[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
久々に釣りに行ってまいりました。
飲み屋での会話の流れで「今からちょっと行ってみませんか?」という誘いに、思わずノッてしまいました。何の計画もたいした準備も無く、いきなりの出発だったのであります。
ターゲットは『鮭』でございます。
家に戻り、急いで道具を引きずり出し、迎えの車に積んでいざ出発。夜中だった事もあり、1時間半ほどで現地に到着。夜半に降り出した雨も止み、星も大変綺麗に見えておりました。ところが車を降りて一歩外に出ると、なんと強風、超強風でございます。寒いのなんの、寒いのを通り越して『痛い』感じがいたしました。
車に戻り、言いだしっぺ(方言?)を馬鹿だの阿呆だのとさんざん罵り、ひとしきりスッキリしてから、皆渋々ながらも準備を始めました。
鮭は朝方が勝負でございます。
鮭が始まるまでの間、小物狙いの夜釣りをしようという予定でした。
誰もがここまで寒いとは予測できず、防寒対策が不十分、30分で全員ギブアップしてしまいました。ちなみに私は10分でギブ・・・(寒)。
結局朝まで車で待機する事になり、また言いだしっぺ罵り大会であります(笑)。釣りというのは、こういうのも実に楽しいのであります。
空が明るくなり始め、なんとも美しい朝焼けが・・・デジカメを忘れてしまいました(涙)。突然の出発だったため、他の者も忘れ物続出でした。なんだかんだで準備を終えて、いよいよ鮭釣りスタートでございます。河口の横にある小さな港には、月曜の朝にも関わらず50人ほどの釣り人でごった返しておりました。
相変わらずの強風で寒いこと寒いこと・・・そして釣れないこと、釣れないこと・・・。
50人から釣り人がいるのに揚がった鮭は、たったの1本でございます。当然また言いだしっぺに攻撃が集中いたします(笑)。火がついた煙草をぶつけられたり、餌につかう生サンマをぶつけられたり、食いかけのオニギリをぶつけられたり、惨々な目にあっておりました(爆)。
結局、釣りは惨敗に終わりました。
手ぶらで帰るのは余りにも悔しいので、川に入り鉤棒で10本ほど鮭を引っ掛けてまいりました。
法的には思い切り『密漁』でございます・・・(汗)。
最後は、言いだしっぺの奢りで、全員でラーメンを食べて帰りました。
バタバタした一日ではありましたが、久々のリフレッシュとなりました。
やはり気の合う仲間は良いものだなぁ・・・そんな一日でありました。
『噂』、大抵ロクなもんじゃありません。
辞書では①そこにいない人を話題にしてあれこれ話すこと。また、その話。②世間で言いふらされている明確でない話。風評。
まぁ、どの道ロクなもんじゃありません。
世間の噂とは、大抵は根拠のないものが多く、好意的ではない色合いが強いものであります。好意的な噂が無いとは言いませんが、割合的に考えると悪意の方が多いと思っております。陰口とは少し意味が違いますが、似たり寄ったりという感じでしょうか。所詮、本人のいない所でする話ですから、誰もが経験上わかっている事だと思います。
例えば飲み屋で木村さんの話をするとしましょう。
「最近、木村さん商売上手くいってて毎日呑みに出てるらしいよ。昨日ここにも来てくれたんだ。」と言う話と「最近、木村さん商売上手くいってて毎日呑みに出てるらしいよ。よくその辺でよく見かけるって話聞くわ。」
前者は根拠のある『事実』、後者は不確かな『噂』であります。後者の場合、本人に電話をかけたら「商売もヤバいのに、ふざけるな!」なんてお叱りを受ける可能性まで有るのです。この例は、悪意に満ちたものではないので、さほど罪は無いでしょうけど。
時に噂は人を深く傷つけます。それはもう深く深く・・・人の命を奪う場合も有るのです。始まりは興味本位なのかもしれませんが、どんどん悪意が付け加えられ、最後にはとんでもない話になっている・・・なんて事は少なくありません。
世の中には悪意に満ちた『噂』で溢れております。一般社会のみならず、テレビ、ラジオ、週刊誌に至るまで、噂で構成されているんじゃないかと思うほどに。いつから人間は、これ程までに『噂好き』になったのでしょう。親交が厚ければ本人から直接聞けるし、たいして自分に深くかかわりの無い場面であれば、情報なんて必要無い気がいたします。ガセの可能性まである不確かな情報なら、尚の事要りません。
