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雲のように…月のように…

雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…

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騒動

ひと騒動ございました・・・。
世間様は連休だし、楽しい映画の記事でもと思い半分位まで書いておりました。土曜の夜にでも更新しようと思っていたのですが、その前に無二の大親友からの電話が入ったのです。

私には、唯一無二の大親友がいるのです。彼は、堅気で飲み屋を営んでいるのですが、互いに兄弟と呼び合っております。私より2歳年上で、ガキの頃から一緒だった訳でもなく、たった7年位のつきあいなのですが、互いに人生で最高の友だと思っております。夜10時から朝7時位まで営業している飲み屋で、朝方は奴の店で過ごすのが普段の日課になっているのです。

土曜の夜9時位に彼からの電話で「今日来るか?」と。毎日のように行っているのに、こんな電話は珍しい事なのです。いつもの時間に行こうと思っていたのですが、何か様子がおかしいなと感じ、開店と同時に行ってきました。電話の事を訊くと、なんとなく気になって掛けただけだと言うのです。とりたてて変わった様子も無いので、1時間ほど雑談をして「4時位に戻って来るわ!」と言って店を出ました。

その後私は、いつも通りの檀家回りでございます。後輩の店で飯を喰い、スナックやパブを数件回るのです。そして朝方4時頃に、彼の店に戻ったのであります。

いつも通りの常連客が集まり、サイコロ勝負で酒を呑んだり、賭けダーツをやったりと、全くもっていつも通りの光景でした。客もあらかた帰り、最後に1時間ほどサシでダーツ勝負をして、店を閉めたのが朝の8時頃であります。
互いに機嫌よく「そんじゃあ、明日なぁ!」なんて言って別れたのです・・・。

私も家に帰り、ネットでの販売等もやっておりますので、ひとしきりPCをチェックして昼頃ようやく眠りにつきました。3時間後に目が覚めボーっとしておりますと、見た事の無い番号から着信がありました。面倒臭いので放っておいたのですが、あまりにもしつこく何度も鳴るので、何かのトラブルかなと思い仕方なく電話に出ました。

電話の相手は、彼の母親でした。
彼の両親は共に70を過ぎており、孝行息子の為にたまに店を掃除しに来るのです。連休の最後だし店も汚れているだろうと思い、昼過ぎに夫婦で掃除をしに来たら、床に息子が倒れていて、カウンターの上に遺書があったと言うのです。首吊りをしようとしたらしいのですが、失敗して気を失い倒れていたようです。
自殺・・・?

私は全然事態を把握する事ができませんでした。
普段と変わりなかったのに、朝まで一緒にいたのに、ダーツを楽しそうにやってたのに、一緒に店を出て「明日なぁ」って言ったのに・・・、何が何やら判らなくなってしまいました。
本人が泥酔していた事もあり意識もまだ朦朧としている所を、両親が自宅に連れ帰ったと言うので、私も大至急飛んで行きました。

本人が目を覚ますと、私がいる事に驚いた様子でした。
少し申し訳なさそうな顔でボソッと「何で居るのよ?」。
こちらは煙草をプカーッとふかし「当たり前だろう」(-。-)y-゜゜゜
面を見て、なぜかもう大丈夫だなと思いました。
本人が店で話をしたいと言うので、両親と4人で店に向かいました。店に入ると、束ねたハンガーとタオルが床に落ちていました。
カウンターには、メモ用紙2枚の遺書。

酒も醒めてきて落ち着きを取り戻したようで、もう大丈夫という事になり、両親に帰って頂く様お願いをいたしました。コッソリと遺書を取り、お母さんのポケットにねじ込みました。「言葉は悪いけど記念に持って帰りなさい。もう大丈夫だから。大事にしまっときなさいよ。」と伝えました。最後まで「息子をお願いします。」と何度も何度も頭を下げて、お帰りになりました。

遺書の冒頭は、『父さん、母さん、今までありがとう。兄弟(私の事)すまん。そして皆、世話になったな・・・』。死の理由については一切触れず、お礼と謝罪だけの文章でございました。

二人きりになってから、ようやく重い口を開き始めました。原因は一つではないのですが、最大の原因は一緒に住んでいる女との不和でした。水商売と言うのは、一見楽しいだけの商売に思えますが、一年中人様の愚痴ばかり聞かなければならない大変な商売です。人の相談ばかりを毎日聞いていて、自分は誰にも愚痴すら言わずに、とうとう心がパンクしてしまった様なのです。

当然、何で俺に言わねぇのよ?と言う話になります。
私は、愛する女に対して独自の論理を持っていて、女との不平不満を人に言った事が殆ど無いのであります。そんな私を誰よりも知っているからこそ、どうしても言えなかったらしいのです。ゆっくりと話を一つずつ聞いてやると、どんどん表情が和らいでいくのが判りました。結局10時間以上も話をしてしまいました(汗)。毎日のように会っているのに、気づいてやれなかった私もどうなんでしょう。

