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雲のように…月のように…

雲のように飄々と…月のように夜道を照らし…

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選挙後記

長い事さぼってしまいました・・・(汗)。
回線が不調になったり、仕事が急に立て込んできたりと色々あった訳ですが、一番煩わしかったのが選挙であります。
やっとクソ選挙も終わり、とりあえず一段落ついた感じです。

とは言いますものの、今回の選挙には今までのように力を入れた支援はいたしませんでした。私が応援している議員さんはとても良い人なのですが、良い人と良きリーダーは別物だなぁと感じてしまったからであります。所詮私は法からハミ出した者、見るべき方向が議員さんと違うのは当たり前の事なのですが・・・。

選挙というイベントは、正直嫌いではありません。地元の人達でわいわいと、小さなお祭りのようなものであります。普段付き合いの無い種類の人達もたくさん集まり、なかなか楽しいものなのです。しかしながら、やはり選挙は選挙。地域の代表を決める大切なものですから、遊び半分楽しいだけではできません。

「この人に投票して下さい。」と人様に薦める訳ですから、薦められるだけの根拠が無くてはいけません。今回は、そこら辺の自信が無かったのであります。ですから、誰に投票してくれなどというお願いはどこにも一切しませんでした。選挙事務所や広報車に関わる人員の手配ぐらいにしか手を貸さなかったのです。

さてその先生、人柄としては全く問題ありません。本当に善い人だと思います。議員以外に収入源も無く、いつも貧乏をしております(笑)。今の時代には珍しいタイプの議員です。じゃあ何が不満で心から応援できないのかと申しますと、本人がこの4年間扱ってきた問題が、私的には少しマト外れだと感じてしまったからなのです。

その先生が今期まで取り組んできた問題は大きく3つ、一部の障害者の性別に絡む人権問題、新エネルギーの開発・運用、新幹線の誘致であります。どれも立派な事ではあるのでしょうが、さほど地元には関係が無いような気がするのです。普段間近に接する人達をあまり視界に入れていないような・・・。

選挙運動は当然ですが、任期中に行われる様々なイベント、講演活動、唯一の資金源であるセミナー、全て地元後援会の善意で行われているのです。「地元の事はどうなのよ?」それが正直な感想であります。普段の態度を見ても、決して地元をないがしろにしているとは思いませんが、どうしてもモヤモヤとしたものが残ってしまいます。

応援している者は皆、基本的に大きな事は望んでいませんが、少しは地元の事に貢献してもらいたいと思っている筈なのです。選挙カーから「任期中はこんな問題に取り組んできました~!」なんて叫んでも、「だから何なのよ。」と言われてお終いであります(苦笑)。当の本人には成果かもしれませんが、地元には関係無い事ですから。

私に言わせりゃ、新幹線なんて論外であります。一般人の殆どがそんな物を望んでおりません。地元の業者が元受で工事を受注できるのなら大賛成いたしますが、東京主導で大手のゼネコンが仕切るのに決っています。美味しい所を大手に持っていかれて、地元が割の悪い下請けをやらされる位なら最初からやらない方がマシであります。新幹線自体、黒字になる訳なんてないんですから・・・。

法から外れた私ですが、政(まつりごと)には多少の持論がございます。障害者を助けるのは良い事です。大切な事であります。一部の極々少数の障害者の権利を守る為に行動する事は、とても立派な事です。否定する気はさらさらありません。しかし政治家は、「一部の弱者を守る為、暗い部分に光を当てる事こそが政治家の仕事だ。」なんて事を平気でぬかします。

障害を持っていても尊重するべき一人格、尊重する人格なのだから粗末に扱う訳がありません。社会全体が尊重するべき人格を大切にし合い、思いやり、助け合い、障害が有っても無くても暮らしやすい世の中を作っていこう!誰もが自然にそう思えるような環境を作るのが、政治家の本当の仕事であります。

一部の障害者を守る為に、一部の法整備をする。これは、政治家の仕事のほんの一部分であって、「これこそが仕事だ!」と言うほど大きな部分ではないと思っています。偉そうに言えば、もっともっと大きい所を目指せ・・・と言う話です。何万もの票を集めて仕事をさせてもらうのだから、とことん大きな志と、命を懸けてでもやり通すんだという覚悟を持てと言いたいのです。

誤解を与えると困るのですが、少数の立場の弱い人間を助けるなとか、絶対数の多い方を優先しろという意味ではありません。大の大人が自分の口から「皆様のために!」なんて事を言うのであれば、「困っている奴全員、俺が絶対に何とかしてやる!」ぐらいの気概を持って欲しいと思うのです。自分のために、何千人、何万人の人達が「よし、やれ!」と後押ししてくれた事を忘れて欲しくないのです。

所詮は綺麗事だろう・・・と笑われるのかもしれませんが、人が目指す所はいつだって綺麗事でなくてはいけません。憎む事も、争う事も無い世の中、それを夢見る事は恥ずかしい事ではないと思うのです。今の世の中は、物や情報が溢れすぎて、欲がおかしな方向に向いてしまったのではないでしょうか。私みたいな者が、こんな事を言い出す資格があるかどうか判りませんが・・・。

何だか、今回の選挙は随分としらけてしまいました。元より議員に何かを求めている訳ではありませんが、見るべき部分や、恩に感じる部分がズレているなぁ・・・そんな気がいたしました。

合格を祝う万歳三唱が終った後、役員を辞める旨を伝えてまいりました。引き止められたり、しつこく理由を聞かれたりしましたが、面倒臭くて多くを語らず帰ってまいりました。同じ日本語を話す者同士でも、伝わらんもんは伝わらんでしょう。これからの活動を応援してもらえますか?という問いには「気が向いたら。」と答えておきました。


全然違う話ですが、家に帰ってから以前テレビで観た『ブータン』という国を思い出しました。チベットの近くの小さな仏教国であります。ネパールとの国境付近で少々ゴタゴタがあるものの、とても平和な国なのです。電気や水道もまばらで、日本と比べると貧しくて不便に思います。物資や娯楽も少なく、人々は夜明けから暗くなるまでよく働きます。

