えば、もっともっと大きい所を目指せ・・・と言う話です。何万もの票を集めて仕事をさせてもらうのだから、とことん大きな志と、命を懸けてでもやり通すんだという覚悟を持てと言いたいのです。
誤解を与えると困るのですが、少数の立場の弱い人間を助けるなとか、絶対数の多い方を優先しろという意味ではありません。大の大人が自分の口から「皆様のために!」なんて事を言うのであれば、「困っている奴全員、俺が絶対に何とかしてやる!」ぐらいの気概を持って欲しいと思うのです。自分のために、何千人、何万人の人達が「よし、やれ!」と後押ししてくれた事を忘れて欲しくないのです。
所詮は綺麗事だろう・・・と笑われるのかもしれませんが、人が目指す所はいつだって綺麗事でなくてはいけません。憎む事も、争う事も無い世の中、それを夢見る事は恥ずかしい事ではないと思うのです。今の世の中は、物や情報が溢れすぎて、欲がおかしな方向に向いてしまったのではないでしょうか。私みたいな者が、こんな事を言い出す資格があるかどうか判りませんが・・・。
何だか、今回の選挙は随分としらけてしまいました。元より議員に何かを求めている訳ではありませんが、見るべき部分や、恩に感じる部分がズレているなぁ・・・そんな気がいたしました。
合格を祝う万歳三唱が終った後、役員を辞める旨を伝えてまいりました。引き止められたり、しつこく理由を聞かれたりしましたが、面倒臭くて多くを語らず帰ってまいりました。同じ日本語を話す者同士でも、伝わらんもんは伝わらんでしょう。これからの活動を応援してもらえますか?という問いには「気が向いたら。」と答えておきました。
全然違う話ですが、家に帰ってから以前テレビで観た『ブータン』という国を思い出しました。チベットの近くの小さな仏教国であります。ネパールとの国境付近で少々ゴタゴタがあるものの、とても平和な国なのです。電気や水道もまばらで、日本と比べると貧しくて不便に思います。物資や娯楽も少なく、人々は夜明けから暗くなるまでよく働きます。
しかし、その小さな国では常に笑顔が溢れ、とんでもなく優れた精神文化を持っているのです。助け合う事は当たり前、そして感謝の気持ちも忘れません。国民はチベット仏教を信仰しているので『生まれ変わり』を信じております。そして皆「生まれ変わっても、この家族、この友人達とまた同じように暮らしたい。」と口を揃えて言うのです。
当然、この国には私共のような職業はございません。立派な事です。この国から学ぶべき事がたくさん有ると思っています。世界の中には、こんな国がまだまだ在るのでしょう。生活が便利になったとしても、目指す精神は同じではないのでしょうか。
自ら手を挙げて『政』をしたいのなら、せめてそんな気持ちを少しだけでも持って欲しいものです。
いつの日か、気合の入った本物の『政』をできる人間を世に送り出したいなぁ、なんて思っております。
私の一番大好きなスポーツ『NBA』。
アメリカのプロ・バスケットボールリーグの事です。
華やかでエキサイティング、最高のスポーツであります。
そんなNBAで、90年代初めに悲しい物語があったのです。
80年代末に初めてヨーロッパからNBAプレーヤーが誕生しました。彼の名は、ドラゼン・ペトロヴィッチ。ニュージャージー・ネッツというチームに所属し、1シーズン目から驚異的な活躍を見せ、あっという間にスーパースターの地位に駆け上がりました。異常なまでの確率で3ポイント・シュートを連続して決める彼の姿を、私は今でも忘れられません。
次いで2人目のプレーヤーとなったのは、ブラディー・ディバッツ。派手さはありませんでしたが、実直でハートの強い素晴らしい選手でした。彼は、マジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズに入団いたしました。マジックが引退した後も、傾きかけたレイカーズを支えようと一人頑張る彼には多くの感動を頂きました。