自分に関わる噂が、まわりまわって自分の耳に入ってきた時などは大変でございます。誰から聞いた、誰から聞いたと順番に裏を取っていくと、最後は必ず「誰からだっけ?」などとふざけた結果で終わるのです。都合が悪くなると知らぬ存ぜぬを決め込むのが、『噂好き』の共通点であります。
私には三つ程ルールがございます。
一つ目は、その場にいない人間の話をする時は、なるべく良い話をする事。二つ目、良くない話をする場合は、本人を目の前にしても同じ話をできるのならばOK。三つ目、その場にいない人間を悪く言う時には、そいつと喧嘩する覚悟で発言する事。
以上が私の中の決まり事であります。
要は自分の発言には責任を持つ、と言う事でございます。
本人がいたら言えないとか、そういうつもりで言ったんじゃない等といった言い訳は最悪でございます。
『噂好き』の人間には、まずロクな者はおりません。
噂話はしない事、聞かない事がベストであります。
他人の口には戸はたてられません。
無視するのが一番でございます・・・(-。-)y-~~~~
私は小・中・高と学校に通いましたが、沢山の教員の中で今会ってみたいなぁと思うのはたったの4人でございます。この4人だけを私は『先生』と呼んでまいりました。先生達もお歳を召され、4人の内2人は他界なさっております。後の御二人もとうに定年を過ぎているとは思いますが、いかがお過ごしなのでしょう。
私が中学3年の時の担任の先生(ご健在です)に教えていただいたお話です。この先生はバイオレンスに満ちた我が中学校で、真剣に生徒と向き合ってきた優しい人であります。「生徒にビビッて物を言えないようでは大切な物事を教えられない」と一念発起して少林寺拳法に入門し、3年間で2段を取得した『熱い男』でございます。
【己れこそ、己れの寄るべ、己れを措きて誰に寄るべぞ、良く整えし己れこそ、まこと得がたき寄るべなり】
少林寺拳法の『聖句』といわれる文章の中の一節です。
「自分自身こそ自分のよりどころである。自分以外に一体誰に頼れるものがあろうか。良く調整され訓練された自分自身こそが、本当に得がたいよりどころなのである。」という意味だそうです。
テストの結果が悪ければ、問題が悪い、教員の教え方が悪い、非行に対して注意されると、親が悪い、学校が悪い、社会が悪い・・・というように、いたずらに他を責める風潮が多く見られます。これは、己を頼る事を忘れ、他を頼ってばかりいるので、他が自身の思うようになってくれないと、すぐ不満に感じるからです。一番肝心な事は、一人一人が自分自身をじっくりと見つめ、積極的に自己を鍛え、どんな困難に対しても真正面からぶつかっていけるように、自己を変えて行く事なのです。もちろん私(先生)も、生涯己を訓練し続けていきます。
幾らか省略はしておりますが、こういう内容の文章を卒業の時に頂きました。二十歳位になって、偶然にも再度この文章を読み返す機会がございました。その時はまだ「へー、良い事言うなぁ、さすが先生だなぁ。」程度に思っておりました。
クラス会的な飲み会があり、ふと懐かしく思い最近また読んでみたのです。先生が私に伝えたかった事が、この歳になってようやく解ってまいりました。その言葉の重さ・大事さに、今頃になって感謝をしております。しかし先生も、ヤンキー中学生に随分と難しい事を教えようとしたものであります(笑)。
私が問題を起こした時、職員室で説教されると他の教員や生徒の目が嫌だろうと、いつも小さな個室を用意してくれました。まぁ放課後2時間位、延々と説教されたりする訳ですが・・・。よく殴られもしましたが、理不尽なことで叱られた事はただの一度もございません。
私の友達が、他の教員に理不尽なことでネチネチと嫌がらせを受けた事がございます。その場に居合わせた私は、途中で我慢できなくなり学校の椅子でその教員を殴打したのであります。
当然、大問題になりました。
