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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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自分は何のために生まれてきたのか?
常日頃、この難問に向き合っている方も多いと存じております。
そうではない方々でも、凹んでブルーになった時、大切な誰かを亡くした時、心から好きな人ができた時、子供が生まれた時、大きな喜び・悲しみの節目節目に誰もが一度は考えた経験があるものと思っております。
最初から申し上げておきますが、これはあくまで私個人の見解であります。かなりの極論でございます。軽くキチガイじみておりますがご了承ください。
いきなりで申し訳ないのですが結論から言えば『生きる意味という明確な物は無い!』というのが私の持論でございます。
『生きる意味』何千年も昔から哲学者や宗教家、その他にも様々な分野のスペシャリスト達が躍起になって考えているテーマでございます。だが誰一人として万人をスカッと納得させられるような結論には至っていないのです。これだけ昔から大勢の人々が明確な答えを出せない訳ですから、多分答えなど無いのでしょう。
決して投げやりな気持ちで言っている訳ではございません。生きる事を粗末に考えている訳でもございません。ただ自分自身を含め、人間というものは何かにつけて理由を欲しがる生き物だなぁと・・・。
私が生まれてきた理由は「私が生まれたかったから」であります。これは強く断言できます。当然色々な偶然が絡んで・・・んー、全てが偶然かもしれません。父と母の「子供を作ろう」という意志と、3億の精子の中から「生まれたい」という一心で勝ち残った私の意志がナイスなタイミングで一致した結果だと思っております。3億の中から勝ち抜くというのは凄い事であります。記憶は当然ありませんが「生き残りたい、生まれたい」強烈な意志を持っていたからこそ今の私がある訳でございます。
「生まれたくて生まれた訳じゃない!」などと言う輩がおりますが、全く馬鹿げております。親の意志がどうであろうが、愛情がなかろうが、生まれてきた事自体は自分の意志が大きく働いているのです。他のライバル達を蹴落としてまで生まれたかったのです。
ではそれ程までして何故生まれたかったのでしょう?
おそらく新しい世界にチャレンジしたかったのでしょう・・・分子レベルで(汗)。地球上の草木も生き物も皆所詮『炭素(C)』でできています。例えば私が60歳まで生きるとしたら、その60年が今回縁があって集まった『炭素』達の共同作業の期間であります。今回のプロジェクトは灰になって解散です。そして土になり、気の合う者同士で草になったり、怠け者が集まって化石になったりと・・・。
キチガイじみていますがそれが自然のサイクルだと思っております。
これだけ日々たくさんの人間が生まれてくる訳ですから、炭素業界でも『人間』は人気の職業なのでしょう。
『生きる意味』今回の本題であります。
例えば、『イチロー選手』を見て「彼は野球をするために生まれてきた」なんて事を言う人がいます。
果たしてそうでしょうか?もし彼が陸上をやっていたらカール・ルイスより早かったかもしれません、サッカーをやっていたら中田英寿よりも大選手になっていたかもしれないのです。だってそんな感じのする人ですよね。『エジソン』は発明の父なんて呼ばれておりますが、もし彼がいなかったとしても2006年の今、夜は明るくライトアップされている事には変わりないと思うのです。いずれ誰かが同じ発明をしたでしょう。彼は発明をするために生まれてきた訳ではないと思うのです。
彼らが『野球』『発明』周囲の人が天職というものに巡り会ったのは偶然です、たまたまです、たまたま。彼らは野球や発明に出会わなくてもきっと歴史に名を残す事になったでしょう。
人は何かを残して初めて意味を持つのでしょうか?
