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雲のように…月のように…

雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…

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留置場③

拘置支所への移送が決定しました。移送は突然に決るものなのです。大抵は前日の夕方に連絡を受けます。留置場では、手紙を1日1通しか出せませんから、1人にしか連絡が出来ないという事になります。半ば嫌がらせのようなものであります。

留置場で購入した甘シャリは、拘置所には持ち込めません。タバコとライターも、入所時に捨てられてしまいます(怒)。タバコとはしばらくの間、完璧にお別れであります・・・。

すっかり慣れ親しんだ、オヤジ達ともお別れであります。皆、私の房の前で足を止め、色々と声をかけてくれました。「頑張って!」「娑婆で会おう。」なんてぇのが多かったですね。中には「又、おいでよ(笑)」なんて馬鹿な事を言う奴もおりました。笑えねぇ・・・(怒)。

比較的ほがらかな人間の多い留置係の中では、少~しトゲのあるSさんという人がいました。歳は私よりも少し上だと思います。誰にでも愛想が良いというタイプではない彼が、勤務交代の最後に私の所にやって来ました。

「環境が変わっただけで風邪をひいたり、体調が悪くなったりする事があるから、とにかく身体には気をつけて・・・。勤務交代だから最後まで見送れないけど、未決(拘置所)でも頑張って・・・。弁当(執行猶予)で済むように祈ってるから、娑婆に戻ったら正面の入口から遊びにおいでよ。本当に頑張ってな!」

正面の入口は一般客(差し入れや面会に来る人)用で、裏口は護送車を付けられる様になっている被疑者用になっているのです。正面の入口から・・・というのは、ちょっと粋な言い回しですね。

裁判がうまく行くように祈ってる・・・という言葉に、涙が出そうになりました。ひと昔前の私なら、彼らと仲良くなる事も無かったかもしれません。たったの50日程度の勾留で、サツ嫌いな私が彼らに情を感じてしまうことに、自分自身驚いてしまいました。不思議なものです。歳と共に情に脆くなっているのかなぁ・・・なんて思いましたが、それも素直に受け入れる事にいたしました(笑)。

シフトの関係で、何人かのオヤジに挨拶をする事が出来ませんでした。裁判が決着したら必ず行こうと思っております。最後も何人かのオヤジが、わざわざ外まで出てきて護送車を見送ってくれました。その中に何故か偉い役職の人も混ざって、手を振っておりました(笑)。

どうやら私、結構人気があったようです・・・(?_?)


護送には『集中』と『単便』とがございます。『集中』は、バスで複数の人間をドサッと護送する事で、1日2回各署と検察庁・拘置所のコースを巡回します。『単便』は1人だけを護送する事、いわゆる申し送りという奴です。

私には『単便』が組まれました。
拘置所に着くまでの間、オヤジが隠し持たせてくれたタバコを吸う事が出来ます(笑)。最後の温情ですね。実に良い一服でした。


5本も吸い終わる頃、拘置所に到着いたしました。

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その光景を見るだけで・・・
その言葉を聞くだけで・・・
その曲が流れるだけで・・・
その場所を通るだけで・・・
その場所に立つだけで・・・
だたそれだけで、思わず涙が溢れ出す・・・。

そんな、ピンポイントのツボのような、スイッチのような部分が誰にでもいくつかはある筈です。生々しい強烈な記憶であったり、切ない思い出であったり、空想で美化された虚空の世界であったり、そのスイッチは人それぞれ、様々なものであると思います。

この曲を聴くと自然に涙が出る・・・、なんてのは良くある話でございます。音楽がスイッチになっている場合は、恋愛が絡んでいる事が多いようにお見受けします。それでもって、ちょっとB級な曲・・・。あまりに大ヒットした曲だと、街中でしょっちゅう耳にしては泣く事になってしまいます。カラオケなんかでも頻繁に歌われて、その都度泣いていたんじゃ、美しい想い出もクソもあったもんじゃありません。だから、B級な曲。

私の場合、どうもスイッチの数が多いようで困っております。感情の起伏が激しいタイプなので、精神的に不安定な部分があるのでしょう(汗)。誰にも止められないほど怒り狂う事もあれば、川をのぼる鮭を見てポロッと独り涙する事もございます。たまに、その鮭を捕まえて食べてしまう辺りがまた始末に悪い・・・。困ったもんです。

センチメンタルな、秋の到来であります。
ただでさえ短い北海道の夏、そのうえパクられていた私には見事に夏はありませんでした。夏を惜しんで感傷的になるというよりは、夏を満喫できなかった事に対する落胆の気持ちの方が強いようです(汗)。めっきり朝晩涼しくなりました。寒い位です・・・。

先日、NHKで黄河の映像を見て、つい涙を流してしまいました。祖父が亡くなってからというもの、黄河の映像がスイッチになってしまったのです。本当は別に季節なんか関係無いのですが、なんとなく秋っぽく話題に入ってみようかなぁなんて思っていたら、前振りがこんなに長くなってしまいました・・・。

私が子供の頃から、祖父は事あるごとに「お前が大きくなったら、中国に一緒に黄河を見に行こう!」と言っておりました。祖父の一度目の出征先が、中国だったのです。若き日に見た黄河、その壮大さと感動は少しも色褪せる事無く、終生祖父の記憶の中に描かれていたようです。