いつものように個室に連れて行かれ、最初はものすごい剣幕で怒られました。ですが状況と理由を話すと「いきなり怒鳴って、すまなかった。」と頭を下げ、部屋を出て行ったと思ったらジュースを2本持ってすぐに戻ってまいりました。そしてニコニコしながら「もう一回最初から話せ!」と。もう一度話をし終えると「そうかそうか、気持ちはわかった。だけど椅子で殴ったのは悪いぞ、それだけは本人に謝れ。」結局、椅子で殴った事だけを謝ってその件は終わりでございます。
先生曰く、素手で殴ってたなら謝る必要は無かったそうです(笑)。
放課後の貴重な時間を割いて頂いたり、夜に家まで何度も来て頂いたり、私の代わりに下げなくても良い頭を何度も下げて頂いたり、とにかく迷惑ばかりをかけてしまいました。
今はまだ無理ですが、いつか堅気になった時には必ずお礼を言いに伺いたいと思っております。
それまで健康で長生きして頂きたいと思っております。
私が暮らしている繁華街には日々数多くの方々がやってきます。
毎日何万人という単位でございます。この街に関わる事19年、この業界に身を置く事16年の月日が過ぎております。その中で男女問わず印象に残る出会いというのは、そう多くは無いものでございます。
今から7年前に出会った現在25歳の若者(♂)がおります。地方都市の老舗のクラブの一人息子で調理師学校に通うため、都会に出てきて一人暮らし。当時、私が頻繁に出入りしているビル(以前刺されそうになった例のビル)の一角でアルバイトをしておりました。細身で背は180ちょっとあり、元気がよく声もでかく、とにかくヤンチャで暴れん坊、非常に目立つ子でありました。
そのビルは朝迄営業の店が大半で、酒屋の配達時間が終わると店同士で足りなくなった物の貸し借りが頻繁に行われるのです。ブランデー1本だの、ビール5本だの、氷だの色々と貸し借りするのです、翌日現物で返せば良い訳であります。
私がビル内のどの店で呑んでいても、不思議と必ず借り物をしにこの小僧が現れるのです。ただでさえ目立つ子なので、すぐに顔を覚えてしまいました。
「おっ借り物しに来たのか、1杯だけ呑んでいけ!」当然一気飲みでございます。「おっまた何か足りなくなったのか、とりあえず呑んで行け!」また一気。違う店に移動しても「なんだよこの店にも借りに来るのかよ、まぁ呑んで行け!」そして一気(笑)。
この調子で一日に何度も顔を合わすのです。そして私と会う度に強制的に一気呑みでございます。当時18歳の小僧には、さぞキツい事だったでしょう(笑)。
そんなやり取りが日々続き、調理師免許を取得した後も23歳まで繁華街に残ることになります。その間も数件の飲み屋で真面目(?)に働いておりました。
とにもかくにも私を慕ってくれ、私も随分と可愛がりました。
堅気ではありますが私と『兄・弟』の関係になったのであります。
ある日こいつが神妙な顔をして「相談がある」とやってまいりました。実家の母に「帰ってクラブを継いで欲しい。」と言われたらしいのです。本人としては本気で私と一生つるんでいたかったらしく随分と悩んでおりました。なにせ一本気な子でしたから・・・。実家のクラブは大繁盛店で、継げば黙って左ウチワの暮らしでございます。
私はコイツが可愛くて可愛くて、この小僧と一緒ならどこまでも勝負できると思い始めていた矢先の話であります。
「何も悩む事なんかねぇだろ。一人息子なんだから継いでやれよ!」考えに考え抜いてそう答えました。色々な事が頭を駆け巡り、互いにしばらく無言であります・・・。小僧は私の方を絶対に見ず、涙ぐんでおりました。私は普段どおり何事もなかったような顔を、無理矢理作っておりました。
私が稼業から身を引く事を考え始めたのはこの時からでございます。
結局彼は家を継ぎ、今は大成功しております。
持ち前のバイタリティで親の代よりも更なる発展をしている最中であります。その後も年に数回互いに行き来をしております。
3ヶ月前、結婚と出産の予定を報告しに街にやってまいりました。
我が事のように嬉しく思いました。
やはり帰して正解だったなぁ・・・と。
遠く離れてはいても一生の兄弟分でございます。
出会いは別れの始まり・・・
『別れ』には『再会』がつきものでございます。
点は線となり、線は弧となる、弧は和(輪)となって縁(円)になる。