子供・言葉・偉業・事業・様々な物品・・・etc。
自分の生きた跡を残さなければ意味を持たないというのは、まともに物事を考えられる人間殆どに当てはまる『囚われ』ではないのでしょうか。またもや極論ですが、何かを成さねばならないのであれば、生まれてすぐに目を開けることもなく死んでいった赤ちゃんには意味が無い事になります。食肉用に繁殖された豚や牛は、人間の餌になるという意味を持ちながら今を生きているのでしょうか。少なくともうちの可愛い猫たちは、私を喜ばせるために生きている訳ではない筈です。
人は自分を『満足』させる為に生きているのだと、私は強く信じています。『生きる意味』を求めるのも自分を満足させるための一つの糧であると思っています。人は必ず何かしらの『理由』で行動をし、そしてその『結果』を得られないと生きていけない生き物なのです。それが『満足』であれ『不満』であれ。腹が減ったという理由で飯を食べ、美味ければ『満足』、不味かったり量が少なければ『不満』。「子供がほしい」「気持ちいい」という理由でセックスをする、子供もできないし快楽も無ければ誰もセックスなどしないでしょう。腹が減らなければ食うこともせず、皆死に絶えてしまうでしょう。
せっかく激しい競争を戦い抜いて、この世に生を受けた訳であります。だとしたら自分を『満足』させる為に精一杯の時間を使って生きるのが筋でございます・・・なるべく他と共存しながら。そして『満足』するためには「これをやる為に・・・」的な『理由』を探さなければなりません。これがまた大変な事なのですが・・・(ー_ー)。
『生きる意味』などという物は無い!
言い方が悪いですね「世の中には無い」、もし在るとするならば『自分の中』にだけでございます。自分が死ぬ時に納得できればそれだけで最高の人生だと思っております。他人様に生きてきた意味を持たせてもらう筋合いもありません。
私は生まれたくて生まれたくて、この世に生まれてまいりました。
人間の目でこの世界を見てみたいと熱望してきた筈なのです(炭素の頃に)。
人間社会を人間らしく力一杯体験する事が私の『生きる意味』だと思っております。
近頃いろいろな方からメールをいただくようになりました。こんなブログではございますがご訪問ありがとうございますm(__)m。できればコメント欄にも是非忌憚のないご意見を書き込んでいただければと思っております。
前回の記事に対してご意見をいただきましたので、この場でお答えいたします。
喧嘩の時に「殺すぞコラ!」と言ってしまったらやはり本当に殺すんですか?
断じて殺しません。そんな事をする訳がありません(笑)。面白かったので掲載させていただきました。
その他には賛成・同意のご意見をいただきました。
私の言いたかった事は正しく伝わっているのかな?とふと思ってしまいました。『吐いた唾を飲まない』事が恰好良いというよりは『余計な唾を吐かない』方がむしろ良いと私は考えております。その上で口から出してしまった言葉は引っ込めない覚悟が必要であると・・・。
『吐いた唾を飲まない』という行動は一見恰好もよく、人として一本通ったものを感じます。ですが結構ひどい目にも遭うものなのです。今回はその事を補足させていただきます。
もう4~5年前の事になりますが、私が一人でたまに顔を出すスナックでのお話です。何の脈絡もなく泥酔したチンピラに絡まれたのであります。おそらく態度の大きい私を見て急に面白くなくなったのでしょう、なんせ泥酔状態でしたから。店の従業員は皆真っ青、私の事を良く知っていますからね。その当時はまだ私も酒を呑んでいた頃で軽く酔っておりました。見たこともない小僧でしたので相手にする気は毛頭無く「何か納得がいかない事があるのなら上の者を連れていつでも来なさい。なんぼでも相手をしてやる。」的な事を吐き捨てたのであります。従業員と数名の客による必死の制止で、彼は外に連れ出されました。