本当に流れている水が黄色い事。川だと言うが海のように広く、対岸がまるっきり見えない事。皆で記念に水を汲んだが、汲んでみると以外に普通の水だった事。その支流で敵襲を受け、多くの戦友が亡くなった事・・・。私は、実際に黄河を見た事はありません。しかし、祖父の話を暗記するほど聞かされていたお陰で、私の頭の中には想像の黄河があるのです。それはそれは大きくて、見渡す限り黄色い海のような・・・。

結局、祖父と中国に行く事は叶いませんでした。
安易に黄河と申しましても、とんでもなく長い河であります。北海道の先っぽから、沖縄の果てまでよりも、まだ長いのです。祖父が黄河のどの辺を見たのかは、残念ながら全くわかりません。それでも、いつかこの目で黄河を見たいと思っております。祖父が私に伝えたかった感動を、私も体験してみたい・・・。

見た事も無い想像の河『黄河』、その映像を見て涙する・・・。
手前の事ながら、変な感じがいたします。人間とは、何とも不思議なメカニズムで動いているものです。嬉しくても出る、悔しくても出る、悲しくても出る、何かを思い出しても出る・・・、涙は不思議なもんです。この歳になると、余計に涙腺がゆるくなった気がします。

『黄河』という響きがまた良いですね、少し哀愁があって・・・。アマゾン川やナイル川じゃ、あまりにワイルド過ぎますし、ミシシッピ川なんて言い辛くて仕方がありません(笑)。アマゾン川、ナイル川、ミシシッピ川に深い想い出をお持ちの方がいたらゴメンナサイ。ただの軽口です・・・。


もう1箇所、勝手に涙が出る場所のお話をします。
我が市の誇る観光スポット『サッポロファクトリー』、サッポロビールの工場跡地に建てられた、大型ショッピングモールであります。メインのアトリウム(高さ39メートルの吹き抜けのガラスドーム)に行くと、必ずポロッときてしまうのです。観光スポットなどと言いつつも、実は地元の人間の遊び場でもあるのです。

※サッポロファクトリー
http://www.sapporo-factory.co.jp/guide/index.html

ここも、やはり祖父が絡んでおります(笑)。
オープン当時、連日客が殺到し、常に大混雑の状態が続いておりました。駐車場は長蛇の列、ファクトリーの周囲一体がいつも大渋滞・・・。祖父は何年も前から、そこら一帯を散歩コースにしておりました。車で行けば大変ですが、徒歩だとサクッと入れたのだそうです。

大正生まれの祖父にとって、その建物はこの世の物とは思えない位の衝撃だったようです。ひどく興奮しながら、その近代建築の素晴らしさを語っておりました。私も初めて中を見た時には、思わず溜め息が出たほどですので、祖父の驚きようにも充分理解ができます。

「すごい物ができたもんだ!」
「すごい時代になったもんだ!」
「何とも素晴らしい建物だ!」
「日本はすごい国になったもんだ!」
袖の下でも渡されたんじゃないかと思うほどに、賞賛の言葉を連呼しておりました(笑)。

「今度、あそこで一緒にサッポロビール呑むべ!」
巨大な吹き抜けのガラスドームには、オープンテラスを配した飲食店がいくつもございます。そのテラス席で、私とビールを呑むのが祖父の希望でした。まぁ、所詮は近所ですから、そんなもんお安い御用であります。

その後、何度も私の方から誘ってみたのですが、「今日は、ちょっと大儀だなぁ。」とか「今日は、なんか気分じゃねぇなぁ。」などと断られ、中々タイミングが合う事がありませんでした。なんせ場所が近いので、祖父が行きたいと言えば、いつだって行けるだろうとタカをくくっておりました。

祖父は、若い頃から糖尿病を患っておりました。ただし、病気との付き合い方が上手だったらしく、大きく体調を崩すような事はありませんでした。亡くなるまでの2週間が、最初で最後の入院となりました。

入院中もかなり元気で「退院したら、今度こそビール工場んトコに行こうな。俺はジュース飲むから、お前ビール呑め!俺はもう酒はいいや(笑)。」なんてニコニコしながら言っておりました。数日後、トイレに行こうとベッドから立ち上がり、そこで意識を失い倒れてしまったそうです。そのまま、帰らぬ人となりました。

母からの電話で慌てて病院に行きました。祖父はチューブにつながれ、強制的に呼吸を維持している状態で、意識はもう戻る事が無いと聞かされました。医者は母と私に順番に視線を送り、「どうなさいますか?」と言いました。チューブを外しますか、それとも生命だけを維持しますか、という意味であります。

母が私の顔をじっと見て、黙ってうなずきました。
「外してあげて下さい・・・」
こんな短い言葉なのに、私はちゃんと喋れず言葉になっておりませんでした。数秒だったのか、数分だったのか、ほんの少しの間ですが、チューブを外してからもかすかに自力で呼吸しておりました。静かに呼吸が弱くなり、そのまま眠りに就きました。わずかな時間ですが、別れの時間を作るため頑張って呼吸をしてくれたのだと思います。

「病気が原因ではありません。これは老衰と言って良いでしょう。天寿を全うされたのだと思います。」医者はそう言っておりました。毎日見舞いに行っていたのに、なぜ私が居ない時に倒れたのか・・・。悔しくて仕方がありませんでした。

昨日まで元気だったのに・・・、意外なほどあっさり祖父は逝ってしまいました。今になって考えると、つくづくあの人らしいなぁと思います。頑固で、厳格で、人に世話をかけるのが大嫌いな人でした。らしいなぁ・・・、本当にそう思います。