少し遅れてトニー・クーコッチが渡米してまいります。マイケル・ジョーダンの突然の引退による大きな穴を埋めるため、シカゴ・ブルズが彼を獲得いたしました。さすがに『バスケの神様』と呼ばれたジョーダンにはやや劣りましたが、メディアの予想を覆す大活躍をしたのです。ジョーダン復帰後も彼は活躍を続け、3度の優勝に大きく貢献しました。
この3人の素晴らしいヨーロッパ・プレーヤー達は、『ユーゴスラビア』という国の代表チームで共にプレイしたチームメイトなのです。オリンピックや世界選手権でも、常に優勝争いに絡む堂々たる世界のトップチームであります。共に汗を流し、厳しい練習に耐え、切磋琢磨し合い、堅い友情で結ばれた3人だったのです。
彼らが、相次いでアメリカにやって来て、それぞれが脚光を浴び、自由の国で成功を掴んだ矢先の出来事でした。彼らの祖国で史上最悪とも言われる『内戦』が起きたのです。突如として勃発した民族紛争、ほんの数時間前まで友人だった人達が民族が違うというだけで殺し合いを始めたのです。未だに現地の人々は「どうして、こんな事になったのか解らない・・・」と口々に言っております。熱病にかかるように狂気に襲われた・・・、そう言う証言が多いのだそうです。
かくして、世界でも有数の美しい国と称された『ユーゴスラビア』は、泥沼状態に陥りながら分裂してしまいます。スロベニア、クロアチア、セルビア・モンテネグロ(後に2つに分裂)、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、民族ごとに国を分けてしまいました。旧ユーゴスラビアでは、クロアチア人とセルビア人が多数を占めておりました。
ペトロビッチとクーコッチはクロアチア人、ディバッツはセルビア人だったのです。自分達が祖国を離れている間に突如起こった紛争・・・。彼らは、複雑な想いに襲われたことでしょう。ディバッツは、しばらく考えた後にペトロビッチに電話をします。「国で起きた悲しい出来事は自分たちとは関係無い。これからも仲良くしよう。」と伝えたくて・・・。しかし、ペトロビッチは全てを拒否。悪いのはセルビア人だと思い込み、話す事すらしようとしませんでした。
心を痛めたディバッツは、クーコッチに1枚のメモを託しました。自宅と携帯の電話番号が書いてあったそうです。クーコッチは彼の気持ちを理解しましたが「僕もペトロビッチと同じクロアチア人。一応メモは渡すし、君の気持ちは伝えるけれども、強く味方はできないよ・・・。」と言ったそうです。
ディバッツは、大好きなチームメイトからの電話を待ち続けました。来る日も、来る日も・・・。そして、オフ・シーズンを迎え、とうとう電話が鳴りました。不慮の交通事故によるペトロビッチの訃報でした。ディバッツとペトロビッチの友情の復活は、夢と潰えてしまいました。
ディバッツは、その場に泣き崩れたそうです。
喧嘩などした事も無く、共にチームの勝利のために頑張ってきた仲間。あまりにも惨い話です。どれほど悲しかった事でしょう。想像しただけでも、胸が強く締め付けられます。しかし、ペトロビッチの死をきっかけに、ディバッツとクーコッチは今まで以上に強い絆で結ばれる事になります。友情の大切さに、あらためて気付いたのでしょう。
2m16cmの心優しい大男ブラディー・ディバッツは、故国の分裂によって孤独や貧困に苦 しむ子供たちや国を追い出された子供たちを支援するため、Group Seven Children's Foundationと呼ばれる組織を作りました。今では、旧ユーゴ出身のスポーツ選手が多数在籍し、様々なボランティア活動を展開しております。
もし自分達がこんな事に巻き込まれたら、どうなるのでしょう・・・。
悲し過ぎますね・・・。
亡き祖父から、戦争の話をしこたま聞かされて育ちました。
あの鬼のように強い祖父が、いつも涙を浮かべながら話をしておりました。
最近、テレビで戦争に対しての議論をよく目にいたします。
時には殺し合う事もある馬鹿な私共には正解など判りませんが、先の悲話と祖父の顔を思い出してしまいました。
やはり、平和が一番だと思います。