そんな事を意に介さず一時間程その店で呑んでおりましたら、先程の小僧の仲間が来るわ来るわ・・・小僧の他に8人もおりました。見たことの無い顔ばかりで不思議に思っていましたら、50歳近い一番偉そうなおっさんが名乗ってまいりました。高速道路を使って一時間半位の地方の団体だったのです、見た事が無い訳であります。車を飛ばして大至急駆けつけたのでしょう。とりあえず店の外に出たのですが、運悪い事にこのビルの構造は特殊で1階から9階まで真ん中部分が大きく吹き抜けになっていて他の階からも丸見えなのです。
手にはナイフや木刀を持った者まで居るし、いくら吐いた唾とは言え正直「こりゃあ殺されるな・・・」と思いました。中程の階でモメたもので上から下から大ギャラリーを背負った状況であります。元々いわれの無い理由とは言えもう下がる訳にもいかず「面倒くせぇからまとめてかかって来い!」と言うしかございませんでした。先程の一番偉そうなおっさんが従業員から事の顛末を一部始終説明を受けたらしく、慌てて止めに入ってまいりました。そして自分の若い者の非礼を深く詫び撤退してくれたのです。
次の日わかった事ですが、お互いの社長同士が兄弟分だったらしく、後日改めてお詫びに来ていただきました。私もうちの社長から軽くお叱りを受けました(笑)。
危機一髪、これはたまたま助かったというだけの話でございます。間違ったら本当に死んでいた事でしょう。たかだかくだらない喧嘩で死んでも誰も褒めてはくれません。それこそ恰好悪い話でございます。恰好悪いのを通り越して無様でございます。
他にもお互い出した言葉を引っ込められず意地の張り合いになり「もう殴り合いで決めようや!」という話になり、1対1の勝負でガッチリ負けた事もございます(汗)。吐いた唾は飲まなかった訳ですが、これもまた恰好が悪い(笑)。翌朝、自分の顔を鏡で見て大笑いいたしました。
しつこくなりますが『吐いた唾を飲む』これは最悪、それよりは『吐いた唾を飲まない』事の方が格段に素晴らしい。
しかし『吐いた唾を飲まない』事よりも『唾を吐かない』事のほうが大事だと思う訳であります。
わかり辛くなってしまいました・・・。
皆様、くれぐれも私の真似はなさいませんように・・・。
『吐いた唾を飲む』という言葉がございます。
これは一度やると言った事を、発言を撤回しやらずに逃げるという意味でございます。私はこの行為が死ぬほど大嫌いなのであります。【吐いた唾は絶対に飲まない】私が意地でも守らなければならない最重要のルールでございます。
『吐いた唾を飲む』事の何が悪いのかと言いますと、なんせかんせ恰好が悪い。生き様が悪い事この上ない訳であります。
これは私共の稼業だけではなく、男女を問わず人間社会全般に関わる事だと思っております。
解りやすい例えを出すと「君と一緒にいれればそれでいい」とか言って付き合い出した男女が一ヶ月もしない内に「こんな髪型・服装にして欲しい」「あんな料理を覚えて欲しい」だのと、ああだこうだと言い始める。最初の話と違うだろ、こういった些細な事も立派に『吐いた唾を飲む』行為であります。「この仕事を一生頑張って一人前に・・・」なんて大騒ぎして人様に弟子入りし、たったの数年で「やっぱり自分に向いていなかった・・・」みたいな事を言い出す。よくある事ではあるのでしょうが、ほんのりイラッといたします。
これらを解決するのは簡単な話でございます。最初から調子に乗って能書きを垂れなきゃあ、誰も腹が立たないのであります。己の身の丈をわきまえもせず、何もして見せない内から「好印象を与えよう」とか、たいして根性もないのに「決意を周囲にアピールしよう」なんて余計な事をするからおかしな事になるのです。
はったりで自分を飾っても大概後でロクな目には遭わないものでございます。「俺はケンカがつよいぞ!」「金を持ってるぞ!」などとぬかしておいて、喧嘩は弱いわ借金は有るわ・・・となったら恰好が悪くて恥ずかしくて生きていられません。余計な事さえ言わなきゃあ恥ずかしい目に遭うこともない筈なのですが、必要以上に自分を大きく見せようという人間は少なくないのであります。