しかし、その小さな国では常に笑顔が溢れ、とんでもなく優れた精神文化を持っているのです。助け合う事は当たり前、そして感謝の気持ちも忘れません。国民はチベット仏教を信仰しているので『生まれ変わり』を信じております。そして皆「生まれ変わっても、この家族、この友人達とまた同じように暮らしたい。」と口を揃えて言うのです。

当然、この国には私共のような職業はございません。立派な事です。この国から学ぶべき事がたくさん有ると思っています。世界の中には、こんな国がまだまだ在るのでしょう。生活が便利になったとしても、目指す精神は同じではないのでしょうか。


自ら手を挙げて『政』をしたいのなら、せめてそんな気持ちを少しだけでも持って欲しいものです。


いつの日か、気合の入った本物の『政』をできる人間を世に送り出したいなぁ、なんて思っております。

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悲話

私の一番大好きなスポーツ『NBA』。
アメリカのプロ・バスケットボールリーグの事です。
華やかでエキサイティング、最高のスポーツであります。
そんなNBAで、90年代初めに悲しい物語があったのです。

80年代末に初めてヨーロッパからNBAプレーヤーが誕生しました。彼の名は、ドラゼン・ペトロヴィッチ。ニュージャージー・ネッツというチームに所属し、1シーズン目から驚異的な活躍を見せ、あっという間にスーパースターの地位に駆け上がりました。異常なまでの確率で3ポイント・シュートを連続して決める彼の姿を、私は今でも忘れられません。

次いで2人目のプレーヤーとなったのは、ブラディー・ディバッツ。派手さはありませんでしたが、実直でハートの強い素晴らしい選手でした。彼は、マジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズに入団いたしました。マジックが引退した後も、傾きかけたレイカーズを支えようと一人頑張る彼には多くの感動を頂きました。

少し遅れてトニー・クーコッチが渡米してまいります。マイケル・ジョーダンの突然の引退による大きな穴を埋めるため、シカゴ・ブルズが彼を獲得いたしました。さすがに『バスケの神様』と呼ばれたジョーダンにはやや劣りましたが、メディアの予想を覆す大活躍をしたのです。ジョーダン復帰後も彼は活躍を続け、3度の優勝に大きく貢献しました。

この3人の素晴らしいヨーロッパ・プレーヤー達は、『ユーゴスラビア』という国の代表チームで共にプレイしたチームメイトなのです。オリンピックや世界選手権でも、常に優勝争いに絡む堂々たる世界のトップチームであります。共に汗を流し、厳しい練習に耐え、切磋琢磨し合い、堅い友情で結ばれた3人だったのです。

彼らが、相次いでアメリカにやって来て、それぞれが脚光を浴び、自由の国で成功を掴んだ矢先の出来事でした。彼らの祖国で史上最悪とも言われる『内戦』が起きたのです。突如として勃発した民族紛争、ほんの数時間前まで友人だった人達が民族が違うというだけで殺し合いを始めたのです。未だに現地の人々は「どうして、こんな事になったのか解らない・・・」と口々に言っております。熱病にかかるように狂気に襲われた・・・、そう言う証言が多いのだそうです。

かくして、世界でも有数の美しい国と称された『ユーゴスラビア』は、泥沼状態に陥りながら分裂してしまいます。スロベニア、クロアチア、セルビア・モンテネグロ(後に2つに分裂)、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、民族ごとに国を分けてしまいました。旧ユーゴスラビアでは、クロアチア人とセルビア人が多数を占めておりました。

ペトロビッチとクーコッチはクロアチア人、ディバッツはセルビア人だったのです。自分達が祖国を離れている間に突如起こった紛争・・・。彼らは、複雑な想いに襲われたことでしょう。ディバッツは、しばらく考えた後にペトロビッチに電話をします。「国で起きた悲しい出来事は自分たちとは関係無い。これからも仲良くしよう。」と伝えたくて・・・。しかし、ペトロビッチは全てを拒否。悪いのはセルビア人だと思い込み、話す事すらしようとしませんでした。

心を痛めたディバッツは、クーコッチに1枚のメモを託しました。自宅と携帯の電話番号が書いてあったそうです。クーコッチは彼の気持ちを理解しましたが「僕もペトロビッチと同じクロアチア人。一応メモは渡すし、君の気持ちは伝えるけれども、強く味方はできないよ・・・。」と言ったそうです。

ディバッツは、大好きなチームメイトからの電話を待ち続けました。来る日も、来る日も・・・。そして、オフ・シーズンを迎え、とうとう電話が鳴りました。不慮の交通事故によるペトロビッチの訃報でした。ディバッツとペトロビッチの友情の復活は、夢と潰えてしまいました。
ディバッツは、その場に泣き崩れたそうです。

喧嘩などした事も無く、共にチームの勝利のために頑張ってきた仲間。あまりにも惨い話です。どれほど悲しかった事でしょう。想像しただけでも、胸が強く締め付けられます。しかし、ペトロビッチの死をきっかけに、ディバッツとクーコッチは今まで以上に強い絆で結ばれる事になります。友情の大切さに、あらためて気付いたのでしょう。

2m16cmの心優しい大男ブラディー・ディバッツは、故国の分裂によって孤独や貧困に苦 しむ子供たちや国を追い出された子供たちを支援するため、Group Seven Children's  Foundationと呼ばれる組織を作りました。今では、旧ユーゴ出身のスポーツ選手が多数在籍し、様々なボランティア活動を展開しております。


もし自分達がこんな事に巻き込まれたら、どうなるのでしょう・・・。
悲し過ぎますね・・・。


亡き祖父から、戦争の話をしこたま聞かされて育ちました。
あの鬼のように強い祖父が、いつも涙を浮かべながら話をしておりました。


最近、テレビで戦争に対しての議論をよく目にいたします。

時には殺し合う事もある馬鹿な私共には正解など判りませんが、先の悲話と祖父の顔を思い出してしまいました。


やはり、平和が一番だと思います。

口癖①

私には、いくつかの口癖がございます。
何種類かあるのですが、周りの者は出てくる言葉によって私の機嫌や、興味があるか無いかの判断をしている様です。よく人から指摘されるので、自分でも気づいております。まぁ、周囲から判りやすい方が良いだろう・・・、という事で全く直す気はありません(笑)。

