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雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…
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来年は選挙の年でございます。
地方統一選挙と参議院選挙が行われるのであります。
私も毎回選挙には少なからず関わっております。これは私個人の目で見た選挙観でございます。
毎度の事ではありますが、選挙には有権者の約半分しか投票をしておりません。その半分の内約6割は政党関係者や後援会関係者、そしてその人達から何らかのお願いを受けた方達です。純粋な浮動票は、得票全体の中の4割程度と考えるのが妥当でしょう。
有権者全体で考えてみましょう。浮動票が得票の4割とは聞こえが良いような気がいたしますが、有権者全体で考えればたったの2割でございます。つまりは毎回どの政党を応援するか決めていない人は10人の内で2人、そして応援する政党を決めている人は10人の内で3人、選挙に行かない人が5人という事になります。
固定の政党支持者は10人中3人となります。
さて、この内訳は?という所でここまで10人を例にして計算した事の間違いに気がつきました・・・すいません(汗)。物凄く大雑把に考えると、自民党5、公明党0.5、民主党3、その他1.5、こんな感じでございます。
突然100人で考える事にします・・・(-_ゞ
100人中で、自民党が15人、民主党が9人、公明党が1~2人、その他4~5人・・・、どこも応援してないが投票に行く人が20人、投票にすら行かない人が50人。
なんと日本の政権与党『自民党』を支持しているのは、100人中で僅か15人であります。たったの15%・・・、選挙に行かない50%の人達の3分の1以下の人数なのです。この事実に皆様はお気づきでしょうか。これはあくまで簡単な試算ではありますが、大きく間違ってはいない筈なのです。マスコミも小ズルイのか、本当に馬鹿なのか、それとも情報操作なのかは知りませんが、こういった数字をあまり電波に乗せようとはいたしません。
たかだか15%の支持であれだけ威張りくさっている『自民党』、政権を奪うと必要以上に騒いで実はたったの1割にも応援されていない『民主党』、これが2大政党と言われているものの真の姿であります。ここで「目糞鼻糞だな!」なんて笑っている場合では無いのです。なぜこんな不自然な事が起こっているのか・・・、ここが大きな問題であります。
笑い事ではありません。
なぜ有権者の15%程度の支持で日本の舵取りができるのか?
これは全体の50%にも及ぶ人達の『無関心』が生んだ悲劇であります。日本の政治の大原則は『選挙』であります。単純に総数の50%をカットすると自民党の持つ15%が実質30%の力を持つことになるのです。あとは浮動票を取り込めば『選挙』では大勝できる事になるのです。
無関心層の方々は「誰を選んでも同じだろ!」と必ず仰います。その通り、誰に投票してもいきなり政治が変わるなんてありえません。ましてや、どれもこれも代わり映えのしないゴミのような者でございます。生ゴミ、大型ゴミ、燃えないゴミ、この中で一番好きなゴミはどれですか?という話になってしまいます。
結局はゴミな訳ですから、好きも嫌いもございません。
「行っても無駄だから行かない。」いたって当然の理屈であります。では、もし行って無駄じゃ無ければ投票所まで足を運んで頂けるのでしょうか。無駄じゃないからといって、じゃあメリットは有るのかと訊かれると、そこは難しい所なのですが・・・(汗)。御自分の1票を無駄にせず、むしろ抗議色を強める方法が在るというお話です。
売るのではありませんよ(笑)。
投票用紙には『必ず誰かの名前を書かなければいけない』というルールが無いのであります。いわゆる『白票』という奴です。
「こんな馬鹿共の中から地元の代表なんか選べるかよ!ボケッ!カスッ!」という意味合いを持っております。投票する意志が有り投票所にやって来て、わざわざ白票を投じるのですから間違いなくそういう意味でございます。マスコミは都合よく『もの言わぬ票』などと阿呆な事を報じますが、明らかに『皮肉』と『抗議』の意思表示なのです。
今現在、白票の存在が騒がれていないのは、白票の総数が単純に少ないからであります。まだ私が十代の頃『白票の会』なるものの存在を耳にした事があるのですが、最近はその名を聞く事もありません。志が折れてしまったのでしょうか、実に残念な事であります。
この『白票』という代物。実は数が増えると絶大な力を持つ代物に、化ける事ができるのです。私も選挙に携わるまで深く知りませんでしたが、議員連中も後援会組織も皆『白票』の増減にはビビッております(笑)。誰の敵だか判らない者が、不満分子として確実にその数だけいる訳であります。その数が増えれば増えるだけ、大きな不安と脅威を議員に与える事ができるのです。いつ白票を投じた人間が声を掛け合い団体を組織し、自分を引きづり降ろしに来るか判らないのですから。
余程、潤沢な資金を持っている議員ではないかぎり、地元での反対運動は命取りであります。その先の政治活動も不可能に近い状態になる筈です。反対運動やリコール運動とは、その位威力を持っているのであります。『白票』は不満分子である事に間違いはないのですが、行政に不満があるのか、候補者に不満があるのか、一体何に対しての不満なのかが全く判らないものなのです。得体が知れない・・・、それが最大のキーポイントです。
どの層をターゲットに修正していけば良いのか議員は判断ができなくなります。とりあえず不満分子を減らすには、地元の誰からも愛されるような良政を行わなければいけません。結果オーライではないでしょうか。地元を良くしてくれるのなら大歓迎であります。
政治家という生き物は選挙に勝つ為ならば何でもします。そして選挙に負ける事に異常なまでに恐怖しております。選挙に負ける恐怖、政治生命を絶たれる恐怖を煽ってやれば、割と一生懸命働くものなのです。