結局、一緒にビールを呑む約束は果たせずじまいのままであります。祖父は最後まで『サッポロファクトリー』という名称を覚えませんでした。だから、話す時はいつも『ビール工場んトコ』(笑)。楽しそうに、ビール工場んトコにできた新しい建物の素晴らしさを説明する祖父の顔を思い出します。

今でもサッポロファクトリーには、よく買い物や食事に行くのですが、テラス席での食事は避けております。意味も無くこんなガラの悪いオッサンが、ポロッと涙を流したら、一緒にいる人間も、周囲の人もドン引きすること間違いなしですからね・・・(笑)。


ついつい涙が出てしまう事・・・、それも大切な事だなぁと最近感じております。

img002.jpg








留置場②

22日間の勾留期間が終わり、無事(?)に起訴となりました。
もしかしたら嫌がらせで、別件の再逮捕があるかな・・・と予想していたので、ひとまず安心いたしました。起訴と同時に、やっと接見禁止が外れました。

接見禁止とは、証拠の隠滅などを防止する為に外部との接触(面会や手紙)を一切禁止するという処置です。(弁護士とだけは面会できます。)接見禁止は、検事の独自の判断で簡単に決定できるのです。私の場合、証拠書類など全て押収されていますので、証拠の隠滅なんてある訳がございません。接見禁止だった意味が解かりません。あのクソ検事め・・・。

何はともあれ、面会はできるし、手紙も出せるようになりました。
面会は1日1回たったの10分だけ、手紙も1日1通しか出せません。1日1回は少ないですよねぇ・・・。しかしたったそれだけでも、外と連絡が取れるのは、何とも嬉しいものなのです。

雑居房に入っていれば、こんなに変な奴がいたとか、面白い出会いがあった・・・なんて土産話が出来たかもしれません。しかしながら、独居で引き篭もり状態・・・、同じ時期にどんな人間が入っていたのかもロクロク知りません。残念です・・・。

そのかわりと言っては何ですが、オヤジ共(看守)とは随分仲良くなりました。留置場は警察の管轄、当然この施設で働く人間は全て警察官であります。私は商売柄、基本的に警察は敵だと思っております(笑)。しかし、どこの署でもそうなのですが、留置係には親切で良い人間が多いのです。

彼らは捜査員じゃないので、こちらも変に警戒せず普通に付き合えるのでしょう。そして彼らも、所詮は自分でパクッってきた犯人ではないので、こちらを敵対視はしていないのでしょう。こんな所(留置場)で感じの悪い態度をとって、犯罪者達に恨みを買うのもアホらしいですからね。本当に親切なもんです。

私が居た留置も、例外ではありませんでした。皆、親切でフレンドリー、言い争いになど一度もなりませんでした。言い争いどころか、最後の方にはお互いの愚痴を「うん、うん・・・」と聞き合い、「お互い大変だけど頑張ろうな!」なんて励まし合うほどに仲良くなっておりました。ある意味、ムショ仲間的な共感の仕方ですよね(笑)。

留置係も様々で、下は21歳から、上は50代半ばまで、ここに配属になるまでの経歴もバラバラであります。交通一筋だった者、1課で殺人ばかり担当していた者、市内の2課、マル暴あがり、地方を転々としていた者・・・etc、何を基準に人事をしているのか全く理解ができません(汗)。当の本人たちが、一番強く疑問に思っている様です(笑)。

まだ20代前半で、実に面白い奴がおりました。トークが面白い訳ではなく、私生活のだらしなさ加減がウケるのです。車やら、バイクやら、薄型テレビやら、時計やら、何やらカンやらと全てローンで買いまくり、給料日当日に殆どが支払いで無くなってしまうそうです。若い公務員は薄給だというのに・・・、調子コキ過ぎです(笑)。

「普段何食ってんのよ?」と聞くと「焼きそば。」と答えます。
スーパーで良く目にする、3玉入りの粉ソースが付いたポピュラーな焼きそばだそうです。具無しで食ってるそうです(笑)。
「1日3食その焼きそばか?」と軽い気持ちで冷やかしてみると、1日に3回も飯を食う事は無く、1日何も食べない日もあるとの事・・・。

「俺の銭、宅下げ(※)してやるから、何か好きな物食って来い!」と思わず言ってしまいました。
「気持ちだけで良いです・・・。」と笑っておりました。娑婆に戻ったら、何か美味い物でもご馳走してやろうと思いました。だって、檻の中にいる者の方が、よっぽど良い物を食っているのですから・・・(汗)。

※宅下げ(たくさげ):勾留中の人間の物を、外部の人間に持っていって貰う手続きの事です。


約50日間、留置場におりました。
気が狂うほど外に出たいと思っているのに、そこで働く連中にはスッカリ情が移ってしまいました。何人かとは「娑婆で一杯やろう・・・」と約束いたしました。

この約束は、まだ果たされておりませんが、とても楽しみにしております(笑)。

留置場①

築1年、最新設備の留置場は、清潔で無機質な建物でした。
場内は明るいのに、何故か全体的に冷たい感じがします。まぁ、留置場ですから、それが当たり前かもしれません(笑)。1階が管理事務所、面会室や取調室、2階が留置室や、風呂、運動場、医務室になっています。

雑居房の広さは6畳+トイレで定員は4人、独居房は3畳+トイレ。部屋の中には何も無く、ダンボールのゴミ箱が一つあるだけです。自傷行為や自殺を防ぐ為であります。床は柔道畳のような硬い畳、重々しい鉄のドアと、開閉式の食事孔、壁も天井も白く塗られたコンクリートです。冷房も完備されていて、房内でゴロゴロしていると寒い位でした。