「いやぁ、恥ずかしい事したなぁ・・・」
「別にいいだろ」(-。-)y-゜゜゜
「そうじゃなくて一発で死ねなかった事よ」
「思いつきでやるからよ」(-。-)y-゜゜゜
「じゃあ今度は頑丈な金具と紐、用意するわ」
「男はチャカ(拳銃)だろ」(-。-)y-゜゜゜
「ガスとかの方が確実かな?」
「だぁから男はチャカだっつってんだろ」(-。-)y-゜゜゜
「手に入らねぇべ!」
「どこにでも有るよ、んなもん」(-。-)y-゜゜゜
「じゃあそん時頼むな、餞別だから只で」
「次にどうしても死にたくなったら言えよ、俺の手でキッチリ殺してやるよ。その方が失敗も無ぇし、本望だろ。」(-。-)y-゜゜゜
「なんか腹立ってきた、もう死なねぇわ」
「だろ~~♪」(-。-)y-゜゜゜

自殺に失敗したその日の会話なんでしょうかコレ・・・。
この後、ダーツで5番勝負をして、2勝3敗で負けました。
死ねば良かったのに・・・(怒)。


記事にするかどうか少しだけ悩みましたが、笑い話で済んだのでこれで良しといたします。( ̄^ ̄)ヨシッ!
本人は今日も元気に店を開けております・・・アノ野郎。
人間どこにどんなストレスを溜めているのか判らないものだなぁ、と痛感いたしました。簡単に死のうとした兄弟も情け無い、全く気づいてやれなかった自分も情け無い、大反省でございます。
まだまだ修行が足りません・・・。

車で家まで送った帰り道、メールが入っておりました。

スマン兄弟・・・
アリガト兄弟・・・


「おうっ、なんもだぁ~♪」(-。-)y-゜゜゜

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反骨

反骨精神という言葉がございます。
【権威・権力・時代風潮などに逆らう気骨】と辞書に載っておりました。
純粋なものとは口が裂けても言えませんが、私共もこの精神を少なからず有しております。

『反骨精神』、私にとっては、とても大切なコンテンツであります。
ガキの頃から知らない内に、支えてきてくれたような、縛られてきたような、不思議な感じがいたします。
「ん?そりゃちょっと違うだろ」と頭の片隅に浮かぶと、白黒が付くまでスッキリしなかったのであります。ここ数年で少しだけ大人になったらしく、白でも黒でもないものが存在するんだ、という事を認められるようになってまいりました。
白黒以外のものを認めるのに、約30年も費やしてしまいました(笑)。

以前に紹介したエニアグラム(9つの性格)で、私はタイプ8(最も攻撃性の強いタイプ)に分類されておりました。人にはそれぞれどうしてもこだわってしまう部分『囚(とら)われ』というものがあり、タイプ8の『囚われ』は『力』であります。エニアグラムの本を人から頂き、自分のタイプの分析を初めて読んだ時、子供時代からずっと見られていたのかなと思うほど的確に私の性格を表現されていて、ひどく驚いてしまいました。
騙されたと思って一度御自分のタイプを診断してみてください。

エニアグラム診断
"http://shining.main.jp/eniatest.html"

私は子供の頃から、自分より強い者・集団・上下関係などに過敏に反応してしまうのです。自分が納得し認めた人間には手放しで応援し、その人間を邪魔する人間は無条件で排除してしまおう、といったスタイルでした。他から力を押し付けられると、激しく怒りを覚え徹底的に闘いを挑むのです。力というものに異常に反応し、勝つ事にも異常な執着を持っておりました。

「仲間の敵は自分の敵だ、だから全部やっつけてしまえ!」なんてトンチンカンな理由で、いちゃもんをつけられた側としてはたまったもんじゃありません。今考えると、私が『理不尽な力』そのものだったのではないか・・・と思うのです。上からの力を一番嫌っていた人間が、結局は自分も人様に対して同じ事をしていた訳でございます。
我ながら不細工で格好の悪い話でございます。

子供時代は、所詮学校程度の小さなコミュニティの中での暮らしであります。その片隅で少し頭のおかしいガキが、暴君と化していても社会になんら影響を与えることはありません。しかし大人になって、大きな人間社会で暮らしていくとなると、全く別な話でございます。筋立てて物事を考え、人様の中で暮らしていく事を考えなければいけません。

時間こそかかってしまいましたが、よく私のような人間がそんな考え方をできるようになったなぁと、自分でも感心しております。まぁ私の場合、唯一尊敬できるたった一人の兄貴分が、言葉ではなく『背中』で『生き様』でそれを教えてくれたからなのですが・・・。
お陰さまで、ある程度正しい『反骨精神』が身についたのではないかと、ニンマリしております(笑)。