良い縁に恵まれたいものであります。
『喜び』、生き続けるための糧でございます。
正常な思考を持っているのであれば『喜び』無しには生きていく事はできないと思うのであります。
今回は日常ふとした瞬間に感じる小さな『喜び』のお話です。
『小さな喜び』これはそこかしこに幾らでも転がっているものでございます。一歩外に踏み出せば、それはもう次から次へと・・・鬱陶しい位に小さな喜びで溢れております。そよそよと気持ちの良い風が吹いてきた、空の色がやたらと青かった、可愛い猫の親子を見た、レジの娘が上戸彩に少し似ていた・・・etc、小さな喜びだらけでございます。
最近この小さな喜び達を皆様シカトしてはいないでしょうか。
これらは流石に小さいだけあって、こちらの精神状態一つで軽く吹っ飛んでしまいます。イラッとして歩いている時に、可愛い猫を見かけてもただの汚い野良猫にしか見えないし、空の青さにも気がつかない事でしょう。小さいとは言え、いかようにももったいない事でございます。
道に点々と1円玉が落ちております。家までの道すがらボチボチとそれを拾って帰ります。家に着いて数えてみると合計100円有りました。要は100回も拾うという作業をこなした事になります。
「100枚集めたって所詮100円だろ!そんな事をしてまでたかが100円なんか要らねぇよ!」とおっしゃる方が必ずいると思います。100回拾う事を単純に作業として考えれば、手元に残るのが100円・・・恐ろしく作業効率の悪い愚かな行為であります。ですが100回もお金を拾う楽しさを味わったと考えるならばどうでしょう。「ここにも有った♪おっあそこにも♪」なんていうのが100回です。それはそれは楽しい時間だと思うのであります。たとえ得た物が100円ぽっちであっても全く問題ございません。
『小さな喜び』そんなもんで人が生きていける訳がないだろう、そんな吹けば飛ぶ様なものは要らねぇよ、そう言う方も多く居るかもしれません。もちろんそれだけで生きる原動力になるとは思っておりません。小さな物ばかりに目を奪われて真剣に追いかけていても困ります。1円拾いに夢中になってトラックにでも轢かれたら、それこそただの阿呆でございます・・・(笑)。
誰の道にも『小さな喜び』は幾らでも落ちています。
たいした物ではないかも知れませんが、わざわざ踏みつけて歩くような代物でもない筈であります。せっかく沢山落ちているのですから、道草にならない程度に楽しく拾いながら歩いてはいかがでしょう。
私は完璧に道草の途中であります・・・。 オッ! ( ..)_。
地元の議員さんに誘われて朝飯をご一緒してまいりました。
いわゆる先生様でございます。(--〆)
私の生活は昼夜逆なので非常に迷惑でした(怒)。
来年は地方選挙ですから、そろそろ声はかかるだろうと思ってはいたものの、朝飯だけはやめて欲しかったのであります。
まぁ一応選挙は頼まれたのですが、存外サラッとしておりました。軽く拍子抜けしておりますと、本当の頼みごとは別だと言うのです。私が育った地域にいくつか点在する商店街の【シャッター化】を解決する方法を考えて欲しいとの事でした。
【シャッター化】・・・商店街にシャッターが閉まった店がチラホラと目立ってくる現象です。要は潰れた店が多くなり商店街が錆びれてくる状態。
最近商売をやめた店が多いなぁとは思ってはおりましたが、私にアイデアを求められるとは夢にも思っておりませんでした。地元を愛する私のツボを突いた、見事な攻め口でございます。大型スーパー全盛の今、商店街を盛り上げるなど至難の技でございます。
大型スーパーは立地条件も良く、何百台分もの駐車場を持っております。商店街は道路も細く、駐車場自体が無いのですから・・・(汗)。しかも今の時点で閉まっている商店は既に、大型スーパーとの戦いに敗れたからこそ閉まっている訳ですから。どう考えても難しい・・・と言うか私に相談するのが大間違いでしょう。
まず商店街のすぐ傍に大きな駐車場を税金で作ってくれと言ったら「無理だ」と言われました。じゃあいっその事、通行止めにして歩行者天国にしてしまおう「それも無理」と言われました。
一体どうしろと言うのでしょう(怒)。