留置場も、他の矯正施設と同様に、複数の人間が同室の雑居房と、1室1名の独居房が存在します。他人との共同生活が難しいと判断された人間・・・、例えば暴力犯であったり、性犯罪者、病人やケガ人、薬で頭のおかしくなった奴などが、独居にブチ込まれます。その他、どこぞの親分クラスの方々も、自動的に独居行きとなるのです。

はっきりとした理由は分かりませんが、私は何故か独居に入れられました・・・(汗)。さほど偉い立場にある訳でも無いし、凶暴な暴力犯でもありません。むしろ、フレンドリーな筈なのに・・・。

留置の朝はAM6:30。
布団をたたみ、廊下にある寝具入れに運びます。この時は、一部屋ずつ開錠し、オヤジの監視の下で廊下に出ます。床出しが終ると各房に、バケツ、雑巾、ホウキが入れられ各々房内を清掃します。次は、洗面です。廊下には流しと整理棚(洗面用具、歯ブラシ等)が設置されており、当然オヤジの監視の下で行われます。

房に戻るとすぐに朝食、時間はAM6:50。
朝飯が一番大変でした。早朝に食欲なんて有る訳がございません。恥ずかしながら、こんな暮らしをした事がありませんから・・・(汗)。そして、朝食後の1時間は何もする事がありません。

大体AM8:00位に一日で一番の楽しみ、運動の時間です。運動とは名ばかりで、タバコを2本吸うための時間です。独居の私は、運動と風呂の時だけが、他の房の人間と話が出来る唯一の時間です。運動時間は10分、爪を切ったり、綿棒で耳掃除をするのもこの時です。10分は、あっと言う間に終ります・・・(泣)。

AM9:00まで、何もする事がありません・・・。
何もしないこの約1時間が、とにかく長いのです・・・。雑居なら会話も出来るのでしょうが、独居は退屈で仕方がないのです。腕立て伏せや、腹筋をしていたのですが、さすがに1時間も続けられません。

AM9:00からは、本を読む事が出来ます。
本には、私本と官本があります。私本は、差し入れしてもらった本、購買日に注文して買った本の事で、廊下にある個人ロッカーに保管する事が出来ます。官本は、施設側が貸してくれる本の事で、小説類が150冊位ありました。

私本・官本合わせて1日3冊まで、房内に入れる事ができます。3冊しか選べませんし、交換できませんので本選びは真剣です。差し入れてもらったマンガや雑誌は、すぐに読み終わってしまうので、官の小説を2冊、私本を1冊というのが私のパターンでした。

留置場での約50日で60~70冊の小説を読みました。独居には読書しかないのであります・・・。
『佐賀のがばいばあちゃん』が面白かったですね。一番最後の部分で思わず涙が出てしまい、この時ばかりは独居で良かったなぁ・・・、と思いました(笑)。

風呂は、火曜と土曜の週2回、入浴時間は20分であります。ヒゲ剃りは電気カミソリのみで、月・水・金の3回です。1日1度、新聞も回ってきます。新聞は1人10分間、短い・・・。土・日は、運動(タバコ)がありません・・・、最悪です。

昼飯は正午チョイ前、食事孔から入れてもらいます。
毎食、仕出し屋の弁当で、かなり立派な飯であります。こういう所の飯はマズいものだと、昔から相場が決っている筈なのに・・・、驚きました。飯とおかずとが別々に一段ずつ、熱い味噌汁に、キュっと冷えた水、そして必ず醤油(どんなおかずにも醤油のみ)、これが1セットで出てきます。

私は気をつけて、なるべく半分位しか食べないようにしておりました。あんなもん、残さず平らげていたら、どこまでも太ってしまいます・・・(汗)。食うのに困って、わざと捕まる人間がいる事も理解できるというものです。娑婆で苦労するよりも、良い飯が食えるかもしれません。

正午から30分程ラジオが流れ、それが終ると晩飯までひたすら読書タイムです。暇過ぎて、取調べがあると思わず喜んでしまいます(笑)。ちなみにPM1:30からは、購買で買った甘シャリを房に入れる事が出来ます。娑婆では甘シャリなんて食べる習慣は無かったのですが、つい何となく食べてしまうものです。

晩飯はPM6:00です。
PM6:30~7:00まで、又ラジオが流れます。PM7:30位から順番に床入れ(布団を房に入れる事)が始まります。開始室は毎日順番に回って行きますので、時間は多少前後します。そして、床入れが終ると夜の洗面。この時に、本も甘シャリも房から出さなくてはいけません。

ここで、大体PM8:00。
これからが、1日で一番辛くて長い時間であります。消灯はPM9:30ですが、暗くなったところでそんな時間に眠れる訳がございません。眠れないからと言って、代わりに何もする事が無いのです。
どうしろってんだ、全く・・・。

強烈な暇というものは、ある意味で立派な拷問ですね・・・(汗)。


暇との闘い・・・、これが留置場での暮らしです。(-_-メ)

用語集

拘置所内で書いた文章を、順番に掲載していこうと思っているのですが、今になって読み返してみると、何かと業界用語的な言葉が混じっております。多少読みづらいかな・・・と感じまして、前もってその事に少しだけ触れておきたいと思います。
単語の説明ですので、あまり意味はございませんが・・・(汗)。