その口癖の中でも、一番酷いのが『大丈夫だ!』であります。
「おー、大丈夫だ。大丈夫。なんも心配すんなぁ!」
妙に明るく軽~い感じでこの言葉が出たら、まず間違いなく興味0(ゼロ)なのです(笑)。相談事や、助けてコールの際にこの台詞が出た時、私は100%動きません。周りに私の事を良く知る者が居たのなら、皆『あ~ぁ、可哀相に・・・』と思うそうです。

以前、麻雀をやっている最中に私の携帯が鳴りました。
薄っぺらい付き合いの土建屋の社長からです。いつも悪い事ばかりしては「助けて下さい!」と虫のいい頼み事をしてくる面倒臭いオッサンであります。話の内容は「明日までに100万を用意しないと不渡りを出してしまう。」との事でした。どうせインチキな手形をクルクル回している内に、どっかで引っ掛かってしまったのでしょう。自業自得です・・・。

「あ~、大丈夫、大丈夫。俺は今持ってないけど、金貸しの社長に言っといてあげるから待ってなよ!」
そのまま何事も無かったように麻雀を続けておりました。小1時間も経った頃、また携帯が鳴りました。
「どうでした?準備できそうですか?」
「ん~、電話かけたんだけど出ないんだよな。その内、折り返してくると思うから。心配しないで待ってなさいよ。」

全然、電話なんかしてません(笑)。かけてないんだから、折り返し電話が来る事もありません。その後、30分置き位に電話が鳴っていたのですが、面倒臭いのでシカトしておりました。あまりにもうるさいので、何度目かの着信で仕方なく電話に出ました。

「さっきから何回も電話してるのに、何で出てくれないんですか?どうなってるんですか?」
「んん~、何だぁ?俺に急げって言ってんのか?」
「えっ?そういうつもりじゃ・・・。あの・・・、電話にも出てくれないし・・・。あの・・・。」
「手前ぇの都合で頼み事してきやがって、急げってのはどういう了見よコラ。尻叩いて、動けコラって言ってんのか?お~?」
「す、すいませんでした。あの、どうすればいいですか?」
「あぁ~、黙って待ってろや!」
「はい・・・。」

麻雀のお茶汲みをしていた若い者が真剣に心配しておりました。
「本当に放っといて良いんですか?」
「ん?いいの、いいの。どうでも良いの♪」
それ以来、その社長から電話がきておりません。3年位経つのですが、まだ黙って待っているんでしょうか。それとも、不渡りでも出してどこかに逃げたのでしょうか。なんせ、興味がゼロですから知った事じゃありませんが・・・(笑)。

麻雀のメンバーに兄貴分もいたのですが、私の「あ~、大丈夫」を聞いた瞬間にニヤッと笑っておりました。
そして一言「あ~、カワイソ。」と呟いておりました(笑)。

胡散臭い連中と付き合っていると、こんな事がしょっちゅうあるものなのです。まともに相手をしていたらキリがありません。気に入らない者まで助けて、良い人の振りをしたくもありません。


大切な人は、とことん大切にいたします。
どうでもいい人は、とことん適当に扱います。


私の軽~い『大丈夫!』は、そんなサインであります。(^_-)-☆

博打・追記

先日、ライブドア事件に絡めて証券取引を博打と表現いたしました。今回は、ついでにギャンブル・賭け事の『博打』のお話をしたいと思います。

あまりピタッと当て嵌まらないと思うのですが、私共の業界は大きく2つに分類されております。『神農』系と『博徒』系、要するにテキヤとバクチ打ちで分類されております。戦後間もない頃には、この分類で良かったのだと思うのですが、今の時代にこの分け方はとても曖昧なものとなっております。

北海道は、昭和の50年代までテキヤ王国なんて呼ばれておりました。私が子供の頃にはまだまだテキヤ系の組織が頑張っており、街を闊歩していたのを覚えております。今ではこまごまと存在していた独立組織も時代の流れで、関東・関西双方の博徒系大手全国チェーンに吸収合併されております。

博徒系の伝統ある組織には『縄張り』がしっかりと線引きされております。先日、会長が自殺された国粋会は、関東の博徒組織の連合体であります。彼らは、代々受け継がれてきた『縄張り』を非常に大切に考えております。ですから、『縄張り』を守る為ならば命をも厭いません。それが、博徒なのです。

北海道組織の大半がテキヤ系の源流を持ちながら、今現在は博徒系の代紋を掲げているという何とも曖昧な状況であります。その所為か、はっきりとした『縄張り』などは存在しておりません。私達は、ガキの頃からここで育っておりますので大した違和感を感じておりませんが、本州組織の先輩方は皆一様に「めちゃくちゃだな・・・。」と感想を漏らします(笑)。

さて、この『縄張り』、そもそもは博打の賭場(盆)を開く権利だったと言われております。全く関係の無い者がやって来てある日突然賭場を開く・・・、なんて事は昔は不可能だった訳であります。そして、賭場でのトラブルも御法度、当然その縄張りを仕切る一家が対処する事になります。私としては、これも立派な秩序だと思うのです。

博打に関しては様々な説がございます。その中で私が信じているのは、農村での生き残り対策という説です。大凶作の年、皆が食うや食わずでそのままでは村が全滅してしまいます。そこで残り少ない食べ物を持ち寄って、くじ引きで生き残る者を決めたそうです。これが、くじ引きからサイコロなどに変化し、遊興としての博打に発展していったという説であります。農耕民族の日本人らしい説ではないかと思うのです。

残念ながら日本の博打という物は、男のものとして発展してまいりました。私が子供の頃でも、競馬場やパチンコ店を女性だけで歩くなんて事は感心されるものではありませんでした。古くから博打で勝った金は、パァーっと皆に酒を振舞うか女を買うかといったところでしょう。勝ち負けを帳簿に付けたり、買った金を貯金したりなんてのは粋じゃありませんよね(笑)。

いくら博打が運分天分だからと言いましても、皆様に愛されて気軽に遊びに来てもらえる場でなくてはいけません。運営者にも配慮があり、身上(しんしょう)を潰すような遊び方はさせません。あまりにも負けがこんでる客には、小遣いを渡して帰す事もあったそうです。
「今日はツいていないようだから、もうおヤメなさい。これで家族にお土産でも買って帰りなさい。次は頑張って勝って下さいよ!」こんな感じでしょうか。