法律がどうであれこうであれ、良いもんは良い、悪いもんは悪い!
これが私共の『反骨精神』でございます。


兄貴が死んだら墓に向かってお礼を言おうと思っております。

生きてる間は絶対に言いたくありません・・・(-。-)y-゜゜゜

立ち位置

人にはそれぞれ『立ち位置』というものが有ると思うのです。
その人その人に合った『立ち位置』、いつか到達したい理想の『立ち位置』、今現在自分が置かれている『立ち位置』等々。
『ポジション』や『立場』とニュアンス的に近いのですが、私はこの『立ち位置』という言葉を多用してしまいます。なんとなくですが、色んな意味を含んだようなこの言葉が好きであります。

私は、今現在の自分の『立ち位置』をたまに冷静に考えてみる事が、とても大切な事だと思っております。社会的にどんな立場にいるのか、組織的にどんな立場にいるのか、そして友人的にどんな立場にいるのか・・・etc、第三者的に自分の事を考えてみるのです。人様の目から見た自分の欠点やその姿等を想像し、ずらーっと並べてみたりします。

社会的には・・・ガラ悪い・人相悪い・関わりたくない、関係ない一般人ならドン引きだろう(汗)。
組織的には・・・勝手過ぎ・態度でかい・何言っても無駄、もう好きにさせておけ的な感じかなぁ(笑)。
友人的には・・・適当・毒吐き過ぎ・短気・気難しい・死ねばいいのに、どうやったらこんな人間になるのよ(呆)

・・・とまぁ、こんな感じでしょうか・・・、どっか遠くの知らない土地に逃げたくなりますね(笑)。
あくまでも、これは欠点を想像しただけであります。
本当ですよ、結構良いところもたくさん有るんですよ(汗)。
「いい人だ。」って言ってくれる方も結構いるんです、本当です。
まぁ、いいです・・・。

こういう風に他人様目線で欠点を並べた後に、次は『理想の立ち位置』というものを考えるのです。もっと一般の人達からフレンドリーに話しかけられたい・・・と思えば、髭を剃っちゃおうかなぁとか、シングルの三つ釦スーツを着ちゃおうかなぁ、なんてアイデアが涌いてきます。当然、私が髭を剃り、三つ釦のシングルのスーツを着たからと言って、突然皆様からフレンドリーに話しかけられるとは思っておりません(笑)。

こんな考え方をしてみると『理想の立ち位置』に向かって行く為の改善点やアイデアが、自然と浮かんでくるものであります。なんせかんせ、先ずは自分の今現在の『立ち位置』を見定める事が大切です。

友達が欲しい人、いじめを受けている人、自分の人生が思い通りにならなくて悩んでいる人、先ずは自分が置かれている『立ち位置』を、良く考えてみてください。自分の欠点を考えるのは、決して楽しい作業ではございません。ですが、受け入れるか受け入れないかを決めるのは、結局他人様が決める事なのです。「俺はこんなに善良な人間なのに、なぜ誰も受け入れてくれないんだろう?」と訴えてみても、他人様には関係の無いことなのです。

いじめる側の人、人気が有ると思っている人、自分が優秀であると思っている人、本当にそうですか。「自分は強い人間だから弱い者をいじめて何が悪いんだ。」なんて思っているのでしょうが、他人様は本当にそう思っているのでしょうか。人をいじめて笑っている姿をムービーで撮ってもらって、一度自分で観てみるといいです。ありえない程、腐った下品な面で笑っている筈です。弱い者をいじめて下品な面で笑っている人間の事など、誰も本気で想ってはくれないものです。それが他人様の目線という物であります。

人気が有って友達が沢山いると思っている人も、周りも同じように貴方を友達だと思ってくれているのでしょうか。自分の『立ち位置』を忘れ調子に乗っていると、思わぬしっぺ返しを喰うものです。友達が沢山いると勘違いしていて、いざ困った時に誰にも助けてもらえない、これほど不細工な話はございません。ちゃんと友達の目線で物事を見て、自分に何が足りないかを考えておかなければいけません。
本当の友達と言うのはそういうものであります。


『分相応』という言葉があります。
自分の『立ち位置』も考えず、身の丈も知らずに行動していると、いつか誰にも相手にしてもらえない人間になってしまいます。
人間社会に暮らす以上、他人様有っての自分でございます。


私自身、自分の『立ち位置』を常に見失わない人間になりたいと思っております。

自殺

このところ2週間、『いじめ』を苦にして自殺した少年少女のニュースで、もちきりでございます。このブログの始めの方でもお話しましたが、報道の仕方を間違えれば同様の事件が多発してしまう・・・また同じ事が起きています。現場の教員は当然悪い訳ですが、マスコミの責任も非常に大きく、ほぼ共犯と言っても過言ではない気がいたします。

私は正直、見た事も会った事も無い人が、何人亡くなっても痛くも痒くも無いのです。ですが最近「死にたいです」という内容のメールをよく頂きます。そうなってくると話は別でございます。できれば自殺なんかやめて、近い将来『喜び』や『幸せ』を感じて頂きたい、と心底思っております。

テレビをつければそんなニュースばかりの世の中にはウンザリしてしまいます。子供達や若い方達が、夢や希望に小躍りするような明るい世の中で暮らして行きたいと願っております。未来ある若者が自らの命を絶つ様は、いくら関係の無い私でも哀しい気持になってしまいます。