『独居(どっきょ)』:一人部屋の牢獄、独房の事です。広さは3畳+1畳(トイレ)です。
『雑居(ざっきょ)』:複数人数で入る牢獄、雑居房の事です。私が居た留置場では4名定員で6畳+1畳(トイレ)、拘置所では5名定員で12畳位だと思います。
『同房(どうぼう)』:雑居で同室になった者を指します。「中であいつと同房だったよ。」なんて使い方をします。

『落ちる』:これは実刑を受ける(刑務所に入る)事を指します。
『パイ』:無罪放免の事です。恐らく『白』(中国読みでパイ)が語源だと思うのですが、どうなんでしょう。
『弁当』:執行猶予の事を指します。裁判の結果、執行猶予付きで帰ってくると「弁当持ちで帰ってきた。」なんて言います。

『甘シャリ(あましゃり)』:お菓子の事です。留置所・拘置所・刑務所、おおよそ檻の中ではお菓子の事をこう呼びます。何故か、しょっぱいお菓子も含まれます。私共は、娑婆でも普通にお菓子の事を甘シャリと言っています。
『麦シャリ(ばくしゃり)』:拘置所・刑務所では三度の飯が麦飯です。麦3、米7の割合。最初は「結構ウマいなぁ」とか思うのですが、段々『銀しゃり(白米)』が食いたくなります。不思議なもんです(汗)。

『オヤジ』:檻の中では看守の事をこう呼びます。看守は若かろうが、年配だろうが「オヤジ」と呼ばれます。初犯の人達や、気の弱い人達は、少し遠慮がちに「オヤジさ~ん」なんて呼び方をします。「おうっ、オヤジ!」なんて呼び方をする人間は、大抵初犯ではなくベテランです(笑)。

『面倒見(めんどうみ)』:留置場内では平日に運動場でタバコを2本だけ吸う事が出来ます。それ以外に吸えるのは、刑事の取調べの時だけなのです。面倒見とは、タバコを吸わせてやる為だけに、形式上だけ取り調べをする事をこう呼びます。ひと昔前までは当たり前の慣習だったのですが、最近は面倒見をちゃんとやらない刑事が増えています。後に恨みを残すだけなんですけどねぇ・・・。

『申し送り』:面倒見の一種です。移送の際、護送中にタバコを吸わせる為に、単独の護送車を用意する事です。通常はバスで集団護送されるので、タバコを吸う事が出来ません。担当刑事の最後の情けとも言える行動ですが、最近は減っているようです。

『ガラ受け』:身元引受人の事です。身柄を引き受けるという意味。
『官物(かんぶつ・かんもの)』:留置場・拘置所・刑務所で、貸与や支給されるもの全般を指します。
『官本(かんぼん)』:貸してもらえる本の事です。留置では1日3冊、拘置では火曜と金曜に2冊ずつ、小説などの本を貸してもらえます。やる事が無いので非常に助かります。ちなみに刑務所には図書室があります。

『官弁(かんべん)』:留置場の飯の事です。
『差し弁(さしべん)』:差し入れの弁当の事です。留置場では指定業者に注文すると、弁当を差し入れできるのです。
『自弁(じべん)』:弁当は関係ありません。物を自分で購入する事です。弁当を自分で注文すると、正式には自弁弁当という事になります。

『ウ冠(うかんむり)』:泥棒・窃盗(せっとう)の事です。窃の字の漢字部首が語源です。最近ではあまり耳にしなくなりました。
『にんべん』:偽物・偽造・贋作の事です。偽の字の部首が、にんべんだからです。偽物の身分証明などを作る人間の事を《にんべん師》と呼びます。うかんむり・にんべん、共に漢字の部首が語源になっていますね。

『アカ落ち(あかおち)』:実刑が確定し刑務所に移送になる事です。「○月×日にアカ落ちする。」といった使い方をします。
『ガテ』:手紙の事です。
『午睡(ごすい)』:拘置所・刑務所での、お昼寝の時間の事です。午睡時間や仮就寝(午後6時~)の時間以外に横になっているのを見つかると、酷く怒られます。

『トラ箱(とらばこ)』:酔っ払いをブチ込む為の留置場の事です。
『ブタ箱(ぶたばこ)』:刑務所の監獄の事です。
『トリ箱(とりばこ)』:拘置所・刑務所の、独居者用の運動場の事です。約2×6メートルに区切られた小さな運動用スペース。

『エンコ詰め』:指を詰める事。
『玉入れ(たまいれ)』:男性の陰茎に、真珠・プラスチック・シリコンボールなどを入れる事です。刑務所内でこれをやると懲罰の対象となり、しばらく懲罰房にブチ込まれます。
『エンコ詰め』『玉入れ』『刺青』は、入所時に必ずチェックされ、書類に事細かく記載されます。


とりあえず、こんなところでしょうか。
普段使うような不良言葉は、まだまだたくさんあるのですが、それはまた別な機会に触れたいと思います。


決してガラの良い言葉ではありませんので、お使いになりませんように・・・(-_-;)

朝青龍

今回は、中で書き溜めた物ではなく、出てきてから数日のテレビに対しての小言であります。80日ぶりのテレビ・・・。
まぁ、特に何も期待はしていないのですが、ここ数日何となくテレビっ子になっております(汗)。