政治に関して不満を持っている方が殆どと存じております。
ニュースや新聞を見て愚痴や文句を言っていても何も変わらないのであります。投票を拒否する事は、文句を言う権利も放棄する事になるのです。選挙にすら行かず文句だけ言うのでは、筋が通りません。政治に興味なんぞ持っていないとしても、不満を持っているのならば、是非選挙の際は投票所まで足を運び『白票』を投じて下さい。
『白票』は「ふざけるな、コラッ!そろそろ暴動起こすぞコノヤロー!」という意思表示でございます(笑)。
『白票』が増えに増えれば、必ず何かが変わります。
私個人は自民党を応援しております。
そこに政治的思想はありません。
政治家を利用して商売をしている訳でもございません(笑)。
その理由はまた後日・・・。(^_-)
民主党の某アホ議員と不倫をしていたアナウンサーの山本モナが『お笑いウルトラクイズ』で復帰するそうです。本当にどうでも良い、くだらない、しようもない話でございます。何故こんな話題に触れるのかというと、大きな失敗をした人間をどうやって立ち直らせるか、という事をお話したかったからであります。
朝ズバ!で知ったのですが、山本モナは『オフィス北野』の所属らしいのです。ビートたけしの事務所であります。それを見た時、思わず「はっは~ん。」と唸ってしまいました。『ビートたけし』らしいやり方だなぁと思ったのであります。もういつだったかも忘れてしまいましたが、かなり前に飯干恵子が『統一教会』という宗教団体に引っ掛かった時と同じケースだと思いました。
飯干恵子も『お笑いウルトラクイズ』で復帰しました。その時の優勝賞品は時価100万円の『壷(つぼ)』でした。統一教会が信者に無理矢理売りつける、噂の一品でございます(笑)。
後日、ビートたけしがその事を他の番組で話していたのですが、その内容が実に印象的だった事を覚えております。
「周りが笑い事に変えてやらなければいけないんです。」
正直、感心いたしました。そして優しい人なんだなぁと思いました。
世間からは、タブーに思いきり触れたブラックジョークに見えていたようです。飯干恵子は自分の不幸を笑いに変え、はっちゃけた姿を披露して見事に社会復帰に成功いたしました。ビートたけしの作戦通りでございます。
離婚直後の友人に、恋愛の話を避けたり、子供の話を避けたりと変に気を使う事がある筈です。皆様にもそういった経験がございませんでしょうか。リストラであるとか、商売を潰したとか、大きな事故を起こしたとか、凄い額の借金を作ったとか・・・、生きていれば色々な大失敗がある筈なのです。本人は世間に出辛くなり、その時周囲はどう対応すれば良いのか。
大きな失敗をした人間は、自分の失態に恥じてなかなか自己主張をしなくなるものであります。皆の集まる場に顔を出し辛くなったり、話の輪にも積極的に参加できなくなったりするものなのです。周囲の人間が変に気を使ったりすると、余計に本人も居づらくなってしまいます。
本人が強く恥じている部分を『ネタ』にして笑い話に変えてしまうのが、ビートたけしのやり方であります。決して、馬鹿にして嘲笑するという意味ではありません。
「いつまでも気にして悩むような事ではないよ、ネタにして笑い飛ばしてしまおうぜ!」と言う意味であります。本人が自分の恥話をネタにして笑えるようになれば、もうその人は大丈夫だと思うのです。
本人が身を削って笑いを取れるような環境を、敢えて作ってやるのが大人のテクニックでございます。これがなかなか難しい・・・、ネタにされる事を嫌う人も世の中にはたくさんいます。そういう人には、皆が気を使って言えないような事を、ビシビシと突っ込んでやるのです。
例えば、離婚して落ち込んでいる奴には「おうっ何よ!家にいても淋しいから呑みに来たのか?」なんて声をかけたりします(笑)。そいつが「今度、飯でも行きましょう。」と言えば「一人で食う飯は辛いもんなぁ(笑)」。「そろそろ帰ります。」と言えば「誰も待ってねぇのに、もう帰んのか?」こんな調子で延々とツッコミを入れるのです。周囲も最初の内はドン引きになったりしますが、そこは一切お構いなしであります(笑)。
失業した者やリストラされた奴には「おいプータロー、プラプラしやがってどうせ毎日暇なんだろ。釣りに行くから運転しに来いや!」と連れ出してみたり、「世界中でたった一人、お前だけが仕事もしないで暇みたいだから、ちょっと手伝いに来い!」などと雑用を手伝わせたりするのです。
変に人様に気を使われるよりも、歯に衣を着せずズッパリと言われた方が、不思議と気が楽になったりするものです。一緒に落ち込んでやるのも良いですが、こんなやり方も在るのです。
思わずプッ!と笑わせてしまえば勝ちなのです。
ただし、誰にでも手当たりしだいにツッコミを入れれば良い訳ではございません。ちゃんとした人間関係ができている上で、早く元気になって欲しいという愛情を持って『ネタ』にしてあげて下さい。そうでなければ、ただ空気が読めないだけの嫌がらせキャラになってしまいます(汗)。上手に使わなければ、早く元気になってもらう為の憎まれ口が、本当の憎まれ口になってしまいますので御注意を(笑)。
失敗した張本人は色々と余計な事まで気にしているものです。あちこちで自分の事を悪く言われているような・・・、そんな気になってしまうものなのです。その人を早く立ち直らせたいのなら、ビートたけしの言うように、失敗した出来事を周囲が笑い事に変えてやれば良いのです。だからこそ、そんな人間を見つけたら、影で噂なんかしていないで正面からビシッとツッコミを入れてやりましょう(ちゃんと愛情を持って!)。
生きていれば、失敗する時も、成功する時もあるものです。反省は必要ですが、そこにしゃがみこんでいても物事に進展はございません。いかに素早く立ち直り、また挑戦するのが大切な事だと思っております。そして、自分の周りの大切な人達には、無理矢理にでも早く立ち直らせたいと思っております。
やってしまった事はしようがないのであります。