マスコミは阿呆の集まりでございます。「教員が悪い、教育委員会が悪い、システムが悪い、だから詳細を調べてすぐに改善しろ!」と朝から晩まで同じ事を吠えまくる。確かに大切なのは判るけれども、教育システムを改善する頃には、今現在いじめに耐えている子供達はもう大人になっているでしょう。彼らは、今すぐに助けを必要としているのです。

大至急やらなければいけない事は、今現在いじめられている子供にメッセージを発信する事だと思うのです。親にも言えず、腐れ教員にも言えず、相談する友達もおらず、一人きりで悩んでいる筈です。なぜ人に言えないのでしょう・・・。それは、いじめられる事が恥ずかしい事だとか、自分が人よりも劣っているダメ人間なのだと、思い込んでしまっているからなのです。

「お父さん、お母さん、こんなダメな子でごめんなさい」多くの遺書に書かれている言葉です。
「ああ、こんな子を産んで失敗したよ」と落胆する親の姿を想像して、期待に添えなかった事を謝っているのです。死んでいく自分の事よりも、親に気を使う優しい子供達です。
現場で見た訳ではないので判りませんが、いじめられている子供は本当にダメな子なのでしょうか。もしダメな子だとしたら、どこからどこまでがダメな子として扱われるのでしょう。

いじめられる事は決して恥ずかしい事では無い、アンタ達は決してダメな人間ではないのだという事を、教えてあげなければならないと思うのです。そのメッセージを発信するのがマスコミの最大の仕事でございます。自分がいじめられている事、学校という場所が合わないという事を、すぐに家族に言える環境を作ってやるのが急務であります。いじめの事実さえ判れば、後はそんな腐れた学校なんぞに行かせなければ良いのです。

そもそも、学校をあまりにも重要視し過ぎなのではないでしょうか。自ら命を絶つというのは、もの凄い事であります。辛くて苦しくて、希望の欠片すら見当たらなく、その苦しみから逃れる為に死を選ぶのです。そこまで堪えて頑張ってでも通わなければならない程、大切な場所ではないと思うのです。誰にでも合う場所、合わない場所がございます。学校に馴染めない事は、別に犯罪では無いのですから、堂々と胸を張って「もう行ってやらねぇ」と言えば良いのです。

とりあえず、今すぐに助けを必要としている子供達を、いじめの現場から離してやる事が何よりも先決なのです。後の事は、心有る大人達がゆっくり考えていけば良いのであります。教育委員会や学校に頼らず、心有る大人たちだけで・・・。

校長が謝ったとか、次の日意見を撤回したとか、そんな事はどうでもいいのであります。先生様というのは殆どがそんな人間だという事は、皆昔から判っている事なのです。何よりも急ぐべきは、子供達へのメッセージでございます。どうして、知恵遅れのマスコミ連中はそんな事にも気付かないのでしょう。本当に情けない話であります・・・。


死んでしまいたいと思うほどの我慢をしてまで、通わなきゃならない場所なんてこの世に在りません。学校でも仕事でも同じ事です。価値の無い若者なんておりません、若者には無限の可能性が有るのです。
耐え難い場所になんて行くのをやめて、外の世界を歩き回ってみましょう。美しい物や人に溢れている筈なのです。どうかその事に気付いて頂きたいのであります。


視点を変えて見ると、結構良い世の中なのですよ。

スタイル

誰の頭の中にでも、憧れの『スタイル』というものが存在する筈であります。見てくれであったり、ファッションであったり、生き方であったり、と十人十色の憧れのスタイルをお持ちの事でしょう。

今のように情報に囲まれた世の中には、完璧にオリジナルなスタイルなんて無い、と思っております。映画の登場人物、タレント、歴史上の人物、身近な先輩・・・etc、必ず何かの影響を強く受けた上で、イメージしているものだと思います。特別意識はしていなくても行動や言動、服装などに自然と現れてくるものでございます。

個性が足りないだの云々だのという話が、よく話題に上る事がありますが、全く大きなお世話でございます。服装ひとつを取りましても、自分で好きな物を選び組み合わせを考えて着る訳ですから、充分立派な個性であると思います。例えお馬鹿な芸能人とそっくりな恰好をしていても、真似をする行為自体がその人の個性だと思うのです。

テレビ番組で、人様のスタイルに「あ~でもない。こ~でもない。」と難癖をつけている薄汚い双子のカマ野郎などを見ていると、ムカッ腹が立ってくるのです。「他人様にグダグダ言う前に、手前ぇらが世間様からどう思われているのか考えてみろ!」ってな感じでございます。
ドン小西についても全く同意見であります(笑)。

最近は、私も若く見られようなんて思い、普段着にHIPHOP系の服なんぞを着るようになりました。周りの者に言わせると、そこそこ似合うし若くも見える、しかしガラの悪さは改善されていないそうであります・・・。そんな恰好をしていても誰がどう見てもヤクザって、一体何が原因なのでしょう・・・(汗)