檻の中にいる時は、新聞だけが唯一の情報源であります。しかし新聞では、この夏の流行りであるとか、新人女優の可愛い顔などが全くわかりません。紙上で見る大相撲や、世界陸上では、一切面白くありません(汗)。「そんなの関係無ぇっ、そんなの関係無ぇっ。」ってお笑いタレントもまだ見た事がありません。呑みに行くと男も女も必ずその物真似をするのですが、何の事やらサッパリです・・・。
やはり映像は大切です。

そんな事もあり、暇な時はテレビを観るようにしているのですが、やはり以前と変わり映えする事無く、その質たるやヒドいものであります。朝・昼・晩と、「朝青龍、朝青龍、朝青龍・・・」。何なんだ一体・・・(怒)。どういう基準で優先順位をつけたら、朝青龍のニュースが一番になるのでしょう。

相撲ファンの一人として、毎日怒りに震えております(怒)。まるで日本の敵のような扱いです。いくら何でも酷すぎるだろう・・・、と思うのです。何年もの間、たった一人の横綱として相撲界を支えてきた功績は評価されないのでしょうか。若くて一見好青年風な横綱が誕生したとたんに、お払い箱という意味なのでしょうか。

私は、朝青龍の大ファンであります!
北の湖が横綱の頃から相撲を見始め、私の中で最強の力士は『千代の富士』でございます。北海道出身であります。千代の富士の親方は『北の富士』、彼も同じく横綱で北海道出身。ちなみに、私共が暮らしている繁華街には、『北の富士』という名前の有名なちゃんこ屋がございます。北の富士親方の弟さんがやっているとの事です。
店内に土俵があります。
本当に良い店です。
たまに千代の富士も来ます。
超おすすめです・・・。

ちょっと話がそれてしまいました・・・(汗)。
朝青龍は、私の中の大横綱『千代の富士』をも越える可能性を持つ、唯一の力士であります。千代の富士が横綱になったのは26歳、今の朝青龍と同じ歳です。優勝回数は31回、朝青龍は現在26歳で既に21回も優勝しております。どれほど凄い事かおわかりでしょう。理事長の『北の湖』は24回、今回の件が無ければ来年には朝青龍に抜かれていた筈です。

若くしてこれほど成功すれば、誰だって多少天狗にはなるでしょう。当たり前の事です。態度が悪かろうが、行儀が悪かろうが、それを差し引いてもお釣りが来るってものであります。横綱というポジションにつく事も、それを維持する事も並大抵の努力ではありません。相撲をなめているのなら、決してできない事なのです。誰よりも努力し、そして稽古し、真剣に相撲に取り組んでいる事はいちいち説明するまでもありません。

なのに、この仕打ち・・・。ついこの間まで、キャーキャーと持て囃してきた癖に、このマスコミの手の返し様は何なんでしょう。信じられません(怒)。ケガもしていないのに悪意があって巡業を休み、母国で毎日サッカーに明け暮れていた訳ではありません。チャリティーのサッカー試合に顔を出してくれと頼まれ、ほんの少しお愛想で参加してあげただけの事です。国の英雄としては、当然の事でしょう。

日本の文化として巡業が本場所よりも大切だ・・・、なんて初めて聞きました。30年の相撲ファンとして初めてです。何年も前から、採算が取れない地方の巡業はやめているんです。それが本場所よりも大切な行事だと言うんだから、驚きであります。巡業の成績で番付が変わる事はありません。絶対に本場所の方が大切なのは言うまでもありません。

大昔ではありますが、『北の富士』親方は本場所を休場してハワイでサーフィンをやっていたのをスクープされた事があります(笑)。その時でさえ、ここまでのバッシングは受けなかったようです。何の差で、ここまでされなければいけないのでしょう。

小錦も本来なら横綱になれる成績を出していたにもかかわらず、横綱審議委員会による外人バッシングの所為で、結局横綱になる事ができませんでした。曙、武蔵丸・・・、確かに横綱まで行きましたが、朝青龍ほど強くはありませんでした。これほど極端に強い外人力士は、相撲界にとっても初めてであります。外人の横綱が気に入らないのなら、はなから外人なんか入れなければ良かったのです。

朝青龍が日本人だったとしたら、こんな騒ぎには絶対にならなかった筈です。下品なマスコミ連中は、そんな事を考えもせずに騒ぎ立てます。恥ずかしい連中です。


朝青龍の話に終始してしまいました・・・(汗)。
大の相撲好きなのでつい・・・。

私が本当に言いたかった事は、こんな事よりももっと報道するべき大切な事があるのではないのか・・・と言う事なのです。例えば、年金の事なんかがそうです。年金の横領が発覚したようです。管理ミスで年金が消えた、なんて生ぬるい話ではございません。泥棒です、泥棒。ただ目の前の現金を盗んだだけの話ですから・・・(怒)。この事の方が、朝から晩まで放送しなければいけない事なのではないでしょうか。

消えた年金も含め、徹底的に継続して放送し続けなければならない事だと思います。5千万人分がどうとかって話も最近ではサッパリです。せっかく初めてまともな厚生大臣が誕生したのだから、どんどん援護射撃してやるべきなのです。この大切な時に、朝青龍、朝青龍・・・って、どうかしているとしか思えません。


ここ数日、マスコミの馬鹿さ加減に呆れながらもテレビを観続けております。もっと考えて欲しいものです。


まだイチローのランニングホームランを観ていません。
そんなの関係無ぇ・・・、って奴もまだ観ていません・・・(汗)。


最後に一つ、絶対に忘れて欲しくない事がございます。
朝青龍は、明るい好青年です!