段々腹が立ってきたので少し意地悪く「あんたも飯屋の1軒くらい出したらいいんじゃないの」と私が言うと、「それが一番無理(笑)」と言われました・・・。
議員様というのは卑らしい生き物でございます・・・。
落ちればいいのに・・・。
どうせ新しいテナントさえ誘致してしまえば、また商店街に自然と活気が戻ってくるだろう程度の考えしかないのでしょう。誘致した以上責任を持って繁盛させてやらないと、又シャッターが閉まるだけでございます。シャッターが閉まるだけならまだしも、誘った手前余計な恨みまで買ってしまいます。
何とかしてあげたい気持ちは誰よりも有るつもりなのですが、今回ばかりは参っております。
そんなハイパーな知恵が有ったら、私も今の業界にはおりません。
全く何を考えているのでしょう、あの馬鹿議員は・・・。
落ちればいいのに・・・。
とは言いましても愛する地元の事ですので精一杯考えようとは思っております。何か思いついた方がいらっしゃったのなら、是非お知恵をお貸し下さいm(__)m
また余計な事で悩んでおります・・・(-_ゞ
私は『先生』という呼び方が大嫌いであります。
『先生』と呼ばれて返事をする人間にはロクな奴はおりません。
まぁ私の偏見ではございますが・・・。だから私は敢えて『教員』という少し無機質な言葉を使うのであります。
今日は久しぶりに実家で母と【TVタックル】と【報道ステーション】を観ておりました。東京都の学校教育の問題やイジメの問題を放送しておりました。教員のモラルや教育委員会の問題点を取り上げていたのですが「今更何を言っているんだろう」正直そう思ってしまいました。
教員にモラルが足りないのは30年近く前からわかっている事ではありませんか。小・中・高と学校に通いましたが、今でも会ってみたいなぁと素直に思える先生は片手もおりません。それだけを考えても残念な事でございます。
子供に夢や希望を持つ事の素晴らしさを教えようとか、生きる喜びや人として大切な物を教えたいといった理由で教員を志した者は、全体の何%いるのでしょう。ほとんどが喰いっぱぐれの無い安定した職業程度に考えて、教員になったのではないでしょうか。あくまで私個人の見解ですが、そう思えてしようがありません。
大体にしてスタートが大きく間違っております。私の地域では高校でも授業を真面目に受け、休み時間もひたすら勉強し、夜は予備校に通っていたような生徒しか教育大には入れませんでした。まぁ推薦で入った者もおりましたが・・・。大学ではある程度アルバイト等もしたかも知れませんが、所詮はたかがアルバイトでございます。社会に出て自立する事はそんな甘いものではありません。
その程度の浅はかな人間が卒業と同時に教員になり、子供達に何を教えられるというのでしょう。その後、教員共の閉鎖された社会で何年過ごしたって同じ事でございます。残念ながらあの業界に身を置く限り人間としての成長は見込めません。
飲食業や建築業で一番嫌われている職業は『教員』でございます。
世間知らず・わがまま・無駄にプライドが高い・上から物を言う、等が主な理由です。皆商売ですから「先生、先生」と呼びますが、腹では心底馬鹿にしているのです。調子に乗って威張っている場合ではありません。人様にどう思われているかいい加減気づきなさいよ・・・と思う訳であります。
当然ながら全員そうであるとは思ってはおりません。
中には素晴らしい『先生』が少数いる事を知っております。
ただその数があまりにも少な過ぎるのであります。
昔と違い意味も無くうるさい馬鹿な親も増えております。その中で教員の活動が制限されているのも事実でございます。ですが志も無く人様の子供に物事を教えるなんざ、もっての他でございます。
色々な職業を体験し、30過ぎから教員資格を与える事を提案します。
この数日学校がらみのお話ばかりになってしまいました・・・。
『いじめ』、前回私の体験を少しお話させていただきました。
あれが『いじめ』だったのかどうなのか私には判断する事ができません。私が反抗せず黙って耐えていたなら、どんどんエスカレートしていったのかもしれません。
私のブログを2Chで紹介していただいているらしく、その掲示板を見た方からメールを頂きました。