客同士の間にも粋な計らいがありました。大勝ちして帰る際には、ツキをお裾分けするという意味で、幾ばくかのお金を負けている客に渡して帰るのです。これを『目付け(めつけ)』と言います。『目付け』は今でもその風習が残っております。ただの勝ち逃げは粋じゃありませんからね。

来る客、来る客、全員から尻の毛を抜くほど巻き上げていたら、賭場なんて一瞬で誰も来なくなってしまいます。勝っても負けても、そこそこ楽しんで貰わなくてはいけません。賭場から生まれた言葉で『盆に明るい』『盆に暗い(ボンクラ)』というのがありますが、これは盆全体をコントロールしてお客様を楽しませるという意味合いの言葉です。

最近ブログを始められたCloudさんの記事にも掲載されていますので、是非そちらもお読み下さい。
Cloudのきまぐれ日記

基本的に賭場は堅気の旦那衆の遊び場なのですが、博打だけで飯を食っている者もおりました。博打を主催する者も『博徒』ですが、打つ専門の人間もまた『博徒』であります。賭場から賭場を渡り歩く、彼らもまた粋な存在として扱われていたのです。

流れ者の『博徒』にも、粋な博打の打ち方というものがございます。のらりくらりと様子を見ながら小さく張り続け、ここだという場面でドンッと大きく勝負します。一発当たれば目付けを配って退散し、負ければ潔くスッカラカンで退散します。その潔さを良しと感じた親分衆は、旅を続けられるように餞別を持たせたり、何日か客分として宿と飯の面倒をみてやったりしたそうです。

客分として扱われた者は、一宿一飯の恩義を一生忘れない・・・これが当然のルールであります。主催する側も腹が太い、遊ぶ側も潔い、博打は『粋』で打つものでございます。日本に根付いてきた博打は、本来は『粋』なものだったのです。

私共の土地では、盆が開かれるような事は殆どございません。本州では、未だにあちらこちらで定期的に開催されているそうです。丁半、カブ、手本引き、サイ本引き・・・etc、楽しそうです(笑)。以前、義理事で集まった時に関係者だけの『花盆』に参加した事がございます。なんせ全員が業界人ですから恥ずかしい博打は打てません(汗)。多少勝たせて貰ったのですが、目付けを配ってチャラでした。
楽しかったなぁ・・・(笑)。

昨今の博打はどうでしょう。
競馬、パチンコ、ポーカーゲーム機、ネットカジノ、闇カジノ・・・etc、血の気の通わない無機質な感じがいたします。そこには、華も人情も無いような・・・。大人の粋な遊びとは言えないような気がいたします。

博打で負けて文句を言うなど言語道断、その辺だけは腹を括って打たなければいけません。勝っても負けても潔く、これが大原則でございます。


しつこいようですが、博打は『粋』で打つものでございます。
これだけは、絶対にお忘れなく!


春の甲子園が始まります。
神聖な高校野球に賭けをしております・・・。
ゴメンなさい・・・(_ _,)


頑張れ帝京、頑張れ仙台育英♪(-o-)/

リニューアル

今まで使っていた掲示板が、イマイチ使い勝手が悪かったようなのでリニューアルいたしました。前のものよりも多少は使いやすいかと思います。PC・携帯両対応で、もっと使いやすい掲示板をご存知の方がいたら、是非ご一報ください。

PC版・雲・・・月・・・【BBS】
(PCでは右のリンクからでも入れます。)

携帯版・雲・・・月・・・【BBS】

自由なコミュニケーションの場としてお使い下さい。

【追伸】
今試してみたところ、PC版にも携帯から入っていけました。
『新着をメールで受信』を使うと書き込みがあった時にメールで知らせてくれるようです。画面色が見辛かったらご連絡下さい!

博打

ライブドア元社長の堀江氏の裁判結果をニュースで見ました。
随分と※高い量刑が出ましたね・・・。
軽く驚いてしまいました。( ̄□ ̄;)!!

※私共の業界では、量刑を高いとか安いで表現します。なんか物の値段みたいですね。

私は、彼のファンではありませんし、応援もしておりません。先ず第一に顔が気に入りません。世間では憧れの眼差しで見ていた方も多いのでしょうが、いくら銭を持っていてヒルズに住んでるからといって、あの面じゃ憧れる気がいたしません。決して、不細工を貶(けな)している訳では無いのです。たとえ不細工であっても、男の面構えには色々と生き様的なものが現れる筈なのです。

堀江氏の表情を見ていると、どうにも信念的なものが感じられないのであります。あれだけ巨額なマネーゲームの中心にいた人物だという感じが全くと言って良い程しないのです。たとえ直接会った事が無くても、人間持っている雰囲気という物が画面からでも伝わるものなのですが・・・。

『こりゃあ、生徒会だな・・・。』
今回のライブドア事件を見ての正直な感想であります。
ちょっと勉強ができる活発な子供達が、生徒会の会議中にタバコを吸ってしまい、それが後日発覚したような感じに思えるのです。頭でっかちで世間知らずの僕ちゃん達が、誰が吸おうと言い出したとか、誰が一番先に吸っただとか、タバコを買ってきたのは誰だとか、そんな言い争いの類にしか見えないのです。

事件の中心の3人、堀江氏、宮内氏、熊谷氏、その他にも元役員のなんちゃらだ、元側近のかんちゃらだ、特別美人でもないのに美人広報だのが、次から次へと訳知り顔でインタビューに答えておりました。大体の人間が先ず「友人として、こう思います・・・。」みたいな話をするのですが、絶対に友人ではないだろ・・・と思うのです。

本物の友人ならいちいちインタビューに、ああでもねーこうでもねーなんて話はいたしません。言葉少なに「私は彼の言う事を信じています・・・。」としか言わないものであります。単に表面上仲良くしていただけの、薄っぺらい上っ面の付き合いなのでしょう。あれだけ銭に潤って、その程度の人間関係しか作れなかった事をとても可哀相に思います。

パクられた本人達も醜いものであります。「最初は全部庇(かば)う気だったが、あいつに反省の色が無いから全部喋る。」・・・、最低です。最初は庇う気だった・・・とか言わなければ、まだ何ぼかはマシなんですけどねぇ・・・。どんな能書きをたれても結果として、裏切りなのですから。