勾留

留置場は、警察の管轄であります。
大抵は警察署内にあるものなのです。ですから、警察署と分離して留置場が単体で建っているのはとても珍しい事なのです。道警本部直轄の最新の留置施設であります。私自身、この施設には、面会にも差し入れにも来たことがありませんでした。まさか先にブチ込まれるとは・・・(汗)。

所持品確認、身体検査、身上調査(住所や仕事、健康状態など軽い質問をされます)、を経てめでたく入所となります。48時間の一時勾留、その間に検察庁に連行され、検事尋問・裁判官尋問があり、検事が決定を下すと10日間勾留する事ができます。この10日の間に、起訴・罰金もしくは釈放などが決定しなかった場合は、更に10日間の拘留延長が認められています。延長も検事の判断で決定します。

1つの事件では合計22日間しか勾留できません。これ以上、身柄を拘束したい場合には、事実を追加して再逮捕か、別件で再逮捕という形になるのです。再逮捕のネタなんて、でっち上げる気になればいくらでもできます。警察も検察も、自信がある時や、引き下がれない時は無茶をします・・・(怒)。

私共の業界用語で、最初の10日間をシングル、延長の10日間をダブルと呼んでいます。最近は、検事が忙しい所為か、処理能力が足りない所為か、それとも犯罪が多い所為なのか、ダブルでの勾留が圧倒的に多いようです。


最初の48時間勾留の間は、衣服や一部の生活用品の差し入れが許されているだけで、弁護士以外の面会は認められておりません。差し入れが無くても、留置場には官物(カンブツ)と言って、必要な衣服や生活用品を貸与したり支給してくれたりします。手ブラで行っても安心です(笑)。

ちなみに衣服は、ボタン禁止、ファスナー禁止、紐(ひも)禁止です。スウェットやジャージの紐は、入所の際に抜かれてしまいます。腰のゴムとトランクスのボタンはセーフです。生活用品の差し入れは、歯ブラシ、歯磨き粉、タオル、石鹸、石鹸箱などが認められています。生活用品は、留置場内で購入する事もできます。ただし、注文してから届くまでに何日かかかってしまいます。

10日間勾留には、2つ種類がございます。一般の勾留では、一日に一人の面会と、一日一通の手紙の発送が許されています。(弁護士との面会や手紙はカウントされません。)しかし、『接見禁止』という条件を付けられると、面会も手紙も許されません(弁護士以外)。これは、中々キツいものです・・・(汗)。

私には、残念ながら接見禁止が付いてしまいました(怒)。これも検事の判断で自由に決定できる事なのです。接見禁止になると弁護士以外の人間との面会は認められませんので、弁護士を雇わない人は丸っきり社会と隔絶される事になります。

パクられると自動的に国選弁護士がつく、と勘違いして覚えている方が多いと思います。実際には、起訴されるまでの間(基本的には22日間)は、弁護士を雇う雇わないは被疑者の自由なのです。弁護士のアドバイスが無い所為で、取調べの際に不利な証言をしてしまう場合がありますので、多少の出費になっても雇った方がよろしいかと思います。

既知の弁護士がいない場合には、当番弁護士制度といって、協会が暇な弁護士を紹介してくれるシステムがございます。一度目だけは無料で相談を聞いてくれますが、選任(この件を貴方にお願いしますという事)するとシッカリお金がかかります。相場は着手金で20万(あくまで相場)、あとは裁判の内容や期間で金額が変わります。

早い段階で弁護士をつければ、供述の仕方や内容にもアドバイスをしてくれます。裁判で争点がある事件であれば、大きく量刑に関係してまいります。弁護士であれば誰でも良いという訳ではなく、やはり優秀であるに越した事はありません。相場よりも報酬が高い弁護士は、それなりの結果を出すものです。絶対に実刑だと思う事件を、サクッと無罪放免にしてしまった例を何度も見ております。

地獄の沙汰も金しだい・・・、良く言ったものであります。

逮捕

古い友人と1年半ぶりに会食し、夜中に自宅に戻りました。眠りに就いた時は、既に朝になっておりました。玄関のチャイムが鳴っている事に気付き、時計を見ると午前10時過ぎ・・・。疲れていて、起きてドアを開けに行く気がありませんでした。放っておいたら、しつこく連打し始めました。

どこの馬鹿だ?・・・、と思っていた矢先、ベランダから突然男が入っていました。事態が把握できずに、一瞬ポカンとしてしまいました。ふと我に返り、「サツか?」と一言。目の前にいる40歳位の男は黙って頷き、「ガサ状出てますから。」と明るいトーンで答えました・・・(怒)。

その後、書類を読み上げ、確認を求めてきました。ざっとガサ状に目を通してそれを返すと、「じゃ、他の捜査員もいるので玄関を開けさせてもらって良いですか?」
「ダメだっつってもやるんだろ?」
「まぁ、そうですね(笑)。」
「どうでも良いけど、お前とりあえず靴脱げよ・・・」
3Fなのに・・・、よく外から入って来れたもんです。

強い目的のあるガサ入れではなく、形式上という感じを受けました。実際にこれといってマズい物は、家の中にはございません。なのに彼らが乗り込んで来たという事は、身柄を持っていくのは既に決定事項なのでしょう。しばらく帰れんなコレは・・・、と思いました。押収物は、ファイル数点、印鑑数点、書類関係、携帯電話が数点、小さなダンボールに余裕で収まる程度の物でした。1時間ほどのガサ入れの後に、任意同行、署に着くとちょうど逮捕状が出ておりました。