政治家なんぞときたら、こんな物ぁ日常茶飯事でございます。ホストクラブよりもまだ始末が悪い。
私の近所にも、しようもない議員がのうのうと暮らしております。自民党から新進党に乗り換えて、詫びを入れて再び自民党に戻り、反小泉の勢力に回り落選し、前回の選挙では「小泉政治の集大成!郵政民営化のためによろしくお願いします!」なぁんてほざいて回っておりました。プライドも男気もあったもんじゃぁありません。あんな腐った者でも当選すれば先生様でございます(笑)。
少し横道に反れますが、私は小泉首相(元)が好きでございました。政策の良い・悪いは知った事ではありませんが、あの頑なさは見ていて気分が良いのであります。ああいった人間が信念を持って政をするのであれば多少の間違いがあってもいたしかたないという気にまでなってしまいします。吐いた唾を飲まない人間は多少のズレがあっても信頼されるものであります。
常に正直でフェアな人間になりたいと思っている訳でもないのでありますが、不必要に人様に笑われる人間にはなりたくないと常日頃思っております。
【吐いた唾を飲まない】安易な発言を控え、そして約束は守るという自分に対しての『縛り』であります。
はったり・虚言・軽口は自分の格をどこまでも下げる物だと思っております。
だって見破る人には、一発で見破られてしまう訳ですから(笑)。
先日、私の趣味が釣りであるという記事に対して、「趣味で生き物を殺すのは残酷な事だ!」とのお叱りを受けてしまいました。不快に思われた方、すいませんでしたm(__)m
反論するつもりは毛頭ございませんが、さほど反省するつもりもございません。謝罪は不快な思いをさせた事に対しての謝罪でございます。
私はよく『幸せ』について考えますが、美味しい物を食べた時にも大きな『幸せ』を感じます。謝ったばかりで申し訳ないのですが、自分で釣った魚はとんでもなく美味いのであります。庭で作った野菜や、苦労して採った山菜、密漁したウニ(笑)、自分の労力を使って得た物は格別の味がいたします。このまま掘り下げていくとまたお叱りを受けるのでここまでにいたします。
人それぞれに美味しいと感じる物も多少の違いがあるもので、必ずしも高い物が美味いという訳ではございません。明日死ぬと仮定して「最後に何を食べたい?」と聞かれたら、ケンタッキーフライドチキンか若鶏の唐揚(日清のから揚げ粉使用)と答えます。お恥ずかしい・・・。皆様なら最後に何をお選びになるのでしょう?テレビでしか観た事のない「一回アレ食ってみたいなぁ。」的な物を選んで、もし美味しくなかった日にゃまともに成仏できません(笑)。
私は最後に間違いを起こさないよう?に珍しいものは元気な内に食べてしまおうと思っております。地方に出た時などは、珍しい食べ物で「微妙だな」と思う物も敢えて挑戦いたします。
最近では本州から送られてきた『熟(な)れ寿司』とかいう物を口にし見事玉砕いたしました。あれは無理・・・(-_-;)。
色々な地方の特産品や珍品などというものは、楽しく食べればそれで良いと思うのです。美味ければその地方や人を褒めちぎり、不味ければ罵り倒せば良いだけの話でございます。「ここに住んでる人はしょっちゅうこんな物を食えて羨ましいなぁ。」とか「あそこの奴らはこんな物ばかり食ってるからロクな者が居ないんだ。」とか言いながら。そんな批評や会話がまた幸せな時間であると感じてしまうのです。
本日、歌志内という炭鉱町の『なんこ』という食べ物をご馳走になりました。馬の腸を味噌味で煮込んだモツ鍋のような物でした。体内の悪い物を排出する働きがあると言われ、汚れた空気の中で働く炭鉱夫たちが毎日のように食べていたそうです。私的には絶賛、非常に美味しい物でした。モツ鍋が大丈夫な方はイケる筈です。『なんこ』を食べ続けると毒を吐かない善い人になるのかなぁ、と訳のわからない会話をしておりました。