こんな程度の低い言い訳をする位なら「あいつの事、嫌いなんですよ。だから全部喋りますわ。」と言った方が、最初っから反目で潔が良いってもんです。最初から反目であれば裏切るもクソもありませんからね、その方がスッキリいたします。「奴の反省を促す為に・・・」なんて能書きには反吐が出ます。

部下が部下なら上司も上司、堀江氏も格好悪い事この上無い。良くも悪くもリーダーであるならば「全部、私が指示した事です。私以外に誰にも責任はございません。」と言うのが、筋でございます。それが言えないのであれば、一切黙秘をするのが長たる者の姿勢というものであります。
まぁまぁまぁ、格好悪い・・・。(-_-メ)

やった事がどうこうよりも、ここら辺が鼻について仕方がないのであります。良い事をした時も、悪い事をした時も、同じ釜の飯を食った者同士・・・なぁんて感覚は一切無いのでしょう。双方ともに、人として如何なもんかなぁ・・・と思います。

さてさて、人間の醜い部分の話はこの辺でやめておきます。肝心の裁判の結果なのですが、これまた少し異例で周囲の予想よりも重い刑罰に感じます。この手の初犯で、いきなり執行猶予無しの実刑判決なんて久しぶりに聞いた感じがいたします。同情するつもりは一切ありませんが、執行猶予付きが妥当であると思っています。

アメリカの法律では実刑25年位の量刑らしいのですが、あくまでここは日本であります。証券取引法違反で即実刑なんて、なかなかお目にかかれるものではございません。内容的に同じような事をしでかした日興証券と比較すると、あまりにも公平さを欠いているようで思わず首を傾げてしまいます。かたや即実刑、かたやお咎めなし・・・。明確な法整備も成されていないのが現状とは言え随分と曖昧なものです。

日興証券は400億、ライブドアがごまかしたのは53億、誰の目から見てもおかしな話であります。日興証券がお咎めなしって・・・、有り得ませんよね。ちなみに西武の堤義明氏はインサイダーで、懲役2年6月、罰金500万円、執行猶予4年の判決でした。村上ファンドの村上氏は、たぶんこの辺で落ち着く事でしょう。

テレビでの露出が多かったので、裁判所も変な気合いが入ってしまったのでしょう。簡単に世間の感情に流されやがって・・・、相変わらずいまいち信用できない機関であります。

大体にしてこのライブドア事件、被害者は誰なんでしょう。評論家どもは口を揃えて『一般投資家』と言います。株式市場や一般投資家といった言葉を使えばとても聞こえは良いものですが、私に言わせれば賭博場とバクチ打ちみたいなもんであります。競馬場で馬主の「今回うちの馬は絶対に勝つよ!」なんて台詞を真に受けて、皆がその馬券に銭を突っ込んだからといって、誰がその人達を被害者だと思うでしょう。被害者どころか、ただの阿呆でございます。

株式市場と競馬場を一緒にするな、と言う方も大勢いるでしょう。何が違うか説明できるもんなら、して頂きたいもんであります。そもそも株式というものは、充分な資金を用意できない起業家のために作られた支援的な意味合いを持ったシステムであります。才能ある経営者に資金を用意し、その代わり儲かった暁には配当金を下さいね・・・ってのが株式の本来の姿なのです。

昨日買った株を今日売って、いくら儲けただの損しただのって・・・そんな話がおかしいのです。今や世界中の株式市場は、本来の姿を見失いただのマネーゲームのフィールドと化しております。儲ける奴もいりゃぁ損する奴もいる、勝つか負けるかは時の運。いっその事、ビジネスだなんて調子こいた事を言ってないで、ドカンと大金でも賭けてモノポリーでもやって銭を取り合えば良いんです。

一般投資家もパチプロも雀ゴロも所詮はバクチ打ち、似たようなものであります。パチプロや雀ゴロは、負けたからと言って損害賠償の裁判を起こそうとはしないものです。退職金を突っ込もうが、コツコツ貯めた金を突っ込もうが、知った事ではありません。自分の馬鹿さ加減を反省するべきなのです。

バクチで負けて文句を言う位なら、最初からやらなきゃ良いんです。そんな事は日本人なら江戸時代から分っている話であります。間違って儲けた奴らは、誰も文句なんて言わんでしょう。バクチの負けはバクチで返せ・・・。バクチの話をしていたら止まらなくなってきたので、もうやめておきます(汗)。

何だか脱線してよく解らなくなってしまいましたが、最近の株式絡みの事件は聞けばあまりに不細工で悲しくなってまいります。パクられた奴の言い分も情け無ければ、被害者面の人間も情け無い・・・。どちらも単純に儲けようとしてやった結果なのですから・・・。


同じ釜の飯を食った人間は大切にしましょう。


バクチは負けるが華・・・と申します。
勝っても負けてもスカッと粋に笑いましょう。


こんなところでしょうか・・・(-_ゞ

引退

先日、記事にした福島県矢祭町の根本町長が今期限りでの引退を表明いたしました。御歳、69歳だそうです。
長い間、本当にお疲れ様でした。<m(_ _)m>


「合併しない宣言」の福島・矢祭町長、引退表明(日本経済新聞)

矢祭町(Wikipedia) 

ハゲリーマン様の記事  


私は、つい最近のワイドショーで矢祭町の特集を見るまで、この町や町長の事を全く知りませんでした。興味を持ってからは、ネットで数多くのホームページや記事を読み漁りました。根本町長のとった行動は、まさしく『偉業』だと思うのです。ただただ、感服いたします。

前回は、私の思うリーダー像について語らせて頂きました。利益と負担の分配が大切だと申し上げました。過疎に悩む赤字財政の小さな町、当然分配のメインは『負担』と言う事になります。根本町長の分配は見事としか言い様がございませんでした。

夕張市の事を以前にお話した時、一番大きな責任の所在は『市長』『議員』『木っ端役人』と掲載させて頂きました。破綻の原因が、こいつらの所為なのですから、こいつらが誰よりも負担をカブるのが当然であります。しかしながら、この当然と言うべき行動を自らとった地方自治体は、殆ど無いというのが現状でしょう。

根本町長率いる矢祭町は、赤字財政をうやむやにごまかしてしまう為の『市町村合併』を拒否いたしました。それを期に、議員の定数削減、町の3役の減給、町職員の削減を次々と実行。
「職員が減って住民へのサービスが悪くなった。」と言われない為に、年中無休、さらには窓口業務の終業時間を18時半に延長したのです。