今回来た連中は、2課でした。一般に知能犯を担当している課であります。顔見知りがいれば、色々な部分で多少の融通はきくのですが、残念ながら見た顔はありませんんでした。お陰でどこにも連絡できずに、エラい目に遭いました。普通は証拠隠滅に関係なければ、何ヶ所か連絡させてくれるものなんですけどねぇ・・・。

私達の市では、各区に警察署がございます。もちろん、各署内に留置場を完備しております。当然のように、引っ張られた署に留置されるものだと思っていたら、いきなりの移送・・・。去年完成したばかりの、道警本部直轄の大型留置場に収容されました。

中心部からも遠く、場所もわかりづらく、面会やら差し入れやらが一番面倒な施設です。自分がここに入るとは思っていませんでした(汗)。
最悪であります・・・。


いつ捕まっても仕方がないのですが、全く油断しておりました(汗)。

m(_ _)m

たいへんご無沙汰しておりました。m(__)m
本日、帰ってまいりました。
一部の方のご想像通り、6月半ばより逮捕拘留されておりました。
ちなみに集団で捕まった窃盗の事件とは全く関係ございません(汗)。
覗いてくれた多くの方々、そして心配していただいた皆様、たいへん申し訳ございませんでした。

たくさんのコメント、掲示板の温かい書き込み、驚くほどのメールの数々・・・、先程拝見させていただきました。
皆様の温かい言葉に、思わず涙が出てしまいました。
本当にありがとうございます。m(__)m
少々お時間をいただく事になりますが、必ず返信させていただきます。

落ち着きましたらブログも更新していこうと思っておりますので、また宜しくお願いいたします。

とりあえずお詫びとお礼までに・・・。

病院

今月に入ってすぐに、かなりタチの悪い風邪をひいてしまいました。しつこい咳には本当にまいってしまいました。喘息の発作も併発して呼吸がしづらく、しばらくの間まともに睡眠をとる事ができませんでした。

私は、基本的にはあまり病院に行きません。嫌いだと言う訳では無いのですが、なんとなく行ったら負けのような気がするのです(笑)。ですから、かなり我慢し悪化してから病院に行く事になります。今回も無駄な我慢をしてしまいました・・・(汗)。

以前は喘息の発作が出た時には、実家の近所の大病院に行っておりました。診察までの待ち時間は大体1時間、診察が終わり薬をもらって会計を済ますまでに更に1時間以上。なんだかんだと、2~3時間はかかってしまいます。病人だらけの待合室で2時間も3時間もボーっとしていたら、何か違う病気になってしまいそうです・・・。

定期的に通院している訳ではないのですが、長い事同じ病気と付き合っていれば、その時必要な薬や治療も大体分かってくるものです。私の場合は、気管支を開く点滴か吸入をして、後は1週間分程度の薬を貰えばそれで充分なのです。

受付で「薬だけ下さい。」と言うと、しばらく診察をしていないと言う理由で無理矢理診察を強要されてしまいます。その結果、いつもと同じ薬を処方されて帰るハメになります。だから薬だけくれって言ってるのに・・・。まぁ、大病院のルールだから仕方がありません。

そんなこんなで、何度も同じ事を繰り返している内に、大きな病院に行く事に疑問を感じてしまいました。一昨年、小さな病院ってどうなんだろう・・・と思い、近所の個人の内科病院に行ってみたのです。その際、元の大病院に今までの診療内容を書類にしてもらいました。

待合室は10人も座れば一杯という感じで、15分ほどで診察室に呼ばれました。優しそうな40代後半の先生でした。大病院からもらった書類に目を通し、「ちょっと時代遅れの治療かも知れませんねぇ。」と言って、最新の薬や治療法などの説明をしてくれました。偶然にも呼吸器内科に明るい先生だったのであります。

待ち時間は短いし、説明も丁寧だし、治療法も何種類かの中から話し合いの上で選ばせてくれるし、とても良い印象を受けました。それぞれの薬の持つ長所短所、より効果的な組み合わせ方などを丁寧に説明してくれました。個人の開業医はあまり勉強なんてしていないんじゃないか、と勝手なイメージを持っていたのですが、一瞬でその疑念は吹き飛びました。

私の喘息は慢性化している訳ではなく、風邪と一緒に発作を起こす程度のものです。一年の内に3~4回ほど診察を受ける程度でしょうか。あとは2ヶ月に一回、ステロイド吸入剤をもらいに行くだけです。その病院では必要以上に診察を求めませんし、必要最低限の薬しか勧めません。

なかなか良い病院を見つけたと喜んでおります。
しかし、私がこの病院と巡り会えたのはただの偶然によるものであります。そこが少し残念だと思うのです。もっと病院のランク付け等の情報がしっかりしていれば、最初から良い病院に辿り着ける筈なのですから・・・。

せっかくインターネット等が普及しているのですから、もっともっと病院の情報を得られれば良いと思うのです。口コミ情報のサイトがいくつか有るものの、充分な情報だとは思えないものばかりです。各病院の得意分野、衛生状態、平均待ち時間、看護師のレベル、患者の声、色々と知りたい事が尽きないものです。

出来れば病院だけは、ハズレを引きたくないものです。ラーメン屋の美味い不味いとは重さが違いますからね。商売根性で薬漬けにされるなんざ、真っ平ゴメンでございます(汗)。

病院選びは、とても重要なものであります。


「今度から我慢しないで、もうちょっと早く来て下さいね。」
我が主治医の、ありがたい口癖であります(汗)。