釧路から送られてきたサンマを大至急『刺身』に、それと『なんこ』のお陰で今日は幸せな一日でありました。
生き物を殺す事にはなりますが、食べ物も『幸せのアイテム』でございます。
先の連休に高校時代のクラス会がありました。クラス会と申しましても実際はクラスに関係なく、同学年である程度仲の良かった者の集まりでした。今でも連絡がつく人間を適当にそれぞれ呼んでくれ、といういいかげんな連絡網をまわして24人が集まりました。思いつきでやったイベントとしては、まあ良い成績だと思っております。
今回は男限定での飲み会であります。24人中、私を含め8人が独身、うまい具合に3分の1。結婚しているのに子供がいないというのも6人おりました。老けた奴、太った奴、全く変わらん奴、年のとり方も人それぞれなのですね。
割とまともな学校だったため、殆どが勤め人であります。その中に一人だけ私共の組織で、二年程チンピラをやってた男がいます。もちろん今は堅気で商売を営み、自社ビルを持つ出世頭でございます。同門だった頃は、同じ歳でも全然立場に差がつき「ダメなヤローだなぁ。」と思っていたのに、今では立派な社長さん。人はどこで化けるかわからないものです(笑)。
やはり30半ばにもなりますと絵に描いたような酒の飲み方をするようです。ある程度の昔話が終わり軽く酔いがまわると、仕事の話、ゴルフの話、嫁子供の話。さらにグイッと酔いがまわると、仕事の愚痴、嫁子供の愚痴でございます。皆色々とあるんでしょうねぇ(笑)。
そして決まり文句「自分で商売してる奴ぁ良いなぁ!」勤め人の皆さん良く毎度毎度その台詞を言えるなぁと、現社長と二人で笑っておりました。私らから見たら保険も有るし、ボーナスも有るしそっちの方が良いだろうと思うのですが…。お互いに隣の芝は青く見えるのでしょう。
同級生から見ると私は昔から変わっていないようなのです。全員に言われてしまいました。二年前に幼馴染の女にも言われた事があります…。さすがに小学生からこうじゃないだろうと抵抗したのですが、ノリと雰囲気は見事に変わっていないそうです(汗)。
まあ一貫したスタイルでここまで来たようですし、誉められたと解釈しておこうと思っております。本当は呆れられているのかもしれないですが、それもまた良しという事で。
これからは毎回人数を少しずつ増やして最低一年に一度は集まろう、という話でお開きになりました。
どうせあと2回位で飽きて誰も来なくなると思います(笑)。
途方もなく大きなテーマでございます。
とても一度で表現できるものではありませんので、この先何十回にも分けて語らせていただきたいと思っております。
かなり以前にテレビで観たアフリカの小さな村のお話です。
30数人程の小さな村で、牛飼いを生業として暮らしているのです。電気・水道はもちろん無く、文字も教育も無いようです。遊んでいる男の子に将来の夢を聞くと「村の大人のような良い牛飼い」と答えました。女の子に同じ質問をすると「立派な牛飼いの嫁」と。その村では職業は『牛飼い』しか無く、女の子は近隣の村に嫁に行く、これ以外に選択肢は無いのです。近隣の村も皆同じ状況で点在し一つのコミュニティーを形成しているようであります。
今度は大人達に「自分の人生は幸せだと思いますか?」と質問したのです。なんと全員が迷わず「とても幸せです」と答えたのです。インタビュアーは「都会に興味は?」「他の職業に興味は?」「文明に興味は?」と色々な質問を続けました。「子供の頃から村を出たいと考えた事も無ければ、牛飼い以外の職に興味を持った事も無い。一匹でも多く牛を飼える立派な牛飼いになりたくて頑張ってきた。良い家族・良い友人に囲まれて、この上なく幸せだ。これ以上何が必要なんだ?」と逆に問うておりました。皆一同に、生まれ変わってもまたここでくらしたいと話しておりました。