「学校のトイレで弁当を食べている」という内容のメールでございます。
理由は一緒に食べる友人がいなくて、一人で食べている姿を人に見られたくないからだそうでございます。返信用のアドレスを頂いていないので、この場で私の意見をお話したいと思います。
確かに学校での一人飯は辛いものであります。
私の場合はたったの5日間でしたが、今でもはっきりと記憶しているのですから相当なダメージであります。とにかく周囲の視線が辛かったのを覚えております(その為に窓側の一番後ろの席に引っ越した訳です)。
その辛さ悲しさを重々判った上で申し上げますが、一人で飯を食うのは悪い事なのでしょうか。それが世間一般の方の迷惑になるのであれば考えなくてはなりませんが、少なくとも誰にも迷惑をかけてはいないと思うのです。だとしたら一人ぽっちでも堂々と食えばいいのではないでしょうか。
友達が居ないというのは決して恥ずかしい事ではないと思っております。この先もずっと一人でいたいのなら話は別ですが、そうではないのなら今は真の友達に巡り会うまでの道程なのですから。たいした付き合いも無いのに会った事のある奴を皆友達としてカウントしている馬鹿共よりもずっとマシでございます。
どうか御自分を卑下なさらずに堂々と暮らしてみて下さい。飯も人間の楽しみの一つであります。せっかくの弁当をトイレで食べては美味しくなくなってしまいます。「弁当の端っこの小さな漬物が妙に美味かった」こんな事でも小さいながらも『喜び』でございます。『喜び』というのは生きていくための糧であります。小さな『喜び』も取りこぼす事なく暮らそうとする姿勢が大切です。若い貴方たちにはもっと沢山の大きな『喜び』が待ち構えている筈です。
社会のルールから外れ、落ちこぼれだの、社会のダニだのと呼ばれている私共でも、未だに幸せを諦めてはいないのです。世に恥じることの無い立派な学生さんが、そんな事でコソコソしていてはいけません。
死を選ぶのは実に簡単な事であります。今現在の苦しみからは即座に解放される事でしょう。でもその先に確実に有ったであろう『喜び』『幸せ』を体感する事は二度とできません。この世に生を受けその権利を放棄するのは如何ようにももったいない事であります。超有名なケーキ屋さんの行列に並び、あと少しで自分の番という時に帰ってしまうようなものです。
あと数年待ってみて、社会に出てみて、できるだけの事をあがいてみて、それでもダメだったとしたら、その時に死を選んでも良いのではないでしょうか。
『負』があれば必ず『正』があります。
『悲しみ・辛さ』の向こうには必ず『喜び・幸せ』が有るものなのです。
絶対にでございます。
私もヤクザです、男に二言はございません。
ただ面倒な事に『喜び』も『幸せ』も外の世界に在るものなのです。
どうか御自分の殻に籠もる事無く、外の世界を歩き続けてください。
縁があってメールを頂いた、私からのお願いであります。
『学校』、皆様はどんな場所をイメージするのでしょう。
私には懐かしい場所であります。人によっては嫌な思い出しかなかったり、ただ居るだけでも苦痛を感じるだけの場所であったかもしれません。逆に楽しい思い出ばかりで、また戻りたいという方も多い事でしょう。
『学校』についてはこれからも少しずつお話していこうと思っております。
前述の通り人それぞれあまりにもイメージの違う場所ですので、私の体験を中心にお話しようと思います。
私の通った中学校は市内でも歴史が長く、そして有名な不良校でした。当時は先輩方が頻繁に校内暴力を起こし、何度もニュースで取り上げられるような学校だったのです。私が入学した時は校舎の中をバイクが走っていて驚いたものです。暴走族とヤンキーの全盛期でございます。
近隣の小学校4校からの持ち上がりで構成されておりました。H小学校が4割、S小学校3割、O小学校2.5割、K小学校0.5割・・・こんな感じの構成であります。H小とS小が大きな市営団地を有しており、先輩・後輩のつながりも多く学校の大半を占めておりました。O小は少し遠い郊外からの通学組、当時まだ中学校が足りない時代だったのであります。
私は不運にも0.5割の少数派K小学校の出身でした。