こんな私にも多少は目指す『スタイル』があります。色々な人達の良さげな部分を掻き集めたような、卑怯なスタイルでございます。服装はスーツが多いのでさて置き、言動は『寅さん』に憧れております。久々に会った人間をつかまえて「元気だったか?あいかわらず馬鹿か?」こんな発言をしても愛されてしまうキャラクターになりたいものです。私位の年齢では、まだまだ無理そうであります。恋愛に関しては映画『シザーハンズ』のように、生き方は亡き祖父のように・・・結局あれもこれもと採用しすぎて理想のスタイルから離れていくような気がいたします(笑)。

どんなスタイルで生きて行き、どんなキャラクターとして世間様に認識されるか。これは人生の上で、そこそこ重要な案件でございます。自分に合わないスタイルを押し通すと、同じ人に対して同じ発言をしても、笑って許される場面が、いきなり殴られるなんて事になってしまいます。スタイル違い、キャラ違いには、その位の差が生じてまいります。正しい事を言っているにもかかわらず、頭ごなしに叱られる奴を良く見かけるものです。可哀相とは思うのですが、そういうキャラなのでしょう。

嘘や虚勢を張る必要なく、自分に無理のかからないスタイルで暮らしていく事が肝心なようであります。


「あいつが、やったのならしょうがない・・・(笑&汗)」
・・・と諦めてもらうのが私の『スタイル』でございます(-。-)y-~~~~

朝日

私は、昼と夜が真逆の生活をしております。
一日の睡眠時間は3~4時間で、朝の8時位に眠りに就き、昼前には起きています。午前中にどうしても外せない用事ができた場合には、大概その日は一睡もいたしません。普段日中は、なるべく家でゆっくりして、夕方から面倒な用事を足しに行きます。距離が近いせいもあり、家と繁華街を何度も行ったり来たりしております。

繁華街は、朝・昼・晩とそれぞれの顔を持っております。
夜は当然ネオンに彩られ、大勢の人々が集まってまいります。この街が一番美しく、そして活気に溢れる時間帯でございます。観光客、地元の者、ガキ共、そして悪者達も、どこからこんなに集まって来るのか解らないほどの賑わいを見せるのです。一般の方々がよくご存知なのは、この華やかな時間帯だと思います。

私の愛するこの街は、眠るという事を知りません。
夜の賑わいは別としても、朝から夕方まで大勢の方々が街に出入りし続けます。ビルメンテナンス、ゴミ収集、おしぼり屋、花屋、酒屋、等がひっきりなしに走り回り、無数に存在する風俗店は規制を掻い潜りほぼ24時間営業しております。街の表看板『ラーメン横丁』なども昼前には営業を開始して、観光客相手に商いをしております。

24時間酒を呑もうと思えば、いつでも可能でございます。とんでもない時間に、とんでもない客を相手に商いをしている店が結構在るものなのです。まぁ朝まで商売をしている連中には、そういう店も無いと困る訳であります。

昨日(土)も、廃業が決まりラスト営業の店に顔を出してまいりました。ぞろぞろと仲間達が集まり、閉店を惜しみながら結局昼過ぎまで呑み明かしました。仲間の店が減っていくのは実に寂しいものですが、最後まで楽しく送ってやるのが我々の流儀でございます。店を閉めたと言っても、この先まだまだ付き合いは続くのですから・・・。

私が生まれるずっと前から続いてきた大繁華街、当然古いビルも沢山ございます。夜の華やかな時間には判り辛いですが、昼間の明るい時間に歩くとただの小汚いビルの集合体であります。市内では美化運動が推進され煙草のポイ捨て等も罰金化されておりますが、この街は無法地帯、朝方にはゴミだらけ煙草だらけでございます。観光協会は気に入らないようですが、私に言わせればこれが『繁華街』の正しい姿であります。

ガキの時分、ドキドキしながら街を徘徊していた頃からの変わらぬ姿でございます。ビルが汚かろうが、街中ゴミだらけであろうが、心から愛してきたこの街の真実の一面なのです。一般の方々がどんなにしかめっ面をしても、私はこの一面も大好きなのであります。

眩しい程のネオンが消えて、朝日が、だんだんとビル達を照らして行きます。ゆっくりと夜の化粧を剥がしていくように・・・。汚れた外壁、ゴミだらけの路上、汚い部分を白日の下に晒していくのです。
私は、この時間帯が一番好きであります。
説明はできないのですが、なぜか大好きなのであります。

以前、若い女と二人で街を歩いておりました。
朝日が昇り始め、その光景を立ち止まって眺めておりました。
「汚れてるなぁ・・・。うん、良いな。」と私が呟くと「何で汚れてんのに良いの?」と聴かれた事がございます。
「いいんだ、別に。これで良いのよ。」