彼らの考えを知らないで、映像だけを放送したら皆さんはどう思うのでしょう?あんな不便な暮らしでつらいだろう、学校にも行けず外の世界を知らないなんてかわいそう、なんて物の見方をしてしまうのでしょうね。
彼らは私達の知りえない『本当の幸せ』を知っているのです。それは彼らの持つ情報量が少ないせいなのかも知れません。ですがその『幸せ』の純度の高さは羨望に値すると思うのです。「生まれ変わってもまたここでこの人生を!」なんて素晴らしい台詞でしょう。ドラマでも映画でもない実在の人々の口から出た台詞でございます。
人それぞれ『幸せ』に対する価値観も違うし、明確な答えもあるとは思っておりません。ですが日々探さずにはいられません。
『幸せ』この世に生を受けた以上、誰もが求めてやまないものであります。
私はこの国に生まれた事をとても幸運に思っております。美しい海と山、それぞれに味のある四つの季節、実に素晴らしい!美しい自然だけではありません。水道を捻れば普通に水が出て、夜は田舎ですら街灯が灯る。どこまでも舗装された道路、もはや全土を制覇した携帯電話。一年中手に入る季節を無視した野菜・果物、世界各国の様々な食材。これほどの国は世界中で『日本』ただ一つでございます。
敗戦の後、祖父や父の世代の方々の一心不乱の頑張りで今日の繁栄があるのです。
我らが大先輩達の時代はとにもかくにも『物』が無かった訳であります。家族や大切な人の為『物』を与える事からのスタートです。冷蔵庫・洗濯機・テレビ、当時は1ヶ月の給料の何倍もしたようであります。【テレビが我が家にやって来た!】この体験をした方々は誰もが未だにその嬉々とした感動をまるで昨日あった事のように話してくれます。今、どんな事をすれば家族や大切な人に『何十年も色あせることのない感動』を与える事ができるのでしょう。
そこまで家族が喜んでくれるのなら、世のお父さん達も頑張り甲斐があるというものです。家族は父を素直に尊敬し、父はまた皆の喜ぶ顔を見たくてまたさらに頑張る。良い方向に歯車がかみ合った時代であると思います。物質的には今よりも不便かもしれませんが、お互いの尊敬・慈愛は何よりも心が満たされるものです。
今の時代、家庭に足りない物などほとんどありません。一家に一台車があっても普通でございます。家族や大切な人に何を与えれば良いのでしょう。ブランド?貴金属?プラズマテレビ?いいえ、そうじゃありません。大先輩たちは実は『物』を与えていた訳ではないのです。「お前らの喜ぶ顔を見れるなら、俺はどんな事でもするぞ!」という『愛』を与え続けていたのだと思います。
「俺は家族の為にこんなに仕事をしてるのに」「彼女の為にこんなに金を使ってるのに」、『のに』。
わかってない!全くわかってない!報道ステーションの古館伊知郎ぐらいわかってない!家族であれ彼女であれ「どんな事でもしてやろう」という本物の『愛』には、『のに』なんか付かないのです。
愛情というものは一方的に与えるものであります。男も女も「こんなに頑張ったのに、わかってくれない…」なんて愚痴を言っちゃあいけません。「あの人がわかってくれないから諦めてこっちの人にしました。」なんて、その程度のもんが相手に通じる訳がないのです。その気持ちが揺るぎのない『本物』であればいつか通じるのが人間てものです。通じなくてもしようがない、死ぬまで一人を想い続けて墓の中まで持って行きゃあ良いんです。それこそが『美しい人間』の姿であります。
家族に対しても然り親が本物の愛情を与え続ければ、子もまた人に対して愛情を与えられる良い人間に育つことでしょう。親の事を嫌っても良いじゃないですか。本当に愛情を与え続けたのであれば、きっと葬式のときには泣いてくれる事でしょう。