全部、笑い飛ばして生きて行きたいものだと思っております。
あ~ぁ・・・まぁ、しゃあないわ・・・(笑)。.(^。^)y-~
ここのところ毎日、『マグロ』が食べられなくなる・・・、なんて番組を目にいたします。なんでも来年からマグロの漁獲量が制限され、今までのように安価で流通させる事ができなくなるそうです。
そんなに大騒ぎする程の事なのでしょうか・・・。
以前にも『クジラ』で似たような事がございました。
はっきりとは覚えていませんが、今から20年位前だったでしょうか。私共が子供の頃は『ベーコン』と言えば、当然のように『クジラベーコン』の事でした。給食にも竜田揚げや大和煮となって、ちょいちょい登場しておりました。北海道では特にクジラが安かったらしく、家庭の食卓にも欠かせない食材だったようです。
かくしてクジラは、突然高級食材に出世いたしました。
正月時期にはデパートで、クジラベーコンが5枚入り1パックで2480円の高値で売られておりました。あまりにも驚いたので、はっきりと記憶しています(笑)。小料理屋で調子に乗って、クジラの刺身を何度もおかわりして、会計を見てイラッとした事もございます。偉そうに食ってしまったものの、驚くほど上手い訳も無く、所詮はただのクジラでございました。
やはり『マグロ』も同じ道を辿るのでしょうか。
まぁ、どうでも良いって言えばそれまでの話ですよね(笑)。値段が高過ぎたり、物が無けりゃ食わなければ良いだけですから。米が無くなるのなら大騒ぎするのも理解できますが、マグロで騒ぐのは正直いかがなものかと思います。
日本は平和で良いですね、大好きであります。
報道の仕方にも毎度の事ですが、呆れております。
中国をはじめ、その他の外国でマグロの需要が増えて、個体数の激減を防ぐ為とかなんだとか・・・。外国が束になっても、比べりゃ日本の方がダントツで食いまくっている訳ですから、どんなに理屈をこねたって無駄であります。日本人が調子に乗って食いすぎただけの話です。人のせいにして悪口ばかり言っていても、マグロがたくさん手に入るようになる訳じゃないのですから。ニュース番組の関係者は、一体何を発信したいのか今ひとつ理解しかねております。
スーパーに行けば、世界中の食料が当たり前に並んでおります。今では普通の光景であるし、ありがたい事だとは思いますが、何か不自然な感じを受けてしまいます。さんざん遠回りをして、最終的には地元で獲れた食材に、舌鼓なんか打ったりしてしまうものです(笑)。日本では小麦なんか大して作っていない癖に、パンや麺ばかり食っております。欧米かっ!
『もっと米を食え!』そう思っております(笑)。
最近は各メディアで道産米が、非常に高い評価を得ているようです。生産に関わっている訳でもないのに、少し嬉しく思っております。
本当にそこそこ美味いので機会が有りましたら、是非一度食べてみて下さい。
宣伝を頼まれている訳ではございません・・・。
何を言いたいかというと、近くで獲れたものを食べましょう、という事なのです。外国から買ってきた方が安くて商売的にも採算が合うのでしょうが、このままでは百姓も漁師も居なくなってしまいます。食料というのは身近に有るべき物だと思うのです。200%外食の私にはあまり説得力はありませんが、それがあるべき姿だと思っております。
そこら辺で獲れたもんが一番美味いんです。高いもんなんて銭が余った時に食えば良いんです。
『食』は人を豊かにしたり、幸せにしたりする力を持っております。
それらに感謝をしながら食べる事は、とても大切な事であります。
ですが『食』でピーピーと騒ぐのは、格好が悪い事のように思えて仕方がありません。食い物に文句なんて言ってないで、有るもんに感謝して黙って食えば良いんです。
そういうもんです!
昔のお父さんの様な、まとめになってしまいました。(-_ゞ
簡単な掲示板(BBS)を設置いたしました。
PCの方は、右のリンク内、『雲・・・月・・・【BBS】』からお入り下さい。
携帯の方は"http://hidebbs.net/bbs/kumotuki?sw=7"からお入り下さい。
ブログの記事に関係なく、自由に使って頂ければ幸いです。
質問やご相談には、なるべくお答えしようと思っております。
常連の方々同士が繋がりを持ち、また更に広がっていけば嬉しいなぁと思い設置してみました。
是非、ご活用下さい。m(__)m
私は、誰もが認める筋金入りの大酒呑みでございました。
若い頃は気取ってバーボンなんぞを嗜んでおりましたが、その後は焼酎を阿呆ほど呑んでおりました。一日に鏡月を4~5本は呑んでおりましたので、720×4~5=約3リットルの焼酎を呑んでいた事になります(汗)。十数年もそんな暮らしを続けていたのです。
どの辺からお話して良いのやら・・・。
私には23の時から9年間、一緒に暮らした女がおりました。その人は勝手気ままな私を、本当に自由に好き勝手させてくれる女性でした。毎日記憶が無くなる程呑んだくれて帰って来る私に、小言一つ言った事の無い凄い女性でした。当時の私は、女にもだらしがなく・・・、まぁこの話はまたいつかしたいと思っております。
彼女と別れる1年前位に知り合ったN美という女性がいました。私より3歳年下で、自分でスナックを営んでおりました。年齢に関係なく、とても可愛いらしい人でした。頻繁にではないのですが、日曜日に飯を食いに行ったり、たま~に店に顔を出したりといった関係でした。自分をしっかりと持っている人で、女にだらしがない私が「この人を軽い気持で口説くのは失礼だ」と真剣に思えるような人でした。
N美が原因で長年一緒にいた女と別れた訳ではありませんが、別れた後は当たり前のようにN美を好きになりました。とにかく尊敬できるところの多い、人として素晴らしい女性でした。ところが大問題・・・、N美はヤクザが死ぬほど大嫌いでした、行方不明になった父親がそっちの人だったからと聞いております。当時、私は複数の会社を持っていたのですが、その中の一つ中古車販売店の社長を名乗っておりました。彼女が私の稼業に気付いていたか、いないかは未だに訊いておりません。たぶん頭の良い人なので早々に気付いていたとは思います・・・。