私は、全部をひっくるめてこの街を愛しているのです。

競争

私自身もそうでありますが、必ず他と比較して物事を考えてしまいます。人よりも強く、人よりも自由に、人よりも良い生活がしたい、人よりも良い成績を取りたい、この人よりもの『人』が今ひとつよく判らないのであります。世間一般には『大勢の人よりも』とか『平均よりも』という意味合いが強いのではないかと思います。

人間が、比較対象でしか物事を考えられないのは仕方が無い事としても、『人よりも』という曖昧な基準は正直いかがなものかな、と思うのであります。この曖昧な基準が、不自然で歪んだ『競争』を生んでいる様な気がするのです。

『人よりも』という発想を軸にして起こる『競争』は実に歪んでいるのです。『お受験』なんかが良い例でしょう。我が子に将来【人よりも良い暮らしをさせるため】【人よりも良い職業に就かせるため】ってな理由で、最近では幼稚園から入試をさせるのであります。

我が子可愛さで『お受験』を選択する親御さんが増えているのでしょう。将来なるべく競争をせずに済むように、と考えて幼稚園から競わせるのであります。うまく表現できませんが、漠然とした違和感を感じます。

そもそも【人よりも良い暮らし】とは、どんな暮らしの事なのでしょう。何不自由無い暮らしと言うのならまだ解るのですが、ここで人様と比べるのが理解できません。なんとなくニュアンスは、私にも理解できるのです。ただ、なんとなくニュアンスが伝わる程度の曖昧な理由で、競争する事を強いられたり煽られたりする子供は、たまったもんじゃありません。

【人よりも良い職業】これも実に曖昧でございます。楽をしてザックリと儲かる仕事の事でしょうか。それとも、世の不況に関係なく安定した公務員の事でしょうか。どちらにしても、幼稚園時代から目指せと教える職業でもないでしょう。「大きくなったら、何になりたい?」と言う可愛いらしい質問に、「投資家」だの「霞ヶ関の役人」なんて答えられた日にはザワッと寒気がしてしまいます。ウルトラマンや仮面ライダーになりたい、と答えて貰った方が安心できるというものです。

子供に夢すら与えてやる事ができない親が、偉そうに何を教えてやれるのでしょう。子供を愛しているのであれば尚の事、夢に溢れた育て方をした方が良いでしょう。世間一般に大きく差をつけ、勝ち組だのセレブだのと呼ばれ、下品に金品を見せびらかす『成金』を目指す事は、断じて夢とは言いません。それはただの欲に歪んだ『野望』と言うものです。

自分の仕事に誇りを持つ事ができ、贅沢はできないが食っていける。これこそが『良い職業』でございます。その先、儲かるか儲からないか・・・そこは『競争』でございます。愛に満ち溢れた家庭を築き、なおかつ誇れる仕事で大成功する、それが『夢』でございます。

『競争』自体はとても大切な事であります。友達やライバル達と競い合い、互いを磨いていく為に、という意味で・・・。時に競い合い、時に助け合うからこそ、互いに尊敬が生まれ、真の友情が生まれるのではないでしょうか。ちょこっと小金を持って、下品な成金を目指すような競争なんぞ、阿呆らしくてやってられません。

金は確かに大切でございます。金に追われれば仲間を助ける事すらできません。ですが金を目標にした競争は虚しいものであります。そんな馬鹿げた競争を何年もやってきた私が言うのだから、間違いはございません。稼いだ金も湯水のように使ってしまいましたが、なんの満足感もありません。

金になる高級料理屋、もちろんザクザク儲かります。たいして儲かってはいない下町の小料理屋、誰もが唸る本物の美味い料理を出す店です。高い金を払っても案外美味くなかったりするものです。それよりも、万人にあの人の料理は本物だ、と言われる後者のような料理人を尊敬いたします。本物と呼ばれる為に、そして自分を磨く為の『競争』は実に美しいものであります。


『人よりも』なんて曖昧な感覚ではなく、きちんと到着点を見据えた上で己を磨く『競争』をしたい・・・と日々考えております。

ネット②

今回は私が感じた、パソコンとインターネットの『利点』『良い部分』のお話です。パソコンに関しては不純な動機のスタートでしたが、その後は独学で猛勉強いたしました。その過程でも「こんな事もできるんだぁ。」と感心の連続だったのであります。あれだけ毛嫌いしていたパソコンですが、今となっては必需品・・・(笑)。
正直、もっと早くに手を付けるべきだったと反省しております。

まず一つに『利便性』これは相当な物であります。
私共は、契約書や公手続きの書類をよく使うのですが、実に細分化されており弁護士や司法書士に毎回相談しておりました。今ではweb上で該当するケースを調べ、必要な書類をダウンロードする事ができます。不動産の登記簿を閲覧するにも、直接法務局に行かなくても良いようになりました。木っ端役人の顔を見る回数が減るというのは、私にとって喜ばしい事であります。