人に与え送り続けた『愛情』は往々にして自分に返ってこないかもしれません。ですが『本物の愛情』を受けた側もその大切さに気付き、そしてそれは連鎖をします。人様に『本物の心』をいただいて全く何も気付かない人間も中にはいるでしょう。そいつは本物の馬鹿です、構ってやってもしようがありません。
物に恵まれた今の時代、岩をも通す『本物の心』これこそが宝物だと思うのです。
私は仏と来世を信じない敬虔(けいけん)な仏教徒でございます。またトンチンカンな事を、仏と来世を取ったら仏教じゃないじゃないか…。仰るとおりなのですがそれで良いのです。大昔、情報も何も無い時代に無知な農民たちに教えを広めるためには、目に見えない大きな存在を感じさせる必要があったのです。今のように地球の裏側をリアルタイムで見る事ができ、旅行で宇宙に飛び出せるような時代には神や仏が絡むと余計にややこしくなるのです。
より良く生きるためのせっかくの教えが、ただの胡散臭い『宗教』といわれて相手にされなくなってしまう訳ですから。哲学だと思えば仏教はとても素晴らしいものです。だからこそ仏も来世も必要無いと思うのです。
突き詰めるとどの宗教も似たような事を教えてはいるのでしょうが、日本人には仏教の感覚がしっくりくるような気がいたします。
私のお気に入りで『刹に生きる』という教えがあります。刹とは刹那、その瞬間という意味です。『刹に生きる』とは、その瞬間その瞬間を全力で生きろという事であります。歩く時は力一杯歩き、飯を喰う時は一生懸命喰え(たくさん食べろという意味じゃないですよ)、人を愛する時には全てを投げ出して愛せといった具合でございます。この教えをもし守れたとしたら、振り返った時には常に全力で前に前に進んできた自分を見る事ができるでしょう。瀬戸内寂聴さんの本に良く出ている教えなのですが、私なりに解釈するとこうなってしまいました。
間違っていたらゴメンなさいm(__)m。
仏教にはこういった生きる上での理想のようなものがたくさん詰まっているので好きな訳であります。
私の祖父は5年前85歳でこの世を去りました。祖父の故郷は30kmほど離れた海のある近郊の町です。葬式を執り行う際に坊主をどうしようかと思案していると、幼馴染の悪友に寺の息子がいるという話を生前よくしていた事を思い出したのであります。かといって先方も同級生な訳ですから当然同じ歳でございます。まぁダメで元々だなとは思いながらも電話帳で調べて電話をかけてみると、大奥様らしい方が電話口で「もう15年も前に隠居して今は息子が継いでいる」との事でした。まぁこれも縁だなと思い当代の息子さんにお願いするという事で電話を置きました。すると10分もしない内に電話が鳴り、なんと先代住職が「是非私に勤めさせてください」とのお申し出をいただきました。生まれて初めて坊主にありがたいと思った瞬間でありました。
「15年振りなのでうまく勤められるかわかりませんが」という挨拶で通夜が始まりました。所々で声がかすれながらもお経を読み終え、そして最後の説教へ…。「私はかれこれ50数年数えきれない程の葬儀を勤めさせていただきました。そして皆様に人が亡くなるのは悲しい事では無い、皆が泣けばこの世に未練が残り成仏できない、仏様の世界に旅立つ喜ばしい誕生日なんだとお話しをさせていただいてまいりました。ですが今日だけはお許しください。」と言い終ると声を殺して泣き出したのです。本当に仲の良い友達だったそうです。
良い葬儀をあげていただき心から感謝いたしました。私も涙が止まりませんでした…。
来世には苦しみも無く幸せなんだと説きながら、涙をながし現世の別れを惜しむ老僧。
何千年も昔、仏陀のヤローもきっと泣きながら友達を送ったのでしょう…。
私の地元は繁華街から東に車で15~20分程の住宅地であります。市営住宅や古いアパートが多く一昔前は低所得者層が一番多い所だったようでありますが、今では出世してご立派な住宅地。私の家は両親共働きではあったものの、ごくごく普通の何不自由ない中流家庭でございました。30年前当時、新しい造成地だったため今ほど家は無くガラーンとしたイメージが頭に残っております。