もしかしたら色々な物事や道理を背中で教えてくれた兄貴分よりも、この人の方が私に影響を与えた人かもしれません。彼女は、粗暴な私を本当に心配してくれました。そしていつも優しく、人の心情や、本当の優しさや、本当の愛情というものを丁寧に丁寧に教えてくれました。繁華街で私に真上から説教できる、唯一の女性でございます(笑)。
生まれて初めて『好き』では無く、『愛』という感情が存在する事を知りました。この人の笑顔を守る為ならば、自分の事などどうでも良いと本気で思っておりました。寝ても醒めてもとは、当時のアノ状態の事を言うのでしょう。5分と間隔を空けずに彼女の顔が、頭の中を走り回るのです。携帯の待受画面は当然N美であります。仕事中でも、どんな時でも、手が空けば必ず待受画面を見ながら、彼女を想っておりました。とても30過ぎの男のとる行動ではありません(汗)。
私は『女を幸せにする』という事に自信がこれっぽっちもございません。自分の性分に自信が無いのであります。愛する彼女に対しては、世界一優しくできる自信はあるのです。彼女にはどんな事でもという気持ちには、一片の嘘もございません。ただその気持ちが彼女一人にしか向かない事を知っているのです。いくら彼女を大切にできても、他の気に入らない人間を平気で殴るような人間が、彼女を幸せにできる訳なんて無いのです。こんな人間では、例え堅気になったとしても何の意味もありません。
週に3~4日は彼女の店で呑み、彼女の休みの日曜には一緒にゴルフの練習や食事を・・・、そんな感じの生活が何ヶ月も続きました。彼女の部屋も繁華街の近くで、よく手を繋いで歩いて送ったものです。徒歩でも車でも送った後は、私が見えなくなるまでずっと手を振ってくれている人でした・・・。
彼女には自分で決めたルールがありました。
【お客さんとは恋愛をしない】厳しいルールでございます(汗)。知り合った当時は私は客では無かったのですが、そのルールを知っていた私は頑なに自分を押し殺しておりました。冗談めいた会話の中で「そろそろ付き合うか?」とか「一緒になるか?」等と軽く言う事はできても、本気で言う事はできませんでした。
彼女も彼女で「店やめたらね♪」なんて笑っておりました。
2004年の初夏、いつも通り彼女の店で和んでいると、彼女の兄から店に電話が入りました。実家の母が倒れたとの事でした。店を若い娘達に任せ、大至急彼女を病院に送り届けました。検査の結果、胃に影があり癌ではないがしばらく治療が必要となりました。殆ど女手一つで育てられた彼女は、最愛の母が心配で頭が一杯になってしまいました。その時から彼女の様子が、少しずつ変化していったのです。
明るく気丈だった彼女が、イライラしたり、感情の起伏が激しくなっていくのが判りました。吐いたり、熱を出したり、顔に湿疹が出たりと体調にまで影響が出始めたのです。心配になった私は、嫌がる彼女を説得しやっとの事で病院に連れて行きました。【自律神経失調症】と診断されました。ホステスに多い嫌な病名です。
医者は当然、酒をやめろと言いました。
それでも彼女無しに店はやっていけませんので、呑む量こそ減らしたものの毎日酒を呑み続けたのです。私が、酒を控えるよういくら頼んでも聞き入れてもらえませんでした。母親の事での心労もあり、日に日に悪化していくのが見て取れました。再度病院に行った時には【うつ病】の一歩手前と診断され、絶対に酒をやめないと回復は望めないと言われたのです。
2日に1日は店に出ないようになり、彼女の人気でもっていた店は少しずつ傾き始めました。母親の事もあり、自分が倒れる訳にはいかないと考えた彼女は、年内に店を閉める事を選んだのです。私も色々と提案したのですが、私の助けなど一切受け入れてくれませんでした。若くして独立した彼女の意地だったのでしょう・・・。
閉店のひと月位前に、たまたま店で二人きりになった日がありました。店を閉めることも決った訳ですし、彼女は私の本気の言葉を待っておりました。私も重々承知はしておりましたが、自信が無い事には変わりがありませんでした。
「俺は、お前の事が大好きです。愛しています。だけど俺はこんな人間だから、お前を幸せにする自信が無いんだよ。俺を選んでくれたら最高に嬉しいけど、違う誰かを選んでも仕方ない事だと思ってる。他の誰かを選んでも、俺はお前の幸せの為になら何でもするつもりでいるよ。」
私はそう言いました。
腹の底からの本心であります。
彼女は、泣きながら怒りました・・・。
決してヒステリックにならずに、静かに泣きながら怒りました・・・。
どうして嘘でも自分の手で幸せにしてやると言わないのか・・・
どうして他の人とでも良いなんて言うのか・・・
静かに私を責めました・・・
先の自信が無い理由を丁寧に話しました。
好きになればなる程、愛すれば愛する程、彼女の幸せを願えば願う程、私ではいけない気がするのです。私的には彼女さえいれば他に何も要らないし、それだけで最高に幸せなのは間違いありません。しかし、彼女的には余計な気苦労が必要になるし、泣くような事が必ず有ると思ってしまうのです。最愛の人を泣かせる位なら、私の幸せなんかどうでもいいと考えたのであります。
「そんなに自分に自信を持てなくて、たとえ私の為でも自分の幸せを簡単に捨ててしまうような人は好きになれないよ・・・。私の幸せを考えてくれて、自分の幸せもちゃんと求めて、二人で幸せになろうって、本当に思ってる人じゃなきゃ一緒になんかなれないよ・・・。」
彼女は泣き顔を見せないように下を向きながら、静かにそう言いました。
私はただ「ごめん。」としか言えませんでした・・・。
彼女には「大嫌い・・・」と言われてしまいました・・・。
閉店までの残りの1ヶ月間、私は今まで通りの顔をして、彼女の店に毎日足を運びました。彼女もいつも通りに迎えてくれました。そして12月下旬に最後の営業、次の日彼女と従業員と私で店の片付けと大掃除をして本当の閉店を迎えたのです。彼女は繁華街の部屋も引き払い、実家で母と同居する事になりました。