「議員も職員も税金から給料を貰って生活している。だから誰よりも働くのは当然の事だろう。私を捨て、公の僕であるべし。」これが町長の一貫した姿勢であります。町の職員には大きな負担になった事でしょう。しかし、職員達も町長の姿勢に習い、誇りを持ってそれを貫いております。負担を負うべき者が率先して行動をした、正しい姿がそこにある気がいたします。

信念を持って懸命に行動をすれば、人間同士気持ちは必ず伝わるものであります。町長や職員達の努力が通じ、町のどの施設にもボランティアの住民達が溢れております。公の僕として身を粉にして働く職員、自分達の町の為に頑張ってくれる職員達を手助けしようとする住民達。これこそが、人間たる者の社会ではないでしょうか。

根本町長が行った政策は、他にもたくさんございます。まぁ、この場ではキリがなくなるのでこの位にしておきます(汗)。

根本町長の功績は、財政的に自立を目指す立派な町・・・それはそれで素晴らしい事ですが、そんな事を言いたい訳ではございません。

行き交う人々が皆互いに挨拶を欠かさない素敵な町・・・、それが彼の創った町の姿であります。

素晴らしいリーダーであります!


根本良一町長、長い間本当にお疲れ様でした。<m(_ _)m>

政 (まつりごと)

人間は、群れを作って生活をする動物であります。
山奥で独り何かを求め生活する・・・そんな選択でもしない限り、人は人と関わりあって暮らしていかなければなりません。これは、好むか好まざるかに関係無く当たり前の事であります。そして、仕方のない事なのです。

自称『人間嫌い』とか『人間が苦手』なんて無茶な事を言う方が結構おりますが、生活の場に人間が関係していない物など存在しているのでしょうか。人が生きるという事は、自動的に多くの人達と行動を共にしていかなければいけないのです。

「私、人間が嫌いになりそう・・・。」なんて馬鹿げた事を言い出す人をよく見かけますが、それが本当なら無人島にでも飛ばなきゃなりません。まぁ、彼らの言わんとする処は、全ての人間という意味ではなく『私の周りの人間』を指しているのでしょうけども・・・。

最初に言ったように、人間は群れを作って生きています。今の日本の社会では、いくつもの群れに所属し、その多数の群れを頻繁に行き来しなければなりません。家族、職場、学校、友人、恋人・・・etc。一つのグループで一生共に行動をする訳では無いので、これも仕方の無いことであります。アフリカの田舎に暮らすような、部族一単位という具合にはいきません。

人間不信になるのも、人間大好きになるのも、自分の所属する群れによるところが大きいと思うのです。群れには、必ずリーダーという者がおります。良い群れには良いリーダー、同じく悪い群れには悪いリーダーがいるものなのです。
前置きが妙に長くなってしまいましたが、今回はリーダーのお話をしたいと思います。

※『群れ』という言葉を連発していたら、どこかの宗教みたいで自分で気分が悪くなってまいりました・・・。不快に思った方がいたらゴメンなさい・・・。

リーダーには色々と必要なものが沢山ございます。知恵、力、勇気、思いやり、決断力・・・etc、リーダーと呼ばれる者であれば、ここら辺のものがある程度は備わっていると思います。ある程度と言いましても、そのある程度が怖いのですが・・・。知恵の足りないリーダーに付いていってもロクな事がありませんから・・・(汗)。どれかが欠けても、どれかが多すぎていても、あまり上手くは行かないものであります。

色々な要素が必要な中で、私がリーダーにとって一番重要と考えるものがございます。
それは、『分配する能力』。
大まかに2つ、分け前の分配、負担の分配であります。
何だよ!そんな事かよ!と思う方もいらっしゃるでしょうが、これは実に大切な事なのです。

分配の仕方一つで、不平や不満が沸き起こるものであります。物質的な面や、精神的な面、労働力や能力にも関係して分配は行われます。配当を受け取る側に、不平不満が少なければ少ないほど、より良いリーダーという事になるでしょう。世の中には各ジャンルに大小様々なリーダーが存在し、そして様々な形態で物事を分配していかなければならない訳ですが、解かり易く『会社』を例にお話させていただきます。

開発・製造・販売を全て行っている【防犯グッズ】を扱う会社があったと仮定しましょう。分配する物の代表といえば先ず『給料』だと思います。社員を一律に時給で考えると、どうなるでしょう。営業マンや開発部門の仕事を、時間で計算するのはかなりの無理があると思います。工場で製造を担当している人達の仕事量は、時間で計ることが可能かもしれません。それにしても、仕事の効率や其々の作業内容を加味しなければ公平感が損なわれる事でしょう。

それでは、能力給や成功報酬で考えてみましょう。営業マンへの分配を考えるには良い方法かもしれません。売り上げによって給料が決るので一見公平に感じますが、都会の犯罪率の高いエリアを担当している者と、田舎の犯罪とは無縁の地域を担当している者とでは、当然のように売りやすさが違います。その辺を考えると「あいつらんトコは、客が多いから楽で良いよなぁ!」なんて不満の声が聞こえてきそうです。

開発者はどうでしょう。新商品を生み出すために日夜努力をしているのでしょうが、その評価は非常に難しいものです。成功報酬で考えると、新商品を開発するまでは給料が出ない事になります。かといって、時給にすると開発意欲が無くなってしまうかも知れません。基本給+ヒット商品を開発した時の成功報酬、これが無難なところでしょう。しかし、ここでも開発に貢献した個人だけが昇給するのか、チームが昇給するのか、開発部門が総じて昇給するのか・・・、こんな感じでまた不満が生まれてしまいそうですね(汗)。

宣伝や広告によっても変わってくるかもしれません。会社が宣伝に力を入れれば、営業マンの成績が突然上がるかもしれません。営業マンは成功報酬をたくさん貰えますが、工場が忙しくなってもさほど恩恵を受ける事ができなければ当然不満が生まれます。『工場で働いている人の家に泥棒が入り、自社の製品で撃退した!』という話がニュースで取り上げられて商品がヒットした、なんて事になると何が何だか解からなくなってしまいます。