私はなかなか愛想が良く近所の方々に挨拶を欠かさない子供でした。お陰で近所の皆様には随分と可愛がっていただきました。やがて中学生になって服装もかなりガラが悪くなり、くわえタバコで歩くようになっても誰もが変わらず接してくれました。高校生位にもなると歩く先々で捕まっては世間話の相手をさせられておりました。庭いじりや家庭菜園の畑仕事の手を止めて声をかけてくれるのが嬉しくてついつい話を聞いてしまうのです。
「今年は天気が悪いから豆に実が入らない。」「そこからトウキビもいで持って帰りなさい。」「うちの子に勉強するように言ってくれ。」「近所で暴走族がうるさいから叱ってやってくれ。」とか、炎天下のビニールハウスの中で盆栽について2時間もうんちくを聞かされた事もあります。あの時ばかりは本当に死ぬかと思いました(汗)。ほどなく暴走族はうちの近所を通るときエンジンを切ってバイクを押して歩くようになりました(笑)。
最近は隙間無く家やマンションが建ち並びすっかりと変わってしまいました。ですがこの歳になった今でも実家の方に顔を出すと、昔からいるお年寄り達が声をかけてくれます。釣りの調子はどうだとか畑の野菜がどうだとか昔通りに、皆私の稼業を知ってはいるはずなのですが…。そんなお年寄りたちも年々一人減り二人減りと寂しいしだいでございます。
ありがたいものです。子供の頃から見守られているような…。
そろそろ住まいだけでも地元に戻ろうか…と思う今日この頃です。
私の一番好きな趣味は釣りでございます。
何年か前までは釣りに行くと魚の事ばかり考えていたのですが、最近になりようやく『景色』が目に入るようになってまいりました。歳をとると景色が綺麗に見えると昔言われた事があります。まだそんな歳ではない筈ですが…(汗)。
やはり海が見える景色が好きなのですが、田舎の港に行く途中途中の山並みや小さな町並みも気になってまいりました。遠くの釣り場に行く際は無粋な携帯電話の電源は切ってしまいます。以前に誰にも言わずに遠出の釣りに出掛けた時は、警察に捕まったのではないかと大騒ぎになってしまいました(笑)。あちこちで車を停めてはデジカメで『景色』を撮影しております。
田舎の小さな港で、ぽつんと一人釣りをしている時にふと気づいたのです。その港の周りには急いでいる人間が一人も居ないなぁと…。小さな漁船が帰ってきて一生懸命に魚を陸揚げしているのに慌てている様子ではないのです。決してチンタラ働いている訳ではありません。なんか変だなぁと違和感に首をかしげていると、晴天の空から急に答えが降ってまいりました。その港では時間がゆっくりと流れていただけなのです。またおかしな事をとお思いの方もいらっしゃるでしょうが本当なんです。
説明も証明もできないのでどうにもこうにも困り果ててしまう訳でありますが、時間というものはゆっくり流れる事もできるのです。その事に気がついた時に、初めて動いている人や船や車全てをひっくるめて『景色』として私の脳に飛び込んできたのです。時間がゆっくりと流れているからこそシャッターをきるタイミングも間違いませんし、綺麗だなぁと感慨にふける時間もあるのです。都会であれば景色もめまぐるしく変わりすぎてどこでシャッターを押していいか判らないし、たとえ綺麗であったとしてもそんな事を考える暇もありません。
右手に断崖絶壁そして海、左手に青々と大きく広がる湿原、目の前の朝もやの中に野生の馬の群れ。この『景色』に遭遇して私は一人泣いたことがございます。仲の良いクラブのホステスにこの話をしたところ「どんだけ悪い事をしたら景色見て泣けるの(爆)♪」と大笑いされてしまいました。確かに病んでいるのかもしれません…。
田舎の景色を眺めていると、人間の暮らしはこうあるべきなんだろうなぁと心底思うのであります。
私も引退が近いのかもしれません。