最後にこれから先どうする予定なのかを訊ねると、1ヶ月程静養した後に昼間の仕事を探すと言っておりました。精神的にも肉体的にも辛い状況だったのでしょう、店の客とも繁華街の人達とも、もう連絡を取らないようにしようと思っていると打ち明けました。当然私もその中に含まれている筈です。私はその時、一生の別れになると感じ、兄弟分の店に行き大酒を呑み、人目もはばからず大泣きいたしました。
私も彼女も、とても酒を愛した人間でした。
酒を売り物にしている街に育ち、酒を愛し、酒を自らの生業とし、酒と共に十数年暮らしてまいりました。しかし、その『酒』が結果的に最愛の人の身体を壊し、『酒』に全てを裏切られたような気がしました。
『酒』が仇に思えて、世界中の酒を全て流してやりたい気分でした。
そして私は、年が明けたら酒をやめると周囲に宣言をしたのです。
早いもので、来年の正月に禁酒もちょうど2年になります。酒をやめたお陰で、体調も良く、頭の回転も以前より良くなったような気がいたします。物事を冷静に判断し、言葉を選んで喋れるようにもなりました。良い事ずくめでございます。
『禁酒』は、N美がくれた大きな贈り物だと思っております。
現在、彼女は小さな会社の事務員として頑張っております。母上様もすっかり元気になって、最近はパートに出ていると聞きました。もう連絡は取らないと言っていたのですが、今では月に1~2度メールのやり取りをしています。
まぁ、お互いにただの近況報告なのですが・・・。
少しだけ後日談がございます・・・。
我らが繁華街には年に一回、大規模な夏祭りがございます。
ずっと街に出たがらなかった彼女から、今年は遊びに行きたいと連絡がありました。もしかしたらもう一生逢えないのでは、と思っていたので嬉しくて嬉しくて・・・。祭り会場の人ごみの中、待ち合わせ場所で彼女を発見した時の、あの嬉しさを生涯忘れる事は無いでしょう。1年8ヶ月ぶりの再会でした。以前より少し痩せていましたが、とても元気そうでした。
出店の屋台に二人で腰掛け、私はウーロン茶を注文すると、なんと彼女はビールを注文したのです。
「おいっ!酒呑めんのかよ?」
「えっ?店やめて半年後位から呑んでるよ。一日に缶ビール1本だけ、仕事終わって家に帰ってきたら必ず呑んでるよ♪」
おい、おい、おい・・・オイッ! \(--;)ォィ
「はぁ~?俺の涙ながらの禁酒は何だったのよ?」
「だって本当にやってると思わなかったもん♪」
全く困った人であります・・・(笑)。
「おいっ!俺にもビールくれ!5杯位持ってきて並べとけ!」
二人で顔を見合わせて、会話も無く大爆笑。
私もこの日だけは『禁酒』を解いてガンガン呑んでやりました。思い出話に花が咲き、彼女を泣かせてしまったあの日の話になりました。
「今だから聞くけど、あの時何て言えば100点だったんだ?」
「お前がいれば、俺は幸せになれるから、俺と一緒にいてくれ!ってのが正解。言われてたら満点あげてたよ(笑)。もう遅いからね♪」
彼女の顔を見ながら久しぶりに呑む酒は、露店のビールとは思えないほど最高の味がいたしました。
未だに禁酒は続けておりますが、盆暮れ正月と祝い事くらいは酒を呑もうと思っております。
彼女とはこの先も何の発展も無いでしょう・・・、私の自信の無さは変わっていませんから。頭の良いあの人は、ちゃんとそこら辺を判っております。
いつかきっちりと堅気になって、ちゃんと自分に自信を持てるようになったら、5年後・・・10年後・・・、もしかしたら20年後・・・、その時彼女がまだ独りだったら、教えてもらった正解の台詞を言いに行こうと思っております。誰が見てもとんでもなく素敵な人なので、独りでいる可能性は殆どありませんが・・・(汗)。
『禁酒』の思い出話であります・・・。
どんな物事にでも『理由』というものがある筈です。
理由無くしての結果はこの世にございません。人間も、動物も、自然であっても同じだと思うのです。こちらがいくら理不尽に感じていても、先方には先方なりの理由が、自然には自然なりの道理が、必ず存在するものだと思っております。
人はそれぞれ、似ているようで異なった感受性を持っております。受け止め方が違うのですから、大なり小なり意見に食い違いが出るのも当然の事であります。当然の事だと知りつつも人というのは、同じ場面で笑い、同じ場面で怒り、同様に悲しむ人間を、仲間として求めるものでございます。
感受性の違う人間に遭遇した時、人は必ずと言って良いほど『理由』を求めます。そして、相手の持つ理由に対して大きな誤差を認識すると、否定という形で対処しがちになるように思うのです。私の場合ですと「そりゃあ違うだろ」とか「そうじゃねぇだろ」という言葉になって現れます。
先日、24歳の若いホステスから「店を辞めたいのだが、今は人手不足だから言い出せないで困っている。」との相談を受けました。私に店と話をしてくれという頼み事なのかなぁと思って聞いていたのですが、そういう訳でも無いようです。いくつかのパターンを説明して、こういう風に話をしてみたらどうだ、と提案しても「言えないですぅ~」なんて答えばかりが返って来ます。人の助言を全部却下しやがって・・・、じゃあ一体どうしたいんだ、という話に当然なります。
「判らないんですぅ~♪」・・・(-_-メ)
あれもできない、これもできない、段々イライラしてきた私は、相談に来た理由を問い質しました。
本人的にはまだ何の方針も決っておらず、参考にするしないは別にして、とりあえず私と話をしてみよう、と思ったらしいのです。
理由を聞いてみれば何の事はない、それもまぁアリだなと思ってしまいました。
ただ自分の行動パターンには有り得ないなぁ、とも思いました。私に置き換えて考えると、いくつかの選択肢を自分なりに考えた上で、どの方法が一番大人の選択だろうといった事を相談に行くと思うのです。どちらが正解といった話ではございません。人それぞれに違う感覚と理由があるものだなぁ、という事であります。