『横浜銀蠅』や『ブラックキャッツ』が流行しており、男はリーゼント派かパンチパーマ派に分かれ、長めの学ランにダボダボのボンタン(ズボン)。女は脱色パーマかポニーテール、引きずるような長いスカートかミニスカ。これが当時の不良スタイルでございます。もちろん半分以上は真面目な普通のスタイルであります。
他の学校がどうだったのかはっきりとは存じませんが、我が校では毎日『先輩vs教員』のバトルが繰り広げられておりました。男子トイレのドアは全て壊れ、シンナーの匂いと煙草の吸殻だらけ、超B級ムービーに登場するようなちょっとファンキーな学校だったのであります。
入学から約2ヵ月程でしょうか、少数派の私もやっとクラスに馴染んできた頃の事でございます。同じクラスに仲の良い友達が3人でき、放課後もいつも彼らと4人で遊んでおりました。彼らはH小とS小の出身で他にもたくさんの仲間がおりました。私達はクラスの中ではチョイ悪グループみたいな存在だったのであります。
ある日普通に登校すると、クラスの連中が誰も目を合わせないし、挨拶をしても返答が無いのです。感じが悪いなと思いつつ仲の良い3人の所に行き「こいつら何かおかしいぞ」と言うと、なんと驚いた事に
『無視』でございます。
昨日まで放課後も一緒に遊んでた『友達』がです。
正直何が起きているのか全く把握できませんでした。「お前ら変な冗談やめろよ」と言っても無視・・・「俺何かしたのか?」と聞いても無視
・・・無視、無視、無視クラス中で全シカトでございます。休み時間もとりあえず外に出て、他のクラスの奴と何事も無かったような振りをして雑談をしておりました。相談できるような友達は皆隣の中学校に通っていましたから・・・。昼飯は仲の良い者同士で席をくっつけて食べるスタイルなのですが、その日はポツンと一人で食べました。
結局その日は何も理解できずに帰る事になりました。
周囲の目があれほど辛く、時間を長く感じた日はございません。家に帰っても一人であれこれ悩んでみたのですが、何がなにやらサッパリで頭がパンクしかけておりました。今日だけなのかなぁ・・・4~5日続くのかなぁ・・・ずっとこうなのかなぁ・・・どんどん下がって行く感じがしました。
次の日も、その次の日も、全く同じでございます。最初の内は「何かしたんなら謝るし、言いたい事が有るなら言ってくれればいいのに・・・」的な事を話しかけていたのですが、とことん無視。
空気ですよ空気、誰の目にも見えてませんから私。
こんな陰湿な行為は無いなぁ・・・と思いました。
落ち込むよりも段々腹が立ってまいりました。
今考えるとよく3日間も我慢したものです。
次の日は朝早く登校し、窓側の一番後ろの席を勝手に占拠しました。机の中身をそこら辺にブン投げて、勝手に引っ越してやりました。私は椅子にそっくり返って座り机の上にドカっと足を乗せマンガを読んでおりました。
クラスの連中がパラリパラリと登校して来る訳ですが、皆集まってコソコソと会議をしておりました。席を奪われた奴もオロオロしておりましたが、こっちはとっくに『戦闘モード』でございます。文句があるならかかって来いと言う明確な意思表示なのですから。手の届く所に金属バットも用意してありましたし・・・(笑)。授業中もずっとその体勢でマンガを読んでおりました。何度か教員にも注意を受けましたが「何だコラ、お前もやっちまうぞ」と、もう視界に入るものは全て敵であります。
無視はこの後2日続きました。
その間も私はずっと『戦闘モ-ド』でございます(笑)。
一番最初に話しかけてきたのは1週間ぶりに登校してきた不良娘でした。自分が居ない間に変な空気が流れていたので驚いた様子でした。「なんか、あったの?」別になんて事の無い質問だったのですが、嬉しかったですね。その時の様子は未だにはっきりと覚えております。「何か知らんけど突然無視されてんだよ。俺は解らんからそいつらに聞いてくれ」と答えました。
その子はその後も普通に明るくたくさん話しかけてくれました。
同じ日、次に話しかけてきたのは遠くから通っているO小出身の2人でした。「ゴメンな一緒に飯食おう」って、これも嬉しかったですね、本当に。