たかだか給料の分配の仕方でも、皆に不満無く分配しようと考えると、こんなに大変な事なのです。分配は、利益だけに限られた行為ではありません。負担の分配もあるのです。『向こう1ヶ月の間、工場を18時間稼動しなければ納品が間に合いません!』こんな事が起きるかもしれません。当然、工場で働く人達は膨大な残業や休日返上を余儀無くされます。残業代や休日手当てを支払えば、不満は無くなるのでしょうか。恐らくブーイングの嵐でしょう。

しかし、手の空いた営業マンや開発部門の人間も交代で工場を手伝いに行き、会社一丸となってやりとげた場合はどうでしょう。「素人が工場に手伝いに来ても邪魔なだけだ!」とかリアルな意見は無しにして考えると、前者よりも不満の声は少なくなるような気がいたします。大変な事も皆に分配し、なるべく不平不満の出ない治め方をするのが、リーダーに求められる一番大切なものだと思うのです。

いつもフラフラしている営業マンが高級マンションに住み、工場で朝から晩まで額に汗して働く人達が安アパートに住む・・・、もしそんな会社があったとしたら、そこの社長にはリーダーの資格が無いと思うのです。誰もが一律に平等に・・・、なんて頭のおかしな共産主義者のような事を言っている訳ではございません。
【働かざる者、食うべからず】働きに応じて正当に評価して分配するのがリーダーの資質であると思うのです。


会社に限った話ではございません。
家庭においても、同じであります。子供が可愛いからと言って、何でも最優先していれば当然おかしなガキに育ちます。親がボロボロの靴を履いているのに、ガキは真新しいナイキのスニカーを履いているなんざ有り得ません。たとえ数少ない家族の中にあっても、家長というものは家庭内の貢献度を判断して分配を成すべきなのです。

家の手伝いもしないクソガキが、あれも欲しいこれも欲しい・・・なんてぬかしやがったら容赦なくブン殴ってやれば良いんです。家事を頑張る奥様方にも正当な評価をするべきです。クリスマスケーキのチョコで出来たサンタは、食いたくなくても家長が食うべきなんです。その代わり、常に分配の比率は正当でなければいけません。

自分が稼いだ金だからと言って、家庭を疎かにして遊び歩いたり、自分の趣味にだけ大金を使うような者では、リーダーとして失格であります。こんなクズに付いて行っても良い事など一つもありませんので、大至急離れる事を強くおすすめいたします。まぁ、会社でも同じ事ですよね。

当ブログの読者の中には、シングルマザーの方もたくさんおられます。たとえ母一人であっても立派な家長、リーダーであります。両親が揃っている家庭の事と比較して、我が子に恥ずかしい思いをさせたくないという気持ちは良く分かります。ですが、その環境にはその環境でしか学べない事もたくさんございます。他所に引け目を感じる必要なんてございません。

人としての正しい方向性や、強い家長の姿を見せてあげて下さい。お子様がリーダーのポジションにつく時や、自分がついて行くべきリーダーを選択しなければならない時に、必ず役に立つ筈であります。その判断力こそ珠玉のものであると思っております。


政治家という者達も、各地域を代表するリーダーであります。当然、彼らには卓越した分配する能力が求められます。今の彼らに、その大切な作業ができているでしょうか。残念な事に皆無に近い状態であります・・・。一部の人間だけで利益を分配し、税金と言う名の負担だけは国民全員で分担しましょうなどと、寝ぼけた事をぬかしております。

彼らが上手に分配をしていかなければ、社会には不平不満が広がってまいります。不平不満の多い世の中なんてロクなもんじゃありません。どんどん悪くなっていく一方であります。そもそも今時の政治家連中には、分配の能力以前に『親分肌』と言われるような甲斐性が感じられません。負担を皆で分配する際には、率先して自分が一番多くカブるのがリーダーとしての『器』というものでしょう。


楽も苦労も、皆が極力納得できるように分配する。
それが、人様から必要とされるリーダーの正しい姿というものではないでしょうか。


頑張った人や、人様の為になる事をした人、それをきちんと評価し正しく分配する事、それこそが『政』であります。

良心

一昨日テレビで面白いニュースを見ました。
札幌高等裁判所で、審理を担当する資格がない地方裁判所の裁判官に21件の裁判を担当させていたそうです。6件の裁判をやり直し、12件を再審理、判決を言い渡した3件の裁判に対しては関係者に平謝りで上告の手続きをとって欲しいとお願い中だそうです。
なんじゃ、そりゃ・・・(爆)。

直接関わった人にとっては笑い事では済みませんが、事務所でニュースを見ながら爆笑してしまいました。もともと裁判所の連中は『テスト勉強の才能がある馬鹿の集まり』程度に思っていましたが、ここまでの大馬鹿だとは思っておりませんでした(笑)。裁判所という所は、手続き大好きの閉塞された役場であります。大好きな筈の手続き中には全く気付かず、散々ぱら裁判をやった後に最高裁からの指摘で気付いた模様です。

バス会社が、普通免許しか持たぬ社員に、ある日突然『大型バスの運転手』を命じるのと同じであります。普通であれば命じられた社員の方も「大型の資格を持っていません!」と断って終りの話です。ところが今回は「えっ、それって出世ですよね。やらせて頂きます!」と言って受けてしまったのです。自分の持っている免許の種類ぐらい普通はわかりますよね(笑)。命じる方も馬鹿なら、受ける方もトンチンカンであります。

私共の業界は、司法と争う場面が多くあり、ある意味で敵対視した部分がございます。しかしながら、一般の皆様においては『法の番人』秩序を守る最後の砦であります。司法に携わる者は『正しい人』である事を常に求められ、それに応えて常に『正しい判断を下す者』であらねばなりません。
それなのに、このザマであります・・・。

今に始まった事では無いのですが、最近は司法の世界も少しイカれた部分が目立ってまいりました。大阪で起きた殺人事件ではとんでもない判決が出されております。ハゲリーマンさんが詳しく書いておられますので、是非お読み下さい。
3月1日の記事で『司法は誰のものか?』