まぁこれは軽~い一例でございます。
連日報道されております、イジメや自殺、公務員のネコババにはどんな理由が存在するのでしょう。誰かをイジメなければならない理由、死してまで逃げなければならない理由、皆で出し合った大切な金を盗まなければならない理由・・・、きっとそれぞれの理由があるのでしょう。弱い者をイジメるとスカッとする、盗んだ金で遊ぶのは気分が良い、こんな事でも当事者側からすれば立派に理由となるのです。
意見の食い違いを修正するためには、まず先方の行動とその理由を理解しなければなりません。理解できないまでも、理解しようとする努力は必要です。根本から違うのであればいつまで経っても平行線、どちらかが少しでも寄り付こうとしなければ解決は望めません。決裂する事は簡単ですが、和解する事はなかなか小難しい作業なのであります。
罰則を厳しくしたからといっても物事の根本的な解決にはなりません。現に駐車違反も飲酒運転も減ってはおりません。違反する側の理由を一切理解しようとしていないからでは、ないのでしょうか。駐車違反常習者に言わせれば、無料か格安の駐車場が充分に確保されていれば路駐などしないと言うでしょう。飲酒運転常習者も同様に、どんなに遠くても往復で千円のタクシーがあれば、酔って運転などしないと言うでしょう。
違反者側の極論を全て聞き入れろと言うつもりはありませんが、少し位は参考になるのではないでしょうか。駐車違反が多い所には、国で格安の駐車場を作ってやったらどうでしょう。理由を理解し歩み寄る事で、少しは解決に向かうような気がいたします。
イジメもそうではないでしょうか。
なぜ誰かを標的にして、イジメなる行為をしなければいけないのか。誰かを自分よりも下に位置付けして、自分は底辺の人間ではないぞ、むしろ強い側の人間なんだぞ、という事を誇示したいのだと思うのです。彼らも自分自身の位置付けに自信が無く、不安でいっぱいなのでしょう。その不安を取り去ってやるよう考えるのは、大人の仕事以外の何物でもありません。
そんな事をしなくても貴方達はそれぞれ一個の素晴らしい人格なのですよ、上も下も無く独立した一人の人間なんですよ、という事を教えて不安を取り去ってやる事が解決につながる道のような気がいたします。簡単な事ではありません。教員の人格も必要になるし、親の人格もまた必要になってきます。ですが双方の理由を考える事で、初めて歩み寄りというものが可能になってくるのではないでしょうか。そして、様々な物事が少しだけでも解決に向かうのではないでしょうか。
巧くいかない事がある・・・。
巧くいかない理由は何か・・・。
じゃあ巧くいってる奴の理由は何か・・・。
必ず理由がある筈なのです。間違いなく絶対にあるのです。
人様の『理由』は見つけられなかったり、理解できなかったりと難関が多いものです。ですが前向きに理解しようとしなければ、一生欠片も理解することができません。
仲間や伴侶に対しても全く同じ事でございます。
『理由』 これが無ければ人間は動きません。
先週からテンションが中々上がらず困っております。
不幸や騒動が続いてしまったので仕様がないとは思うのですが、ボサッとしている訳にもいきません。落ち込んでいる訳でも無いのですが、何かこうやる気が出ないのであります。とりあえず普段通りの生活は問題なくこなしているのですが、、どうも私らしくないというか何というか・・・困っております(汗)。
気分を変えて釣りにでも行こうかと思えば、初雪が・・・。檀家回りに出掛ければ、ホステスの愚痴と相談事・・・。テレビをつければ、自殺とイジメと公務員の不祥事のニュースばかりでございます。
全く、なんとかならんのか・・・(怒)。
なんとなく悶々とした日々を過ごしております。
そんな中、ダーツだけはそこそこ調子が良いのです。
ほんの2週間前に他団体の者に勧められて始めたのですが、これが結構面白いのです。まだ思い通りの場所には投げれませんが、金を賭けた時はかなりの確立で勝ってしまいます。
根っからの勝負師なのでしょうか・・・(笑)。
初心者ですから、技術的なものは一切持ち合わせておりません。普段は狙った所には刺さらない癖に、ここ一番の大切な場面ではズバッと決まってしまうのです。やはり何でも気の持ちよう、全て気合で解決するものなのでしょうか(笑)。
「やっぱりダーツも気合だな。」(-。-)y-゜゜゜
この発言に皆激怒し「断じて違う!」とムキになって全否定されました・・・、遊びにそんなに怒るなよ・・・(-。-)y-゜゜゜。
先週の半ばからトータルで3万程勝っていたので、その金でちょっと高い小料理屋のキンキ鍋を喰い、その写メを皆に一斉送信してやりました。全員超激怒・・・(爆笑)。いい歳をこいて、仲間と遊んでいる時がやはり楽しいのであります。
いつも通りの事ですが、仲間達には随分と助けられています。一気に復活という訳にはいきませんが、こんな時間を過ごしながら少しずつテンションを上げております。何日か経てば、いつの間にか全復活できている事でしょう。
コメントやメールで多くの励ましを頂き、非常に感謝しております。
言葉の持つ温かさを、ひしひしと感じております。
本当にありがとうございましたm(__)m
更新も随分とサボッてしまいました・・・(>_<")。
また頑張りますので、よろしくお願いいたします。
ここ連日の出来事でついつい命というものを考えてしまいます。
命は何よりも重い物と考えてきましたが、実はそうではないのではないかと思うのです。騒動続きで頭がおかしくなっている訳ではございません。自暴自棄になっている訳でもございません。
私は、大切な人達も含め多くの方々の死を、年齢の割には見届けている方だと思っております。自身で死を覚悟した事も、一度や二度ではありません。とは言え、決して自らの命を粗末に考えた事もございません。だからこそ命や死に対して、正面から向き合ってきたと言う自負があるのです。
先日の友人の事故を見て思ったのです。何であんな所に、何でそんな仕事に・・・、そんな事を考えてもどうにもならない事は判っております。それでも頭から離れないのです。そして、そんな簡単に死ぬなんて嘘だろ・・・とも思うのです。