判例集などの本を買う必要もなくなりました。以前は一つの判例が見たいだけなのに、丸ごと一冊買わなくてはなりませんでしたが、今では検索すれば一発で見る事ができます。家にぶ厚い辞書が必要なくなったり、地図や料理のレシピ、挨拶状のテンプレートなんかも簡単に手に入ります。細かいメリットを挙げればキリがありません。

物の値段の相場を調べるのにも最適です。価格.com なんて便利ですよね。とにかく、調べ物・情報収集においては絶大な力を発揮する訳であります。検索の仕方にも上手・下手がございます。検索が上手になれば、普通のサイト程度ならハッキングも難しいことではありません。良い事ではありませんね・・・ハイ、まあ便利な訳でございます(汗)。


そして本題・・・『精神性』でございます。
最近、私の中で激変した部分でございます。特に自分でブログを始めた約1ヶ月間、驚かされる事ばかりであります。
そして、嬉しい事ばかりであります・・・

何度か読んで頂いた方はご存知だとは思いますが、私は裏社会の人間でございます。縁もゆかりも無い方々には、暴力団などと呼ばれております。実は私、この呼び方には深く傷ついております。
何を言われても仕方ない立場ではございますので、この話はまた別の機会に・・・。
・・・と、まぁこんな私共が、見ず知らずの他人様に共感頂いたり、応援して頂いたり、現実社会では有り得ない事でございます。ですがバーチャルなネット上では、そんな事が起こってしまっているのです。

一般の皆様が、私共の業界の事をご存知ないように、私も皆様の考え方に触れる機会が少ないのです。ほうぼう走り回っているとは言え、生活のメインの場は狭い繁華街でございます。会った事の無い人ならば尚の事、その考え方・ご意見に触れられるだけでも、嬉しい事この上ない訳であります。

機械のラインで繋がっているこのネット世界、ですが所詮人間が使っているのですから、そこに精神性が出てくるのは、考えてみれば至極当然の事であります。最近になってようやく気付いてまいりました。人様の文章に触れ優しい気持ちを頂いたり、私なんぞの能書きにご賛同頂いたり、例え会った事が無くても、確実に精神の繋がりを体感しております。

その偶然の繋がりが、さらに広がって行くのを感じる時、これがまた最高でございます。以前に『喜び』や『縁』についてお話しましたが、ネット上でもそれらをひしひしと感じるのです。ブログを始めてから『喜び』だらけでございます。
所詮バーチャルと言われてしまえば終りですが、私はこの感覚を大切にしたいと思っております。

ブログを始めるきっかけとなった雪原さんのブログ。
優しい文章が最高です。
『60億ブンノ私』 
"http://sekai1heiwa.blog.shinobi.jp/"

ご自身のブログに紹介して下さった、azumino_skyさん。
『安曇野の風景と暮らし.ex』 
"http://azuminosky.exblog.jp/" 

同じくご自身のHPで紹介して下さった、志季さん。
『on the wind』 
"http://www.xelvis.net/index.shtml"

最近ご自身もブログを始められた、美羅さん。
きっと素敵な方なのでしょう。
『こころ日和』(携帯用) 
"http://blogri.jp/cocorobiyori/"

いつもコメントしてくれる、恵介さん。
『時計じかけの日記』(携帯用)
"http://blog.m.livedoor.jp/keisuke1989/index.cgi?"

たくさん紹介して頂いている2Chの皆様、いつもコメントを頂いている皆様、そして何気で立ち寄って頂いている数多くの皆様、皆様と繋がりを持てた事こそが、私の最大のネットの『利点』『良い部分』でございます。
心より感謝しております。m(__)m


パソコンもネットも所詮は道具であります。
良く使えば良い物に、悪く使えば悪い物に・・・。

私は、良い使い方を覚えたような気がいたします。

ネット①

今まで敢えて避けてきた、パソコンとインターネットについてのお話しです。思いのほか広く普及し、携帯電話をも巻き込んでさらに広がりを見せる今、私の考え方も大きく変わってまいりました。
長くなってしまいますので、今回は問題点、次回は利点をお話したいと思います。

私は5年程前まで、パソコン自体をとても毛嫌いしておりました。理由はいくつか有ったのですが、その中で最も大きなものは「パソコンだけでは物が産まれない。」という事であります。IT産業などとよく判らない名称で呼ばれ、パソコン使いが妙にもてはやされていました。

ソフトが随分と進化し、建築図面などは資格の無い者でも比較的簡単に作成できるようになりました。面倒な強度の計算なども勝手にやってくれるのです。確かに、机の上での仕事は便利になりました。しかし、肝心の大工さんがいなければ建物は絶対に建たないのです。
机の上で物が生産される訳ではないのです。

当時、世の風潮がパソコンを後押ししておりました。パソコンを使えれば食いっぱぐれが無い、これからはパソコンの時代だ、なんて意見が横行していたのです。猫も杓子もパソコン、パソコン・・・。
俗に言う「ITバブル」の時期であります。

私は一番大切にすべきは、現場で働く人間だと思っております。
建築現場という意味ではございません。職人、料理人、農業、林業、漁業、鉄鋼業・・・etc、直接物を産み出す事に関わる全ての人達、この人達をなによりも尊ぶべきであります。
この考え方自体は、今でも全く変わっておりません。