そして一人、また一人と声をかけてくるようになりました。「おはよう」とかそんな程度ですが。一緒に弁当を食べてくれるO小の2人と話をしていて、段々と事の全容が判ってまいりました。首謀者は一番仲良くしていたつもりの3人だったのであります。「あいつはK小出身で仲間も居ないくせに生意気だ。みんな無視しろ。」という内容のメモが皆に回ったそうであります。皆、自分も巻き込まれるのが嫌でそれに従ったとの事。それなら仲良くする振りなんか必要無いじゃありませんか。くだらないなぁと思いました。『友達』だと思っていた自分も情けないなぁ・・・と。
3人組の内の1人とはしばらくして和解し、残りの2人(こいつらが犯人)は3年間『パシリ』をやらせておりました。
この出来事は良くも悪くも私の中の何かを変えました。とても大切な経験となった事は間違いありません。人のうわべではなく、腹に在る『中身』を見極めようとするようになりました。
つい最近のクラス会的な飲み会で、中学・高校と一緒だった同級生が酔って「こいつは凄い奴だ、何が凄いって派閥に属した事が一回も無いんだ」と私の事を語っておりました。言われてみれば自分の味方を増やそうとか、多数派に入って有利なポジションを築こうなどとは考えた事がございません。暴走族にも参加した事がありません。
今も組織には属していますが、派閥などとは関係なく好き勝手やっております。
「あいつは、いいんだ」的な感じで扱われていますから・・・(汗)。
かと言って一人孤独にやってきた訳でも無く、少数ながら本物の『友達』『応援してくれる方々』もおります。
なんか妙なスタイルでございます(笑)。
この一件以来3年間、クラスが変わっても窓側の一番後ろの席は私の指定席になりました。私が記憶している教室の映像は、全てその角度から見たものでございます。
『窓側の一番後ろ』 少し切ない私の誇りでございます。
今風に言うとリスペクトでございます。
人間が繋がりを作っていく際に、一番大切な概念だと思っております。家庭・職場・友人・恋愛・・・生活の全てにおいて最重要であります。尊敬する人物⇒織田信長、こういう中学生のアンケート的な話ではございません。日常生活における細やかな尊敬の念、これが大切だというお話でございます。
尊敬の念を一切持たず自分よりも格下だと思えば、そこに友人関係は成り立ちません。このケースだと『しもべ』か『奴隷』としか思っていない事になるのでしょう。お互いに「こいつは俺より格下だ」と思っていながらも『友達』と呼び合っている馬鹿共が世の中には相当数いるものであります。それぞれが居ない所では互いの悪口を連発するような・・・見るに耐えない醜悪さでございます。
「この人のこういう部分が良い所だなぁ」「ここは見習わなきゃいかんなぁ」と感心する、それが小さいながらも『尊敬』でございます。
恋愛や結婚でも一緒だと思うのです。年齢など関係なく互いに尊敬の念が無ければ絶対に上手くはいきません。恋人同士や夫婦が喧嘩する場面で、酷い言葉で罵り合うカップルをよく見かけます。「バカ女」だ「クソ野郎」だのと、よくまぁそこまで言えるもんだなぁ・・・と(汗)。
尊敬している相手になかなか暴言は吐けないものであります。
つまりは互いに尊敬の欠片も持ち合わせていないからこそ、罵詈雑言を浴びせあう訳でございます。
家庭においても然り、無垢な子供から学ぶ部分もたくさんある筈です。繰り返しになりますが、尊敬に歳の上下は関係ありません。相手がガキであろうと良いものは良いのであります。子供に対して尊敬する部分を認める姿、夫婦が互いに尊敬しあう姿、この親たちの姿を見て育つ子供は当然『尊敬』というものが何かを肌で知り、間違いなく素晴らしい人間になるでしょう。
たとえ頭で『尊敬』というものを理解していなくても、自然に体現できる筈であります。
話がそれてしまいますが、何年か前に流行した三木道三の【Lifetime Respect】一生一緒にいてくれや♪って歌がありました。実に良い歌でした。あれこそが恋愛の理想の形なのでしょう。理想とするものが解っている以上、追い求めなければ嘘であります。
本当にそれてしまいました・・・。
そしてまとまらなくなりました・・・(ーー;)
『尊敬』・・・そうそう『リスペクト』でございます・・・(-_ゞ。