ですが人間なんて簡単に死んでしまうものなのです。
私は今まで大きな勘違いをしていたのかもしれません。
もしかしたら命というのは、物凄く軽いものなのでは・・・と感じているのです。粗末という意味ではございません。その軽い命が吹き飛ばされればそこで終り・・・、人間とは実に儚いものであります・・・。吹けば飛んでしまうような軽いものだからこそ、大事に大事に守っていかなければならないのではないかと思うのです。
突風が吹いただけ、大雨が降っただけ、地面が揺れただけ、歩く場所が1メートルずれただけでも人間は命を失ってしまうのです。えっ、そんな事で?と思う事でも人は日々死んで逝くのです。それは、いつ誰の身に降りかかるともわかりません、当然私にも・・・。人間とは、とても繊細で頼りない生き物であります。だから集団でコミュニティを作り暮らしているのでしょう。
そっと触れただけでも壊れてしまいそうな命を抱えて、私共は生きていかなければなりません。様々な危険を想定し、様々なものと闘いながら生きているのです。時に外敵、時に環境、時に病、時に精神と闘いながら一日一日を生きているのです。神の意志で、自然の摂理で、生かされている訳ではございません。確実に自分の意志で生きているのであります。
儚いものは美しい・・・。
夜空に一瞬で消えていく花火、一斉に咲き誇り散っていく桜、命を力の限り守ろうとする人間、皆一様に儚いが故に美しいと思うのです。命の軽さを踏まえた上で、尚且つ精一杯生きようとするその姿勢こそが美しいと感じてしまうのです。
先日の友人の通夜に続き、今夜も別な通夜がございました。以前記事にした私の祖父の葬儀の時に、お世話になった坊さんがお亡くなりになったのです。彼は祖父の幼馴染で、祖父の葬儀の際、浄土の世界を説きながらも現世の別れに涙してくれた優しい方です。91歳の大往生でございます。今年は寺を継ぐ予定の孫の結婚式も見たし思い残すことはもう無い、と生前言っておりました。
志半ばで逝った若者の葬儀、思い残すことなく旅立った老僧の葬儀、残されたご遺族はどちらも同じように泣いておりました。事故であろうと、大往生であろうと、残された者の悲しみを比べる事はできません。そして若かろうが年老いていようが、命の重さを比べる事もできないのであります。
命は儚く軽いもの、そして何よりも最も大切なものでございます。喜びや幸せも命無しには味わえないのであります。せっかく手に入れた命をどうか大切にして頂きたい、当然私も大切にしております。
職業や人柄、全ての事象に関わらず、世に生きる全ての人々に当て嵌まる事ですが、軽い命に対して突風がいつ吹くかは判りません。善人だろうが、悪人だろうが、世に必要で有ろうが無かろうが、命には何ら差なんてある訳がございません。その命を簡単に捨てるなんて事は、儚くも美しくも無い最低の行為であります。
何を訴えたいかは自分でも判りません。ここ数日、同じ事を繰り返し繰り返し考えておりました。
脆く、儚く、頼りなく、そして軽い命を、大切に守り続けながら、日々生きていこうと思っております。具体的にどうするかといった事も判りかねてはおりますが、漠然とそう思うのです。
命とは、そして生きるという事は素晴らしい事だと思うのです。
月曜に北海道の端っこで大きな竜巻が起こりました。
遠い土地での出来事で、恐ろしい災害もあるもんだなぁと半ば他人事でニュースを見ておりました。夕方の番組で、死亡者9名と報じられ、氏名のみが放送されました。チラッとしか字幕が出なかったのですが、知ってる名前が有ったような気がして、珍しく嫌な予感がいたしました。
自分の見間違いだろうと思い、夜の報道ステーションを真剣に見ておりました。今度は氏名・年齢・会社名が報じられました。やはり見間違いではありませんでした。中学時代の友達の名前と同じなのです。そして、年齢は35歳・・・。私は早生まれなので35歳、今年36歳になる連中と同じ学年なのです。早生まれは少ないので、大半は36歳になっている筈だなぁと思ったのです。
ついこの間、中学時代の同級生が遊びに来て「近いうち昔の仲間を集めて一杯やろうぜ!」なんて話をしていたのです。その時に、アルバムと文集を見ていたのを思い出し、大至急引っ張り出しました。
確か文集には誕生日が載ってる筈・・・。
私と同じ、早生まれでした・・・。
まだ決めつけるのは早い、同姓同名かも知れない・・・と思ったのですが、この時点で中学の同級生数人に連絡をしました。皆それぞれで手分けして調べるようにと。
私自身、彼とはもう7年会っておりません。皆それぞれ社会人になり、家庭を持ち、それほど密なつきあいをしていた訳ではございません。ですが中学時代の飲み会には彼も誘う予定で「あいつは今何の仕事してんだ?」なんて話にも出ていたばかりなのです。
連絡はある程度廻したので、あとは無事を祈り待つだけです。明け方になり、ネットでもう一度氏名を確認してみました。大雑把な住所が書いてあり、そこは地元の隣の区でした。所属の会社名も記載されていたので、その会社を調べてみたのです。
その会社の住所は私共の地元でございました・・・。
私は、この時点で諦めてしまいました・・・。
さほどポピュラーな名前でも無く、歳も同じ、会社も近所、もう希望を持つ材料が見当たりません。
日が明け、同級生達も皆一様に同じ結果でございます。
新聞の朝刊に顔写真が掲載されました。
もう間違いありません・・・。
寂しい事であります。
本当に、寂しい事であります。
年末か1月には、20年ぶりに皆が集まる予定なのに、たったひと月ふた月の違いでこんな事があるのですね。私は災害で友人を亡くしたのは初めてであります。神戸や新潟でも皆様こんな思いをされていたのですね。今頃になって判りました・・・。あんな遠くに、まさか自分の地元から同級生が仕事をしに行っているだなんて、夢にも思っておりませんでした。
こんな事があるのですね・・・。