パソコンが便利な物であるという事は、重々判っておりました。安易に手を汚さない方向に流されていく、そしてそれが正義と言わんばかりの世の風潮がひどく気に入りませんでした。多少筋違いになりますが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、パソコン自体を毛嫌いしていた訳でございます。

そんな私がなぜパソコンを覚えたかというと、それは至って不純な動機からであります。パソコンとネットを絶対視している連中を相手に、逆に商売をしてやろうと考えたのです。未成熟なネットの世界には、実際無造作に金が落ちていました。随分と拾って歩いたものです。その詳細は残念ながら言えません。最近は色々と規制ができて今までのような事はありませんが、そもそも私共が刺さる隙間があったというのが、ネットの抱える大きな問題点の一つであります。

その他にも、この強い匿名性、これがまた実に厄介な問題であります。ただ単に匿名性が問題を引き起こしているだけならば、いっその事オープンにしてしまえば簡単に解決なのです。しかし匿名性が保たれているからこそ、数多くの情報が流れ、そこに有意義な物も含まれてくるのであります。
本物も偽物もありとあらゆる物を、お構いなしに垂れ流した混沌とした場所、それがネットの世界だと思っております。

ネットで得られた情報が、虚偽であるか、真実であるか、判断するのは常にユーザーの気持ち一つでございます。ここら辺にも危険な香りがプンプンといたします。身近に相談できる友人などがいれば良いのですが、ネットの世界に極度に依存してしまうと、とんでもない方向に流されてしまう場合がございます。

一人で死ぬのは怖いので皆で一緒に自殺しよう、違法だけど絶対に捕まらないバイトがあります、少しの投資で必ず大金を得られます・・・冷静な判断力を持っている人間であればロクなもんじゃない事はすぐに判ります。
落ち込んでいたり、孤独感に悩まされていたり、貧困に喘いでいたり、と弱っている方々は不思議と『負のエネルギー』に強く惹きつけられてしまうのが世の常であります。


パソコンもネットも道具であります。
包丁と同様、使い方一つで素晴らしい料理もできるし、人殺しの道具にもなり得ます。
どう使うかは、使い手の気持ち一つでございます。

まだまだ数多くの問題点はございますが、決して悪い部分だけではございません。『負』が有れば必ず『正』がございます。

次回は『良い部分』をお話したいと思います。

自然

鮭釣りに行く度に感じる事のお話です。
私は毎年この時期になると同じ話をしております。
頑張って故郷に帰ってきた鮭を10匹も獲った・・・という事は忘れていただいた上でお読み下さいm(__)m
忘れていただかないと、この後の話が全て台無しになってしまいます・・・(汗)。

『鮭』 もはや日本中の方が当然知っている事とは存じますが、彼らは大海を何年も旅して、最後に生まれた川に帰ってその命を全うします。その最後の旅は、次の世代に命を繋ぐために死力を尽くした決死の旅でございます。よくTVで放送される事があると思いますが、その最後は壮絶なものであります。

鮭は大海にいる時は銀色に輝いておりますが、故郷の川に近づいてくると、段々と銀色が剥がれ落ち黒ずんでまいります。オスはシラコ(精子)に、メスはイクラ(卵)に激しく栄養を使うためらしいです。本当かどうかは知りません・・・。そして川を登っていく間に段々白くなるのです。水の中で白く腐っている魚の死骸を見た事があるでしょうか、あんな感じになるのです。上流を目指して泳いでいる最中にも、体はどんどん死んでいくのです。

もし人間に、出産するときは真冬の雪山でしなさい、というルールが有ったとしたらどうでしょう。身重の妻とその夫が、厳寒の雪山を身一つで登っていくわけです。衣服はボロボロになり、しだいに凍傷で皮膚や指が腐り落ち・・・それでも次の命を繋ぐために登り続けるのです。
決して投げ出す事無く・・・、そんな事が可能でしょうか。

そんな凄い事を、鮭達はやっているのです。

「思考の無い動物が本能でやっているだけだろう!」
その意見はよく判ります。鮭が何を考えているのか、それとも何も考えていないのか、私には全く判りません。
ですが、本能と言えど凄いもんは凄いのであります。

一般的に、鮭はどこまでも上流に行って卵を産む、というイメージが強いようであります。実際は人それぞれ鮭それぞれでありまして、河口で産む者もいれば、気合でどこまでも上流に行き産む者もおります。川全体にバラバラに産む事で、生存確率を上げようという作戦のようでございます。
本当に鮭は何も考えていないのでしょうか・・・。


時に自然は大切な何かを教えてくれているような気がいたします。具体的に何かを示してくれる訳ではありませんが、生きる姿勢であったり、命の厳しさであったり、とても大切な何かを・・・。
そんな事を考えるのはきっと人間だけなのでしょうね。

10匹獲った事は忘れてください・・・(>_<")