弁護士もおかしくなっております。
オームの麻原の主任弁護士だった安田好弘、こいつは光市の母子殺害事件の最高裁法廷を遅延目的でドタキャンしたクズであります。塾講師小6女児殺害事件を起こした萩野裕、その弁護士の中田政義も似た様なものです。精神異常だろうがアスペルガー症候群だろうが、人殺しは人殺しなのです。100人が見て100人が悪いと言う者を、なりふり構わず汚い手を使ってまで刑を安くしようとする。
そして、自分の手腕だと勝ち誇る・・・。
この手の弁護士が最近はたくさんいるのです。

間抜けな裁判官、面子の為にでっち上げの事件を強引に進める検事、正義など忘れ売名と銭儲けに夢中な弁護士・・・。テスト勉強が得意で、司法試験をクリアーしたからという理由でこんな奴らに職権を与えて良いものなのでしょうか。もちろん立派な人達もいるのでしょうが、多くの馬鹿が足を引っ張りすぎております。

彼らの職業には、試験で得られる資格よりも『良心』というものが最も重要なものではないのでしょうか。六法全書を暗記する力も大切ですが、もっともっと人として大切なものが在ると思うのです。司法に絡む者達に本当に必要なものは、『心の質』であるという気がしてなりません。

『法』は、決して完璧なものではありません。
人類史上、誰もが納得する完璧な法律など作られた事はただの一度もございません。だからこそ、時には枠をはみ出して、心で量った『大岡裁き』なんてものが語り継がれるのだと思うのです。今の時代においても皆、それを期待して止まないのであります。


『良いもんは良い、悪いもんは悪い!』そこが一本通っていなければ、まともな世の中なんざ夢のまた夢であります。


こんな話をしていると、生前の祖父と一緒に観ていた【ザ・ハングマン】というテレビドラマを思い出してしまいます・・・。

温暖化

気がつけばもう3月、随分と更新をサボッっております。
テレビでも盛んに言われておりますが、今年は『暖冬』の様であります。まぁ、人様に言われるまでも無く、充分に体感している訳なのですが・・・。

私共の土地では、2月中大半の日が最高気温もマイナスであります。気温が0度を越えツララから雫が垂れると「おっ、今日は暖かいなぁ・・・」なんて感じてしまうのです。ところが、今年に限っては、2月の殆どが日中プラスの気温だったのであります。さすがに夜は確実にマイナスの気温になるんですけどね(苦笑)。

道路も、大きな通りの殆どがアスファルト剥き出しの状態です。小さな中小路ではまだまだ雪が積って凍り付いておりますが、こんな年は初めてであります。例年よりも渋滞が少なく、皆喜んでおります。遠く離れた東京でも雪が一度も降らず、観測史上初めての事だそうです。

私共としては非常に嬉しいこの『暖冬』、しかしどうも笑い事では無さそうであります。どうやらこれは、地球の『温暖化』とかいうものの所為らしいのです。ここまで大きな問題になると、私共不良が口を挟む余地など一分の隙もございません。なんせ地球規模の話ですから・・・。とは言いましてもこの性分、一言二言は物申したくなるものです。

『地球温暖化』・・・、いろんな原因が重なり合って招いたもののようです。工業による二酸化炭素の大量排出、都市生活による二酸化炭素の大量排出、二酸化炭素を酸素に変える森林の伐採・・・etc。私は、科学者でも専門家でもありませんのでその程度の事しか存じ上げません。そこら辺の知識は持ち合わせておりませんが、最近の論争にはおかしなものを感じております。

米国の大統領選でブッシュに負けたゴアとかいう人が、世界中を周って温暖化を食い止める運動を行っております。まぁ、立派な行動であるし批判をするのは少しばかり気が引けますが、先ずは自国の中でアピールしたらどうなの?と思ってしまいます。二酸化炭素の排出量はアメリカがトップでございます。

自分の国も説得できない男が、他国を周っても正直なところどうなんでしょう。まぁ、立派な事なんですけど・・・。そして、偉そうに『京都議定書』なんてものを掲げた日本、国を挙げての努力などしているんでしょうか。日本人の一員である私は、温暖化対策としての努力などした記憶がございません。

報道する側はいつも「政府として対策が必要ですね。」だの「個々が意識を持つ事が大切ですね。」などと、シレ~ッとした顔で言っております。テレビ局のビルは、一体どれだけの電力を使うのでしょう。彼らは、エネルギーを節約しようという考えを持っているのでしょうか。もちろん、持っている訳がございません。

自分達ができていない事を、人様にやれと言うのが大きな間違いであります。国対国でも同じ事です。発展途上国に向かって森林を伐採するなとか、大規模な工業化をするなとか、大きなお世話というものです。先進国は皆、電気も水道も確保し、一人に一台の車を持って快適な暮らしをしております。途上国には「地球環境に悪いから、文明生活をするな!」、これじゃあ話の筋が通りません。

他人事としてテレビを観ている私でもそう思うのですから、直接言われた国の方は相当頭に来ている事でしょう。役人共に「無駄遣いはヤメましょう!」とか言われるのと同じです。「お前らにだけは言われたくない!」そんな風に思っている筈であります。

サクッとバッファローを全滅させて狂ったように牛を食う人種に、クジラのような知能の高い動物を食べるのは間違っている・・・と禁止される。核兵器を大量に配備した国々に「核は持つな!」と上から言われる。共産主義の自由すら無い国に、自国の教科書を否定される。使えない上司に仕事の仕方をうるさく指図される。
どれも似たような不快感を覚えます(怒)。

今の暮らしは、20~30年前と比較しても格段に快適であります。今更、昔ながらの生活に戻れるでしょうか。恐らく無理な事だと思うのです。どの世界であっても楽を覚えれば、それを求めるのが当たり前であります。だからこそ今の文明が存在するのです。

人は、色々な局面で物事を選択をし前に進んで行きます。今の快適な暮らしが『温暖化』を進めて来たのであれば、それは人類が好んで選択した道だという事になります。選択した道の先は『破滅』かもしれないし、『発展』かもしれません。それは人の人生と同じ事であります。
大きな一つの流れ、その先に何があろうと已む無し・・・と思うのです。


私共、北の人間にはちょっと嬉しい『温暖化』。
しかし、それによって沈んでしまう島国やそこに暮らす人々がいると聞くと、なんとも複雑な気分であります。


どこかの科学者が、一発で温暖化を解決するような機械でも開発してくれると良いなぁ・・・、なんて思っております。