こればっかりは運分天分なのでしょうね、頭では判っているのです。判っていても、寂しいのです。病気や事故も同じなのでしょうが、災害というのはやるせないものですね。地元を遠く離れて、何故あんな所にいたのでしょう。あんなタイミングで、ピンポイントの場所に・・・。誰かが悪い訳でもなく、何か悪い事をした訳でもなく、理由なんていくら探しても無いのでしょう。
判ってはいるのです・・・。
もう20年も前の事ですが、君の家のすぐ前の大きな公園でやった花火戦争。ロケット花火や30連発花火を人に向けて追いかけ合う、例のやつです。皆服が焼けてボロボロになったけど、とても楽しかったです。今でもたまに思い出します。君の家に皆で泊まる時は、煙草が公認だったので天国でした。新築の君の部屋で、ドラゴン花火に火をつけた事は謝ります。今度やる筈の飲み会に、君が来れない事が心から寂しいです。皆オッサンとオバサンになって、歳をとった姿を笑い合う筈だったのに・・・。背が小さく声だけはでかい君が、どんな大人になったのか想像しております。生きてりゃいつか又会えると思うのですが、それも叶わないのが残念でなりません。
ついてねぇなぁ、耕一。寂しいよ。
野沢 耕一君の冥福を心からお祈りします。
私の好きな映画についてお話ししたいと思います。
本当は連休中に載せようと思っていたのですが、ちとトラブルがございまして遅れてしまいましたm(__)m。
せっかく書いたので掲載してしまいます(笑)。
実は私、結構な映画好きなのであります。その癖に、映画館に行く事はあまりありません。一日5箱の煙草を吸うヘビースモーカーとしては、あの禁煙空間に1時間以上居るなんて耐えられないのであります。超メジャー作品は敢えて外しましたが、どれもそこそこ面白い筈なので、もし気が向いたら一度御覧になって下さい。
★まずは恋愛映画、20代の頃はほとんど観なかったのですが、ここ数年よく観るようになりました。涙が出ることも多々あります・・・寂しいんでしょうか(汗)。
【シザーハンズ】B級映画でパッケージもホラー映画のようですが、とても素敵なラブストーリーです。こういう気持ちで人を愛そう・・・と私が目標にしている映画です。ビデオテープが擦り切れるくらい観てしまい、最近DVDを買いました。超おすすめです。
【エターナル・サンシャイン】去年辺り公開された新しめの作品です。最新の脳医学で別れた恋人同士がお互いの記憶を消す、という一風変わったラブ・ストーリーです。タイタニックのアノお嬢が全然違うキャラでヒロインを演じています。派手な部分は無いのですが、本当に良い映画でした。
【猟奇的な彼女】韓国映画です。軽いコメディー・タッチでテンポ良く話が進んでいき、最後にはグッときてしまいます。主演の娘がどんどん可愛く見えてくるのが不思議でした。公開してすぐにスピルバーグが、この映画の英語版リメイク権を数十億で購入したそうです。
★ジャンル的にどう分類して良いか判りませんが、人生的なものを感じた映画を紹介いたします。こういうタイプの映画が一番好きであります。
【ノッキング・オン・ヘブンズ・ドア】おそらくドイツの映画です。同じ病室で、病魔に冒され余命幾ばくも無い二人の若者、二人の共通点は「海を見た事が無い」という事。病室を抜け出し、車を盗んで海へ向かう訳ですが、その車はギャングの・・・。とにかく最高の映画です!とてもマイナーな映画なのですが、私の人生のトップ5に入る映画です。
【ストレイト・ストーリー】遠く離れた兄に会いに行く為に、トラクターに乗り旅をするお爺ちゃんの話です。キャンプ場で若者達と会話をするシーンに、私はヤラれてしまいました。正直好みの分かれる所かも知れません、でもまぁ観て損はしないと思います。
【スモーク】ニューヨーク下町の煙草屋の主人と客の人間模様を描いた映画。緩やかな時間と、大人の雰囲気がたまりません。観た事が無い方は、是非観てください!この映画を観てつまらなかった人は、大切な何かをどこかに置き忘れています。私を責めずに自分を責めて、忘れた何かを大至急探しに行って下さい。
【ブルー・イン・ザ・フェイス】スモークの続編です。正直、スモークの方が良いのですが、それなりに良い映画です。
★涙無しには観れない作品、人を泣かせるために作ったような作品。あまり内容には触れません、泣きたい人だけ観てください。確実な奴を2本だけ。
【ジョーイ】これは相当古いです。レンタル屋にもありますかどうか・・・。白血病の少年のお話です。
【アイ・アム・サム】なぜレンタル屋のメジャーなコーナーに置いて無いのか不思議です。知的障害を持つ父親と聡明な幼い娘の父娘愛のお話です。これはハッキリ言ってずるいです、誰でも泣きますよ。いい映画です・・・(T_T)。
★あとはクールで格好良かったり、楽しいエンターテインメントな作品を羅列しておきます。
【フル・モンティ】失業者だらけの不況の街で、男達がプライドをかけ考えた仕事が『男性ストリップ』。コメディ映画ですが、ちょっと良い話です。絶対観て欲しいです。
【スナッチ】格好良いし、面白いし、テンポは速いし、これぞ娯楽映画という感じです。マドンナの旦那が監督です。
【ロック・ストック&トゥー・スモーキン・バレル】
【ロック・ストック&フォー・ストールン・フーヴズ】スナッチを観て面白かった人はこの2本も観てください。監督はマドンナの旦那です。
【マイ・ビッグ・ファット・ウェディング】ギリシャ人の結婚観をコメディ化したアメリカ映画。アメリカでスーパーヒットしたのですが、日本では宣伝すらしませんでした。相当面白いです。
【ゲロッパ!】邦画はあまり観ないのですが、コレは特別に面白かったです(笑)。
【ロンゲスト・ヤード】刑務所内で結成したフットボールチームの話。痛快でした。
ホラー、スプラッター、SF、は基本的に観ません、嫌いです。まだまだ沢山面白い映画があるのですが、映画の話をすると止まらなくなるのでやめておきます。
結局は好みの問題なので、ご参考程度にお考え下さい。
今回はいつもと全く趣旨が違いますがお許し下さいm(__)m
映画って本当に良いですね・・・(^_^)